本編

◯神暦3917年 木龍月22日 魔道王国イングリッド 王都マルドゥーク

 ―――前代未聞の《魔獣》襲撃騒動の夜が明けた朝、マルドゥークは瓦礫の撤去作業や住民の安否確認で慌ただしかった。聖痕騎士団員は総出で町中を駆け回り、安否確認や負傷者の治療など、方々で仕事にあたっている。
 幸い王都の民には一人も死者はなく、避難中に転倒などで負傷した者が447人。事件の規模を考えれば、まさに奇跡としか言いようがなかった。
 聖痕騎士団は、死者108人、負傷者289人を出した。だが《魔獣》2体を相手取った上での数と考えれば、むしろ少ないと言えた。
 クローディアは、シルフィとの戦闘中に気を失い、目を覚ましたときには病院の寝台の上にいた。聞けば、発見した団員が運んでくれたらしい。

「アヴリルたちは、大丈夫だったんですか?」
「ああ。ミネルヴァとカイルは重傷だが、命に別状はない。二人ともすでに意識は戻っているし、話もできる。カイルなど『さっさと退院させろ』とうるさいくらいだ。ラティウスはマナを使い果たしたが体に問題はないし、アヴリルはすでに仕事で動いている」

 クローディアの質問に答えたのは、ベルヴェリオだ。昨晩の想像を絶する一戦の直後にもかかわらず、彼女はいつもと変わらず仕事をしていた。今は昨晩の経緯を知るクローディアに話を聞きに、見舞いがてら病室を訪れている。

「……それにしても、まさかすべての元凶がシルフィだったとはな。さすがに驚いた」
「私もです。……正直、まだどこか信じ切れない自分がいるのも事実です」
「話が突飛すぎるからな、無理もない。いきなりその真実を聞かされて信じるほうが難しいというものだ」
「ですが、姫様のもとにも来たんですよね? 《魔獣》が現れた時に」
「ああ。アル・レイナードの連れだという獣人の子がな。東の《魔獣》は自分が止めるから、西の《魔獣》をなんとかしてくれと頼んできた。最初は正直、疑わしく思ったが、目が嘘を言っていなかったから信じた。どちらにしろ動かざるを得なかったしな」
「……やはり、あの子も神の一柱だったんですね」
「かつてシルヴァラントにいた《白銀狼》、それが彼女の正体だ。この国ではマーナガルムで通っている、あの神狼だったらしい。アル・レイナードは《魔獣殺し》ではなく、彼女を保護したというわけだな」
「でも、まさか、あの子が《魔獣》を倒してしまうなんて……」
「マーナガルムの伝説は、子守り唄の形で大陸中に語り継がれているからな。そのぶん集まる祈りも桁が違うということだろう。イングリッド以外では、マーナガルムではなく、彼女が使っていたハティの名で呼ぶ国のほうが多いそうだしな」
「……そういえば、シルフィ……様は、アルが倒したんですよね?」
「ああ。本人が言うにはな」
「ですが、いったいどうやって……私の意識があった時は、手も足も出なかったのに……」
「……そなた、今日がなんの日か覚えていないのか?」
「今日、ですか? …………あ」
「そうだ。今日は神アリエルへ祈りを捧げる《豊臨祭》。世界中の人々が恵みを祈願して、あやつに祈りを捧げる。おそらくそのおかげだろう」
「なるほど……。もう、すでにほかの団員には伝えたんですか? シルフィ様のことは」
「いや。地下室の捜索を頼んであるライザ以外には伝えていない。あやつにも口外はするなと言ってある」
「そうですか……」
「そういえば、ライザがその捜索で、例の《魔法陣》とやらで封じられた引き出しなどが多くて苦慮しているそうだ。体が良くなったら、手伝ってやってくれ」
「あ、はい。わかりました」

 ―――《魔法陣》。シルフィが考案してくれた、希望の一手。
 彼女の研究室に使われているということは、おそらくあの魔法具に使われていたものと同じ暗号だろう。
 クローディアの脳裏に、彼女との一戦の、朧気な記憶が過る。
 ―――思えば、よくあの魔法具の暗号を解読して《魔法名》を見抜けたものだと、我ながら不思議だった。
 シルフィの魔法具を秘匿化していた暗号。それは極めて複雑だった。
 まず、縦横に古語26文字を1文字ずつずらして並べた方陣を用意する。1列目にABCからZ、2列目にBCDからZA、3列目にCDEからZAB……。
 ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZ
 BCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZA
 CDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZAB
 ……
 さらに《魔法名》となる古語を決め、それを詠唱文と並べる。 
 GUARDANGELGUARDANGELGUARDANGEL……
 YOURNAMEHOLYYOURNAMEWINGANDPEN……
 そして《魔法名》1文字目を方陣の1行目から、詠唱文1文字目を方陣の1列目から探し、両者が交わる場所の文字に置き換えて暗号化する。
 GUARDANGELGUARDANGELGUARDANGEL……
 YOURNAMEHOLYYOURNAMEWINGANDPEN……
 EIUIQAZKLZRSYFXRAGQPCCNXDNQVIY……
 同じ文字でも、登場するたびに違う文字で秘匿化される難攻不落の暗号。人類が神を欺くために編み出した《アンブレイカブル》。
 その難解極まりない《魔法陣》を解く鍵をあの戦闘中に見出せたのは、もはや奇跡だった。クローディア自身、いま思い返しても信じられない。
 思えば、自分の解読力を鍛えてくれたのは、ほかならぬシルフィだった。
 彼女は、自分の解読力が己にとって脅威となる未来を見据えていなかったのだろうか……。

(あなたが倒れたら、元も子もないわ。だから無理はしないこと。いいわね?)
(じゃあ、ちょっと後で研究所の中庭まで来てもらえる? 見せたいものがあるの)
(まったく、あなたの「大丈夫」ほど当てにならないものもないわね)

 彼女は……シルフィは、なにを思って、あれだけの優しさを与えてくれたのだろうか。
 いまとなっては、もはや知る術はない。

「……まぁ、とはいえ、いまはゆっくり休め。いろいろあり過ぎたからな」
「……すみません、ありがとうございます」
「かまわん。無理をさせてきたのはこちらだ」

 ベルヴェリオの言葉を最後に、沈黙が訪れる。
 外から微かに、仕事に励んでいる人々の声が聞こえる。
 建物を修理している人。負傷者の治療にあたっている人。商魂たくましく商売に励む人。元気に走り回る子どもたち。
 ―――クローディアは、最も気にかかっていた質問を口にした。

「……ふたりは……どうしたんですか?」
「この国を出た。アル・レイナードは表向き、連続殺人犯だからな。今朝、私のところへあの少女とやって来て、これをそなたにと置いていった」

 そう言うと、ベルヴェリオはクローディアの寝台に何かを置いた。
 手に取り、眺めるクローディア。
 それは、かつてハティがくれた首飾りだった。おそらく騒動の時にどこかで落としたのを、彼らが回収してくれたのだろう。
 改めてよく見ると、ネフライトの中に《魔法陣》が刻まれている。

(……おまもり)

 同時に、もらった時のハティの言葉が脳裏をよぎる。
 あの地下で《蟲》の一撃から自分を守ってくれた魔法は、きっとこの首飾りだったのだと、クローディアは気づいた。その事実に、胸がやんわりと熱く痛む。

「救国の英雄を殺人犯としてしまうのは忍びないが、現状では、彼に罪がないのを証明するのは無理だ。シルフィの遺体状況がほか三人と同様だったのも痛かったな」

《魔獣》騒動の後、シルフィの遺体が発見された際、その状況が連続殺人の被害者と同様だったため、アルはシルフィ殺害の犯人とも見なされてしまった。実際そうであり、故にイングリッドは救われたのだが、シルフィの真意を知らない国民たちにとっては、彼はもはや国の仇に等しい。シルフィが国に大きな貢献をしてきた英雄だったことも、また事実だからだ。

「まさか民に、実はシルフィが人類滅亡を目論む神だった、などと言って理解してもらえるわけもない。今となっては確たる証拠もないしな。地下の研究室からそれらしい痕跡でも見つかれば、話は別だが……あやつのことだ、そんな失態を犯すことはないだろう。あの少女も《魔獣》を討伐後に大多数の団員から《魔獣》と疑われ、すぐに殺害すべきと言われたらしい。アヴリルが戒めて事なきを得たがな。……しかし、残念だが、もはやこの国にあの二人の居場所はない」
「そう……ですか……」

 ため息を零すように吐露するクローディア。
 だが、確かにベルヴェリオの言うとおりだ。神と出会った自分やベルヴェリオを除けば、誰一人として確たる真実を知るものはいない。アヴリルもハティを保護はしたが、明け方、様子を見に部屋へ行くと、もうその姿はなかったという。
 そもそも、その真実を伝えられたとして、どれほどの人が信じるだろうか。連続殺人犯として明確な証拠があり、そこへ国の英雄を殺害という罪状も乗った。もはや騎士団員は誰一人、彼の言葉を信じないだろう。
 ……だが、本当にこれでいいのか。
 こんな不義理が、許されるのか?
 病室に重苦しい沈黙が広がる。
 しかし、クローディアにもわかっていた。
 もはや、それしか選択肢はないと。
 あの二人とこの国が交わることは、もう、二度とないのだと。
 ……しかし。
 それでも納得できない自分も、確かにいた。
 俯き、無意識に布団を強く、強く、握り締めるクローディア。
 二人との思い出が、脳裏を鮮明に駆け巡る。
 初めて出会った時。
 傭兵登用試験。
 初任務。
 ハティとの買い物。
 アルの料理。
 団欒。
 一つ、また一つ思い返されるたび、胸の内が熱く、掻き毟られるように締めつけられる。
 苦しい。痛い。辛い。
 悲しい。
 ……寂しい。

「―――クローディア」

 ベルヴェリオが、呼びかけた。
 クローディアは、顔を上げる。

「実はもう一つ、二人から預かったものがある」
「……え?」

 ベルヴェリオは、外套のポケットからなにやら取り出して、クローディアに手渡した。
 封書だった。
 受け取ったクローディアは、しばし無言で手紙を見つめる。
 いったいなんだろうか……。
 やがて、静かに封を開く。
 中には一通の手紙が入っていた。
 手紙を開くクローディア。
 ―――そこには、2文だけ書かれていた。
 綺麗な整った字で、一文。
 そして、字を覚えたてのこどもが書いたような字で、もう一文。

「……、―――ッ!」

 それを見たクローディアの瞳から…………涙が、零れ落ちた。
 一粒。
 また、一粒。
 それは、やがて止めどない流れとなった。

「……っ……ッ! ……う、ぅ……っ……ッ!」

 もう、耐えきれなかった。
 自分に悲しむ資格など、ありはしない。そう思って耐えてきた涙が、あふれ出た。
 自分は、二人を国から追い出した。
 罪人という偽りの罪から救えなかった。
 だから、ベルヴェリオからアルたちのその後を聞いたときから、クローディアは懸命に食い縛り、その悲しみを押し殺そうとした。
 二人のために流していい涙など、自分は持っていない、と。
 二人と会えない寂しさを代えていい涙など、自分は持っていない―――と。
 ……だが、もう無理だった。
 悲しみは涙となって、声となって、クローディアの胸の内を代弁する。
 止まらない。
 止められない。
 ―――ベルヴェリオは、静かに部屋を後にした。
 一人、病室に残されたクローディアは、手紙を手にして俯いたまま、涙を流し続けた。
 アルはもう、クローディアの中で欠かせない仲間となっていた。ともに積み上げた時間こそ短かったが、安心して背中を預けられるだけの信頼が確かにあった。
 ハティと過ごした時間は、本当に一握りだった。それでも彼女の存在はクローディアにとって大きなものとなっていた。
 なにより、自分は二人に国と命を救われた。その恩は報いても報い切れるものではない。

「う、ぐ……ぅ、ッ! ……ッ!」

 ―――だから。
 クローディアは、心に誓った。
 あふれる涙とともに。
 手紙を握り締めながら。
 いつの日か絶対に、二人と再会し、そして受けた恩を返す。
 そして必ず、二人の居場所を、この国に取り戻すのだと。
 たとえ、どれほど時間がかかろうとも。
 いつの日か。
 きっと―――。






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 また あそぼ
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