本編

 ―――その一撃は、カイルを貫いた……かに見えた。

『ッ!』

 だが、すんでのところで《黒竜騎》は反射的に槍を引き、防御に回した。
 瞬間、なにかが凄まじい速さで飛来し『グゥッ!』《黒竜騎》に直撃。その体は軽々と50メドルほど吹き飛ばされ、大地を激しく転げ回った。

「……え?」「な……なん、だ……ッ?」

 いったいなにが起こったのか。まるで理解できないラティウスとカイルは、ただただ茫然と《黒竜騎》を見遣る。
 ―――覚えのある威厳にあふれた声が聞こえたのは、その時だった。

「どうやら間に合ったようだな」

 同時に、空から一振りの得物が飛来し、大地に突き刺さる。
 一点の曇りもない、月夜においてなお燦然と輝く、漆黒の鉄棒。
 後ろを振り返る、カイルとラティウス。そして、騎士団の面々。
 後衛が、中衛が、そして前衛が、左右に分かれる。一人の少女の歩みを前に。畏怖するかのように。恐れ慄くように。

「皆、よく持ち堪えてくれた。あとは私がやる。全員、後方へ下がって街の防衛に専念しろ」

 その身は誰よりも小さく、しかし誰よりも大きい。身に纏いしは真紅のドレスを思わせる戦闘衣に純白の外套と制帽。そして―――右手に携えし、もう一振りの巨大な鉄棒。
 真紅の者は、やがてカイルとラティウスのもとへ歩み寄る。

「二人も下がれ。カイルは治療に専念、回復したら私たちの戦闘の余波が王都に及ばないよう警戒。ラティウスはカイルの治療後、王都の防衛を最優先にしろ」

 そして、二人の前に立った。
 ―――怪物が。

「ベ、ベル……ヴェリ、オ……」


 聖痕騎士団長。
《史上最強の人類》。
 ベルヴェリオ・スチュアート。


「だ、団長、なんでここに? 王家の守護は?」
「案ずるな。向こうの《魔獣》は、別の者が排除してくれる。あとはこちらを排除すれば、すべて終わりだ。王都がこれ以上、危機に晒されることはない」
「別の……者?」
「今は気にしなくていい。信頼に値する者だというのは確かだ。……さて」

 指示を出し終えると、ベルヴェリオは《黒竜騎》に視線を向ける。
 相手はベルヴェリオを警戒しているのか、先ほどから槍を手にしたまま直立不動。ただただ静かに仁王立ちしていた。

「あの出で立ち……まさしく《黒竜騎》といったところか。なるほど、オーランドのやつは本当に右腕を落としてみせたのだな」

 かつて師と仰いだ先代の勇姿に思いを馳せ、思わず笑みが零れる。
 ―――ならば、その置き土産に応えるのが、今を生きる者が果たすべき責務。

「お、おま、え……まさ、か……ひとりで、やるつもり……か」

 ラティウスの治療を受けつつ、瀕死のカイルが言葉を紡ぐ。

「当然だ。あやつはこの国にとって、なにより私にとって、因縁の存在だ」
「あ、あほ、か……ッ! おま、え、ひとりで、どうにかなる相手じゃ……ッ!」
「……なんだ、カイル。そなたまさか、あの程度の力がこの私を倒せるなどと、本気で思っているわけではあるまいな?」
「……は?」

 呆気に取られるカイル。
 そんな彼をよそに、ベルヴェリオは歩を進める。
 悠然と。堂々と。

「お、おい! ベルヴェリオ!」

 カイルの案ずる声に止まることもなく。
 その身は、無防備。
 その歩みは、不用意。

『……』

 ―――しかし、《黒竜騎》は動かなかった。
 見れば、一瞬で倒せるとしか思えないほど、彼女は隙だらけ。
 ……だが。
《黒竜騎》の本能は恐ろしいほど強烈な警告を発していた。あの《原初の魔獣》をして、目の前の相手は尋常ではないと。
 これまで対峙した人類……いや、神や聖獣を以てしても、あの人の皮を被った真紅の怪物を超える存在は、果たしていただろうか……と。
 それほどに、その小さき体から放たれる強大な闘気は、常軌を逸していた。

「……この身は、この国そのもの」

 一歩、また一歩、さらに一歩。
 幼さすら残る一人の少女の歩みに今、《黒竜騎》は槍を構えた。
 初めて―――構えを取った。

「……この国は、この身そのもの」

 先ほど投げた、大地に突き立った鉄棒のもとへ達するベルヴェリオ。
 そこで彼女は、おもむろに右足を振り上げ、

「……だからこそ」
 ―――踵を豪快に振り落とした。

「「「「「「「「「「『ッッッッッ!』」」」」」」」」」」

 轟音そして激震とともに地面から引き抜かれた鉄棒が風車の如く激しく宙を舞う。
 全騎士団員に、そして《黒竜騎》に、緊張が奔った。
 ―――そして

「私が敗れることはないッッッ!」

 ベルヴェリオが空舞う鉄棒を掴んだ瞬間、

『ッ!?』

 その身は一瞬で《黒竜騎》の懐に潜りこんでいた。

「ふ、ッ!」

 即座に頭部めがけて振り下ろされた一撃を咄嗟に槍で防ぐ《黒竜騎》。

『グ、ゥ!』

 だがベルヴェリオの鉄棒は相手を防御もろとも激しく吹き飛ばした。
 轟々と巻き上がる粉塵。
 ベルヴェリオは止まらず即座にその中へ飛び込む。

「―――そこか!」
『ガァァァッッ!』

 同時に凄まじい衝突音が響き粉塵が一瞬にして霧散。

『ガァッ!』

 直後に《黒竜騎》が怒り狂うかのように槍を猛然と振り回す。
 ベルヴェリオはそのすべてに同じく攻め手をぶつけることで抗戦。身の丈に及ぶ二本の巨大な鉄棒を時に掴み、時に手放し、恐ろしいほど器用に操り、《黒竜騎》の攻撃を捌きながら攻め続ける。
 攻撃に対して攻撃を衝突させる攻防一体。それがベルヴェリオの戦いだった。
 だが、それはもはや戦いなどではなかった。我が身を顧みない、ただ敵の破壊のみを追い求めた戦術は、いわば諸刃の剣。さながら蛮勇に等しい。
 事実、防御を捨てたベルヴェリオの攻勢は徐々に《黒竜騎》を捉え始めるも、その身には一つまた一つ、小さいながらも確かな傷が刻まれていく。
 文字どおり捨て身の攻防一体。
 だが、それでも彼女は引かない。
 普段の凛々しくも愛らしい第二王女の顔は、恐ろしいほど苛烈な―――まさに鬼の形相に変貌していた。もはや相手を倒すまで止まる気はない、そう言わんばかりの顔だ。

(……防御を捨てる?)
(ああ。そのほうが効率が良いだろ?)

 ―――かつて師と仰いだ男は言っていた。
 オーランド・ローガスト。すべてにおいて乱暴だが、誰よりも強かった男。

(正気か? それはつまり、あらゆる戦闘を一撃のもとに終わらせると言っているようなものではないか。そんなことができるのか?)
(無理だな。だからこそ、いろんな武器が生まれ、いろんな技術が生まれた。一撃必殺なんてのは、よほど実力差がある相手でもない限り不可能だ)
(なら、なぜ防御を捨てる?)
(正確には、攻撃されたら攻撃し返す。相手が剣を出してきたら、それを鉄棒で弾き返す。魔法を唱えられたら、放たれる前に潰す。目には目を、歯には歯を、攻めには攻め、ってわけだ)

 ―――そう語るあの男は、まるでこの世の真理でも見出したかのように得意気だった。絶句して呆れ顔を浮かべるベルヴェリオのことなど、気にもしないで。
 そして、彼は続けた。

(……実際のところ、こうでもしないとお前は戦場で生き残れねぇよ。なんせ周りは魔法が使えるんだ。雑魚相手ならまだしも、熟練者が相手となると、少しでも劣勢に回れば魔法で押し切られて終わりだ。だからお前は攻め続けなきゃならねぇ。理想は一撃必殺。それが無理なら相手が死ぬまで攻め続ける。絶対に魔法は使わせない。それができなきゃ、お前が死ぬだけだ)

 一聴すれば、およそ誰もが気が触れていると断じるであろう狂気の戦術。
 だがベルヴェリオは、その教えを守り続けている。
 愚直に。いつでも。どんな戦場でも。
 払い、突き、薙ぎ、縦横無尽に襲いかかる槍撃を剛力で強引に弾きつつ流れのまま反撃していく。もはや視認も不可能な高速で戦場を駆ける両者。間断なく放たれる一撃が次々と地面を抉り、割り、破砕し、一帯はわずか数分で荒れた山岳同然の様相を呈した。
 ―――次第に戦況が動いてきた。
《黒竜騎》の槍がベルヴェリオの二刀ならぬ二柱を上回り出した。互角だった捌き合いはベルヴェリオにわずかだが遅れが見え始め、その外套に、戦闘衣に、肌に傷を増やしていく。

『ギィッ!』

 振りかぶった槍をベルヴェリオの脳天めがけて振り下ろす《黒竜騎》。

「ふっ、ッ!」

 鉄棒の長さ故に上方からの攻撃には反撃が難しい。それに気づいた《黒竜騎》は体躯の差を利用して斧のように槍を振り回す。ベルヴェリオは一柱で受け止め、もう一柱で攻めに転じるも、徐々に攻防が一体でなくなり始め攻撃を躱され始めた。

(これが《魔獣》か……ッ! さすが、あの男に勝利しただけはある……)

 やはり《原初の魔獣》に単身で挑むなど無謀だったか。だが、ベルヴェリオの敗北は即ち、この国の滅亡を意味する。
 その身は、この国そのもの。だからこそ、敗北など許されない。

(……しかたない。この体が耐えられるかわからんが……)

 ―――ベルヴェリオは意を決し、《黒竜騎》の嵐のような攻勢の中、強引に鉄棒を振り回して相手を大きく弾き飛ばした。

『ッ!?』

 その一撃になにかを感じたのか、吹き飛ばされた《黒竜騎》は地面に着地して体勢を整えると、その場で槍を構えて動かなくなった。
 戦端が開かれて以来、初めて静寂が訪れる。
 それまでの喧騒が嘘のような静寂が。
 大きく息を吐くベルヴェリオ。その身に傷こそ多々あれど、疲労の色は微塵もない。
 対する《黒竜騎》は、槍を構えたまま微動だにしない。ただ静かに、ベルヴェリオの一挙手一投足を見据えている。
 ……風が吹く。予兆のように。
 ベルヴェリオが制帽を、そして外套を脱ぎ捨てる。
 纏うは、品位と威風を兼ね備えた、肩から先がないドレスを思わせる真紅の戦闘衣。
 手にするは、己の、そして師から受け継いだ二柱の鉄棒。
 ―――静かに、瞳を閉じる、ベルヴェリオ。
 そして、脳裏を過る回想に、彼女は身を委ねる。

(……正直、これは教えたくねぇんだが……俺たちが討伐に失敗した場合、お前に後を託すことになる。その時、おそらく必要になるだろう)

 あの日、彼が戦地へ赴くことが決まった日、自分の思いが叶わなかった日の思い出に。

(だが、これは一つだけでも体に相当な負荷がかかる。いくら超人的な体を持つお前でもな。だから、絶対に使いどころを間違えるな。解放して倒せなければ、殺されて終わりだ)

 ―――ああ。わかっている。

(それと無闇に解放するなよ。解放するほど、お前の体は負荷でボロボロになる。使っていいのは本当に必要な時だけだ。お前にとってじゃない。この国にとって必要な時だ)

 わかっている。
 今が、その時だということを。
 きっと、お前もそう思ってくれるであろうということを。

(……まぁ、願わくば、そんな日が来なきゃいいがな)

 わかっている。
 もう……そんな日は、終わらせなければならないということも―――
 ベルヴェリオが、瞳を開く。
 そして、一歩、また一歩と、《黒竜騎》のほうへと歩き出す。

『……』

 無言で、槍を構えたまま、静かにたたずむ《黒竜騎》。
 両者の、距離が、詰まる。
 騎士たちの、息が、詰まる。
 肌を裂きそうなほど張り詰めた空気の中を、ベルヴェリオは、ただ悠然と歩を進める。

「……さすがだな。まさかこれほどとは思わなんだ」

 語る声色に、しかし焦りは、なかった。

「これまでに、我が《力》を捌いた者でさえ、数えるほどしかいない。そして《速さ》も合わせて捌いた者は、ただ一人―――そなただけだ」

 語る声色に、しかし怖れは、なかった。
 鉄棒を握るベルヴェリオの手に、力がこもる。
 強く。強く。強く。
 ―――強く。
 そして、静かに、大きく、大きく息を吐き、

「……まさか、このような形で《業》を解放する日が来ようとは思わなんだが……これもまた宿命。そうであるならば……冥土の土産に見せてやろう。―――さて」

 踏み出した足が地に触れ、

「そなたはどこまでついてきてくれるか、なぁッッッッッ!」

 突如、ベルヴェリオの足元が豪快に割れた。

「「「「「「「「「『ッッッ!?』」」」」」」」」」

 咄嗟に《黒竜騎》が飛び退き、さらに距離を取った。まるで、怯えるかのように。
 直後、ベルヴェリオの気迫が一気に膨れ上がった。
 その体を数倍は大きく見せるほど。突如、一陣の烈風が吹き荒れたかと錯覚するほど。
 雲が、割れる。
 大気が、叫ぶ。
 大地が、震えている。
 その場の誰もが、なにもかもが、戦慄している。
 一帯の空気がひりつく。彼女の放つ闘気によって。まるで地響きが世界を激しく揺らすかのように。
 なにかを察したのか《黒竜騎》が竜翼を広げた。
 直後、ベルヴェリオの足元が、再び割れる。
 割れる。
 割れる。
 割れる。
 彼女を中心、大地が、世界が、沈んでいく。
 ―――そして

「……終わりにしよう」

 ベルヴェリオの姿が消えた。

『ッッッ!』

 だが《黒竜騎》は咄嗟に槍を地に向け、

『ギィッ!』

 一瞬で距離を詰め懐に入ったベルヴェリオの頭部めがけて突き放つ。

『ッッッ!?』

 だがベルヴェリオはあろうことか左手の鉄棒を捨て、その槍を直に手で掴んだ。

「―――捕まえたぞ」

 同時に彼女は右の鉄棒を振り下ろす。

『ギィッ!』

《黒竜騎》は咄嗟に竜翼で体を覆い身を守る。が、

「温いわぁッッッ!」

 ベルヴェリオの剛力が上回り、その身は大地を割り地面にめりこんでいく。

『グ、ギ、ィィィッ!』

 苦悶する《黒竜騎》をベルヴェリオは続けざま豪快に放り投げた。

『グゥ、ッッッ!』

 隆起した岩壁を次々ぶち抜きながら激しく大地を転がる《黒竜騎》。だが数十メドルほど吹き飛んだところでなんとか踏ん張り立ち上がる。

『ッッッ!』

 だがその目の前にはすでにベルヴェリオが迫っていた。

「―――六花、ッ!」

 流れのまま一撃を豪快に振り下ろすベルヴェリオ。前宙気味に回転して勢いが乗った強烈な振り下ろし。

『ギ、ィ、ッッッ!』

 あまりの衝撃に竜翼の防御を崩しかけるも、なんとか耐える《黒竜騎》。

『ッ!?』

 だが直後、《黒竜騎》の表情が驚愕に染まる。
 ベルヴェリオは止まらなかった。振り下ろした鉄棒をそのまま地面に突き立てると即座に蹴って前宙。流れのまま鉄棒を引き抜き再び振り下ろし、

『イ、ギィッ!?』

 そのまま一撃そして二撃を叩きこみ再び突き立てた鉄棒で回転。独楽が激しく回るように恐るべき速さで前宙と二連撃を繰り出し続ける。それはもはや人間業ではなかった。
 ―――六花。オーランドが授けた十の《業》の一つ。荒れ狂う颶風が如く恐るべき速さで体を宙で回転させ連撃を叩きこみ続ける人外の《業》。

「ぐ、ぅッッッ!」

 だがその常軌を逸した動きに人間が耐えられるはずもなく、ベルヴェリオの超人的な体でさえ一撃また一撃を放つたび肉が千切れ骨が悲鳴を上げる。
 それでも歯を割れんばかりに食い縛り耐えるベルヴェリオ。
《黒竜騎》はまだ倒れていない。そうである以上、止まるわけにはいかない。
 一撃。一撃。一撃。速度をさらに釣り上げるベルヴェリオ。その場に縫い留められつつもなお竜翼で身を守る《黒竜騎》。舞い上がる粉塵。吹き荒れる烈風。
 左手首が折れた。背中の筋肉が次々と千切れる。右の肋骨が軋んだ。右肘も限界が近い。
 それでもベルヴェリオは攻め続ける。
 攻め続ける。
 攻め続ける―――

(―――そなたが、オーランド・ローガストか?)
(お前か。俺に習いたいとかいう物好きってのは)

 思えば、出会いは最悪だった。中庭に転がり惰眠を貪る彼を見た時、本当にその男が聖痕騎士団長か心の底から疑ったほどだ。
 だが、その出会いが、ベルヴェリオのすべてを変えた。

(そなた……なぜこんな品位の欠片もない鉄棒を得物としているのだ)
(性に合わねぇんだよ。歩法とか構えとか細けぇ技術を身につけんのがな)

 乱暴な男だった。すべてを力でねじ伏せようとする豪快にして単純な。
 だが、故に強く、そして多くの者が彼を慕った。ベルヴェリオもまた、そんな一人だった。

(貴様……死ぬ気、か?)
(―――あんな化けもんが相手だからな。最悪そうなるだろうさ。だが当然、ただではやられねぇよ。腕の一本でも道連れにして、地獄への手土産にさせてもらうさ)

 草木にさえ宿るマナを持たず、王家の恥部よ汚点よと罵られ続けた人生は、彼の授けた力によって変わった。……彼が、変えてくれた。
 彼がいなければ、きっと今迄、ただただ辛いままだった。
 彼がいなければ、きっと今も、殻にこもったままだった。
 彼がいなければ、きっと今頃、変わることなどなかった。
 彼は、自分の人生のすべてを変えた。変えてくれた。
 だから、

(―――だが、もし……)

 彼に託された、この国のために、

(もし、俺たちが戻らなかったら……)

 絶対に、

(……そのときは頼んだぞ)

 絶対に、

(―――俺とお前が愛した、この国の未来を)

「負けるわけにはいかないッッッッッ!」

 さらに加速するベルヴェリオ。
 全身の血が熱い。視界が赤く染まる。節々から鈍い音が連鎖する。
 その身はもはや限界を超えていた。
 それでもベルヴェリオは止まらない。
 止まらない。
 止まるわけにはいかない。
 たとえ血を吐き骨を砕こうと。
 その身が燃え尽きようと。
 ―――そして、

『ギ、ィッ!?』

 25回転目その一撃が、ついに竜翼の壁を剥がした。《黒竜騎》の防御を弾き飛ばした鉄棒が、その頭部に直撃する。

『ギ、ヒィッッ!』

 ベルヴェリオは回転の勢いまま踵を《黒竜騎》の頭部に落とし地に降り立つと鉄棒を抜きそのまま振り上げた。

『ブギィ、ッ!?』

《黒竜騎》の顎を捉えた一撃は相手を高々と打ち上げた。
 その体躯を一度、見上げ……右手に握り直した鉄棒を腰溜めに構えるベルヴェリオ。
 そして、満身創痍の小さな体を限界まで捻り、地が割れるほどの力を足に、腕に、その全身に込める。
 空に浮き、止まり、傾き、返り、落ちる《黒竜騎》。
 世界が、すべてが――――――静まり返った。
 ……そして、

「―――花、舞い散りしは、我が手にて摘みし時」

 ベルヴェリオが



「一輪」



 振り抜いた―――。

 その一撃は、もはや誰の目にも映らなかった。
 その場にいた全員が理解したのは、凄まじい轟音が弾け、颶風が吹き荒れ、砂塵が大山の如く噴き出した……その事実だけだった。
 いったい、なにが起こったのか。両者は、どうなったのか。
 場に立ち込める驚愕、緊張、そして不安。
 聖痕騎士団の面々は、ただただ我らが主を信じ、祈るように前だけを見ていた。
 ―――やがて、音が引いていく。
 景色が、晴れていく。
 淡い月光に照らし出される、煙の中を漂う薄い影。その朧げな輪郭は、次第に力を帯び、その存在を描き出す。

 ―――小さな、背中を。

「ッ! あん、の野郎……ッ!」

 最初に呟いたのは、カイル・クロフォードだった。……その言葉に宿る響きは、どこか熱を帯び、その口元には、薄っすらと笑みが浮かんでいた。
 ―――砂塵が、晴れた。
 目の前に広がるのは、荒れた大地。
 その遥か遠方に転がる影は―――頭を失った《黒竜騎》。
 そして、目の前には……彼らにとってなによりも大きな小さい背中が、燦然と輝いていた。

「やり、やがった……ッ! あの、野郎……ッ!」
「「「「「「「「う、うぉおおおぉおおぉぉおおぉぉぉぉッッッ!」」」」」」」」
 カイルが叫んだ瞬間、世界の果てまで届けと言わんばかりの巨大な勝鬨が鳴り響いた。
 千を超える騎士を投じてなお叶わなかった、《魔獣》討伐。
 その人類の宿願が今、一人の少女の手によって、ついに果たされた瞬間だった。
 ―――かつて石ころ以下と蔑まれた、少女の手で。

(……終わった、か)

 仲間たちが歓喜に湧く中、ベルヴェリオは一人、静かに天を見上げる。
 その横顔は、勝利の歓喜に浸るでも、安堵に緩むでもなく、ただただ静かに、空を見つめていた。

(……オーランド、見ているか?)

 心中を自然と過ぎったのは、今は亡き師に向けられた言葉だった。
 その時、右手に握っていた鉄棒……かつてオーランドから受け継いだ鉄棒が、
 ―――折れた。
 ベルヴェリオの問いかけに応えるように。
 自分はもう役目を終えたと告げるかのように。
 ―――眠りに、つくかのように。
 折れた鉄棒を拾い上げ、静かに見つめるベルヴェリオ。
 その横顔は、微笑んでいた。
 すべてを察したかのように、ベルヴェリオはその場に膝をつくと、2本に折れた鉄棒その両方をその場に突き刺した。……さながら墓標とするかのように。

「……さらばだ」

 ベルヴェリオはそれだけ言い残すと踵を返し、制帽と外套、そしてもう一本の鉄棒を拾い、仲間たちのもとへゆっくり戻った。

「……まさか、本当に一人でやっちまうとはな」「お疲れさまでした。すぐに治療します」
「ああ、すまない」

 カイルとラティウスが出迎え、すぐに救護班が駆け寄ってきた。
 仲間の治療を受けながら、一帯を見回すベルヴェリオ。戦場はなおもお祭り騒ぎだ。
 とはいえ、無理もないだろう。誰もが、いつかこの日が来ることを、なによりも強く待ち望んでいたのだから。

「団長、お疲れのところすみません。一ついいですか?」
「なんだ?」

 治療中、ラティウスが尋ねてきた。

「その……向こうの《魔獣》は、本当に大丈夫なんですか? 先ほど信頼できる人が止めているということでしたが……」
「あぁ、そのことか」
「そういや、そんなこと言ってたな。いったい誰のことだ? クローディアか? あいつでも勝てるとは思えねぇけど」
「いや、違う」
「んじゃ、誰だよ」

 ベルヴェリオは、笑顔で答えた。

「―――神様だ」
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