本編
同刻。
西の外壁から1キロメドルほどの平原でも、文字どおり死闘が繰り広げられていた。
「ちぃッッッ! このクソ野郎、速すぎるぞッ!」
黒い長剣を短剣が如く異常な速さで振り回して《黒竜騎》に対するは、カイル・クロフォード。その身と剣に纏いし碧い燐光―――《碧の祈り》によって、彼の速さはアヴリルほどではないが、文字どおり人外の域に達していた。
だが、それでも《黒竜騎》を捕らえることがまるで叶わない。
―――《黒竜騎》。
世界で初めて確認されたが故に《原初の魔獣》とも称される怪物は、体高わずか3メドル。ほかの《魔獣》と比べて驚くほど小柄な体躯は、しかし禍々しい2対4枚の竜翼を広げれば、まさに《魔獣》と呼ぶに相応しい異形へと変貌した。
(獣が得物を使うとかどういうことだ! しかもこいつクローディアより速ぇッ! 前の団長はマジでこんなやつの右腕を一人で潰しやがったのか……ッ!)
相手は左腕一本。それでも大木のように巨大な漆黒の槍を軽々と振り回し、聖痕騎士団最強の一角を容赦なく追い詰めていく。その圧倒的な力と速度、なにより獣とは思えない崩しや捌きを応用した高度な戦いぶりには、参集した騎士の誰もが驚きを隠せなかった。
カイルの攻勢はすべて捌かれる一方、《黒竜騎》の槍は次第に彼を捉え始め、制服を血で染め始めていた。
(ち、ぃッ! あの図体と得物なら懐に入りゃなんとかなるかと思ったが躱しきれねぇ! いったん距離を……―――ッ!?)
嵐の如く吹き荒れる《黒竜騎》の槍に堪らず大きく後方へ退いて距離を取るカイル。
だが、直後に《黒竜騎》は竜翼を広げ、槍を正面に構えると瞬時に加速。カイルめがけて体を回転させながら突進した。
(ッ! ふざ、けろ……ッ!)
両者の距離は一瞬で詰まり《黒竜騎》の槍が彼を捉え
「させないよ」
たかに見えた瞬間、カイルの目の前の地面から高さ数十メドルに及ぶ大樹が一瞬で出現。双方の間に割って入り、《黒竜騎》はその幹に突き刺さり停止した。
―――《神緑の奇跡》。この星の地中に眠る神樹クルムティアの力を借りる魔法。攻勢、拘束、防護、回復すべてに形に変える具象を持たない概念魔法だが、想像の構築が極めて困難なため、ラティウス以外に扱えた者がいない。
次いで2本3本と大樹が次々《黒竜騎》へ襲いかかり、その身は瞬く間に樹海の中へ呑みこまれた。その隙にカイルはすぐさまラティウスの横へ退避する。
「ありがとよ。助かった」
「でも長くはもたないよ。僕のマナにも限界がある」
ラティウスは次々と大樹を足しては樹海を広げていく。
「わかってる……と言いたいが、どうすりゃいいもんかね……」
「……まぁね。噂には聞いていたけど、まさかここまでとは、ね……。みんなには王都の防衛に専念してもらうだけで精一杯だし」
二人以外の仲間はいま《大地の杯》で王都の前に巨大な壁、雲にも届かんという巨大な壁をを築いていた。空を飛べる《黒竜騎》の侵入を許さないためだ。
(……時間をかけたら、押し切られて終わりだろうな。なら、体力もマナも残っているうちに決めるしかないが……)
それを許してくれる相手なら、そもそも苦労などしていない。
だが……やるしかない。
「―――なぁ。何秒なら完全に抑えられる?」
ラティウスに尋ねるカイル。
「……完全にとなると、かなり厳しいね。今あるマナを使い果たしていいなら……もって5秒から7秒ってところかな」
「5秒……」
カイルは考える。それだけあれば頭を潰せるか……最悪左腕を落とせれば、優勢にはできるだろうか。だが、相手はあの《原初の魔獣》だ。
しかし、動かなければならない。こうして一秒また一秒が過ぎるたび、勝機は遠退く。
決意を固めるかのように一度、大きく息を吐くカイル。そして、手にしていた長剣をおもむろに捨てると、静かに瞳を閉じた。
『―――your name wind. your name cutting and judgement edge. your name Ariel……』
詠唱の果て、その手に握ったのは―――《碧の剣》。
クローディアのものと同じ、一撃必殺の剣だ。
(……あの日以来だな。こいつを握るのは)
忘れかけていたその感触を確かめるように、カイルはその柄を何度か握り直す。
―――あの日。
カイルが聖痕騎士団の傭兵試験を受けた日。
そして、傭兵として初めての敗北を喫した、忘れ難い日だ……。
記憶のない幼少期から傭兵団に身を置いていた彼は、恵まれた肉体と天性の勘、そして常識を逸脱した戦い振りで常勝を誇り、世界でも指折りの実力者だという自負があった。そして、それは事実そうであった。
―――あの日までは。
(……貴方が傭兵王ゼフィール・シグマの忘れ形見、ですか)
試験官だったクローディア・シルベストリと対峙し、本気を出した彼は、生まれて初めて完敗を喫した。しかも、まったく同じ力である《碧》の魔法を持つ者に。
それは実力で完全に敗れたことを意味しており、彼にとってこの上ない屈辱だった。
以来、彼は聖痕騎士団へ入り、いつかこいつを超えてみせると鍛錬に明け暮れ、気がつけば彼女と同じ副団長にまで上り詰めた。
だが、認めたくはないが、その背中はいまだに遠い。
(あいつを超える地力をつけるために、あえて封印してきたが……まさか、こんな形で解放する日が来るとはな)
カイルは樹海に目を向ける。
―――その時、《黒竜騎》がその槍で大樹の壁を突き破り、再び彼らの前に姿を見せた。
「……次で決める。これが通らなきゃ、終わりだ」
「……わかった」
もう、後はない。二人は意を決する。
そして―――カイルと《黒竜騎》が動いた。
両者の距離が一瞬で詰まり、カイルの振り上げた剣と突き出された槍が衝突。押し負けたカイルが後方へ吹き飛ばされ《黒竜騎》が一気に距離を詰める。
「ちぃ、ッ!」
直後、カイルが腰溜めに構えた《碧の剣》から燐光が迸り
「ふッ!」
薙ぐと同時に放たれた剣閃が《黒竜騎》に襲いかかる。
「ッ!?」
だが相手はその槍で全てを断ち切る一撃を受け止めた。
(どんだけ化けモンなんだよ手前ぇッ!)
しかし完全には威力を殺し切れず、《黒竜騎》は大きく後方へ押し込まれ、立ち止まろうと踏ん張り―――動きが止まった。
「ラティウスッ!」
「わかってる!」
その隙をついてカイルが叫ぶより早く、ラティウスは詠唱を完了していた。彼が両の手を地についた直後、地を破った数多の巨大な蔓が《黒竜騎》めがけて加速し、その手足を拘束にかかる。
『ッ!』
それまで欠片も変化がなかった《黒竜騎》の表情が、初めて歪んだ。危機を察してか、すぐさまその場を離れて二人から距離を取る。
「逃がさないよ!」
すぐさま蔓を《黒竜騎》へ向けて走らせるラティウス。同時にカイルも加速し《黒竜騎》へ襲いかかる。
多頭の大蛇が如く凄まじい速さで空から《黒竜騎》へ迫る無数の蔓の動きは、文字通り縦横無尽。さすがの《黒竜騎》も読み切れないのか、避ける動きが大きくなりはじめた。
だが、カイルは蔓の動きを全て読み切り、正確に《黒竜騎》の隙をついていく。
《神緑の奇跡》の蔓の動きはあまりに複雑なため、並みの騎士どころか、クローディアやアヴリル、ミネルヴァでさえ完璧には把握できない。そのため、ラティウスが三人の誰かと組んで任務へ当たる時は《神緑の奇跡》を攻勢に使うことはまずない。相手を巻き込み、傷つけてしまう恐れがあるからだ。
ただ、カイルだけは、そのずば抜けた天性の勘と野性の獣めいた驚異の反射神経で、《神緑の奇跡》の動きを全て正確に見切れた。つまり、ラティウスが唯一、本気を出せるパートナーだった。
ラティウスが全方位から相手を追い詰め、生まれた隙をついてカイルが一撃のもとに仕留める。二人にしかできない、シンプルだが、だからこそ強力な戦術だった。
巧みに蔓の中に紛れて《黒竜騎》に迫るカイル。それまで押し込まれていたのが一転、今度は彼の剣が《黒竜騎》を押し始めた。
だが、決定的な一撃のタイミングが掴めない。
ラティウスのマナにも限界がある。この攻勢で決められなければ、敗北は必至だ。
その焦りから一撃を逸る気持ちを、カイルは必死に押し潰す。
落ち着け。
焦るな。
見極めろ。
好機は恵まれて一度。逃すわけにはいかない。
ラティウスが数多の蔓をさらに加速させる。神樹は大蛇の軍勢が荒れ狂うが如く大地を激しく蹂躙。
それでも《黒竜騎》は隙を見せない。恐るべき速さと巧みさで槍を操り、体を捌き、迫る蔓のすべてを嘲笑うかのように退ける。
―――だが、ラティウスは闇雲に攻めていたわけではなかった。
『ッ!?』
《黒竜騎》の動きが止まった。
見れば、その両足に蔓が巻きついていた。
ラティウスが蔓を空から降らせるようにしていたのは、空へ逃げるのを防ぐためだけではなかった。《黒竜騎》の意識を上に向けさせ、地面に注意を払わせないためだ。
「カイルッ!」
「分かってる!」
続けざま、カイルが駆け出すと同時に大地が激しく揺らぎ、《黒竜騎》の後方に巨大な大樹が一瞬で生える。
『グゥッ!』
さらに無数の蔓が《黒竜騎》の体に巻きつき大樹に縛りつける。
拘束、完了。
即ち―――最初にして、最後の好機。
(頼むぜ解くんじゃねぇぞッ!)
瞬間、カイルが《黒竜騎》の懐に入った。
そして、腰に構えた《碧の剣》を振り抜
『ガアアアァァァァァァァァァァァァッッッ!』
「ッ!?」
く寸前、《黒竜騎》が初めて吠えると同時に―――漆黒の炎の塊を吐いた。
炎の弾丸がカイルの目の前に着弾すると、大津波が如く禍々しい炎がすぐさま一帯に燃え広がり、大平原を瞬く間に焼き尽くす。
一帯が、瞬く間に焦土と化していく。
そして、大地を蹂躙する炎の中から、カイルの体が吹き飛ばされてきた。
「カイルッ!」
地に伏したカイルに咄嗟に駆け寄るラティウス。
その左半身は、肩から腕にかけて外套も制服も焼け落とされ、腕は触れれば崩れ落ちそうなほど黒く焼き尽くされていた。炎がカイルを呑み込む寸前、ラティウスがなけなしのマナを回して彼の前に大樹を出現させたため、なんとか直撃は免れたが、それでも瀕死の重傷に変わりはなかった。もはや戦える体ではない。
「ク、クソ、や……ろう……が…………ッ!」
それでも悪態を吐き、なおも立ち上がって闘志を剥き出しにするカイル。
それは勝利への執念ゆえか、敗北を許さない矜持ゆえか……。
だが、気迫だけで立ち向かえる生易しい相手ではない。もはや決着は明らかだった。
そして、《黒竜騎》に油断はなかった。
神樹の拘束を解くと、瞬時に羽を開いて加速。
一瞬で二人に接近し、容赦なく、槍を突き放った。
―――その一撃は、カイルを貫いた
西の外壁から1キロメドルほどの平原でも、文字どおり死闘が繰り広げられていた。
「ちぃッッッ! このクソ野郎、速すぎるぞッ!」
黒い長剣を短剣が如く異常な速さで振り回して《黒竜騎》に対するは、カイル・クロフォード。その身と剣に纏いし碧い燐光―――《碧の祈り》によって、彼の速さはアヴリルほどではないが、文字どおり人外の域に達していた。
だが、それでも《黒竜騎》を捕らえることがまるで叶わない。
―――《黒竜騎》。
世界で初めて確認されたが故に《原初の魔獣》とも称される怪物は、体高わずか3メドル。ほかの《魔獣》と比べて驚くほど小柄な体躯は、しかし禍々しい2対4枚の竜翼を広げれば、まさに《魔獣》と呼ぶに相応しい異形へと変貌した。
(獣が得物を使うとかどういうことだ! しかもこいつクローディアより速ぇッ! 前の団長はマジでこんなやつの右腕を一人で潰しやがったのか……ッ!)
相手は左腕一本。それでも大木のように巨大な漆黒の槍を軽々と振り回し、聖痕騎士団最強の一角を容赦なく追い詰めていく。その圧倒的な力と速度、なにより獣とは思えない崩しや捌きを応用した高度な戦いぶりには、参集した騎士の誰もが驚きを隠せなかった。
カイルの攻勢はすべて捌かれる一方、《黒竜騎》の槍は次第に彼を捉え始め、制服を血で染め始めていた。
(ち、ぃッ! あの図体と得物なら懐に入りゃなんとかなるかと思ったが躱しきれねぇ! いったん距離を……―――ッ!?)
嵐の如く吹き荒れる《黒竜騎》の槍に堪らず大きく後方へ退いて距離を取るカイル。
だが、直後に《黒竜騎》は竜翼を広げ、槍を正面に構えると瞬時に加速。カイルめがけて体を回転させながら突進した。
(ッ! ふざ、けろ……ッ!)
両者の距離は一瞬で詰まり《黒竜騎》の槍が彼を捉え
「させないよ」
たかに見えた瞬間、カイルの目の前の地面から高さ数十メドルに及ぶ大樹が一瞬で出現。双方の間に割って入り、《黒竜騎》はその幹に突き刺さり停止した。
―――《神緑の奇跡》。この星の地中に眠る神樹クルムティアの力を借りる魔法。攻勢、拘束、防護、回復すべてに形に変える具象を持たない概念魔法だが、想像の構築が極めて困難なため、ラティウス以外に扱えた者がいない。
次いで2本3本と大樹が次々《黒竜騎》へ襲いかかり、その身は瞬く間に樹海の中へ呑みこまれた。その隙にカイルはすぐさまラティウスの横へ退避する。
「ありがとよ。助かった」
「でも長くはもたないよ。僕のマナにも限界がある」
ラティウスは次々と大樹を足しては樹海を広げていく。
「わかってる……と言いたいが、どうすりゃいいもんかね……」
「……まぁね。噂には聞いていたけど、まさかここまでとは、ね……。みんなには王都の防衛に専念してもらうだけで精一杯だし」
二人以外の仲間はいま《大地の杯》で王都の前に巨大な壁、雲にも届かんという巨大な壁をを築いていた。空を飛べる《黒竜騎》の侵入を許さないためだ。
(……時間をかけたら、押し切られて終わりだろうな。なら、体力もマナも残っているうちに決めるしかないが……)
それを許してくれる相手なら、そもそも苦労などしていない。
だが……やるしかない。
「―――なぁ。何秒なら完全に抑えられる?」
ラティウスに尋ねるカイル。
「……完全にとなると、かなり厳しいね。今あるマナを使い果たしていいなら……もって5秒から7秒ってところかな」
「5秒……」
カイルは考える。それだけあれば頭を潰せるか……最悪左腕を落とせれば、優勢にはできるだろうか。だが、相手はあの《原初の魔獣》だ。
しかし、動かなければならない。こうして一秒また一秒が過ぎるたび、勝機は遠退く。
決意を固めるかのように一度、大きく息を吐くカイル。そして、手にしていた長剣をおもむろに捨てると、静かに瞳を閉じた。
『―――your name wind. your name cutting and judgement edge. your name Ariel……』
詠唱の果て、その手に握ったのは―――《碧の剣》。
クローディアのものと同じ、一撃必殺の剣だ。
(……あの日以来だな。こいつを握るのは)
忘れかけていたその感触を確かめるように、カイルはその柄を何度か握り直す。
―――あの日。
カイルが聖痕騎士団の傭兵試験を受けた日。
そして、傭兵として初めての敗北を喫した、忘れ難い日だ……。
記憶のない幼少期から傭兵団に身を置いていた彼は、恵まれた肉体と天性の勘、そして常識を逸脱した戦い振りで常勝を誇り、世界でも指折りの実力者だという自負があった。そして、それは事実そうであった。
―――あの日までは。
(……貴方が傭兵王ゼフィール・シグマの忘れ形見、ですか)
試験官だったクローディア・シルベストリと対峙し、本気を出した彼は、生まれて初めて完敗を喫した。しかも、まったく同じ力である《碧》の魔法を持つ者に。
それは実力で完全に敗れたことを意味しており、彼にとってこの上ない屈辱だった。
以来、彼は聖痕騎士団へ入り、いつかこいつを超えてみせると鍛錬に明け暮れ、気がつけば彼女と同じ副団長にまで上り詰めた。
だが、認めたくはないが、その背中はいまだに遠い。
(あいつを超える地力をつけるために、あえて封印してきたが……まさか、こんな形で解放する日が来るとはな)
カイルは樹海に目を向ける。
―――その時、《黒竜騎》がその槍で大樹の壁を突き破り、再び彼らの前に姿を見せた。
「……次で決める。これが通らなきゃ、終わりだ」
「……わかった」
もう、後はない。二人は意を決する。
そして―――カイルと《黒竜騎》が動いた。
両者の距離が一瞬で詰まり、カイルの振り上げた剣と突き出された槍が衝突。押し負けたカイルが後方へ吹き飛ばされ《黒竜騎》が一気に距離を詰める。
「ちぃ、ッ!」
直後、カイルが腰溜めに構えた《碧の剣》から燐光が迸り
「ふッ!」
薙ぐと同時に放たれた剣閃が《黒竜騎》に襲いかかる。
「ッ!?」
だが相手はその槍で全てを断ち切る一撃を受け止めた。
(どんだけ化けモンなんだよ手前ぇッ!)
しかし完全には威力を殺し切れず、《黒竜騎》は大きく後方へ押し込まれ、立ち止まろうと踏ん張り―――動きが止まった。
「ラティウスッ!」
「わかってる!」
その隙をついてカイルが叫ぶより早く、ラティウスは詠唱を完了していた。彼が両の手を地についた直後、地を破った数多の巨大な蔓が《黒竜騎》めがけて加速し、その手足を拘束にかかる。
『ッ!』
それまで欠片も変化がなかった《黒竜騎》の表情が、初めて歪んだ。危機を察してか、すぐさまその場を離れて二人から距離を取る。
「逃がさないよ!」
すぐさま蔓を《黒竜騎》へ向けて走らせるラティウス。同時にカイルも加速し《黒竜騎》へ襲いかかる。
多頭の大蛇が如く凄まじい速さで空から《黒竜騎》へ迫る無数の蔓の動きは、文字通り縦横無尽。さすがの《黒竜騎》も読み切れないのか、避ける動きが大きくなりはじめた。
だが、カイルは蔓の動きを全て読み切り、正確に《黒竜騎》の隙をついていく。
《神緑の奇跡》の蔓の動きはあまりに複雑なため、並みの騎士どころか、クローディアやアヴリル、ミネルヴァでさえ完璧には把握できない。そのため、ラティウスが三人の誰かと組んで任務へ当たる時は《神緑の奇跡》を攻勢に使うことはまずない。相手を巻き込み、傷つけてしまう恐れがあるからだ。
ただ、カイルだけは、そのずば抜けた天性の勘と野性の獣めいた驚異の反射神経で、《神緑の奇跡》の動きを全て正確に見切れた。つまり、ラティウスが唯一、本気を出せるパートナーだった。
ラティウスが全方位から相手を追い詰め、生まれた隙をついてカイルが一撃のもとに仕留める。二人にしかできない、シンプルだが、だからこそ強力な戦術だった。
巧みに蔓の中に紛れて《黒竜騎》に迫るカイル。それまで押し込まれていたのが一転、今度は彼の剣が《黒竜騎》を押し始めた。
だが、決定的な一撃のタイミングが掴めない。
ラティウスのマナにも限界がある。この攻勢で決められなければ、敗北は必至だ。
その焦りから一撃を逸る気持ちを、カイルは必死に押し潰す。
落ち着け。
焦るな。
見極めろ。
好機は恵まれて一度。逃すわけにはいかない。
ラティウスが数多の蔓をさらに加速させる。神樹は大蛇の軍勢が荒れ狂うが如く大地を激しく蹂躙。
それでも《黒竜騎》は隙を見せない。恐るべき速さと巧みさで槍を操り、体を捌き、迫る蔓のすべてを嘲笑うかのように退ける。
―――だが、ラティウスは闇雲に攻めていたわけではなかった。
『ッ!?』
《黒竜騎》の動きが止まった。
見れば、その両足に蔓が巻きついていた。
ラティウスが蔓を空から降らせるようにしていたのは、空へ逃げるのを防ぐためだけではなかった。《黒竜騎》の意識を上に向けさせ、地面に注意を払わせないためだ。
「カイルッ!」
「分かってる!」
続けざま、カイルが駆け出すと同時に大地が激しく揺らぎ、《黒竜騎》の後方に巨大な大樹が一瞬で生える。
『グゥッ!』
さらに無数の蔓が《黒竜騎》の体に巻きつき大樹に縛りつける。
拘束、完了。
即ち―――最初にして、最後の好機。
(頼むぜ解くんじゃねぇぞッ!)
瞬間、カイルが《黒竜騎》の懐に入った。
そして、腰に構えた《碧の剣》を振り抜
『ガアアアァァァァァァァァァァァァッッッ!』
「ッ!?」
く寸前、《黒竜騎》が初めて吠えると同時に―――漆黒の炎の塊を吐いた。
炎の弾丸がカイルの目の前に着弾すると、大津波が如く禍々しい炎がすぐさま一帯に燃え広がり、大平原を瞬く間に焼き尽くす。
一帯が、瞬く間に焦土と化していく。
そして、大地を蹂躙する炎の中から、カイルの体が吹き飛ばされてきた。
「カイルッ!」
地に伏したカイルに咄嗟に駆け寄るラティウス。
その左半身は、肩から腕にかけて外套も制服も焼け落とされ、腕は触れれば崩れ落ちそうなほど黒く焼き尽くされていた。炎がカイルを呑み込む寸前、ラティウスがなけなしのマナを回して彼の前に大樹を出現させたため、なんとか直撃は免れたが、それでも瀕死の重傷に変わりはなかった。もはや戦える体ではない。
「ク、クソ、や……ろう……が…………ッ!」
それでも悪態を吐き、なおも立ち上がって闘志を剥き出しにするカイル。
それは勝利への執念ゆえか、敗北を許さない矜持ゆえか……。
だが、気迫だけで立ち向かえる生易しい相手ではない。もはや決着は明らかだった。
そして、《黒竜騎》に油断はなかった。
神樹の拘束を解くと、瞬時に羽を開いて加速。
一瞬で二人に接近し、容赦なく、槍を突き放った。
―――その一撃は、カイルを貫いた