初雪のはなし
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身動きが、取れなかった。
”先生の思惑がどうであっても構いません”
”先生が私を手元に置いておこうとされるのなら、喜んでそれに従いましょう”
生死の境まで追い詰めたというのに、あいつはそれを許すと言うのか?
狼狽した体が廊下の柱にぶつかった。
逃げようとした瞬間、ハルが障子を開けた。
「…先生」
「…」
「ずっとそこでお聞きになっていたのですか?」
何だかわからない感情が渦巻いていた。
知られてしまった焦燥、軽蔑されるかもしれない恐怖、許されるかもしれないという僅かな期待。
「…聞いていた」
「そうでしたか」
以前にも増してハルの顔が見られない。
「…先生、」
ハルが俺の前に歩を進め、膝を着いた。
「なぜそのようなお顔をしていらっしゃるのですか?」
自分がどんな顔をしているかなど、今はどうだって良かった。
「お前は…、俺がしたことを知って、それでもここに居ると言うのか」
「はい」
「正しい薬を使えばもっと楽に治ったはずだ」
「そうでしたか」
「本来ならもう屋敷の外に出ても、…里に帰っても構わない身だ」
「はい」
「…いずれ、俺はお前を自分のものにしたいと思っている。患者に手を出すのはご法度なのに、だ」
「…」
自暴自棄に近い気分で言葉を重ねる。
いっそ軽蔑された方が諦めがつくと考える己がいた。
「まだ遊廓にいたころ、献体の書類を頂いた時にお伝えしましたけれど、」
迷いのない声が闇夜に溶ける。
「私にとって、先生のお役に立つ以上の光栄はありません。それは患者としてだけではなく、一人の人間としても、女としても同じです」
まだ恐怖を拭えないまま、ハルの顔を見た。
「私は己に価値がないと思っていました。先生が私を見出して下さった時から、…いえ、その前から私は、先生をお慕い申し上げておりました」
胸が震えるようだった。
これを愛おしさと言うのだと知った。
「…明日、簪 を買ってくる」
「はい」
「受け取ってくれるか」
「もちろんです。先生が私で良いのなら」
いつだったか求婚の際に贈り物をする習慣が庶民に流行していると聞いた。
筆頭は櫛だが、「苦しい時も死ぬ時も一緒だ」という表れだと聞き興ざめした。
どうせならば女を飾り身を守るものを、と考えた時に頭に浮かんだのがハルだったことを不意に思い出す。
あれはまだハルの遊廓を告発する前だったが、その頃から俺はこいつに決めていたのかも知れなかった。
細い肩を引き寄せる。
薄衣越しの体温が体に伝わり、思い出したように胸が震える。
この柔らかな体と、どこまでも優しい心が壊れることがないようにと、俺は祈るような気持ちで月を見上げていた。
”先生の思惑がどうであっても構いません”
”先生が私を手元に置いておこうとされるのなら、喜んでそれに従いましょう”
生死の境まで追い詰めたというのに、あいつはそれを許すと言うのか?
狼狽した体が廊下の柱にぶつかった。
逃げようとした瞬間、ハルが障子を開けた。
「…先生」
「…」
「ずっとそこでお聞きになっていたのですか?」
何だかわからない感情が渦巻いていた。
知られてしまった焦燥、軽蔑されるかもしれない恐怖、許されるかもしれないという僅かな期待。
「…聞いていた」
「そうでしたか」
以前にも増してハルの顔が見られない。
「…先生、」
ハルが俺の前に歩を進め、膝を着いた。
「なぜそのようなお顔をしていらっしゃるのですか?」
自分がどんな顔をしているかなど、今はどうだって良かった。
「お前は…、俺がしたことを知って、それでもここに居ると言うのか」
「はい」
「正しい薬を使えばもっと楽に治ったはずだ」
「そうでしたか」
「本来ならもう屋敷の外に出ても、…里に帰っても構わない身だ」
「はい」
「…いずれ、俺はお前を自分のものにしたいと思っている。患者に手を出すのはご法度なのに、だ」
「…」
自暴自棄に近い気分で言葉を重ねる。
いっそ軽蔑された方が諦めがつくと考える己がいた。
「まだ遊廓にいたころ、献体の書類を頂いた時にお伝えしましたけれど、」
迷いのない声が闇夜に溶ける。
「私にとって、先生のお役に立つ以上の光栄はありません。それは患者としてだけではなく、一人の人間としても、女としても同じです」
まだ恐怖を拭えないまま、ハルの顔を見た。
「私は己に価値がないと思っていました。先生が私を見出して下さった時から、…いえ、その前から私は、先生をお慕い申し上げておりました」
胸が震えるようだった。
これを愛おしさと言うのだと知った。
「…明日、
「はい」
「受け取ってくれるか」
「もちろんです。先生が私で良いのなら」
いつだったか求婚の際に贈り物をする習慣が庶民に流行していると聞いた。
筆頭は櫛だが、「苦しい時も死ぬ時も一緒だ」という表れだと聞き興ざめした。
どうせならば女を飾り身を守るものを、と考えた時に頭に浮かんだのがハルだったことを不意に思い出す。
あれはまだハルの遊廓を告発する前だったが、その頃から俺はこいつに決めていたのかも知れなかった。
細い肩を引き寄せる。
薄衣越しの体温が体に伝わり、思い出したように胸が震える。
この柔らかな体と、どこまでも優しい心が壊れることがないようにと、俺は祈るような気持ちで月を見上げていた。