本編
◯神暦3917年 水龍月7日 魔道王国イングリッド 王都マルドゥーク
前日に遠征からの帰還、その報告書の作成、そして次の仕事である謎の殺人事件に関する情報整理と、日が変わるまで慌ただしくしていたクローディア。しかし、そんな彼女の翌朝は、陽が昇ったばかりの明け方5時から始まる。
クローディアの自宅は、王都マルドゥークの中心に拓かれた新市街、そこにある石材で造られた4階建ての集合住宅の一室だ。
目を覚ますと、彼女はまずカーテンを開け、東の空へ向かって両手を組んで神に祈りを捧げる。彼女が魔法を授かる天空の神アリエルへの祈りだ。
神に黙祷を捧げると、部屋を掃除し、それから近くの共同洗濯場で洗濯を片づけ、そのあとは朝食の準備。朝からやることは多いが、一人暮らしのため手間は少ない。
朝食を終えたら制服に着替え、最後にライザからもらった黒のアリスバンドを身につければ出勤の準備は完了だ。バンドを忘れると、ライザがその日一日、使い物にならなくなる。
だが、出かける前にもう一つ、クローディアにはやることがあった。
その足を、玄関ではなく居間の端に置かれた箪笥に向ける。そして、その上に置かれた両手に収まる程度の写真立てを手に取った。
映っているのは、聖痕騎士団の制服に身を包んだ男性と女性。そして、二人の間に立つ、緊張した笑顔を浮かべながら前を見据える小さな女の子。
「―――おはよう。父さん、母さん」
それは、10年前に撮った、最後の家族写真だった。
「今日は訓練校の授業で早いから、少ししか話せないけど……あ、昨日はごめんね。ルヴァン関の遠征から戻ったばかりで疲れちゃって、帰ったらそのまま寝ちゃって」
苦笑いを浮かべながら謝罪するクローディア。
彼女は毎日の朝晩、こうして両親に日々の報告をしている。仕事のこと。友人のこと。楽しかったこと。辛かったことを。
二人が生きていれば、きっと日々こうしたであろうという、あり得た日常をなぞるように。
「最近、野盗や魔道結社が一段と力をつけてて、急な応援要請が増えてるの。でも、応えられる戦力が限られてるから、ちょっと遠征が重なってて……。あ、それが嫌なわけじゃないの。もちろん大変だけど、この国を守る力になれてるんだって思うと、不謹慎だけど、ちょっと嬉しいっていうか……」
聖痕騎士団の副団長として随一の戦闘力と頭脳を誇るクローディア。騎士団ではそんな彼女を頼る者が多く、故に彼女も強くあれと自分を常に厳しく律してきた。
だが18歳の彼女は、年齢でいえば、まだ一人の少女に過ぎない。
「でも、正直このままだと、数年以内に騎士団の力が及ばなくなりそうなの。補佐官制度を導入したり、傭兵を雇い始めたり、騎士団もいろいろ手を打ってはいるんだけど……」
だから、一人では背負い切れないこともあれば、誰にも言えない辛いこともある。
そうした一つ一つを、彼女はこうして両親に話すことで受け入れていた。
「前に母さんが言ってた詠唱破棄の研究もなかなか進まなくて。正直、八方塞がりで……」
思考をまとめず、ただ思うがまま話し続けていたからか、クローディアの言葉が次第に弱気を帯び始める。
詠唱破棄。かつてクローディアの母親が研究していた魔法理論だ。本来は4節にわたる詠唱が必要な魔法を即座に発動する、空想上の産物。
ベルヴェリオにも報告したとおり、今すぐ強力な魔法を手にして、力を増している野盗や魔道結社に対抗するのは困難だ。であるならば、今ある魔法で優位に立つしかない。
その対策の一つとして、クローディアは母の研究を引き継いでいた。どんな強力な魔法も、詠唱中は完全に無防備だ。そこへ先に魔法を叩きこめれば、圧倒的な優位を築ける。
しかしその研究は、彼女の母親が到達した地点から、まったく進展していなかった。いかに不屈の精神を持つクローディアでも、多少参りつつあるくらいには。
「……ううん。ダメだよね、弱音を言ってばかりじゃ。父さんにもよくそれで怒られたし」
クローディアは、すぐに頭を振って気を入れ直す。
「あ。そういえば、昨日のお昼に町で獣人の女の子を見かけたの。珍しいなと思って。寝顔がすごく可愛くて、ちょっと見とれちゃった」
その後、クローディアは仕事以外の話を続けた。昨日の道案内で出会った獣人の子の話、ライザが相変わらずな話など、いずれも他愛ないものばかり。
やがて、時間が来た。朝7時。
「―――あ、もうこんな時間。じゃあ、行ってくるね。父さん、母さん」
クローディアは写真立てを戻すと、最後に手を合わせる。そして仕事へ向かった。
クローディアが向かったのは、詰め所を挟んで闘技場の隣りに置かれた木造4階建ての大きな建物―――騎士訓練校だ。聖痕騎士をめざす若者が国中から集まる騎士養成機関で、彼女はここの講師も務めている。
校舎へ到着したクローディアは、その足で講師室へ向かう。生徒たちはすでにそれぞれの教室で待機しているため、廊下は無人だ。
「おはようございます」
講師室の扉を開けると、中には同じ騎士団員が大勢ソファーに座っていた。これから講義を担当する、騎士団の精鋭中の精鋭たちだ。
クローディアが入ると同時に、中の騎士たちが立ち上がり、次々と「おはようございます」「おはようございます、クローディア様!」とあいさつを口にする。クローディアはその一つ一つに丁寧に応じ、奥へ進む。
「よう、クローディア。久しぶりだな」
すると、部屋の隅のソファーに座っていた四人、そのうちの一人が声をかけてきた。獣めいた鋭い赤眼と刈り上げた赤髪が目を引く青年だ。
「ルヴァン関の応援に行ったって聞いてたけど、いつ戻ったんだい?」
その隣で足を組み、本を読んでいた青年が、頁から視線を上げた。こちらは知的な眼鏡と柔らかい雰囲気の碧眼が目を引く好青年である。
「なんとか昨日の朝一に帰還できました」
「昨日の今日で授業とは、相変わらず忙しいな」
クローディアは空いているソファーに腰を下ろす。
「向こうはどうでしたか? いろいろ不穏な噂が立ってますが」
透き通るような美しい声で尋ねたのは、背筋を伸ばし、礼儀正しい口調でクローディアに接する、海色の瞳と同色のセミロングが美しい少女だった。
「ゴース団が得体の知れない魔法を手に入れていたわ。姫様は裏に誰かいるんだろうって」
「あーだよねぇ。ここ最近、北も騒がしくなってきたし、ぜったい親玉いる気がする」
クローディアの言葉に同意したのは、軽い口調と大げさな身振り手振りで明るい雰囲気を振りまく、短い金髪が輝かしい少女だ。
「北ってシルヴァラントですか?」
「そうそう。ちょっと前から《久遠の絆》の動きが怪しいんだよね。やたら古い遺跡とか荒らし回ってるし」
久しぶりの再会に、しばし近況報告を交わす一同。
その口調は至って軽い雰囲気だが、四人はいずれもクローディアと同じ騎士団の筆頭、副団長に名を連ねる歴戦の勇者だ。
燃えるような赤眼赤髪が際立つ、騎士団史上初めて傭兵から副団長へ昇り詰めた青年、カイル・クロフォード。
イングリッド史上でただ一人、万能魔法を習得した四大騎士家系の一つファーレンハイト家の跡継ぎ、ラティウス・ファーレンハイト。
史上初めて王立魔道研究所の研究員から副団長へ抜擢された天才少女にしてクローディアの後輩、ミネルヴァ・イクシード。
そして訓練校時代にクローディアとしのぎを削った、同級生にしてかけがえのない親友、アヴリル・グランハイム。
いずれも各主要都市の防衛を担う分団の長を担っており、年に4度の傭兵試験や担当する講義がある時に限り、こうして王都へ帰ってくる。
副団長の五人が一堂に会する機会は滅多にない。そのため講師室にいる他の面々が彼らに向ける視線も、自然と畏怖や畏敬の念を帯びる。
「シルヴァラントっていえば、聞いたか? 今回の傭兵試験に一人、大物がいるらしいぞ」
そんな視線を気にする素振りもなく、カイルが話題を変えた。
「大物?」
「あの《魔獣殺し》だ」
カイルの言葉に一瞬、場が静まり返った。驚きか、あるいは興味か。
「《魔獣殺し》って……あのケーニッヒの《魔獣》を倒したっていう流れの傭兵?」
クローディアの疑問に、カイルは「ああ」と肯定する。
―――《魔獣》
それは、世界を蹂躙する異形の存在だ。
最初に確認されたのは、今から11年前の神暦3906年。後に《黒竜騎》と呼ばれる巨大な竜の騎士が突如、西の隣国であるカンバーランド、その西端に聳える晴れない霧に包まれたミルディアス大山の頂上から飛来した。吐き出す黒い焔はすべてを燃やし尽くし、剛力で振るわれる槍は人間など一撃で跡形もなく消し飛ばした。
カンバーランドの騎士団は全国から100人の精鋭を集めて討伐を図るも、1時間も保たずに壊滅。すぐさま東のイングリッド、北のバルムンクとティンバー、南のセイファートの四国に救援を要請した。結果、五国が送り出した戦力、総勢1200人の連合騎士団が結成され、再討伐を敢行。当時の聖痕騎士団長にしてベルヴェリオの師であるオーランド・ローガスト、そしてクローディアの両親も、この時に戦地へ赴いた。
―――そして、命を落とした。
生き残った者の証言によれば、連合騎士団は《黒竜騎》に深手こそ与えたが、逃亡を許してしまった。彼らは1000人以上の命を引き換えにしても、討伐を果たせなかったのだ。
そんな強大な力を持つ《魔獣》が、その後の10年間に、世界各地で確認され始めた。
セイファートの広大なベルヴァ砂漠に潜む《骨鯨》。
バルムンクと並ぶ北の国、アーリィの面する死氷海に眠る海竜《海守》。
イングリッドの南に広がる大国ローゼリアのギネヴィア火山を根城とする大蛇《骸蛇》。
その数は、確認されているだけで20近い。
その力は文字通り常軌を逸しており、並みの騎士が束になったところで敵わないのは、先の《黒竜騎》討伐で全世界が思い知らされていた。
だが、そんな《魔獣》をたった一人で討伐した一騎当千の傭兵がいるという信じ難い噂が、いつしか大陸中を飛び交うようになる。
時は、3年前の神暦3914年。場所は、イングリッド北方の大都市シルヴァラントに聳える、アーリィとの国境で二分されるケーニッヒ山脈。その山頂付近に現れた《白銀狼》が、一人の青年が討伐に行くと入山した日を境に、姿を消したのだ。
(……ん? ケーニッヒの傭兵……?)
―――そんな話を思い出していたクローディアの表情が、少し曇った。
「でも、あの真偽は不明って話じゃなかったかい?」「まぁな。誰も同行者はいなかったし、《魔獣》の亡骸も発見されてないからな」「でもシルヴァラントの人たちは、わりと信じてるよ。実際《魔獣》は現れなくなったからねー」「誇張ではないですか? さすがに《魔獣》を一人で倒したなんて、信じろと言われても……」「まぁねぇ。でも、姫様みたいな《稀人》もいるわけだし、あり得ない話じゃないと思うけどなぁ」「あんな化けもんが他にもいるとか、ぞっとしないけどな。……ん? どうしたクローディア?」
黙って考え込んでいたクローディアの様子に違和感を覚えたカイルが声をかける。
「……いえ、なんでもないわ。それより、そろそろ時間ね」
彼女の言葉を受けるかのように、1限目の5分前を告げる鐘が鳴った。
講師室の一同はソファーから立ち上がり、それぞれ部屋を後にする。
「あーもう時間かぁー」「先輩、今年こそ寝ないでくださいよ。去年それで私たちまで団長に怒られたんですから」「お前はあまり厳しくすんなよ。去年、初日で大半が逃げ出しかけたんだからな」「そもそも少数精鋭の方針なわけですから、手間が省けてちょうど良いじゃないですか」「……ははは」
副団長の四人も、賑やかにそれぞれの受け持つ教室へ向かう。
クローディアは、そんな同僚たちの後ろについて、自身も講師室を出た。
―――その脳裏に、一人の人物の姿を思い浮かべながら。
前日に遠征からの帰還、その報告書の作成、そして次の仕事である謎の殺人事件に関する情報整理と、日が変わるまで慌ただしくしていたクローディア。しかし、そんな彼女の翌朝は、陽が昇ったばかりの明け方5時から始まる。
クローディアの自宅は、王都マルドゥークの中心に拓かれた新市街、そこにある石材で造られた4階建ての集合住宅の一室だ。
目を覚ますと、彼女はまずカーテンを開け、東の空へ向かって両手を組んで神に祈りを捧げる。彼女が魔法を授かる天空の神アリエルへの祈りだ。
神に黙祷を捧げると、部屋を掃除し、それから近くの共同洗濯場で洗濯を片づけ、そのあとは朝食の準備。朝からやることは多いが、一人暮らしのため手間は少ない。
朝食を終えたら制服に着替え、最後にライザからもらった黒のアリスバンドを身につければ出勤の準備は完了だ。バンドを忘れると、ライザがその日一日、使い物にならなくなる。
だが、出かける前にもう一つ、クローディアにはやることがあった。
その足を、玄関ではなく居間の端に置かれた箪笥に向ける。そして、その上に置かれた両手に収まる程度の写真立てを手に取った。
映っているのは、聖痕騎士団の制服に身を包んだ男性と女性。そして、二人の間に立つ、緊張した笑顔を浮かべながら前を見据える小さな女の子。
「―――おはよう。父さん、母さん」
それは、10年前に撮った、最後の家族写真だった。
「今日は訓練校の授業で早いから、少ししか話せないけど……あ、昨日はごめんね。ルヴァン関の遠征から戻ったばかりで疲れちゃって、帰ったらそのまま寝ちゃって」
苦笑いを浮かべながら謝罪するクローディア。
彼女は毎日の朝晩、こうして両親に日々の報告をしている。仕事のこと。友人のこと。楽しかったこと。辛かったことを。
二人が生きていれば、きっと日々こうしたであろうという、あり得た日常をなぞるように。
「最近、野盗や魔道結社が一段と力をつけてて、急な応援要請が増えてるの。でも、応えられる戦力が限られてるから、ちょっと遠征が重なってて……。あ、それが嫌なわけじゃないの。もちろん大変だけど、この国を守る力になれてるんだって思うと、不謹慎だけど、ちょっと嬉しいっていうか……」
聖痕騎士団の副団長として随一の戦闘力と頭脳を誇るクローディア。騎士団ではそんな彼女を頼る者が多く、故に彼女も強くあれと自分を常に厳しく律してきた。
だが18歳の彼女は、年齢でいえば、まだ一人の少女に過ぎない。
「でも、正直このままだと、数年以内に騎士団の力が及ばなくなりそうなの。補佐官制度を導入したり、傭兵を雇い始めたり、騎士団もいろいろ手を打ってはいるんだけど……」
だから、一人では背負い切れないこともあれば、誰にも言えない辛いこともある。
そうした一つ一つを、彼女はこうして両親に話すことで受け入れていた。
「前に母さんが言ってた詠唱破棄の研究もなかなか進まなくて。正直、八方塞がりで……」
思考をまとめず、ただ思うがまま話し続けていたからか、クローディアの言葉が次第に弱気を帯び始める。
詠唱破棄。かつてクローディアの母親が研究していた魔法理論だ。本来は4節にわたる詠唱が必要な魔法を即座に発動する、空想上の産物。
ベルヴェリオにも報告したとおり、今すぐ強力な魔法を手にして、力を増している野盗や魔道結社に対抗するのは困難だ。であるならば、今ある魔法で優位に立つしかない。
その対策の一つとして、クローディアは母の研究を引き継いでいた。どんな強力な魔法も、詠唱中は完全に無防備だ。そこへ先に魔法を叩きこめれば、圧倒的な優位を築ける。
しかしその研究は、彼女の母親が到達した地点から、まったく進展していなかった。いかに不屈の精神を持つクローディアでも、多少参りつつあるくらいには。
「……ううん。ダメだよね、弱音を言ってばかりじゃ。父さんにもよくそれで怒られたし」
クローディアは、すぐに頭を振って気を入れ直す。
「あ。そういえば、昨日のお昼に町で獣人の女の子を見かけたの。珍しいなと思って。寝顔がすごく可愛くて、ちょっと見とれちゃった」
その後、クローディアは仕事以外の話を続けた。昨日の道案内で出会った獣人の子の話、ライザが相変わらずな話など、いずれも他愛ないものばかり。
やがて、時間が来た。朝7時。
「―――あ、もうこんな時間。じゃあ、行ってくるね。父さん、母さん」
クローディアは写真立てを戻すと、最後に手を合わせる。そして仕事へ向かった。
クローディアが向かったのは、詰め所を挟んで闘技場の隣りに置かれた木造4階建ての大きな建物―――騎士訓練校だ。聖痕騎士をめざす若者が国中から集まる騎士養成機関で、彼女はここの講師も務めている。
校舎へ到着したクローディアは、その足で講師室へ向かう。生徒たちはすでにそれぞれの教室で待機しているため、廊下は無人だ。
「おはようございます」
講師室の扉を開けると、中には同じ騎士団員が大勢ソファーに座っていた。これから講義を担当する、騎士団の精鋭中の精鋭たちだ。
クローディアが入ると同時に、中の騎士たちが立ち上がり、次々と「おはようございます」「おはようございます、クローディア様!」とあいさつを口にする。クローディアはその一つ一つに丁寧に応じ、奥へ進む。
「よう、クローディア。久しぶりだな」
すると、部屋の隅のソファーに座っていた四人、そのうちの一人が声をかけてきた。獣めいた鋭い赤眼と刈り上げた赤髪が目を引く青年だ。
「ルヴァン関の応援に行ったって聞いてたけど、いつ戻ったんだい?」
その隣で足を組み、本を読んでいた青年が、頁から視線を上げた。こちらは知的な眼鏡と柔らかい雰囲気の碧眼が目を引く好青年である。
「なんとか昨日の朝一に帰還できました」
「昨日の今日で授業とは、相変わらず忙しいな」
クローディアは空いているソファーに腰を下ろす。
「向こうはどうでしたか? いろいろ不穏な噂が立ってますが」
透き通るような美しい声で尋ねたのは、背筋を伸ばし、礼儀正しい口調でクローディアに接する、海色の瞳と同色のセミロングが美しい少女だった。
「ゴース団が得体の知れない魔法を手に入れていたわ。姫様は裏に誰かいるんだろうって」
「あーだよねぇ。ここ最近、北も騒がしくなってきたし、ぜったい親玉いる気がする」
クローディアの言葉に同意したのは、軽い口調と大げさな身振り手振りで明るい雰囲気を振りまく、短い金髪が輝かしい少女だ。
「北ってシルヴァラントですか?」
「そうそう。ちょっと前から《久遠の絆》の動きが怪しいんだよね。やたら古い遺跡とか荒らし回ってるし」
久しぶりの再会に、しばし近況報告を交わす一同。
その口調は至って軽い雰囲気だが、四人はいずれもクローディアと同じ騎士団の筆頭、副団長に名を連ねる歴戦の勇者だ。
燃えるような赤眼赤髪が際立つ、騎士団史上初めて傭兵から副団長へ昇り詰めた青年、カイル・クロフォード。
イングリッド史上でただ一人、万能魔法を習得した四大騎士家系の一つファーレンハイト家の跡継ぎ、ラティウス・ファーレンハイト。
史上初めて王立魔道研究所の研究員から副団長へ抜擢された天才少女にしてクローディアの後輩、ミネルヴァ・イクシード。
そして訓練校時代にクローディアとしのぎを削った、同級生にしてかけがえのない親友、アヴリル・グランハイム。
いずれも各主要都市の防衛を担う分団の長を担っており、年に4度の傭兵試験や担当する講義がある時に限り、こうして王都へ帰ってくる。
副団長の五人が一堂に会する機会は滅多にない。そのため講師室にいる他の面々が彼らに向ける視線も、自然と畏怖や畏敬の念を帯びる。
「シルヴァラントっていえば、聞いたか? 今回の傭兵試験に一人、大物がいるらしいぞ」
そんな視線を気にする素振りもなく、カイルが話題を変えた。
「大物?」
「あの《魔獣殺し》だ」
カイルの言葉に一瞬、場が静まり返った。驚きか、あるいは興味か。
「《魔獣殺し》って……あのケーニッヒの《魔獣》を倒したっていう流れの傭兵?」
クローディアの疑問に、カイルは「ああ」と肯定する。
―――《魔獣》
それは、世界を蹂躙する異形の存在だ。
最初に確認されたのは、今から11年前の神暦3906年。後に《黒竜騎》と呼ばれる巨大な竜の騎士が突如、西の隣国であるカンバーランド、その西端に聳える晴れない霧に包まれたミルディアス大山の頂上から飛来した。吐き出す黒い焔はすべてを燃やし尽くし、剛力で振るわれる槍は人間など一撃で跡形もなく消し飛ばした。
カンバーランドの騎士団は全国から100人の精鋭を集めて討伐を図るも、1時間も保たずに壊滅。すぐさま東のイングリッド、北のバルムンクとティンバー、南のセイファートの四国に救援を要請した。結果、五国が送り出した戦力、総勢1200人の連合騎士団が結成され、再討伐を敢行。当時の聖痕騎士団長にしてベルヴェリオの師であるオーランド・ローガスト、そしてクローディアの両親も、この時に戦地へ赴いた。
―――そして、命を落とした。
生き残った者の証言によれば、連合騎士団は《黒竜騎》に深手こそ与えたが、逃亡を許してしまった。彼らは1000人以上の命を引き換えにしても、討伐を果たせなかったのだ。
そんな強大な力を持つ《魔獣》が、その後の10年間に、世界各地で確認され始めた。
セイファートの広大なベルヴァ砂漠に潜む《骨鯨》。
バルムンクと並ぶ北の国、アーリィの面する死氷海に眠る海竜《海守》。
イングリッドの南に広がる大国ローゼリアのギネヴィア火山を根城とする大蛇《骸蛇》。
その数は、確認されているだけで20近い。
その力は文字通り常軌を逸しており、並みの騎士が束になったところで敵わないのは、先の《黒竜騎》討伐で全世界が思い知らされていた。
だが、そんな《魔獣》をたった一人で討伐した一騎当千の傭兵がいるという信じ難い噂が、いつしか大陸中を飛び交うようになる。
時は、3年前の神暦3914年。場所は、イングリッド北方の大都市シルヴァラントに聳える、アーリィとの国境で二分されるケーニッヒ山脈。その山頂付近に現れた《白銀狼》が、一人の青年が討伐に行くと入山した日を境に、姿を消したのだ。
(……ん? ケーニッヒの傭兵……?)
―――そんな話を思い出していたクローディアの表情が、少し曇った。
「でも、あの真偽は不明って話じゃなかったかい?」「まぁな。誰も同行者はいなかったし、《魔獣》の亡骸も発見されてないからな」「でもシルヴァラントの人たちは、わりと信じてるよ。実際《魔獣》は現れなくなったからねー」「誇張ではないですか? さすがに《魔獣》を一人で倒したなんて、信じろと言われても……」「まぁねぇ。でも、姫様みたいな《稀人》もいるわけだし、あり得ない話じゃないと思うけどなぁ」「あんな化けもんが他にもいるとか、ぞっとしないけどな。……ん? どうしたクローディア?」
黙って考え込んでいたクローディアの様子に違和感を覚えたカイルが声をかける。
「……いえ、なんでもないわ。それより、そろそろ時間ね」
彼女の言葉を受けるかのように、1限目の5分前を告げる鐘が鳴った。
講師室の一同はソファーから立ち上がり、それぞれ部屋を後にする。
「あーもう時間かぁー」「先輩、今年こそ寝ないでくださいよ。去年それで私たちまで団長に怒られたんですから」「お前はあまり厳しくすんなよ。去年、初日で大半が逃げ出しかけたんだからな」「そもそも少数精鋭の方針なわけですから、手間が省けてちょうど良いじゃないですか」「……ははは」
副団長の四人も、賑やかにそれぞれの受け持つ教室へ向かう。
クローディアは、そんな同僚たちの後ろについて、自身も講師室を出た。
―――その脳裏に、一人の人物の姿を思い浮かべながら。