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霧里のはなし

「カエデ、手の向きが逆さ」
「あい、ねえさん」
「サクラ、遅れないよう気をつけなんし」
「あい、ねえさん」

あの人が制約の多い仕事をしていることも、だからこそ頻繁な登楼が難しいことも、全部わかってはいるのだ。
こうやって思い煩うのも意味がない。

そうだ、本当は全部意味などないのだ。

私たち遊女が芸を磨いたって、宴会では芸者がいるから披露する場は無いのだ。
ただ誰かから言われただけで、意味のないことに明け暮れるのが人の道なのだろうか。

「…ねえさん?お加減悪うござんすか?」
「いいえ、でも…少し休みんしょう」
『あい、わかりんした』

それならば、この気持ちも意味のないものなのだろうか。
あの人を思い、焦がれるこの胸も。

カエデとサクラが戯れているのを目の端に捉え、自分が禿だった頃を思い出す。
育ててくれたねえさんは、私が水揚げした次の年に梅毒で逝ってしまった。

時折、思う。
いつまでこうやって生きていられるだろう。
年季明けはあまりにも遠い。
むしろ私たち遊女にとって、投げ込み寺の方がずっと近しいのだ。



「ドンキホーテ・ドフラミンゴ様」

難解な名だ。

「おいでなんし」
「あァ」

微笑んで首を傾げる。
初めて顔を見た。
珍しい形の色付き目鏡をかけている。
舶来物だろうか。
豪商の頭と聞いている。道理で羽振りがいいわけだ。

「会いたかったぞ、霧里太夫」

今日から私とこの人は仮初めの夫婦。
話の端々から、この人が何を求めてやってきたのかを探る。
見栄を張るためなのか。
色恋に浸りたいのか。
浮世を忘れるためなのか。

けれど揚屋を後にし、置屋に向かう道中もそれが見えることはなかった。



置屋の入口に差し掛かった時、遣手のお登勢さんが不満そうにこちらを見たのがわかった。
床入りを引き伸ばす気がないのはとっくの昔にお見通しだ。


この人が求めているものがわからない以上、これだろうというものを差し出して馴染みにしてしまう方が良い。
一度馴染みになれば他の遊女に手を出すことはできなくなる。
あとはじっくり何を求めておられるのか探ろう。

数度、床入りを引き延ばしたところで、もらえるご祝儀はたかが知れている。
それよりもお客人の執着を強くして生まれる面倒ごとの方が厄介なのだ、と人知れず息をついた。
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