本編
◯神暦3917年 水龍月3日 魔道王国イングリッド ルヴァン関
イングリッドの王都マルドゥーク、その南西およそ100キロの地点に築かれた要塞のルヴァン関は、関所を兼ねた南方防衛の要衝だ。攻めるに難く守るに易いため、古来より難攻不落の守護神として国内外に広く知れ渡ってきた。加えて、東西に聳えるトーラス山脈とノルン大山は、熟練の羊飼いでさえ越えられないほどに険しく、ルヴァン関を通る以外に南から王都へ至る道はない。そのため、南方からイングリッドを攻め落とすのは不可能と評される。
「東側の状況はどう?」
―――その堅牢で知られる要塞が今、苦境に陥っていた。
「ヴァレリア門を閉じて、連中を分断するのは成功しました。ただ、想定以上の侵入を許してしまい、制圧には少し時間がかかりそうです」
事の発端は7日前。ルヴァン関は突如、ゴース団の襲撃を受けた。略奪後には更地しか残さないといわれる、悪名高い野盗集団だ。
その時は駐留していたイングリッドの聖痕騎士団が退けたが、予想を遥かに上回る攻勢を受けて被害も甚大。早急に王都から応援を呼んで次の襲来に備え、今日の交戦に至る。
だが、再来した連中の勢いはさらに増しており、駆けつけた精鋭の力を以てしても苦戦を強いられていた。
「西側は?」
「かなり押されているようです。どうやらこちらに頭領のゴースをはじめ精鋭が集まっているようで、すでに最内郭目前まで迫っています」
「……応援を見越しての一点突破というわけね」
部下の報告に大きな碧眼を厳しく細めたのは、やや跳ね癖のある長い白髪に黒縁の白い制帽が映える凛々しい女性。碧襟が印象的な袖のない白いシャツに、その上から羽織った裾の短い純白の外套、碧色を基調とした短い格子柄のスカート、そして長い脚を覆う白いソックスという清廉な出で立ちは、まさに正義の体現者を思わせる。しかし、戦場にも関わらず、その身のどこにも武器の類いは見当たらない。
ルヴァン関は、三層の城壁に周囲を囲われており、内部は袋小路や固く閉ざされた城門を数多く備えた迷路構造になっている。二人は今、その最内郭の南西側、最も高い城壁から戦況を俯瞰していた。遥か眼下では、迷路のような要塞内の全域で、彼女たちの部下である聖痕騎士団員と野盗が激しく交戦している。
人知を超えた速さで飛び交う火矢や氷弾、光線の嵐。剣や斧を打ち鳴らし合う金属音。そして、苦悶や悲鳴とともに次々と倒れていく人々。
戦況は五分と五分、あるいは彼女たちがやや不利か。
「……ディアナ、ここは任せるわ。東側の戦況を見ながら、可能な限り部隊を南西と西に回して。東はおそらく陽動だから足止めできればいいわ。くれぐれも深追いだけはしないで」
「クローディアさんは?」
「西側の援護に入るわ。そのあと南側から東へ向かって順次、制圧する」
「わかりました。こちらはお任せください」
指揮を執っていた白髪の女性―――クローディア・シルベストリは副官に指揮を託すと、自身は要塞の西側へ向かって駆け出した。
道中、随所で戦況を確認すると、やはり芳しくない。最内郭目前まで侵入された西側はもちろん、南西側も二層目のガルファラ門を守る部隊が劣勢に見える。東側も、敢えての戦略とはいえ、ヴァレリア門の突破を許したのは事実だ。
戦略を云々する以前に、そもそもの地力が違うのは明白。もはや一刻の猶予もない。
1分も走ると、部下とゴース団の主力が交戦している戦場へ到達した。最内郭の西側を守る城門、ギルニア門の前だ。そこまで侵攻された事実を前に、クローディアは半ば驚き、半ば自らの不甲斐なさに忸怩たる思いを強くした。
だが、今は戦況の打開が先だ。
クローディアは城門の上から一帯を見渡す。
ゴース団は、通り横いっぱいに前衛を敷いて土塁や石壁を築き、守られた後衛が遠くから火矢を間断なく放ち続けている。
(……いったい、どこであんな魔法を……)
クローディアは歯噛みするように顔を顰めた。
―――魔法。
それはいつからか人類が手にした、超常的な力の総称だ。神に祈りを捧げ、その対価として火を熾し、水を呼び、雷を奔らせ、傷を癒やす力を授かる。
中でもイングリッドの聖痕騎士団は、魔法の力に長けた精鋭揃いの魔道騎士集団として、大陸中にその名を馳せていた。
その彼らをして破れない強固な土塁や石壁を築く魔法、そして防げないほど鋭く速い火矢を放つ魔法を、ただの野盗集団が手にしているなどとは、およそ考えられなかった。
だが、紛れもない事実だ。聖痕騎士団もゴース団と同様の陣を敷いて光の障壁を張っていたが、襲い来る火矢の嵐を防ぎ切れていない。障壁は次々と硝子のように打ち砕かれていき「ぐっ……ぅ!」「きゃぁっ!」騎士たちの悲痛な声が途切れることなく耳を突く。
「ヒィャアッハッハッハッハッハッハァァァァァァァッ! 大陸随一なんて大層な評判のわりに大したことねぇなぁ聖痕騎士団ってのはよぉッッッ!」
土塁の前に立つ野盗の一人が、大仰に両手を広げて天に高笑いを打ち上げた。頭領のゴースだ。大柄な体躯に黒い頭巾、そして右手には禍々しい曲刀を握っている。半ば勝利を確信したのか、その身を土塁に隠すつもりはないらしい。
もっとも、それは油断でも余裕でもなかった。彼は部下の士気を高め、維持するため、戦場では先陣を切るのを常としていた。
その勇敢さは、クローディアも敵ながら見事だと素直に思う。
だが、その行為は、敵刃の前に自ら首を晒す自殺行為でもあった。
(なら……望み通り、その首、落とさせてもらうわ)
クローディアは、城壁の端から一歩だけ下がる。
そして、両手を前に出して重ね、瞳を静かに閉じると、
『―――your name wind』
祈るように何言か呟き始めた。
イングリッドに伝わる古語―――即ち魔法の詠唱だ。
『your name cutting and judgement edge』
彼女の詠唱に反応して、その周囲に碧色の仄かな燐光が舞い始める。
『your name Ariel』
その輝きは見る見る強まり、やがて数多の光の奔流を紡ぎ、
『your pray soaring sky and crushing peak』
―――最後の一節とともに光が彼女の前に集い、絡まり、やがて一振りの剣を成した。銀色に煌めく、薄っすら碧味を帯びた美しい長剣だ。
クローディアは宙で主を待つ剣の柄を掴むと、一振り横に薙いで感触を確かめる。剣の軌跡を成すように、碧色の燐光が美しい尾を引いた。
「ぎ、ぃっッ!」「ひゃぁっ!」「ぐぅ、っ……ッッッ!」
直後、聞き覚えのある声色の悲鳴が次々と耳に届く。
城壁に駆け寄り身を乗り出すと、まさに味方の障壁が全て打ち砕かれた瞬間だった。
「よっしゃ野郎どもッ! さっさと殺っちまいなぁッッッ!」
轟くゴースの号令。
同時に大量の火矢が放たれ、聖痕騎士団を呑み込まんと一斉に襲いかかった。
クローディアは即座に城壁の縁へ飛び乗り、剣を腰溜めに構える。
息を止める。瞳を閉じる。
火矢の雨は今まさに部下たちを射抜こうとしていた。
「―――ふッ!」
クローディアが開眼。眼下の戦場めがけ、一撃を振り抜いた。
「「「「「ッッッ!?」」」」」
直後、突如として大地が轟音とともに震撼した。両陣営の足元へその身を浮かすほどの地鳴りが容赦なく襲いかかる。
「な、なん、だッ!?」「ひ、ぃっッッッ!?」「ふ、伏せろぉッッッ!」
途端に轟く、戦場を覆い尽くす地鳴り以上の阿鼻叫喚。一瞬で恐怖に支配された両陣営は咄嗟に地に伏し、あるいは壁や仲間に縋り、その身を必死に支える。
―――やがて、震動は収まった。
終息に気づき、しかし、あまりにも突然の謎めいた事態に、しばし交戦を忘れて茫然とする両陣営。だが、そこは歴戦の兵たち。すぐさま体勢を立て直し、急ぎ状況を確認する。
その場の誰もが、なにが起こったのか理解するのに、時間はかからなかった。
―――大地が、裂けていた。
両陣営の間に、一瞬で巨大な断崖が出現した……そうとしか形容できない信じがたい光景が今、彼らの目の前にはあった。
裂け目の幅は、およそ10メドル。左右の城壁もろとも消し飛ばした深淵の断面は驚くほど直線的で美しく、自然現象でも人間業でもないのは明白だった。その深さは底が知れず、まるでそこにあった地面が一瞬で世界から消失した、そうとしか思えない超常的な光景だった。
「お、おい……」「な、なんだ、これ……」
あまりにも得体の知れない現象を前に、ゴース団の面々は恐怖に青褪めていた。高揚の極みにあったはずの戦意も、瞬く間に萎み、見る見る失われていく。
「こ、これって……」「あ、ああ……!」
対する聖痕騎士団の瞳には、輝きが戻り始めた。その所業の正体を察した彼らは、反射的に背後のギルニア門、その上を振り仰ぐ。
その視線に応えるように、英雄の降臨が如く陽光を背に負ったクローディアが門から飛び降り、仲間たちのもとへ参じた。
「副団長だ!」「クローディア様が来てくれたぞ!」「クローディア様!」
勝鬨のような気合とともに、その手を天に突き上げ、意気を吹き返す騎士団の面々。
その間をクローディアは堂々と歩き、やがて最前線に立った。
「や、殺れッ! あいつを殺れぇッッッ!」
ゴース団の誰かが半狂乱になって叫んだ。
続けざま、塁壁の奥から隙間なく放たれた火矢の壁が断崖を超え、歩を進めるクローディアめがけて飛来する。
だが、届かなかった。
火矢は断崖の上を通過した瞬間、すべてが音も跡形もなく、一瞬で消え去った。
―――クローディアの振り抜いた剣撃が、すべてを呑み込んだのだ。
「な、なんだ……ッ!?」「どうなってやがる!?」
ゴース団の残党が驚愕にその表情を歪める。
当然だろう。彼らの目には、クローディアが剣を振るっただけで、すべての火矢を一瞬で消し去ったようにしか見えなかったのだから。
魔法には違いない。だが、いったいどんな絡繰りなのか。理解の及ばない現実が、揺るがぬ優位に浸っていたゴース団を一転、抗い難い絶望の底に叩き落とす。
「……頭領を失ってもなお戦意を失わないのは、なかなか見上げたものね」
「「「「「ッッッッッ!?」」」」」
唐突に放たれたクローディアの言葉に、ゴース団の面々が途端に騒がしくなる。
―――そう。突然の事態に混乱を極めた彼らは、事ここに至るまで誰一人気づいていなかったのだ。先の一撃で、彼らの主が、すでに跡形もなく消し飛ばされていた事実に。
断崖の縁に達したクローディアは、そのまま躊躇なく跳躍。ゴース団の陣取る対岸へいとも容易く降り立った。
「……残念だけど、ゴースの首を取ったからといって、貴方たちを見逃すつもりはないわ。この国に仇なした罪は、等しく死を以て償ってもらう」
再び敵陣へ向かい、ゆっくりと歩き出すクローディア。
「ひ、ひぃぃぃぃっっっ!」「う、撃て! 撃てぇっ! あいつを近づけるなっ!」
恐怖したゴース団の残党が、彼女の接近を嫌い支離滅裂に火矢を乱射する。
だが、そのすべてが音もなく、虚空で散り果てた。
クローディアの歩みは、止まらない。何事もなかったかのように、ただ静かに、悠然と、敵陣へ迫る。ゴース団はいよいよ恐怖が頂点に達したのか、中には震え出して膝を折る者、我先に逃げ出す者さえいた。
だが、もちろんクローディアに容赦などない。
その身は、無防備。その歩みは、不用意。
しかし、その凛々しくも幼さの残る一人の少女を前に、ゴース団の面々は気圧され、やがて無意識に下がり始めた。
―――その時、クローディアの姿が、消えた。
「「「「「ッッッッッ!」」」」」
瞬間、その身は一陣の風となり、一瞬で敵陣の中央に躍り出た。
「……殲滅する」
クローディアは無慈悲な宣告とともに腰に構えた剣を振り抜き、戦端を開いた。
勝敗の行方は、もはや明らかだった。
イングリッドの王都マルドゥーク、その南西およそ100キロの地点に築かれた要塞のルヴァン関は、関所を兼ねた南方防衛の要衝だ。攻めるに難く守るに易いため、古来より難攻不落の守護神として国内外に広く知れ渡ってきた。加えて、東西に聳えるトーラス山脈とノルン大山は、熟練の羊飼いでさえ越えられないほどに険しく、ルヴァン関を通る以外に南から王都へ至る道はない。そのため、南方からイングリッドを攻め落とすのは不可能と評される。
「東側の状況はどう?」
―――その堅牢で知られる要塞が今、苦境に陥っていた。
「ヴァレリア門を閉じて、連中を分断するのは成功しました。ただ、想定以上の侵入を許してしまい、制圧には少し時間がかかりそうです」
事の発端は7日前。ルヴァン関は突如、ゴース団の襲撃を受けた。略奪後には更地しか残さないといわれる、悪名高い野盗集団だ。
その時は駐留していたイングリッドの聖痕騎士団が退けたが、予想を遥かに上回る攻勢を受けて被害も甚大。早急に王都から応援を呼んで次の襲来に備え、今日の交戦に至る。
だが、再来した連中の勢いはさらに増しており、駆けつけた精鋭の力を以てしても苦戦を強いられていた。
「西側は?」
「かなり押されているようです。どうやらこちらに頭領のゴースをはじめ精鋭が集まっているようで、すでに最内郭目前まで迫っています」
「……応援を見越しての一点突破というわけね」
部下の報告に大きな碧眼を厳しく細めたのは、やや跳ね癖のある長い白髪に黒縁の白い制帽が映える凛々しい女性。碧襟が印象的な袖のない白いシャツに、その上から羽織った裾の短い純白の外套、碧色を基調とした短い格子柄のスカート、そして長い脚を覆う白いソックスという清廉な出で立ちは、まさに正義の体現者を思わせる。しかし、戦場にも関わらず、その身のどこにも武器の類いは見当たらない。
ルヴァン関は、三層の城壁に周囲を囲われており、内部は袋小路や固く閉ざされた城門を数多く備えた迷路構造になっている。二人は今、その最内郭の南西側、最も高い城壁から戦況を俯瞰していた。遥か眼下では、迷路のような要塞内の全域で、彼女たちの部下である聖痕騎士団員と野盗が激しく交戦している。
人知を超えた速さで飛び交う火矢や氷弾、光線の嵐。剣や斧を打ち鳴らし合う金属音。そして、苦悶や悲鳴とともに次々と倒れていく人々。
戦況は五分と五分、あるいは彼女たちがやや不利か。
「……ディアナ、ここは任せるわ。東側の戦況を見ながら、可能な限り部隊を南西と西に回して。東はおそらく陽動だから足止めできればいいわ。くれぐれも深追いだけはしないで」
「クローディアさんは?」
「西側の援護に入るわ。そのあと南側から東へ向かって順次、制圧する」
「わかりました。こちらはお任せください」
指揮を執っていた白髪の女性―――クローディア・シルベストリは副官に指揮を託すと、自身は要塞の西側へ向かって駆け出した。
道中、随所で戦況を確認すると、やはり芳しくない。最内郭目前まで侵入された西側はもちろん、南西側も二層目のガルファラ門を守る部隊が劣勢に見える。東側も、敢えての戦略とはいえ、ヴァレリア門の突破を許したのは事実だ。
戦略を云々する以前に、そもそもの地力が違うのは明白。もはや一刻の猶予もない。
1分も走ると、部下とゴース団の主力が交戦している戦場へ到達した。最内郭の西側を守る城門、ギルニア門の前だ。そこまで侵攻された事実を前に、クローディアは半ば驚き、半ば自らの不甲斐なさに忸怩たる思いを強くした。
だが、今は戦況の打開が先だ。
クローディアは城門の上から一帯を見渡す。
ゴース団は、通り横いっぱいに前衛を敷いて土塁や石壁を築き、守られた後衛が遠くから火矢を間断なく放ち続けている。
(……いったい、どこであんな魔法を……)
クローディアは歯噛みするように顔を顰めた。
―――魔法。
それはいつからか人類が手にした、超常的な力の総称だ。神に祈りを捧げ、その対価として火を熾し、水を呼び、雷を奔らせ、傷を癒やす力を授かる。
中でもイングリッドの聖痕騎士団は、魔法の力に長けた精鋭揃いの魔道騎士集団として、大陸中にその名を馳せていた。
その彼らをして破れない強固な土塁や石壁を築く魔法、そして防げないほど鋭く速い火矢を放つ魔法を、ただの野盗集団が手にしているなどとは、およそ考えられなかった。
だが、紛れもない事実だ。聖痕騎士団もゴース団と同様の陣を敷いて光の障壁を張っていたが、襲い来る火矢の嵐を防ぎ切れていない。障壁は次々と硝子のように打ち砕かれていき「ぐっ……ぅ!」「きゃぁっ!」騎士たちの悲痛な声が途切れることなく耳を突く。
「ヒィャアッハッハッハッハッハッハァァァァァァァッ! 大陸随一なんて大層な評判のわりに大したことねぇなぁ聖痕騎士団ってのはよぉッッッ!」
土塁の前に立つ野盗の一人が、大仰に両手を広げて天に高笑いを打ち上げた。頭領のゴースだ。大柄な体躯に黒い頭巾、そして右手には禍々しい曲刀を握っている。半ば勝利を確信したのか、その身を土塁に隠すつもりはないらしい。
もっとも、それは油断でも余裕でもなかった。彼は部下の士気を高め、維持するため、戦場では先陣を切るのを常としていた。
その勇敢さは、クローディアも敵ながら見事だと素直に思う。
だが、その行為は、敵刃の前に自ら首を晒す自殺行為でもあった。
(なら……望み通り、その首、落とさせてもらうわ)
クローディアは、城壁の端から一歩だけ下がる。
そして、両手を前に出して重ね、瞳を静かに閉じると、
『―――your name wind』
祈るように何言か呟き始めた。
イングリッドに伝わる古語―――即ち魔法の詠唱だ。
『your name cutting and judgement edge』
彼女の詠唱に反応して、その周囲に碧色の仄かな燐光が舞い始める。
『your name Ariel』
その輝きは見る見る強まり、やがて数多の光の奔流を紡ぎ、
『your pray soaring sky and crushing peak』
―――最後の一節とともに光が彼女の前に集い、絡まり、やがて一振りの剣を成した。銀色に煌めく、薄っすら碧味を帯びた美しい長剣だ。
クローディアは宙で主を待つ剣の柄を掴むと、一振り横に薙いで感触を確かめる。剣の軌跡を成すように、碧色の燐光が美しい尾を引いた。
「ぎ、ぃっッ!」「ひゃぁっ!」「ぐぅ、っ……ッッッ!」
直後、聞き覚えのある声色の悲鳴が次々と耳に届く。
城壁に駆け寄り身を乗り出すと、まさに味方の障壁が全て打ち砕かれた瞬間だった。
「よっしゃ野郎どもッ! さっさと殺っちまいなぁッッッ!」
轟くゴースの号令。
同時に大量の火矢が放たれ、聖痕騎士団を呑み込まんと一斉に襲いかかった。
クローディアは即座に城壁の縁へ飛び乗り、剣を腰溜めに構える。
息を止める。瞳を閉じる。
火矢の雨は今まさに部下たちを射抜こうとしていた。
「―――ふッ!」
クローディアが開眼。眼下の戦場めがけ、一撃を振り抜いた。
「「「「「ッッッ!?」」」」」
直後、突如として大地が轟音とともに震撼した。両陣営の足元へその身を浮かすほどの地鳴りが容赦なく襲いかかる。
「な、なん、だッ!?」「ひ、ぃっッッッ!?」「ふ、伏せろぉッッッ!」
途端に轟く、戦場を覆い尽くす地鳴り以上の阿鼻叫喚。一瞬で恐怖に支配された両陣営は咄嗟に地に伏し、あるいは壁や仲間に縋り、その身を必死に支える。
―――やがて、震動は収まった。
終息に気づき、しかし、あまりにも突然の謎めいた事態に、しばし交戦を忘れて茫然とする両陣営。だが、そこは歴戦の兵たち。すぐさま体勢を立て直し、急ぎ状況を確認する。
その場の誰もが、なにが起こったのか理解するのに、時間はかからなかった。
―――大地が、裂けていた。
両陣営の間に、一瞬で巨大な断崖が出現した……そうとしか形容できない信じがたい光景が今、彼らの目の前にはあった。
裂け目の幅は、およそ10メドル。左右の城壁もろとも消し飛ばした深淵の断面は驚くほど直線的で美しく、自然現象でも人間業でもないのは明白だった。その深さは底が知れず、まるでそこにあった地面が一瞬で世界から消失した、そうとしか思えない超常的な光景だった。
「お、おい……」「な、なんだ、これ……」
あまりにも得体の知れない現象を前に、ゴース団の面々は恐怖に青褪めていた。高揚の極みにあったはずの戦意も、瞬く間に萎み、見る見る失われていく。
「こ、これって……」「あ、ああ……!」
対する聖痕騎士団の瞳には、輝きが戻り始めた。その所業の正体を察した彼らは、反射的に背後のギルニア門、その上を振り仰ぐ。
その視線に応えるように、英雄の降臨が如く陽光を背に負ったクローディアが門から飛び降り、仲間たちのもとへ参じた。
「副団長だ!」「クローディア様が来てくれたぞ!」「クローディア様!」
勝鬨のような気合とともに、その手を天に突き上げ、意気を吹き返す騎士団の面々。
その間をクローディアは堂々と歩き、やがて最前線に立った。
「や、殺れッ! あいつを殺れぇッッッ!」
ゴース団の誰かが半狂乱になって叫んだ。
続けざま、塁壁の奥から隙間なく放たれた火矢の壁が断崖を超え、歩を進めるクローディアめがけて飛来する。
だが、届かなかった。
火矢は断崖の上を通過した瞬間、すべてが音も跡形もなく、一瞬で消え去った。
―――クローディアの振り抜いた剣撃が、すべてを呑み込んだのだ。
「な、なんだ……ッ!?」「どうなってやがる!?」
ゴース団の残党が驚愕にその表情を歪める。
当然だろう。彼らの目には、クローディアが剣を振るっただけで、すべての火矢を一瞬で消し去ったようにしか見えなかったのだから。
魔法には違いない。だが、いったいどんな絡繰りなのか。理解の及ばない現実が、揺るがぬ優位に浸っていたゴース団を一転、抗い難い絶望の底に叩き落とす。
「……頭領を失ってもなお戦意を失わないのは、なかなか見上げたものね」
「「「「「ッッッッッ!?」」」」」
唐突に放たれたクローディアの言葉に、ゴース団の面々が途端に騒がしくなる。
―――そう。突然の事態に混乱を極めた彼らは、事ここに至るまで誰一人気づいていなかったのだ。先の一撃で、彼らの主が、すでに跡形もなく消し飛ばされていた事実に。
断崖の縁に達したクローディアは、そのまま躊躇なく跳躍。ゴース団の陣取る対岸へいとも容易く降り立った。
「……残念だけど、ゴースの首を取ったからといって、貴方たちを見逃すつもりはないわ。この国に仇なした罪は、等しく死を以て償ってもらう」
再び敵陣へ向かい、ゆっくりと歩き出すクローディア。
「ひ、ひぃぃぃぃっっっ!」「う、撃て! 撃てぇっ! あいつを近づけるなっ!」
恐怖したゴース団の残党が、彼女の接近を嫌い支離滅裂に火矢を乱射する。
だが、そのすべてが音もなく、虚空で散り果てた。
クローディアの歩みは、止まらない。何事もなかったかのように、ただ静かに、悠然と、敵陣へ迫る。ゴース団はいよいよ恐怖が頂点に達したのか、中には震え出して膝を折る者、我先に逃げ出す者さえいた。
だが、もちろんクローディアに容赦などない。
その身は、無防備。その歩みは、不用意。
しかし、その凛々しくも幼さの残る一人の少女を前に、ゴース団の面々は気圧され、やがて無意識に下がり始めた。
―――その時、クローディアの姿が、消えた。
「「「「「ッッッッッ!」」」」」
瞬間、その身は一陣の風となり、一瞬で敵陣の中央に躍り出た。
「……殲滅する」
クローディアは無慈悲な宣告とともに腰に構えた剣を振り抜き、戦端を開いた。
勝敗の行方は、もはや明らかだった。