本編

◯神暦3917年 水龍月6日 魔道王国イングリッド 王都マルドゥーク 王立墓地

 マルドゥークの東の外れに広がる小高い丘。その頂上には、国のために散った聖痕騎士たちの眠る共同墓地がある。敷地の端から端まで見渡せないほど多くの墓碑が立ち並び、日々誰かが訪れては国の英雄たちを想い、弔い、そして去っていく。
 今もまた南側の一角に、一人の少女の姿があった。緩く一本に編み込んだ燃えるような緋色の長い髪に、真紅を基調としたドレスのような服、その上から純白の外套を羽織った優美な外見は、さながら深窓の令嬢を思わせる。だが、鋭い眼光を宿した緋色の瞳と身にまとう厳かな雰囲気は、まさに歴戦の騎士のそれだった。

「……そなたがいなくなってから、もう10年か。早いものだな……」

 墓碑に刻まれた名前に微笑みかけながら、静かに話を紡ぐ少女。その横顔は、相手の死を確かに受け入れ、しかしどこか後悔を感じさせるような憂いを帯びていた。

「いまだ《原初の魔獣》の討伐は叶わないが……どうだ? 今のこの国は、そなたが理想とした道を歩んでいるか?」

 もちろん答えなど返ってこない。だが、少女は自問自答のように墓碑銘へ語りかける。

「……まぁ、とてもそうは見えないだろう。恥ずかしいが、今は《原初の魔獣》以外にも解決すべき問題が山積みでな。どういうわけか、ここ数年、野盗や魔道結社が急速に力をつけて、各地で略奪などの被害が相次いでいる。平和になるどころか、民の不安は増すばかりだ。つい数日前にも……ん?」

 ふと人の気配を感じ、言葉を切って横を振り向く少女。
 故人に語らう彼女のもとへ、一人の少女が花束を手に近づいてきた。陽光を受けて煌めく白髪と愛らしい碧眼の美しい彼女の部下だ。

「お疲れさまです、姫様」
「クローディアか。早かったな。いつ戻ってきた?」
「つい先ほどです。報告へ上がろうと執務室へお伺いしたんですが、パーシバル様からこちらにいらっしゃると聞いて」
「そうか。手間をかけたな」
「いえ」

 クローディアが、少女の語りかけていた墓前へ花束を置き、手を合わせて瞳を閉じる。

「そなた、オーランドと親交があったのか?」
「はい。ちょうど職業訓練校へ通い始めたばかりの頃、両親を訪ねてきたオーランド様とお会いしてから1年くらいですが。何度も騎士訓練校へ転校しないかと誘われました」

 過去を懐かしむクローディアの言葉に、少女はその鼻を小さく鳴らした。

「……まったく、ふざけたやつだ。相手の意を無視して事を運ぼうとする悪癖は、誰に対しても同じだったわけか……」

 どこか物憂げな微笑みを浮かべ、少女は脳裏を過る彼方の記憶に身を任す。

(ふざけるなッ! 私は行くぞ! 窮した国のために戦わずしてなにが王女だ!)
(わがままを言うな。―――この国は今、お前を失うわけにはいかねぇんだ。たとえ《原初の魔獣》を退けても、イングリッドが恐怖と荒廃から立ち直るには、お前の力が必要だ)
(その国が滅ぶか否かの瀬戸際だぞ! 貴様が私に教えた業は、この国を守るための力ではなかったのかッッッ!)
「……姫様? どうかしましたか?」

 クローディアの呼びかけに、少女の意識が現実へ引き戻される。

「……いや、なんでもない。それより報告があるのだろう」
「あ、ええ」

 少女の呼び水を受けて、クローディアが本題を切り出した。
 3日前、ルヴァン関で勃発したゴース団との一戦は、聖痕騎士団の勝利で終わった。攻め込まれた直後こそ苦境に立たされた騎士団だったが、クローディアたち応援部隊が加わって形勢は逆転。頭領のゴースが死亡すると、連中は離散して次々と逃走に転じた。
 しかし、そのために組織の壊滅は叶わず、今は当地に残してきた騎士たちが残党の行方を追っている。
 だが、少女がクローディアに課したのは、ルヴァン関からゴース団を追放することだ。その意味で、彼女は託された任務を不足なくこなしてみせた。
 ……のだが、

「―――責を果たしたにしては、浮かない顔をしているな」

 少女は、クローディアの表情に揺れるわずかな陰を見逃さなかった。
 彼女の指摘を受け、クローディアが再び、静かに口を開く。

「……確かにゴース団は退けました。ですが、自分で言うのもおこがましいですが……」

 クローディアの言葉が途切れた。少女はその続きを拾う。

「ほとんどそなたの力だけで解決したようなもの、か?」

 半ば確信していた予想を少女が伝えると、しばし沈黙の後、クローディアは瞳を閉じ、唇を固く結んだ。それが不本意な肯定の徴であることを、少女は知っている。

「……ゴース団の魔法は、私たちの魔法より遥かに先を行っていました。自分たちで突き止めたのか、あるいは何者かに与えられたのか……」
「おそらくは後者だろう。ここ最近になって、野盗や魔道結社が一斉に力をつけ始めた事実を鑑みるに、黒幕がいると考えるのが妥当だ。何が目的かは知らんがな」
「はい。ただ、出所がどこにせよ、もし同じような敵対勢力が現れたとき、やはり今のままでは魔法の地力で勝てないでしょう。そうである以上、かねてから危惧されたように、前衛が結界魔法で防御を固め、後衛が遠目から攻勢魔法で攻める従来の戦術はもう通用しません。防御を破られて終わりです。かといって、相手を上回る魔法を今すぐ手にするのも……」
「難しいな。ここ数年、魔法の研究は滞っている。シルフィが来てから新しい魔法が発見されるなど多少は進展したが、画期的な成果を期待するのは酷だ」
「ええ、今ある力で対処するほかありません」
「だがそうなれば、そなたのような力ある者でなければ対処が叶わない。必然、いずれ防衛の穴が生まれ、この国は滅びの道を歩むことになる。―――まぁそれを覚悟の上で、今の騎士団は当座の防衛を優先し、そなたのような一騎当千を育てる道を選んだわけだが」
「……はい」
「詠唱破棄の研究はどうだ? 魔法が使えない私には、そんなことが実現できるのか想像すらつかないが」
「……恥ずかしながら、微々たる進展もないのが正直なところです。あるいは、そんな方法がそもそも存在しない可能性も否めないので、過度に期待するわけにもいかないかと……」
「なるほど。まぁ、そなたにはいろいろ無理をさせているからな。研究時間も満足に取れないだろう。むしろこちらが配慮せねばならんのだが、生憎そんな余裕もないのが現状だ」
「いえ。私の使命はこの国を守ることです。今のままで十分です」

 気丈に答えるクローディアの言葉に、少女は瞳を閉じ、力のない微笑みを浮かべる。
 どうやら野盗らは、こちらの予想を超える勢いで力をつけている。イングリッド最強格の騎士であるクローディアをして、このままでは国を守り切れないと暗に言わしめるほどに。
 そんな現状を打破すべく、彼女は一人、防衛に研究に奔走している。少女は、騎士団の詰め所に用意された彼女の執務室から灯りが消えたのを見たことがない。
 騎士としても魔法研究者としても優秀な彼女の負担は、日に日に増すばかりだ。しかし、容赦なく頼らざるを得ないほど、いまの聖痕騎士団に余裕はない。
 ……こんな話の後で、重い任務を一つ、彼女に託さなければならないほどに。

「―――クローディア。研究を急ぎたい気持ちはあるだろうが、それはいったん横に置いてもらえるか。一つ仕事を頼みたい」
「はい。なんなりと」

 クローディアが迷いなく即答する。

「……そなた、アルカディア・キャラバンは知っているな?」
「たしか……レイチェル・ドーンという女性が団長を務める、国内有数のキャラバンだったかと。郵便や旅行、あと護衛などで贔屓にする商会が多いと聞いたことがあります」
「そうだ。……そのレイチェル・ドーンが5日前、キャラバンの拠点で殺害された」
「……え?」

 少女の言葉に、クローディアが思わず絶句する。

「最初に発見したのは、キャラバンの団員二人。時刻は、深夜0時前後。いったいどうやったのか知らんが、その死体は」
「ベルヴェリオ様!」

 話の途中で、一人の男性が少女たちのもとへ駆け寄ってきた。二人と同じ聖痕騎士団員だ。

「なんだ?」
「先ほど財務本庁から使いが来ました。セシリア長官が予算の件で団長―――ベルヴェリオ様に至急の話があると」
「予算? ……あぁ、あのことか」
「あのこと?」

 不思議そうなクローディアに少女―――ベルヴェリオ・スチュアートが笑いながら答える。

「いやなに。来期の予算申請の書類に不備が多すぎるという話だろう。用途だけ書いて額を指定しなかったからな」
「……ひ、姫様、それは……」
「こうしておくと、納期主義のあいつが勝手に予算額を書いてくれる。これでいいかとな。このほうが私の仕事は減るし、私が計算するより遥かに適正な額にもなる。ははは」

 いっさい悪びれる様子のないベルヴェリオ。クローディアは主の暴挙に呆然としている。

「まぁそういうわけで、すまないが行かねばならん。事件の詳しい話はライザに聞いてくれ。あやつにもすべて伝えてある」
「わ、わかりました」
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