本編
―――炎は、すべてを蹂躙した……かに見えた。
「……え?」
だが、咄嗟に瞑った目を開いたアヴリルが見たのは、まるで予想しない光景だった。
自分たちと《魔獣》の間に、割って入った者が立っていたのだ。
小柄な体。大きな尻尾。そして狼のような尖った獣耳。―――ひと目で獣人の子どもだと分かった。
その獣人の子どもが今、恐ろしいほど苛烈な《魔獣》の蒼き炎弾を片手で防いでいた。まるで波打つ水面のような《光の壁》めいた障壁で軽々と。
(……だ、だれ、この子?)
アヴリルが疑問を抱いた直後、障壁が弾けて炎弾が跳ね返され、《魔獣》に直撃した。
『グウゥッッッ!?』
自らの一撃に吹き飛ばされた《魔獣》が、激しく大地を転がる。
(す、すご……っ!)
だが《魔獣》はすぐさま体勢を立て直す。そして、
『フゥウゥゥゥッ!』
怒り戦慄くような巨大な息吹を漏らした。
しかし、対する獣人の子はまるで動じる様子を見せない。しっぽを愛らしく揺らす様は、どこか超然とした雰囲気すら感じさせる。
「あ、あの……ねぇ……?」
気になったアヴリルが、恐る恐る尋ねる。
「……」
獣人の子が振り返った。―――小さな獣耳。大きなしっぽ。銀色の髪。そして、丸々と輝く瞳が愛らしい童顔の少女だ。もちろん騎士団員ではない。
「き、きみ、いったい……」
「……ともだち、のともだち……」
「……と、友達?」
こくりと頷く少女。そして彼女は、なんの躊躇もなく《魔獣》に向かって歩き出した。
「ちょ、ちょっと! 危ないって!」
「……さがってて」
「え?」
「……あぶないから」
伝えるべき言葉を返され、呆気に取られるアヴリル。
だが、彼女の驚きは、その程度では済まなかった。
少女が足を止める。
―――直後、その体が強く発光した。月夜の闇をすべて切り裂くように。
『ッッッ!?』
「う、うわ、っ!?」
次いで風が巻き起こり、一帯に凄まじい嵐が吹き荒れる。
(な、なにが起こって……っ!?)
打ち寄せる砂塵の山の中、必死に目を凝らして少女を探すアヴリル。だが、その姿は竜巻めいた烈風に遮られて欠片も見えない。いったい彼女はなにをしようとしている?
……だが、その真意は、すぐに明かされた。
「ッッッ! な、なに……あ、れ……っ」
アヴリルの表情が、驚愕に染まる。
その瞳が見据えるは、砂嵐の向こう。
捉えたのは……粉塵の向こうに揺れる、あまりにも巨大な黒い影。
直後、まるで獣が唸るような低い音が……そして、一つ、また一つ、大地を揺るがすおぞましいほど重々しい足音めいた地鳴りが、一帯に響く。
なんだ? 本当になにが起こっている?
歴戦の騎士であるアヴリルでさえ、今の状況を前に全身が凍りつくほどの恐怖を覚え、もはや指一本すら動かせなくなっていた。
……そして。
粉塵の中から、ついに、ゆっくりと、その影が正体を現した。
「ッッッッッ!?」
アヴリルの顔が、蒼白に染まり果てた。
抜け出てきたのは――――――闇夜に輝く月のような、美しい銀色の狼だった。
その体高およそ5メドル。《魔獣》ほど大きくはないが、それでも人目には恐怖を覚えるほどの巨狼。その獰猛なまでに鋭い威圧感は、体躯にして倍はある《魔獣》をして恐れ戦慄き震えさせるほどだった。
(ま、まさ、か…………あ、あの、子……な、の…………?)
とてもそうとは思えない。だが、そうとしか考えられない。
あの《魔獣》めいた《銀狼》は紛れもなく、あの少女なのだろう。
「―――オオォォオォォォォオォォッッッッッ!」
星天に向かって《銀狼》が吠えた。それは狼のような透き通る遠吠えではない。世界を震わし、すべてを押し潰す、あまりにも凄まじい得体のしれないなにかだった。
直後―――《銀狼》が動いた。
「………え」
だが、その姿を視認できた者はいなかった。
『グゥゥッ!?』
気がつけば《魔獣》が大きく後方へ吹き飛ばされていた。《銀狼》の突進だった。
その一撃に怒り狂った《魔獣》が立ち上がると、
『ガァァァッ!』
凄まじい速さの蒼き炎弾を何十発と間断なく吐き出した。
『ッ!?』
だが一発も当たらない。
《銀狼》は凄まじい速さで大平原を縦横無尽に駆け巡り、《魔獣》との距離を見る見る詰めて一瞬で相手に接近する。
『ガァッ!』
怒りに任せて《魔獣》が4本の両前足を振り上げ、《銀狼》を踏み潰さんと地面に豪快に叩きつける。途端、大地が爆散し、蒼い炎が天を焦がさんとする勢いで噴き上がる。
『グ、ウゥゥッ!』
だが、それでも《銀狼》を止められない。
『ッッッ!?』
炎の壁から飛び出した《銀狼》が後ろ足で《魔獣》を蹴り飛ばす。
『グルゥウゥッ!?』
再び地に伏す屈辱に塗れる《魔獣》。
―――そして、
「ガァァアァッッッ!」
《銀狼》が吠えた。
直後、《魔獣》の上に得体の知れない巨大な球体が出現。黒々と波打つ謎の物質が渦巻くように急速に膨れ上がっていき、
『グ、ゥゥウウゥウゥゥッッッ!?』
《魔獣》もろとも地面を凄まじい勢いで削っていく。
(な、なに……っ!?)
直後、まるで世界そのものが震撼するかのように凄まじい揺れがアヴリルたちを襲い、その場にいた全員が、地に膝をついた。
いったいなんだ? 地震? ―――いや違う。
(そ、空が……重い、ッ!?)
アヴリルは気づいた。
これは揺れではない。
空が、大気が自分たちを押し潰そうとしていると。
『グ、ギィ、ィィィッッッッッ!』
あの《魔獣》をして、もはや苦悶しか吐けない。それほどに一帯の大気が重い。おそらく魔法だが、こんな魔法は聞いたことがなかった。
波打つ球体は、なおも容赦なく急速に膨れ上がっていく。
《魔獣》の身は無残にも見る見る地面へ埋まっていき、やがて苦悶の中に肉が切れ骨が砕ける音が混ざり始め―――そして
「ガァッッッッッ!」
《銀狼》が吠え、球体が爆発するように一気に膨れ…………消えるように弾けた。
―――無音。
それまでの喧騒が嘘のような、不気味さすら感じるほどの静けさが一帯に広がる。
大気の重圧から解放されたアヴリルは、なけなしの体力を振り絞って立ち上がり、状況を確認する。
(……や……やっ、た、の……?)
すると、今度は《銀狼》の体が再び光り輝いた。
「な、なに……っ!?」
思わず両腕で目を覆うアヴリル。
眩い白銀の燐光は一帯を曇りなき白色に染め上げ、やがて次第に萎んでいき、再び夜の静寂が戻った。
すべてが落ち着いた時、もう《銀狼》の姿は、どこにもなかった。
かわりに、あの少女が眠るように地面に転がっていた。
「ちょ、ちょっと! 大丈夫っ!?」
咄嗟に、全身の痛みもかまわずに駆け寄るアヴリル。まだ本当に《魔獣》が倒れたか確証もない状況で危険極まりない行動だったが、彼女にはそんなことを考える余裕もなかった。
だが、その心配は必要なかった。
少女の目の前に空いた、あまりにも巨大な摺鉢状の大穴の中央には、あの《魔獣》が倒れていた。その八本の足はあらぬ方向に曲がっており、首も無惨に折れていた。もはや息を失っているのは、明らかだった。
―――そして、
「……あ、あれ?」
少女は、全裸ですやすやと眠っていた。狼と化したことで、服が破けてしまったのだろう。夢でおなかでも空かせているのか、その愛らしい小さな口は、地面に生えている草を口に入れて「……べぇ」と吐き出していた。
さすがのアヴリルも、ただただ苦笑いを浮かべるしかなかった。
「……え?」
だが、咄嗟に瞑った目を開いたアヴリルが見たのは、まるで予想しない光景だった。
自分たちと《魔獣》の間に、割って入った者が立っていたのだ。
小柄な体。大きな尻尾。そして狼のような尖った獣耳。―――ひと目で獣人の子どもだと分かった。
その獣人の子どもが今、恐ろしいほど苛烈な《魔獣》の蒼き炎弾を片手で防いでいた。まるで波打つ水面のような《光の壁》めいた障壁で軽々と。
(……だ、だれ、この子?)
アヴリルが疑問を抱いた直後、障壁が弾けて炎弾が跳ね返され、《魔獣》に直撃した。
『グウゥッッッ!?』
自らの一撃に吹き飛ばされた《魔獣》が、激しく大地を転がる。
(す、すご……っ!)
だが《魔獣》はすぐさま体勢を立て直す。そして、
『フゥウゥゥゥッ!』
怒り戦慄くような巨大な息吹を漏らした。
しかし、対する獣人の子はまるで動じる様子を見せない。しっぽを愛らしく揺らす様は、どこか超然とした雰囲気すら感じさせる。
「あ、あの……ねぇ……?」
気になったアヴリルが、恐る恐る尋ねる。
「……」
獣人の子が振り返った。―――小さな獣耳。大きなしっぽ。銀色の髪。そして、丸々と輝く瞳が愛らしい童顔の少女だ。もちろん騎士団員ではない。
「き、きみ、いったい……」
「……ともだち、のともだち……」
「……と、友達?」
こくりと頷く少女。そして彼女は、なんの躊躇もなく《魔獣》に向かって歩き出した。
「ちょ、ちょっと! 危ないって!」
「……さがってて」
「え?」
「……あぶないから」
伝えるべき言葉を返され、呆気に取られるアヴリル。
だが、彼女の驚きは、その程度では済まなかった。
少女が足を止める。
―――直後、その体が強く発光した。月夜の闇をすべて切り裂くように。
『ッッッ!?』
「う、うわ、っ!?」
次いで風が巻き起こり、一帯に凄まじい嵐が吹き荒れる。
(な、なにが起こって……っ!?)
打ち寄せる砂塵の山の中、必死に目を凝らして少女を探すアヴリル。だが、その姿は竜巻めいた烈風に遮られて欠片も見えない。いったい彼女はなにをしようとしている?
……だが、その真意は、すぐに明かされた。
「ッッッ! な、なに……あ、れ……っ」
アヴリルの表情が、驚愕に染まる。
その瞳が見据えるは、砂嵐の向こう。
捉えたのは……粉塵の向こうに揺れる、あまりにも巨大な黒い影。
直後、まるで獣が唸るような低い音が……そして、一つ、また一つ、大地を揺るがすおぞましいほど重々しい足音めいた地鳴りが、一帯に響く。
なんだ? 本当になにが起こっている?
歴戦の騎士であるアヴリルでさえ、今の状況を前に全身が凍りつくほどの恐怖を覚え、もはや指一本すら動かせなくなっていた。
……そして。
粉塵の中から、ついに、ゆっくりと、その影が正体を現した。
「ッッッッッ!?」
アヴリルの顔が、蒼白に染まり果てた。
抜け出てきたのは――――――闇夜に輝く月のような、美しい銀色の狼だった。
その体高およそ5メドル。《魔獣》ほど大きくはないが、それでも人目には恐怖を覚えるほどの巨狼。その獰猛なまでに鋭い威圧感は、体躯にして倍はある《魔獣》をして恐れ戦慄き震えさせるほどだった。
(ま、まさ、か…………あ、あの、子……な、の…………?)
とてもそうとは思えない。だが、そうとしか考えられない。
あの《魔獣》めいた《銀狼》は紛れもなく、あの少女なのだろう。
「―――オオォォオォォォォオォォッッッッッ!」
星天に向かって《銀狼》が吠えた。それは狼のような透き通る遠吠えではない。世界を震わし、すべてを押し潰す、あまりにも凄まじい得体のしれないなにかだった。
直後―――《銀狼》が動いた。
「………え」
だが、その姿を視認できた者はいなかった。
『グゥゥッ!?』
気がつけば《魔獣》が大きく後方へ吹き飛ばされていた。《銀狼》の突進だった。
その一撃に怒り狂った《魔獣》が立ち上がると、
『ガァァァッ!』
凄まじい速さの蒼き炎弾を何十発と間断なく吐き出した。
『ッ!?』
だが一発も当たらない。
《銀狼》は凄まじい速さで大平原を縦横無尽に駆け巡り、《魔獣》との距離を見る見る詰めて一瞬で相手に接近する。
『ガァッ!』
怒りに任せて《魔獣》が4本の両前足を振り上げ、《銀狼》を踏み潰さんと地面に豪快に叩きつける。途端、大地が爆散し、蒼い炎が天を焦がさんとする勢いで噴き上がる。
『グ、ウゥゥッ!』
だが、それでも《銀狼》を止められない。
『ッッッ!?』
炎の壁から飛び出した《銀狼》が後ろ足で《魔獣》を蹴り飛ばす。
『グルゥウゥッ!?』
再び地に伏す屈辱に塗れる《魔獣》。
―――そして、
「ガァァアァッッッ!」
《銀狼》が吠えた。
直後、《魔獣》の上に得体の知れない巨大な球体が出現。黒々と波打つ謎の物質が渦巻くように急速に膨れ上がっていき、
『グ、ゥゥウウゥウゥゥッッッ!?』
《魔獣》もろとも地面を凄まじい勢いで削っていく。
(な、なに……っ!?)
直後、まるで世界そのものが震撼するかのように凄まじい揺れがアヴリルたちを襲い、その場にいた全員が、地に膝をついた。
いったいなんだ? 地震? ―――いや違う。
(そ、空が……重い、ッ!?)
アヴリルは気づいた。
これは揺れではない。
空が、大気が自分たちを押し潰そうとしていると。
『グ、ギィ、ィィィッッッッッ!』
あの《魔獣》をして、もはや苦悶しか吐けない。それほどに一帯の大気が重い。おそらく魔法だが、こんな魔法は聞いたことがなかった。
波打つ球体は、なおも容赦なく急速に膨れ上がっていく。
《魔獣》の身は無残にも見る見る地面へ埋まっていき、やがて苦悶の中に肉が切れ骨が砕ける音が混ざり始め―――そして
「ガァッッッッッ!」
《銀狼》が吠え、球体が爆発するように一気に膨れ…………消えるように弾けた。
―――無音。
それまでの喧騒が嘘のような、不気味さすら感じるほどの静けさが一帯に広がる。
大気の重圧から解放されたアヴリルは、なけなしの体力を振り絞って立ち上がり、状況を確認する。
(……や……やっ、た、の……?)
すると、今度は《銀狼》の体が再び光り輝いた。
「な、なに……っ!?」
思わず両腕で目を覆うアヴリル。
眩い白銀の燐光は一帯を曇りなき白色に染め上げ、やがて次第に萎んでいき、再び夜の静寂が戻った。
すべてが落ち着いた時、もう《銀狼》の姿は、どこにもなかった。
かわりに、あの少女が眠るように地面に転がっていた。
「ちょ、ちょっと! 大丈夫っ!?」
咄嗟に、全身の痛みもかまわずに駆け寄るアヴリル。まだ本当に《魔獣》が倒れたか確証もない状況で危険極まりない行動だったが、彼女にはそんなことを考える余裕もなかった。
だが、その心配は必要なかった。
少女の目の前に空いた、あまりにも巨大な摺鉢状の大穴の中央には、あの《魔獣》が倒れていた。その八本の足はあらぬ方向に曲がっており、首も無惨に折れていた。もはや息を失っているのは、明らかだった。
―――そして、
「……あ、あれ?」
少女は、全裸ですやすやと眠っていた。狼と化したことで、服が破けてしまったのだろう。夢でおなかでも空かせているのか、その愛らしい小さな口は、地面に生えている草を口に入れて「……べぇ」と吐き出していた。
さすがのアヴリルも、ただただ苦笑いを浮かべるしかなかった。