本編

 ―――王都の東。外壁から1キロメドルほどの地点。
 見果てぬ大草原を前に、総勢400名を超える聖痕騎士団員たちが陣を敷いていた。前衛に防護魔法に長けた者たちが並び、その後ろに束縛魔法など支援に優れる者たちと、火力に優れる攻勢魔法を操る者たちが集まっている。
 そして一同の前、最前線に2人の騎士の姿があった。制帽をかぶり、副団長の外套を羽織った2人の少女だ。

「いやー。まさか、こんな日が来るなんてねー」
「……先輩。少しは気を引き締めてください。どういう状況か分かってますよね?」

 数百年を超える国の歴史において、間違いなく最悪の危機を前にしてもなお、いつもどおりの緩い雰囲気を崩さないアヴリル。そして、そんな彼女に、いつもの冗談めかしたものとは違う心底からの苦言を呈するミネルヴァだ。

「いやいやミーちゃん。こんな時だからこそ、いつもどおりじゃないと。下手に気負いすぎると戦えなくなっちゃうよ?」
「……はぁ、もういいです。まぁ言いたいことも分かりますし」

 二人の会話は、そこで途切れた。普段のアヴリルなら、ここからいくらでも軽口をつなげるはずだが、やはり少なからず緊張があるのだろう。その視線は《魔獣》が潜むと思われる西の果てに結ばれたまま微動だにしない。

「……向こうは大丈夫でしょうか」

 普段は勝ち気なミネルヴァの口調も、今に限っては重い。彼女が仲間の心配を口にするなどまずないことだ。

「カイルとラティさんの二人で倒せなかった相手なんて、姫様くらいだけどねー。少なくともラティさんがいれば、負けることはないと思うけど」

 ラティウスは知的な優男といった風貌からは想像できないほど、大陸中を見ても稀有なほど防護魔法に長けた逸材だ。負けない戦いをやらせれば、彼の右に出る者はいない。

「……でも、ほんとクロちゃん、どこいったんだろ?」

 アヴリルの言葉に、ミネルヴァの瞼がぴくりと動く。
 王都が危機的状況にもかかわらず、二人は避難誘導の最中からクローディアの姿を見ていなかった。だが、敵前逃亡などという不義理を働く彼女ではない。となると、おそらく姿を見せられない理由がなにかあるのだろう。

「……今に至るまで、結局なにも連絡なかったですね」

 クローディアが予期せぬ行動を取るなら、それは良からぬ事態に巻き込まれたとしか考えられない。
 だが、今は信じるしかない。必ず無事でいてくれると。

「まぁ、心配はしてないけどね。今度一緒にノルじぃのパン屋に行くって約束したし」
「……のるじぃのパン屋?」
「そうそう。噴水広場にある有名なパン屋。行ったことないの?」
「あいにく、買い食いはしない主義なので」
「えー、もったいないよ! 人生、損してるよ!」
「い、いいじゃないですか、べつに私の勝手で……」
「よし! じゃあこれが終わったらミーちゃんもいっしょにパン屋いくよ! ノルじぃの気まぐれパンを全種類ちゃんと食べるまで帰さないよ!」
「な、なんですか、それ……」
「とにかく約束だよ! ミーちゃんはあたしとクロちゃんとパン屋に行く! はいこれは決定事項です! 先輩命令です!」
「…………はぁ。わかりましたよ、付き合えばいいんでしょ、付き合えば……」
「そうそう、分かればいいのです!」

 満面笑顔のアヴリルに、渋々といった風だが満更でもなさそうなミネルヴァ。
 ―――その時だった。

「……ッ!」

 ミネルヴァの表情が、一気に険しくなった。

「どしたの?」

 その変化を敏感に察したアヴリル。

「……来ます」

 そう告げるとミネルヴァは右手を持ち上げ、静かに素早く詠唱を呟く。彼女の言葉に呼応して蒼色の燐光が彼女を守るようにその周りを奔り、やがて一振りの剣を成した。―――《蒼の流刃》。清流を固めたような美しく透き通る鋭い刃だ。

「あー、来ちゃったかぁ……。やるしかないねー」

 アヴリルも一転、らしくない引き締まった表情へ変わり、詠唱を唱える。直後、硝子が割れるような音とともに虚空がひび割れ、一振りの武具が降りてきた。激しく迸る雷を纏いし白銀の槌―――《雷の神槌》。アヴリルの身の丈の倍はある、斧槍を思わせる巨大な槌だ。
 その他の騎士たちも、各々の武装をまとい、一斉に臨戦態勢に入った。
 ―――息を呑む音さえ聞こえそうな静寂が、広がる。
 高まる緊張。不安。そして……恐怖。
 一帯に立ちこめる、身も心も押し潰されそうなほどの不穏な空気。
 そして、ひりつく大気が震える中……それは、ついに姿を現した。
 東の彼方の地平線、その下から陽が昇るように出現した黒い影。禍々しい一角と、8本の足という異形を宿した巨大な狂獣。

「……前衛は守護、中衛と後衛は《魔獣》の牽制に集中。あとは私たちがやります」

 ミネルヴァが全員に指示すると、前衛は一斉に防護魔法を発動。―――《大地の杯》。轟音とともに大地が次々と隆起し、外壁を遥かに超える巨大な障壁を何枚も成した。
 その音で《魔獣》もアヴリルたちに気づいたのか、ぴたりと歩みを止め……そして、

『―――オォオォォォォオオォォォォオォオォォオオォオオォォオッッッッッッッ!』

 天を穿つような咆哮を打ち上げると、その八肢と一角が突如、爆発。美しくも禍々しい蒼い炎が弾け《魔獣》の身に宿る。
 光に乏しい月夜の中、それまで黒い塊に過ぎなかった《魔獣》の姿が、蒼炎に照らされてアヴリルたちの目に届く。
 恐怖を覚えるほどの巨躯。恐ろしいほど漆黒の体躯。見る者を射殺すかのような蒼く禍々しい瞳。そして、怒りに戦慄くように巨大な吐息を漏らす歪んだ口。遥か遠くに見えるにも関わらず、その唸りは耳元で聞こえるかのように重く大気を震わす。
 両者の距離が、詰まる。
 ミネルヴァが、祈りを込めるように瞳を閉じて、《蒼の流刃》を構えた。

「……先輩、私がなんとか隙をつくります。できれば一撃で決めてください」
「……気をつけるんだよ」

 アヴリルの一言に、ミネルヴァの瞳が開かれる。……そして、

「―――行きます」

 ついにミネルヴァが動いた。その身を一陣の突風と成し《魔獣》めがけて恐るべき速さで接近する。

「みんな! 頼んだよ!」

 続けてアヴリルも加速。同時に後ろの騎士団員たちが一斉に拘束魔法《光の茨》で《魔獣》を拘束にかかる。天より降り注ぐ幾百幾千の輝く茨が《魔獣》の八肢、胴体、首、そして一角を縛りにかかった。

『オォォォォオォオォ!』

 途端、拘束を振り払おうと《魔獣》が激しく暴れ出した。直後、百人を超える精鋭による同時拘束がいとも容易く次々と引き剥がされていく。

(ちょっと! 反則すぎるって!)

 それでも団員たちは限界を超えて《光の茨》を重ね《魔獣》の動きを封じにかかる。直後ミネルヴァがついに《魔獣》に接敵。拘束を嫌がる隙をつき、その右前足の一本に刃を放った。

『ゴオォォオォォォッ!?』

 悲鳴のような雄叫び。だがその一撃はわずかな傷をつけただけで終わった。

(ミーちゃんの剣でもあの程度なんて……っ!)

 ミネルヴァの《蒼の流刃》はディライト鉱石をも容赦なく断つほどに速く鋭い。それでも小さな切り傷が限界ならほとんどの武器は通用しないだろう。

『オオオオォォォッ!』

《魔獣》は切りつけられた足を持ち上げ地面めがけて振り下ろす。ミネルヴァはすぐに後退して大きく距離を取った。直後《魔獣》の足が地面を撃ち抜き爆散。蒼い爆炎と凄まじい爆風が一帯に吹き荒れる。
 ミネルヴァがちらりとアヴリルを見た。それだけで彼女の意を解したアヴリルは(なるほどね!)直後に接敵。

「どっせいッッッ!」

 片手で軽々と槌を振り上げると走力の勢いそのまま《魔獣》の左前足の一本めがけて豪快に振り抜いた。

『グルゥゥゥゥゥッ!?』

 叩きこまれた一撃が先の爆音にも匹敵する凄まじい轟音を打ち鳴らす。

「ッッッ!」

 同時に《魔獣》がアヴリルを払おうと左前足を振り上げた。巨体に似合わない恐ろしい速さに面食らうも咄嗟に横へ飛び退いて躱すアヴリル。
 直後、粉塵の中からミネルヴァが飛び出し上空へ跳躍。《魔獣》の背中に降り立ち頭部めざして駆け上がる。

『グルゥウゥゥゥウゥゥ!』

 彼女が鬱陶しいのか怒るように唸る《魔獣》。

「こっちだよッッッ!」

 だがアヴリルが槌を豪快に振りかぶり《魔獣》のもう一本の右前足に一撃を叩きこんで気を引いた。

「ッッッ!?」

 直後《魔獣》が口を大きく開ける。

『オオォォオオォォッ!』

 吐き出された蒼い炎の塊が一瞬でアヴリルがいた場所に着弾し巨大な爆発が上がった。

「先輩ッ!」

 ミネルヴァの声が聞こえた。

「だ、大丈夫っ!」

 咄嗟に前へ転がり《魔獣》の体の下に入って躱したアヴリルはすぐさまその場から退避。

「こ、んのぉっ!」

 同時に左後ろ足の一本を払うように槌を豪快に振るう。

『オオォォッ!』

 だがやはり《魔獣》は微動だにしない。
 直後ミネルヴァが《魔獣》の首を駆け上がる。そして剥き出しの巨大な右眼めがけて跳躍。

「ここならどう!」

 腰だめに構えた刃を一閃、振り抜いた。

『グルゥウゥゥオォオォォォオォォ!』

 絶叫にも似た雄叫び。いかな《魔獣》といえど、さすがに眼球は弱点だったようだ。

(いける! これならッ!)

 ―――だが、そんなアヴリルの希望は一瞬で打ち砕かれた。

『オオォオォオォォッッ!』

《魔獣》は激痛に揺らぐことなく、その一角をミネルヴァめがけて振り回した。

「危ないッ!」

 だがアヴリルの警告も虚しく、宙で完全に無防備だったミネルヴァは防御を取る間もなく横っ腹に一撃を受け容赦なく吹き飛ばされた。

「ミーちゃん!」

 彼方の地面に叩きつけられるミネルヴァ。遠方で巨大な粉塵が轟々と吹き上がる。

『オォオォオオオオォォッッ!』

 だが《魔獣》は止まらない。気合めいた咆哮に八肢と一角の蒼炎が盛大に爆発。さらに火勢が増し一帯を真昼のように照らし出す。同時にその身を蒼炎が包むと、与えた傷が見る見る塞がっていった。

(ちょっ!?)

 アヴリルの動揺をよそに続けざま《魔獣》は一気に加速。その巨体からは想像できない恐るべき速さで仲間が張った魔法防壁《大地の杯》に突進。巨大な土壁の一角がただその一撃を以て容易く粉砕された。

「きゃあぁあぁぁああぁッ!」「さ、さがれぇええぇッ!」

 大量の瓦礫が仲間たちに降り注ぎ数多の絶叫が轟く。続けざま《魔獣》が次々と蒼炎の塊を吐き出した。

「ぎゃぁああぁあぁあッッッ!」「ひぎぃいいぃいッッッ!?」

 騎士たちが次々と蒼く輝くように燃えていく。いかに精強たる大陸屈指の聖痕騎士団といえど、人智を超越した《魔獣》の前では赤子同然だった。

「……こ、んのぉぉおぉおぉッッッ!」

 アヴリルはすぐさま《魔獣》を追い、同時に大量のマナを槌に込める。
 直後―――
 その身に雷が落ちた。
 同時にアヴリルの速度が一気に跳ね上がる。その速さだけで大地を容赦なく抉るほど、凄まじい領域まで。
 ―――かつて、傲った人類を裁くために地を裂き海を割ったと伝わる、雷神カンナカムイの雷をその身に宿す魔法。神の雷を纏った体は、ほんのわずかな時間だが、人類を遥かに超越した速さと力を与えられる。その威力はあまりに凄まじく、世界でただ一人、本気のベルヴェリオの鉄棒を叩き折るという偉業を成したほどだ。
 その魔法は、全ての魔法の中でただ一つ、名に《象徴》も《形相》も持たない。
 それは、神の力をその身に宿す魔法。
 すなわち、その雷は、神そのもの。
 名を、

「―――《降雷ふるいかずち》!」

 纏った雷が吠えるように雷鳴を放つ。
 同時にアヴリルの速さが極限まで跳ね上がる。その姿を捉えることはもはや叶わない。
 だが、あまりに強大な神の雷を人類が代償もなくその身に宿せるわけもない。

「ギィ、ッィッッッ!?」

 さながら身に余る所業に神が怒り狂うかのように、纏った雷は体中の組織を容赦なく破壊していく。その激痛は想像を絶しており、今のイングリッドにおいては、ベルヴェリオに匹敵するほど強靭な体を持つアヴリル以外に扱える者がいない。
 だが、アヴリルは迷わない。駆け巡る激痛を鬼の形相で食い縛り、千里を翔けるほどの雷鳴とともに、その右腕を一陣の雷光と成し《魔獣》に立ち向かう。
 その身、砕けようとも、この国を守るために。
 ―――友が身を捧げたこの国を、守るために。

(……まだ、寝ないの?)(うん。もう少しだけ)
(……こんな早くに、どっか行くの?)(うん。ちょっと)

 彼女は、いつも自分より遅くまで勉強し、自分より早く起きて鍛錬に出かけていた。雨の日も、自分に試験勉強を教えてくれた日や、自主的な特訓に付き合ってくれた日も。
 アヴリルは、早くから自覚していた。自分は凡人だと。
 クローディアやカイルのような卓越した才能はない。ミネルヴァやラティウスのように優秀でもない。
 どこにでもいる、なんの変哲もない凡人だと。
 だから、自分が騎士団に入れたのは、クローディアが毎日、勉強や特訓に付き合ってくれたおかげだった。少なからず無理をして、自分の時間を削ってまで。
 一度、なぜそこまでしてくれるのか、理由を聞いたことがある。
 答えは意外なものだった。

(……友達、いなかったから)

 訓練校へ入学後、すぐに頭角を現したクローディアは、それ故に敵が多かった。また、当時は今と違って引っ込み思案な子だったため、校内で浮きがちだった。
 そんな彼女を、お節介なアヴリルは事あるごとに昼食や遊びに誘って振り回した。時には強引に授業をサボらせて。
 当時は純粋に世話焼きの性分が疼いただけだった。だが、今にして思えば、それは自分の居場所を必死になって作ろうとする無意識のエゴに過ぎなかった。
 ―――アヴリルもまた、その突飛かつ場違いな言動で、周りから浮いていたから。
 だから、いつも孤独だった。その重さに耐え切れず、一人隠れて涙を流すくらいには。
 だから、誰かに必要とされたかった。馬鹿にされるといった歪んだ形でもいいからと切実に望むくらいには。
 居場所が欲しかった。
 友達が、欲しかった。
 だから、クローディアに近づいた。同じ傷を持つ彼女なら、きっと友達になれるという打算的な気持ちで。
 正直、勉強や特訓の面倒を見てくれると言われたときは、最初は鬱陶しいとさえ思った。そこまでされることは望んでいなかったから。
 だが、付き合わないと彼女も離れてしまう。だから仕方なく付き合っていた。
 そのくらい、最初のアヴリルにとって、クローディアとの付き合いは打算に塗れていた。
 そんな自分を、彼女は友達と言ってくれた。
 少し照れくさそうに。
 でも、嬉しそうに。
 そんな彼女の不器用な笑顔を前にしたとき、アヴリルは己を恥じた。それまでの自分のすべてを恥じた。
 ―――そして、誓った。
 この子にもらったものを、いつかちゃんと返そう。将来、居場所、そして……かけがえのない親友。自分がもらった、この身に余るほど大切なものと、同じだけのものを。
 いつまでかかるかわからないけど。
 たとえ、その身が朽ちるまでかかろうとも。
 それが、彼女が生きる意味―――。

(半端な傷は回復される、なら頭を潰すッ!)

 ミネルヴァ同様、大きく跳躍して《魔獣》の背中に乗りそのまま疾走。頭部めがけて再び跳躍すると「あぁああぁあああぁああぁあぁああああッッッ!」野獣の吠え声めいた一喝とともに両手で握った槌を大きく後ろへ振りかぶり《魔獣》の頭部めがけて振り下ろした。
 その一撃はあまりにも速く、重く、《魔獣》は雄叫びを上げる間もなく、その頭部は急降下するが如く地面に豪快にめり込んだ。

「まだまだぁあああぁあぁッッッ!」

 だがこの程度で終わるはずがない。そう確信していた宙のアヴリルは好機を逃すまいと再び大きく槌を振りかぶり落下の速度を乗せて《魔獣》の頭部へ追撃を振り下ろす。

『グブッゥッッッ!』

 危機を察してか《魔獣》が咄嗟に立ち上がり、巨体からは想像できない速さでその場から離脱。紙一重のタイミングで躱されたアヴリルの一撃は地面へ叩き込まれ、巨人でも降り立ったかのように大地が震撼。地の果てまで届かんというほどの激震が世界に轟く。

「逃がすかぁッ!」

 だが、距離を取った《魔獣》の背後にアヴリルが一瞬で回り込み、すぐさまその右後ろ足の一本に雷槌を振り抜いた。

『ゴォオォォッ!?』

《魔獣》の尻が落ちる。同時にアヴリルは再びその体躯へ飛び乗り頭部をめざす。

「ギィ、ィィッッッ!?」

 途端、奔るアヴリルの顔に苦悶が過る。
 左手首の骨が、逝った。
《降雷》に伴う激痛は、耐えられて1分。すでに全身の骨や内臓が悲鳴を上げており、至るところが壊れかけている。
 凡人が超人をも超える力を手にする代償は、あまりにも大きい。大気をも裂く雷鳴に紛れ、次々と嫌な音が確かに聞こえてくる。
 左手首に続いて右胸骨、左足親指、右手小指、左膝が逝った。
 視界が赤く染まりはじめた。焦点も安定しない。もはやまともに相手が見えない。
 一歩また一歩と駆けるたび、体が端から容赦なく崩壊していく。
 限界が近い。

「ィ、ぎィ…ッ…ィ、っ、ぃ、ぃぁあぁああぁアアァアァッッッ!」

 それでも、アヴリルは奔る。
 骨を砕き、内臓を潰し、肉が千切れ、血を吐こうとも。
 友のために、文字通り命を賭して手に入れた、この力とともに―――。
 再び頭部に到達すると、勢いまま雷槌を振り下ろすアヴリル。

『グブゥッ!?』

 その一撃は雷鳴とともに《魔獣》の頭部を撃ち抜いた。
 宙に放り出されたアヴリルは、鬼の形相とともに全身のマナ全てを雷槌に込める。
 巨龍が咆哮するかのごとく、雷槌が叫んだ。
 同時に左腕と左足が完全に逝った。次いで右膝。両手指すべて。左胸骨。
 直後、頭が内から食い破られそうなほどの激痛に襲われ、左目は血涙に覆われ完全に見えなくなった。同時にその口から大量の血が吐き出される。限界が迫っていた。
 これが、文字通り最後の一撃。

(これで終わらせるッッッ!)

 その身を降る雷と化し、地に伏した《魔獣》の頭部めがけて、雷槌を振り下ろした。
 ―――《魔獣》の頭部ごと、大地が爆ぜ、世界が揺れた。
 王都を覆い隠さんとするほど巨大な粉塵が巻き起こる。一帯は完全に砂景色となり、騎士たちはその場にしゃがみこんで、ただやり過ごすしかなかった。
 ―――視界が晴れるまでに、誰にとっても永遠に等しい時間が流れる。
 それは、決着を望む、あるいは恐れる騎士たちの内面を代弁していた。
 やがて……砂が、去った。
 その時、騎士たちが目にしたのは、前のめりに大地に倒れているアヴリルの姿。
 そして―――地に伏し、微動だにしない《魔獣》の姿だった。

「……お、おい」「や、やったの……か?」「副団長が……勝っ、た?」

 あまりにも信じ難い光景だったためか、歓喜は広がらず、かわりに驚愕が騎士たちの心に込み上げる。
 それは当のアヴリルも同じだった。
 いま、自分の前には、確かに《魔獣》が倒れている。
 まるで動かず、その瞳を閉じたまま。
 かつて、世界が千を超える騎士を投じても果たせなかった《魔獣》討伐。まさかそれを自分が成し遂げたなどとは、倒れ伏した《魔獣》を前にしてもなお、信じられなかった。

「や、やったんだよ! 副団長が勝ったんだ!」

 誰かが、言った。

「そ、そうだよ! 勝ったんだよ俺たち!」「《魔獣》を倒したんだ!」
「「「「「おぉおおぉおぉおぉおおぉおぉぉおおおッッッッッ!」」」」」

 そして、その一点から歓喜の輪が広がり出し、やがてそれは大きな勝鬨となった。

(は、ははは……ホントに終わったんだ)

 仲間の声に、アヴリルもようやく実感が湧いてきた。
 こっちはこれで終わった。そして1体いなくなれば、ベルヴェリオが動ける。彼女なら、たとえ相手が《黒竜騎》でも、きっと勝てるはずだ。自分が勝てたのだから……。
 自分の名を呼ぶ、明るい声が近づいてくる。おそらく救護班が近づいてきているのだろう。もはや全身が壊れ尽くしたアヴリルは、首を回すこともできなかった。
 とりあえず、あとのことは仲間に任せよう。《黒竜騎》も退けたら、また平和な毎日だ。さっそく次の休みには、クローディアとミネルヴァを引っ張り回して



「全員いますぐ《魔獣》から離れなさいッッッ!」



 ミネルヴァの声が聞こえたのは、そんな夢想に耽っていた時だった。
 同時に、アヴリルの体は誰かに抱えられ、その場から引き離された。
 直後、なにやら巨大な爆発音が轟いたのを彼女は聞いた。
 なんだ? いったいなにが起こった?
 やがてアヴリルを抱える誰かは止まり、彼女の体をゆっくり地面に下ろす。
 真紅に染まり果てた視界を必死に開いて、アヴリルはその人物の姿を確認した。
 ミネルヴァだった。

「み、ミー……ちゃん?」

 だが、その顔は普段の凛とした彼女のものではなかった。なにかを必死に堪えるように息を荒げており、深手を負っているのが一目で分かった。

「す、すみません……かなり乱暴に、運んでしまい……ごふぅッ!」

 途中まで言いかけたミネルヴァが突如、口元を押さえて血を吐いた。

「ミーちゃん!?」

 激痛も顧みず、咄嗟に叫ぶアヴリル。同時に視界の端を真っ赤な何かが霞めた。

「―――ッ! そ、その傷……ッ!」

 ミネルヴァの左脇腹。そこには、制服の左半分を鮮血に染めるほどの出血の痕があった。一目で致命傷と分かる出血量だ。すぐに治療しなければ、間違いなく死に至る。

「……に……逃げる直前に、一撃、もらって…………おな、か……えぐ、られ……」

 ミネルヴァは激痛に膝を、次いで両手をつき、再び血を吐いて地面に倒れ込んだ。もはや瞳を開けることも叶わず、その生命は風前の灯だ。

「きゅ、救護! 誰か急いでッ!」

 激痛を堪えて身を起こし、力の限り叫ぶアヴリル。
 すぐに近くの騎士四人が駆けつけ、二人は《大地の杯》を張り、二人がアヴリルとミネルヴァの治療を開始した。
 ―――しかし、そんなアヴリルたちを嘲笑うかのように、神は非情の賽を振るう。

「ッ!?」

 巨獣が一歩、また一歩と歩むように、なにかが大地を震わす。
 反射的に、なんとか後方を振り返るアヴリル。
 音は、轟々と渦巻く粉塵の中から聞こえた。
 ……もはや、考えるまでもなかった。
 舞い散る噴煙の壁。―――その向こうから、蒼き炎を全身に滾らせた忌まわしき《魔獣》が悠々と歩み出てきた。

「こ、んの、ッ……ッ!」

 仲間の治療を無視し、激痛を押して本能的に立ち上がろうとするアヴリル。が、

「ぎ、ぃ……っ!」

 満身創痍の体は、そのまま地面に倒れ込んだ。
 ―――万事が、休した。

『オォオォォオオォォォオオォォォオォッッッ!』

 アヴリルの不様な姿に勝利を確信したのか、天に向かって高々と咆哮する《魔獣》。さながら勝鬨のように。
 そして、その猛りを解放するが如く巨大な口を開き―――蒼炎の塊が今、アヴリルたちめがけて吐き出された。

(くっ……っ、そ、ぉ……ッッッ!)

 炎は―――すべてを蹂躙した
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