本編
ベルヴェリオと別れたクローディアは、王立墓地を出て騎士団の詰め所へ向かった。ベルヴェリオの依頼について把握するためだ。
丘を降り、煉瓦造りの商店や家屋が立ち並ぶ大通りを進む。
王都マルドゥークは、イングリッド国内だけでなく、大陸全土の中でも繁栄を極めた町の一つだ。今も露天商の呼び込みやこどもたちの遊ぶ声、詩人の吟誦、大道芸人の見世物で賑わう歓声などが各所から聞こえる。
特に今は、アリエル神へ天の恵みを祈る《豊臨祭》の準備が進んでいる最中で、一年で最も王都が賑わう時期だ。毎年木龍月の太陽が最も高く昇る日に執り行われる重要な祭りの一つで、今年の開催は王家お抱えの占星術師が予言した木龍月の22日。その日の朝5時、日の出とともに国中の農家をはじめ、ほぼ全国民が天に向かって祈りを捧げる。その後、今年の豊作を祈願して、神に踊りや昨年の作物を捧げる儀式が日の入りまで行われる。
―――だが、
(……いつもより人通りが少ないわね)
今の町の雰囲気が普段と違うのを、クローディアは敏感に見て取っていた。おそらくベルヴェリオの言っていた事件が関係しているのだろう。
聖痕騎士団の主な任務は国の防衛や脅威の排除だが、殺人や盗難といった事件への対処も重要な仕事だ。クローディア自身、これまで何件もの凶悪事件の調査を担ってきた。
だが、どんな凶悪事件が起こった時も、ここまで町の雰囲気が淀んだことはない。
誰もが無意識に互いを警戒し合うような、そんな粘ついた空気がクローディアの身にじわじわと絡みつく。
それほどに衝撃的な事件だったというのか……。
「あ、すまない。ちょっといいかい?」
思考を巡らしながら歩いていると、誰かに声をかけられた。
目の前に立っていたのは、一人の青年だ。切れ長の黒い瞳、ぼさぼさに乱れた針鼠のような黒髪、着崩した無地の黒いシャツに駱駝色のズボン。背丈はクローディアより10セチルほど高く、無愛想に等しい無表情と低い声も相まって、その態度は威圧的とすら感じられた。
だが、そんな粗暴な雰囲気を、彼に背負われている少女が無に帰していた。両腕をだらりと青年の胸の前に垂らし、肩に頬を乗せて心地よさそうに眠っている。その頭部には銀色の綺麗な髪から飛び出た愛らしい獣耳が見て取れた。
(珍しいわね、王都で獣人の子を見かけるなんて)
獣人や竜人、魚人といった亜人種は、生態や生活様式が人類と異なるため、王都で暮らしている者は少ない。加えて、その大半は傭兵稼業などの出稼ぎで一時的に滞在する大人で、こどもは極めて稀だ。クローディア自身、数えるほどしか目にしたことがない。
(……それにしても)
だが、クローディアの視線が思わず少女に向いたのは、物珍しさからではなかった。
(……………………か、かわいい)
小鳥のように尖った小さな口。たまに風を感じてか、小刻みに震える獣耳。寝相なのか時たま揺れる小柄な体に似合わない大きな尻尾。
その現実離れした愛らしさに、クローディアはすっかり当てられていた。
周囲には隠しているが、クローディアは無類の可愛いもの好きだ。自宅には縮絨加工した羊毛生地による動物のぬいぐるみを、数え切れないほど置いている。かつて職業訓練校に通っていた頃は、将来ぬいぐるみを作る職人になりたいと本気で考えていた。
「……ん? あの?」
「え? あ、は、はい、なんでしょう?」
少女の愛らしさに茫然としていたクローディアは、慌てて青年に応じる。
「実は泊まってる宿屋の場所が分からなくなって、知ってたら教えてもらえないかと。《金獅子亭》って名前なんだが」
「あ、ええ、それなら隣の大通りへ出て西側に進んでください。その先の噴水広場に鍛冶屋とパン屋があるので、その間の通りをしばらく行くと、金獅子の看板が見えてきます」
「噴水広場の鍛冶屋とパン屋の間か。ありがとう、助かった」
「いえ。お気をつけて」
青年は謝意を示すと、クローディアが示した脇道へ入り、隣の大通りへ向かっていった。
(……)
青年と別れたクローディアは、再び詰め所へ向かって、
(……あの人)
なぜか歩き出さなかった。
彼女は通りに立ったまま、その視線は遠ざかる青年の背中に結ばれていた。―――だが、愛らしい少女との別れを惜しんでいるわけではなかった。
(……どこかで見たことあるような……気のせいかしら……)
脳裏を彼に似た面影が薄っすらと霞めたからだ。
とはいえ、知り合いではないし、過去にどこかで会った記憶もない。もしそうなら、向こうも気づくだろう。
しかし、なぜか強烈な印象を喚起させる《なにか》が、彼にはあった。
(……いえ。今はそんなことを考えてる場合じゃない)
一度、二度と頭を振って雑念を払うと、クローディアは再び詰め所へ向かって歩き出した。いま考えるべきは、ベルヴェリオに託された事件の解決だ。
聖痕騎士団の詰め所は、王都の西端に置かれている。
その建物は質素そのものだ。構造は煉瓦で造られた平板なロの字型の3階建て。周囲を囲う石壁や申し訳程度の中庭も飾り気がなく、雰囲気は詰め所というより要塞に近い。
その3階の一室で、一人の少女が執務机に座り、書類の作成に勤しんでいた。
体躯は小柄。陽の色にも似た茶色の短髪を高いところで結び、子犬の尻尾のように揺らしている。紫色の丸々とした瞳は愛らしく、上衣はクローディアと同じ型の茶襟のシャツ。そして、同色が基調の格子模様をあしらったスカートを身に着けている。
彼女は、いたって真面目に仕事をこなしていた。書類を書き終えるとインクを乾かし、目打ちで穴を開ける。そこへ細紐を通し、器用に折丁の形にまとめた。
「……、―――はっ!」
一つ仕事を終え、次の仕事に取りかかろうとした少女が、急に顔を上げた。両の瞳を大きく見開き、その視線を正面にある部屋の入り口に向けている。なぜか耳を震わせながら。
「せんぱいのあしおと……っ!」
妙な一言を呟いた少女は席を立ち、器用に机を飛び越える。そして駆け出すと勢いのまま豪快に扉を開け放ち、外のなにかめがけて躊躇なく飛びかかった。
「せんぱーい! おかえりなざびぶぇっッ!」
だが、その体は虚しく床に落ちた。少女は間の抜けた悲鳴を上げると、痛みに悶絶してその愛らしい瞳に大粒の涙を浮かべる。
そんな彼女には目もくれず、言葉もかけず、訪問者―――クローディアが何事もなかったかのように脇を抜け、室内へ入っていった。
「ぜ、ぜんばい、ひどいでず……ぶかのあいをむじずるだだんで……」
「……何度も、いきなり飛びかかったり尾行したりするのは止めなさいって言ったわよね、ライザ。私に対する愛情が残ってるなら、少しはそれを全うして欲しいんだけど」
「あ、あいはもうもくなんで……」
床に擦った鼻頭を撫でながら屁理屈を捏ねて立ち上がる少女―――ライザ・フランドール。役付の騎士に充てがわれる補佐官としてクローディアを支える聖痕騎士だ。
騎士訓練校に在籍していた時代から、彼女のクローディアに対する偏愛ぶりは有名だった。校内外を問わず陰からついて回るのは当たり前。その執着ぶりは常軌を逸しており、ついには足音ひとつで彼女を識別できる域に達したほどである。
「……まぁいいわ。それよりライザ、姫様から次の仕事について聞いてると思うけど、とりあえずそれについて教えてくれる?」
外套と制帽をポールハンガーにかけるクローディア。
「あ、はい。机の上の書類に一通りまとめてあります」
ライザの言葉を受けて、クローディアが目当ての書類を手に取る。
ライザは、部屋中央のソファーに腰をかけ、気ままに足を揺らしながら事件について話し始めた。
「調査を任されたのは、水龍月の1日と2日に新市街で起こった殺人事件です。1日に殺害されたのは、アルカディア・キャラバンの団長、レイチェル・ドーン。その翌日に王立図書館の司書のノエル・カーソンという人が殺害されました。で、問題なのが、その死因でして」
「死因?」
「腰の部分で、真っ二つにされてたんです、二人とも」
「ま、真っ二つ?」
さすがにその答えは予想しなかったのか、思わず書類から顔を上げてライザを見るクローディア。ライザは小さく頷く。
「死体の断面は驚くほどきれいで、とても刃物でやった傷じゃなかったそうです。確実に魔法犯罪ですね。それもかなりの使い手だと思います」
「……2人に共通点は?」
「軽く調べた感じでは、なんにもないですね。お互い知り合いじゃないですし、仕事なんかで顔を合わせたこともありません」
「狙われそうな理由は?」
「今のところまったくです。知り合いに聞いても良い評判ばっかりで、魔法で真っ二つにするほど恨んでた人は見当たりませんでした」
「惨殺されるような人たちではなかったということね……。殺害された時の状況は?」
「レイチェルさんは、深夜にキャラバンの拠点で殺害されてました。ただ、彼女が殺害された団長室へは、門衛のいる入り口や六人の団員がいた大広間を通らなければ入れません。ノエルさんは、夜に図書館の蔵書室で殺害されてましたが、こちらも部屋の前にある館内を通る必要があります。でも、殺害されたと思われる時間には、四人の職員がいました」
「団員や図書館の職員が犯人という可能性は?」
「お互いに口裏を合わせてない限り、まずないと思います」
「となると、おそらくなんらかの魔法で侵入して殺害……でも、そんな侵入に使える魔法は検討がつかないわね」
「はい、まったくです」
「殺害に使われた魔法に当たりはついてる?」
「王立魔道研究所の人たちによると、人を切断できる魔法はいくつもあるんですけど、今回ほど切断面がきれいな上、建物に被害を出さない小規模なものは、少なくともイングリッド国内には見当たらないようです」
「となると……犯人は、いま王都にいる国外の人間?」
「その可能性が高そうかなと思って、明日の傭兵試験の参加者を中心に怪しい人がいないか訓練校の子たちに洗ってもらってます」
書類を繰りながら事件を整理するクローディアの質問に、ライザは的確に即答していく。
普段はクローディアに対する奇人ぶりが際立つ彼女だが、騎士としての力量は申し分ない。騎士訓練校を卒業と同時に補佐官へ抜擢されたのは、クローディアが団長ベルヴェリオの補佐官へ任命されて以来、騎士団史上2人目の快挙だ。
……とはいえ、彼女の性根が奇人であることに変わりはない。
「―――それじゃあ、とりあえずその報告待ちね。明日は講義と試験があるから夕方に現場へ行くわ。一度、見ておきたいから」
「了解です」
応じるライザ。
そこで話が終わると、彼女はおもむろに、前のテーブルに寝そべるように体を預けた。
「せんぱいせんぱい」
「なに?」
「んふふふふふふふ~♪」
クローディアの質問には答えず、かわりに頭を左右に揺らしながら喉を鳴らすライザ。まるで猫が撫でて欲しがるような仕草だ。
クローディアもその雰囲気から意図を察したのか、
「……はいはい。ありがとう」
彼女に近づき、溜め息まじりに、その頭を優しく撫でる。
そんな彼女の呆れる様など微塵も気にせず、ライザは「にぇへへへへへへへ♪」とだらしない笑顔を浮かべながら、テーブルの上でたれ切っていた。
丘を降り、煉瓦造りの商店や家屋が立ち並ぶ大通りを進む。
王都マルドゥークは、イングリッド国内だけでなく、大陸全土の中でも繁栄を極めた町の一つだ。今も露天商の呼び込みやこどもたちの遊ぶ声、詩人の吟誦、大道芸人の見世物で賑わう歓声などが各所から聞こえる。
特に今は、アリエル神へ天の恵みを祈る《豊臨祭》の準備が進んでいる最中で、一年で最も王都が賑わう時期だ。毎年木龍月の太陽が最も高く昇る日に執り行われる重要な祭りの一つで、今年の開催は王家お抱えの占星術師が予言した木龍月の22日。その日の朝5時、日の出とともに国中の農家をはじめ、ほぼ全国民が天に向かって祈りを捧げる。その後、今年の豊作を祈願して、神に踊りや昨年の作物を捧げる儀式が日の入りまで行われる。
―――だが、
(……いつもより人通りが少ないわね)
今の町の雰囲気が普段と違うのを、クローディアは敏感に見て取っていた。おそらくベルヴェリオの言っていた事件が関係しているのだろう。
聖痕騎士団の主な任務は国の防衛や脅威の排除だが、殺人や盗難といった事件への対処も重要な仕事だ。クローディア自身、これまで何件もの凶悪事件の調査を担ってきた。
だが、どんな凶悪事件が起こった時も、ここまで町の雰囲気が淀んだことはない。
誰もが無意識に互いを警戒し合うような、そんな粘ついた空気がクローディアの身にじわじわと絡みつく。
それほどに衝撃的な事件だったというのか……。
「あ、すまない。ちょっといいかい?」
思考を巡らしながら歩いていると、誰かに声をかけられた。
目の前に立っていたのは、一人の青年だ。切れ長の黒い瞳、ぼさぼさに乱れた針鼠のような黒髪、着崩した無地の黒いシャツに駱駝色のズボン。背丈はクローディアより10セチルほど高く、無愛想に等しい無表情と低い声も相まって、その態度は威圧的とすら感じられた。
だが、そんな粗暴な雰囲気を、彼に背負われている少女が無に帰していた。両腕をだらりと青年の胸の前に垂らし、肩に頬を乗せて心地よさそうに眠っている。その頭部には銀色の綺麗な髪から飛び出た愛らしい獣耳が見て取れた。
(珍しいわね、王都で獣人の子を見かけるなんて)
獣人や竜人、魚人といった亜人種は、生態や生活様式が人類と異なるため、王都で暮らしている者は少ない。加えて、その大半は傭兵稼業などの出稼ぎで一時的に滞在する大人で、こどもは極めて稀だ。クローディア自身、数えるほどしか目にしたことがない。
(……それにしても)
だが、クローディアの視線が思わず少女に向いたのは、物珍しさからではなかった。
(……………………か、かわいい)
小鳥のように尖った小さな口。たまに風を感じてか、小刻みに震える獣耳。寝相なのか時たま揺れる小柄な体に似合わない大きな尻尾。
その現実離れした愛らしさに、クローディアはすっかり当てられていた。
周囲には隠しているが、クローディアは無類の可愛いもの好きだ。自宅には縮絨加工した羊毛生地による動物のぬいぐるみを、数え切れないほど置いている。かつて職業訓練校に通っていた頃は、将来ぬいぐるみを作る職人になりたいと本気で考えていた。
「……ん? あの?」
「え? あ、は、はい、なんでしょう?」
少女の愛らしさに茫然としていたクローディアは、慌てて青年に応じる。
「実は泊まってる宿屋の場所が分からなくなって、知ってたら教えてもらえないかと。《金獅子亭》って名前なんだが」
「あ、ええ、それなら隣の大通りへ出て西側に進んでください。その先の噴水広場に鍛冶屋とパン屋があるので、その間の通りをしばらく行くと、金獅子の看板が見えてきます」
「噴水広場の鍛冶屋とパン屋の間か。ありがとう、助かった」
「いえ。お気をつけて」
青年は謝意を示すと、クローディアが示した脇道へ入り、隣の大通りへ向かっていった。
(……)
青年と別れたクローディアは、再び詰め所へ向かって、
(……あの人)
なぜか歩き出さなかった。
彼女は通りに立ったまま、その視線は遠ざかる青年の背中に結ばれていた。―――だが、愛らしい少女との別れを惜しんでいるわけではなかった。
(……どこかで見たことあるような……気のせいかしら……)
脳裏を彼に似た面影が薄っすらと霞めたからだ。
とはいえ、知り合いではないし、過去にどこかで会った記憶もない。もしそうなら、向こうも気づくだろう。
しかし、なぜか強烈な印象を喚起させる《なにか》が、彼にはあった。
(……いえ。今はそんなことを考えてる場合じゃない)
一度、二度と頭を振って雑念を払うと、クローディアは再び詰め所へ向かって歩き出した。いま考えるべきは、ベルヴェリオに託された事件の解決だ。
聖痕騎士団の詰め所は、王都の西端に置かれている。
その建物は質素そのものだ。構造は煉瓦で造られた平板なロの字型の3階建て。周囲を囲う石壁や申し訳程度の中庭も飾り気がなく、雰囲気は詰め所というより要塞に近い。
その3階の一室で、一人の少女が執務机に座り、書類の作成に勤しんでいた。
体躯は小柄。陽の色にも似た茶色の短髪を高いところで結び、子犬の尻尾のように揺らしている。紫色の丸々とした瞳は愛らしく、上衣はクローディアと同じ型の茶襟のシャツ。そして、同色が基調の格子模様をあしらったスカートを身に着けている。
彼女は、いたって真面目に仕事をこなしていた。書類を書き終えるとインクを乾かし、目打ちで穴を開ける。そこへ細紐を通し、器用に折丁の形にまとめた。
「……、―――はっ!」
一つ仕事を終え、次の仕事に取りかかろうとした少女が、急に顔を上げた。両の瞳を大きく見開き、その視線を正面にある部屋の入り口に向けている。なぜか耳を震わせながら。
「せんぱいのあしおと……っ!」
妙な一言を呟いた少女は席を立ち、器用に机を飛び越える。そして駆け出すと勢いのまま豪快に扉を開け放ち、外のなにかめがけて躊躇なく飛びかかった。
「せんぱーい! おかえりなざびぶぇっッ!」
だが、その体は虚しく床に落ちた。少女は間の抜けた悲鳴を上げると、痛みに悶絶してその愛らしい瞳に大粒の涙を浮かべる。
そんな彼女には目もくれず、言葉もかけず、訪問者―――クローディアが何事もなかったかのように脇を抜け、室内へ入っていった。
「ぜ、ぜんばい、ひどいでず……ぶかのあいをむじずるだだんで……」
「……何度も、いきなり飛びかかったり尾行したりするのは止めなさいって言ったわよね、ライザ。私に対する愛情が残ってるなら、少しはそれを全うして欲しいんだけど」
「あ、あいはもうもくなんで……」
床に擦った鼻頭を撫でながら屁理屈を捏ねて立ち上がる少女―――ライザ・フランドール。役付の騎士に充てがわれる補佐官としてクローディアを支える聖痕騎士だ。
騎士訓練校に在籍していた時代から、彼女のクローディアに対する偏愛ぶりは有名だった。校内外を問わず陰からついて回るのは当たり前。その執着ぶりは常軌を逸しており、ついには足音ひとつで彼女を識別できる域に達したほどである。
「……まぁいいわ。それよりライザ、姫様から次の仕事について聞いてると思うけど、とりあえずそれについて教えてくれる?」
外套と制帽をポールハンガーにかけるクローディア。
「あ、はい。机の上の書類に一通りまとめてあります」
ライザの言葉を受けて、クローディアが目当ての書類を手に取る。
ライザは、部屋中央のソファーに腰をかけ、気ままに足を揺らしながら事件について話し始めた。
「調査を任されたのは、水龍月の1日と2日に新市街で起こった殺人事件です。1日に殺害されたのは、アルカディア・キャラバンの団長、レイチェル・ドーン。その翌日に王立図書館の司書のノエル・カーソンという人が殺害されました。で、問題なのが、その死因でして」
「死因?」
「腰の部分で、真っ二つにされてたんです、二人とも」
「ま、真っ二つ?」
さすがにその答えは予想しなかったのか、思わず書類から顔を上げてライザを見るクローディア。ライザは小さく頷く。
「死体の断面は驚くほどきれいで、とても刃物でやった傷じゃなかったそうです。確実に魔法犯罪ですね。それもかなりの使い手だと思います」
「……2人に共通点は?」
「軽く調べた感じでは、なんにもないですね。お互い知り合いじゃないですし、仕事なんかで顔を合わせたこともありません」
「狙われそうな理由は?」
「今のところまったくです。知り合いに聞いても良い評判ばっかりで、魔法で真っ二つにするほど恨んでた人は見当たりませんでした」
「惨殺されるような人たちではなかったということね……。殺害された時の状況は?」
「レイチェルさんは、深夜にキャラバンの拠点で殺害されてました。ただ、彼女が殺害された団長室へは、門衛のいる入り口や六人の団員がいた大広間を通らなければ入れません。ノエルさんは、夜に図書館の蔵書室で殺害されてましたが、こちらも部屋の前にある館内を通る必要があります。でも、殺害されたと思われる時間には、四人の職員がいました」
「団員や図書館の職員が犯人という可能性は?」
「お互いに口裏を合わせてない限り、まずないと思います」
「となると、おそらくなんらかの魔法で侵入して殺害……でも、そんな侵入に使える魔法は検討がつかないわね」
「はい、まったくです」
「殺害に使われた魔法に当たりはついてる?」
「王立魔道研究所の人たちによると、人を切断できる魔法はいくつもあるんですけど、今回ほど切断面がきれいな上、建物に被害を出さない小規模なものは、少なくともイングリッド国内には見当たらないようです」
「となると……犯人は、いま王都にいる国外の人間?」
「その可能性が高そうかなと思って、明日の傭兵試験の参加者を中心に怪しい人がいないか訓練校の子たちに洗ってもらってます」
書類を繰りながら事件を整理するクローディアの質問に、ライザは的確に即答していく。
普段はクローディアに対する奇人ぶりが際立つ彼女だが、騎士としての力量は申し分ない。騎士訓練校を卒業と同時に補佐官へ抜擢されたのは、クローディアが団長ベルヴェリオの補佐官へ任命されて以来、騎士団史上2人目の快挙だ。
……とはいえ、彼女の性根が奇人であることに変わりはない。
「―――それじゃあ、とりあえずその報告待ちね。明日は講義と試験があるから夕方に現場へ行くわ。一度、見ておきたいから」
「了解です」
応じるライザ。
そこで話が終わると、彼女はおもむろに、前のテーブルに寝そべるように体を預けた。
「せんぱいせんぱい」
「なに?」
「んふふふふふふふ~♪」
クローディアの質問には答えず、かわりに頭を左右に揺らしながら喉を鳴らすライザ。まるで猫が撫でて欲しがるような仕草だ。
クローディアもその雰囲気から意図を察したのか、
「……はいはい。ありがとう」
彼女に近づき、溜め息まじりに、その頭を優しく撫でる。
そんな彼女の呆れる様など微塵も気にせず、ライザは「にぇへへへへへへへ♪」とだらしない笑顔を浮かべながら、テーブルの上でたれ切っていた。