初雪のはなし
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カチャカチャと金属がぶつかる音がする。
「変わりないか」
「…はい。変わりありません」
「今月分の薬だ」
「いつもありがとうございます」
「あァ」
私は遊女。
本来ならこの時間は昼見世に出ている時間帯。
「…どうして先生は、私に良くして下さるのですか?」
「医者が患者に処置するのは当たり前だろう」
私がいるのは鳥屋。
病気になった遊女が隔離される部屋。
*
水揚げが決まったのは16の時で、お相手は姉さんの太客の旦那様だった。
それまでも夜になると咳が止まらなくなる質だったのだけれど、水揚げの夜は特にひどかった。
それから4年が経って、咳をしすぎて血を吐くようになった頃のこと。
女将さんが急に慌ただしくなったと思ったら、お役人さんと大きなカバンを持った男性の方が見えられた。
「立ち入り調査だ。流行り病の届け出を怠っているという通報を受けた」
カバンを持った男性の方がまっすぐに私の方へ近づいてくる。
その方は名前をトラファルガー様と名乗られ、お医者様だと仰った。
「肺結核だ。このまま店に出せば、他の遊女や客に伝染する。医者として隔離することを強く勧める。まあ、この店が原因で客が死んだという噂が立ってもいいのなら無理にとは言わないが」
「そんな…この者は店に出て何年も経ってないんだよ…育てるのにいくらかかったと思ってんだい」
「もちろん隔離も一生じゃない。結核が癒えれば客を取ることも可能だろう」
先生は女将さんの肩に手をかけて言った。
「…まあ、おれも知ってしまったからには、医師連中にこのことを報告する義務がある。ここの太客には医師と懇意のものも多いだろう。医師としては受け持ちの患者の健康は守ろうとするだろうな」
私には難しくてよくわからなかったけれど、先生が帰った後に女将さんは「なんだい、脅しかい」とぼやきながら私を鳥屋に押し込んだ。
こうして私は大して格も上がらぬうちに、この鳥屋で日々を過ごすようになった。
鳥屋での生活には変化がない。
日に一度、若い衆が食事を運んでくれる以外は何もなく、その量も働いている時に比べると半分以下になった。
強いて言えば、年中不足していた睡眠がいくらでも貪れることは幸福と言えるかもしれないが。
唯一の楽しみは、月に一度いらして下さる先生の往診。
先生は私の診察をして、時には紙と筆と墨を、時には本を、時には着物を与えてくれる。
先生の下さった着物で暖を取り、本で物語の世界を知り、頭の中の空想を字に起こす。
他の遊女にもそうしておられるのか聞いたことはないけれど、私の毎日は先生によって生かされていた。
*
「…それから」
先生が紙の包みを差し出した。
「薬だ。この場で全て食べろ」
包みを開く。
棗と杏仁を砕いて固めたものが出てきた。
「いただきます」
私の口は小さくて、このようなものを食べるのには苦労する。
かぶりつくと棗の甘さと杏仁の香りが口に広がって、ついほおが緩んだ。
ふと目を上げると先生は私の顔をじっと見ておられた。
いけない、はしたないところを見られてしまった。
「…失礼いたしました」
「おれは客じゃない。味はどうだ」
どうしてそんなことをお聞きになるのかと訝しんでいると、先生は「味の感じ方で効果に差が出る」とおっしゃった。
「…とても甘くて、美味しいです。こんなに美味しいもの、初めて頂きました」
「…そうか」
「苦くないお薬もあるのですね」
笑いかけると先生は目を逸らした。
「美味しいと思うのなら、それを隠さず表に出しながら食え。その方が効果が高い」
「そうなんですか…わかりました」
仰せのままに、甘味にゆるむ頬を隠さずに食べ進める。
先生の視線を感じるけれど、きっと先ほどの指示を守れているかを監視しているのだろう。
はしたなくならない程度に美味しさを顔に出しながら、その薬を全て腹に収めた。
「ありがとうございました」
「…あァ。来月は師走だ。おそらく咳も酷くなるだろう。念のため月の半ばに一度様子を見に来る」
「…先生もお忙しいのに、お手間をおかけして申し訳ありません」
「いや、いい。では半月後に」
「…お待ちしております。ありがとうございました」
去っていく後姿を見送る。
背の高い、広い背中が廊下の角に消えた。
「変わりないか」
「…はい。変わりありません」
「今月分の薬だ」
「いつもありがとうございます」
「あァ」
私は遊女。
本来ならこの時間は昼見世に出ている時間帯。
「…どうして先生は、私に良くして下さるのですか?」
「医者が患者に処置するのは当たり前だろう」
私がいるのは鳥屋。
病気になった遊女が隔離される部屋。
*
水揚げが決まったのは16の時で、お相手は姉さんの太客の旦那様だった。
それまでも夜になると咳が止まらなくなる質だったのだけれど、水揚げの夜は特にひどかった。
それから4年が経って、咳をしすぎて血を吐くようになった頃のこと。
女将さんが急に慌ただしくなったと思ったら、お役人さんと大きなカバンを持った男性の方が見えられた。
「立ち入り調査だ。流行り病の届け出を怠っているという通報を受けた」
カバンを持った男性の方がまっすぐに私の方へ近づいてくる。
その方は名前をトラファルガー様と名乗られ、お医者様だと仰った。
「肺結核だ。このまま店に出せば、他の遊女や客に伝染する。医者として隔離することを強く勧める。まあ、この店が原因で客が死んだという噂が立ってもいいのなら無理にとは言わないが」
「そんな…この者は店に出て何年も経ってないんだよ…育てるのにいくらかかったと思ってんだい」
「もちろん隔離も一生じゃない。結核が癒えれば客を取ることも可能だろう」
先生は女将さんの肩に手をかけて言った。
「…まあ、おれも知ってしまったからには、医師連中にこのことを報告する義務がある。ここの太客には医師と懇意のものも多いだろう。医師としては受け持ちの患者の健康は守ろうとするだろうな」
私には難しくてよくわからなかったけれど、先生が帰った後に女将さんは「なんだい、脅しかい」とぼやきながら私を鳥屋に押し込んだ。
こうして私は大して格も上がらぬうちに、この鳥屋で日々を過ごすようになった。
鳥屋での生活には変化がない。
日に一度、若い衆が食事を運んでくれる以外は何もなく、その量も働いている時に比べると半分以下になった。
強いて言えば、年中不足していた睡眠がいくらでも貪れることは幸福と言えるかもしれないが。
唯一の楽しみは、月に一度いらして下さる先生の往診。
先生は私の診察をして、時には紙と筆と墨を、時には本を、時には着物を与えてくれる。
先生の下さった着物で暖を取り、本で物語の世界を知り、頭の中の空想を字に起こす。
他の遊女にもそうしておられるのか聞いたことはないけれど、私の毎日は先生によって生かされていた。
*
「…それから」
先生が紙の包みを差し出した。
「薬だ。この場で全て食べろ」
包みを開く。
棗と杏仁を砕いて固めたものが出てきた。
「いただきます」
私の口は小さくて、このようなものを食べるのには苦労する。
かぶりつくと棗の甘さと杏仁の香りが口に広がって、ついほおが緩んだ。
ふと目を上げると先生は私の顔をじっと見ておられた。
いけない、はしたないところを見られてしまった。
「…失礼いたしました」
「おれは客じゃない。味はどうだ」
どうしてそんなことをお聞きになるのかと訝しんでいると、先生は「味の感じ方で効果に差が出る」とおっしゃった。
「…とても甘くて、美味しいです。こんなに美味しいもの、初めて頂きました」
「…そうか」
「苦くないお薬もあるのですね」
笑いかけると先生は目を逸らした。
「美味しいと思うのなら、それを隠さず表に出しながら食え。その方が効果が高い」
「そうなんですか…わかりました」
仰せのままに、甘味にゆるむ頬を隠さずに食べ進める。
先生の視線を感じるけれど、きっと先ほどの指示を守れているかを監視しているのだろう。
はしたなくならない程度に美味しさを顔に出しながら、その薬を全て腹に収めた。
「ありがとうございました」
「…あァ。来月は師走だ。おそらく咳も酷くなるだろう。念のため月の半ばに一度様子を見に来る」
「…先生もお忙しいのに、お手間をおかけして申し訳ありません」
「いや、いい。では半月後に」
「…お待ちしております。ありがとうございました」
去っていく後姿を見送る。
背の高い、広い背中が廊下の角に消えた。
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