本編

 王立魔道研究所を訪れた後、いくつか所用を済ませたクローディアは、帰宅の途中で西側の外壁へ向かった。カマエル神の魔法について調べるためだ。本来なら王立魔道研究所の研究員に尋ねるのだが、今は《魔獣》の研究を優先してもらわなければならない。
 王都マルドゥークは《原初の魔獣》が出現して以降、高さ40メドルに及ぶディライト鉱石製の壁で町を囲っている。万が一《魔獣》に攻め込まれた時の対策だ。だが、壁だけでは不十分なため、壁の上では防護魔法に長けた総勢200名近い聖痕騎士団員が《光の壁》を重ねて王都を守っている。
 壁の上に着くと、ちょうど交替の時間のため、各配置の人員が引き継ぎ中だった。壁の警備役は常に魔法を使用するため、一人あたり2時間の輪番制で回っている。

「お疲れさま。特になにもなさそう?」

 ちょうど引き継ぎ中だった男女に声をかけるクローディア。

「クローディア様」「どうしたんですか、こんな時間に」
「姫様から事件の調査を頼まれていて、ちょっと相談したいことがあるの」

 クローディアは、2人にカマエル神の魔法について尋ねる。外壁で任務にあたっている者は皆、カマエル神の魔法に詳しい。

「壁をすりぬける魔法……ですか。神カマエルの系統にそうした魔法があるって話は、少なくとも僕は聞いたことないですけど……ニーナ、なんか知ってる?」
「うーん……似たようなやつだと《光の影》とか?」
「でも、あれは自分の変わり身を作る魔法だろ?」
「変わり身は壁をすりぬけられるから、実はそっちが事件を起こしたとか」
「変わり身は術者と視界を共有してないだろ。中の様子は、どうやって確認するんだ?」
「だよねぇ。それ以外だと……《光の道》とか?」
「《光の道》? そんなのあったか?」
「ついこのあいだ見つかったばかりで、まだほとんど知られてないけど、光の筒みたいのを作って道とする魔法よ。途中の障害物をいっさい無視できるから、最短距離で目的地まで行けるし、空の上も歩ける。―――研究会サボってたのがバレたね、リト?」
「ほ、ほっとけ!」
「光の道……あまり想像つかないわね。ニーナは使えるの?」
「あ、はい。まだそこまで長い道は作れませんけど」

 答えたニーナは近くにあった監視塔まで近づくと、その壁に向かって詠唱を口ずさむ。すぐに彼女の目の前を黄色の光が渦を巻くように舞い始め、円筒のような形状を成した。筒は徐々に伸びていき、やがて監視塔の壁に達すると、そのまま掘り進むように穴を空けていった。

「ちょ、ちょっと! 大丈夫なの!?」

 たまらず叫ぶクローディア。だが、ニーナは涼しい顔だ。

「大丈夫ですよ。穴が空いてるように見えますけど、実際には事象の存在を一時的に透過してるイメージです。でも、ちゃんと通ることもできますよ」

 ニーナは《光の道》に足をかけ、筒の中に立つと、監視塔に向かって歩いていく。どうやら本当に歩けるようだ。
 この魔法なら確かに音もなく建物に侵入できるだろう。そうであれば犯人は、やはりカマエル神の魔法の使い手で、一部の者しか知らない最新の魔法事情を把握している者となる。該当する人物の洗い出しには難儀するだろうが、尻尾さえ掴んでしまえば、その人物が犯人の可能性が高いだろう。早速この情報をライザとアルに共有して……
 そうクローディアが考え込んでいると、

「いたっ!?」

 ニーナの小さな悲鳴が、彼女の思考を遮った。
 声のしたほうへ反射的に視線を向けるクローディア。するとニーナが地面に転がっていた。後頭部を押さえて震えながら「ぐぅぅぅぅぅ……ッ!」と悶えている。

「ちょ、ちょっと大丈夫!?」
「だ、だいじょうぶです……いててて」
「でもどうしたの? 急に魔法を解いて」
「い、いえ、解いたつもりないんですけど、なんか急に消えちゃって……」
「どうせ、途中で気を抜いたんだろ」
「あんたみたいに鈍臭くないんだから、そんなことないに決まってるでしょ」
「なんだとぉ!」
「なによ!」

 途端に言い争いを始める二人。
 クローディアは慌ててなだめようと近寄る……が、

「―――?」

 ……にわかに一帯が、騒がしくなり始めた。
 なんだろうか。クローディアは周りを見渡す。
 なにやら外壁の方々が、ざわついていた。かなり慌てた様子だ。
 話を聞いてみようか。そう思ったクローディアだったが、その必要はなかった。彼女の存在に気づいた騎士たちが、急いで駆け寄ってきたからだ。

「ク、クローディア様! 大変です!」
「ど、どうしたの? さっきからずいぶん慌てているようだけど」

 あまりに血相を変えて近づいてきた騎士たちに、思わず身を引くクローディア。事ここに至っても、彼女には彼らがなにを焦っているのか皆目検討もつかなかった。
 ―――だが。
 なんとか息を整えた相手が、次に呟いた言葉に、彼女は耳を疑うしかなかった。



「ま、魔法が使えなくなってるんですッ!」



「……………………え?」

 クローディアの口から反射的に零れたのは、空気が漏れるような間の抜けた声だった。
 魔法が使えなくなった? いったいなにを言っているのか、意味が分からなかった。

「ちょ、ちょっと待って。いったいどういうこと?」
「わ、わかりません、でもみんな急に《壁》が消えたって……詠唱し直しても、まったく発動しないんです!」
「……え?」

 思わぬ報告に言葉を失うクローディア。だが、いつまでも呆けているわけにはいかない。
 すぐに外壁の縁から身を乗り出して様子を確認する。はたして外壁は剥き出しで、それまで重ねて張られていたはずの《光の壁》は、欠片も存在しなかった。

(な、なんで……)

 状況がわからず茫然と立ち尽くすクローディア。
 だが、事態は彼女に考える時間を与えてはくれなかった。

「先輩ッ!」

 直後、壁の上にライザがやって来た。

「ラ、ライザ、どうしたの?」
「例の事件の犯人が現れました! いまみんなが追ってます!」
「ッ!?」

 ライザの言葉にクローディアが瞳を大きく見開く。これまで影すら踏めなかった連続殺人の犯人、その尻尾を掴んだというのだ。
 一気に多くのことが起こりすぎて対処が追いつかないが、少なくともようやく犯人を見つけたこの機を逃すわけにはいかない。外壁を覆っていた《光の壁》がいきなり消失した理由は気になるが、そちらは二人に任せることに決める。

「―――リト、ニーナ。魔法の消失の件は、すぐに姫様に相談して指示を仰いで。それまでは目視で周辺の警戒と、あとほかにも同じように使えなくなっている魔法がないか、できる範囲でいいから調べて」
「は、はい!」「わ、わかりました!」
「ライザ! 行くわよ!」「はい!」

 クローディアはライザとともにすぐさま外壁を離れ、彼女の先導で建物の屋根を渡りながら犯人を追跡する。
 道中でライザに経緯を聞いたところ、3人目の被害者が出てしまったが、たまたまその現場付近を見回っていた仲間が犯人を目撃したらしい。直後、犯人は逃走。現在、手の空いた人員を総動員して追跡中とのことだ。
 二人は王都の中心部へ向かい、そこにいた中継役の騎士団員と合流。いわく犯人は黒い襤褸に全身を包んでおり、町の東側へ向かったが、そこで見失ったとのことだ。
 クローディアはライザに地上からの捜索を命じ、自身は再び近くの建物の屋上へ。二人は上下から犯人を探しつつ急いで東側へ向かった。

「ライザ、どう?」「こっちにはいません!」

 大通り。裏路地。物陰。屋上。東側区画を虱潰しに探す。だが見つからない。
 あるいはもう王都の外へ逃げてしまったのか……。そう思った時だった。

「いたぞッ! こっちだ!」

 仲間の呼び声が聞こえた。北東のほうだ。

「ライザ!」「はい!」

 すぐさま声のしたほうへ駆け出すクローディア。王都の北東は歓楽街だ。この時間帯は最も賑わうため逃走経路としては理に適っている。
 歓楽街に入ったクローディアは建物の上を渡りながら眼下を探す。どこもかしこも人だらけだが、犯人は全身黒一色。大まかな場所の当たりさえつけば発見は難しくなかった。

(いた!)

 歓楽街の北、街灯の少ない町外れの川沿いで、ついにその姿を捉えた。
 幸い人通りはない。クローディアは腰の黒剣を抜くと一気に速度を上げて追跡にかかる。町中で荒事は避けたいが、今はそんな場合ではない。
 建物の屋根から飛び降り相手の背後につく。だが相手の足も速く距離が思うように詰まらない。地の利があるからなんとか離されずにいるが、このままでは逃げ切られる。
 だが、クローディアにはもう一つ、有利な点があった。

「逃がしませんっ!」

 黒服の前に突如、建物の陰から飛び出してきた人影が立ちはだかる。ライザだ。
 排除しないと逃げ切れないと踏んだか黒服が剣を抜きライザに斬りかかる。だが彼女も押し負けない。その場で足を止めて抜かれることも下がることもなく相手の連撃を捌き続ける。
 それだけで十分だった。すぐにクローディアが追いつき2対1になり形勢は逆転。前後から猛然と襲い来る剣撃の嵐に黒服も堪らず後退。いったん大きく飛び退くとそのまま川へ向かって駆け出し向かいの通りめがけて跳躍した。

(行かせないッ!)

 だが読んでいたクローディアが、ほぼ同時に跳躍。降り立つと同時に再び斬りかかる。その一撃が体勢が不十分なまま退いて躱そうとした相手の襤褸に掠る。
 頭部を覆うフードが、捲れ上がった。

(―――え)

 その時……クローディアは一瞬だが、確かに全身を強張らせた。
 犯人はその隙を見逃さなかった。すぐさま近くの路地裏に入り再び逃走。遅れて追ってきたライザが追跡するも、しばらくすると戻ってきて「……すみません」と頭を下げた。
 これまで尻尾どころか影すら見えなかった殺人事件の犯人。その捕縛という最大のチャンスを失った。
 明らかに致命的な失態。普段のクローディアなら、きっと己を許さないだろう。
 ―――だが、今の彼女には、そんな自分を省みる余裕すらなかった。

「……先輩? どうしたんですか?」

 クローディアの妙な様子に首を傾げるライザ。犯人の襤褸が解かれた時、彼女は遠くにいたため、どうやら気づいていないらしい。
 クローディアは、ライザの声に応えない。ただただ茫然と俯くばかりで、もはやそこに意識はなかった。

(な……なん、で…………)

 頭の中を駆け巡るのは、ただその一言、ただ一つの疑問だけだった。

(…………どうして…………貴方、なの…………)

 彼女は、見たのだ。
 犯人の正体を。
 ……すでに背中を預けるほど信頼できる仲間として、クローディアの中で大きな存在となっていた青年の顔を。



 ―――――――――アル・レイナードの顔を。
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