本編

◯神暦3917年 木龍月20日 魔道王国イングリッド 詰め所 執務室

 ライネル古砦跡の調査から戻ったクローディアは、翌々日には再び同地を訪れていた。あの水晶に埋まった《魔獣》の移動のためだ。
 ベルヴェリオの指示で、水晶は王都から10キロメドルの地点にある廃村の地下へ移されることになった。仮に馬がなくとも、彼女の足なら20分もかからずたどり着ける場所だ。
 水晶の移動には、クローディアたち精鋭と王立魔道研究所の上級研究者、そしてベルヴェリオ自身が携わった。まず研究者たちが魔法で水晶の真上に地上まで通じる穴を開け、そこを通して水晶を地上へ運び出した。あとは台車に乗せ、総勢200を超える馬が2日がかりで目的地まで牽引。その間、常にベルヴェリオやクローディアたちが交代で《魔獣》を監視していたが、幸い些細な変化も見られなかった。
 その後、廃村に到着した彼女たちは、まず村の地下に巨大な穴を掘削し、床と四方の壁をディライト鉱石で作った厚さ5メドルほどの板で補強。その中央に水晶を安置すると、上から同じくディライト鉱石の板で蓋をし、その上から土を被せて色を周囲に馴染ませた。

「これ、フタしちゃったけど、どうやって中に入るの?」

 作業を見守っているクローディアに、アヴリルが尋ねた。彼女は引き続き授業の一貫で王都に滞在しており、急遽この任務へ同行することになった。

「王都から地下に道を通して、そこから入るのよ。上が開閉できると、万一誰かが見つけて入る恐れがあるからね。それに地下通路なら、大きな《魔獣》は通れないから、緊急避難用の逃走路にもなるわ」
「へー。じゃあ、もぐらだね、もぐら!」
「……え、えぇ。そうね……」

 いつもどおり緊張感のない彼女に、クローディアは堪らず溜め息を零す。
 その後、水晶を埋める作業は無事に完了。残るは王都へ地下道を伸ばす作業だが、これは研究員たちの仕事だ。あらかじめ入念に打ち合わせた経路に従い、王都と廃村の双方から道を伸ばす。王都からの作業は、出立した日にすでに始まっている。
 クローディアたちは最低限の護衛だけを残して、一足先に王都へ帰還した。数日とはいえ、精鋭のほとんどが王都を空にするのは、さすがに危険だった。



 ―――その後、クローディアはベルヴェリオから託された例の事件の解決に集中した。
 だが、こちらは初日からまるで進展がない。クローディアが不在の間もライザとアルを中心に尽力してくれていたが、新たな被疑者が現れては容疑が晴れていくばかりで、一進一退を繰り返している。
 そして、迎えた木龍月20日の午後。

「……調査の方法を根本的に見直したほうが良さそうね」

 クローディアの執務室に集まった3人は、ソファーで今後の方針について話し合っていた。

「ですかねぇ……地道に聞き込みするのも、そろそろ限界ですし」
「だな。もう町のほとんどの人に話を聞いたから、めぼしい情報も出てこないだろ」
「でも、尻尾を掴むところまではいかなくても、多少は埃が立つかと思ったけど、まさかここまで手こずるとはね……」
「自分で切り出しといてなんですけど、そもそも外から来た人って線が間違いですかねぇ」
「だが、そもそも王都にいた人は、もっとないだろ。知人だから油断を誘えるとかあるかもしれないが、話を聞いた感じ、その程度で隙を見せる人たちでもなさそうだしな」
「そうね。あと、どうやって密室から脱出したのかも気になるわね。間違いなく魔法だと思うけど、せめてどんな系統か分かれば、その使い手の線で絞れるかも……」
「そういえば、前に流れの魔道士が、ある空間を別の空間とつなぐ魔法を使ってたの見たことありますね。箱に入った人が剣で貫かれるんですけど、ぜんぜん傷つかなかったんです。神様の名前はわからないですけど……」
「どんな魔法なんだ?」
「えっと、たとえばあたしの前の空間と先輩の前の空間をつなぐとします。そうすると、あたしはこっから動かずに先輩のおっぱいをぎゅーっとできるってわけです。あーもう! そんないい魔法なのになんであのときあの人に詠唱を聞かなかったのあたしの馬鹿馬鹿馬鹿ぁぁああぁああぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁあぁぁああぁぁ!」

 ライザがいきなりソファーの前のテーブルに突っ伏し、大声で喚き出した。

「要は間の距離をゼロにできるってことか?」
「たぶんゼロじゃなくて、そもそも消滅させるイメージじゃないかしら。距離や空間という概念自体が存在すると、ライザの見た事象が成立しないだろうし」

 無視して話を進める二人。アルもライザの奇癖にはすっかり慣れた様子だ。

「……確かに、中に入ったやつの前後の空間を完璧につながないと、剣がそいつを貫く事実自体に変わりはないか」
「ええ。そうなると近いのは……神カマエルとかかしら」

 カマエル。『神統記』では、死者が神の世界である《天界》へ至る道で最後の門番を務めると伝わる神だ。イングリッドで確認されている魔法としては、剣撃や魔法を防ぐ防壁を生み出す《光の壁》や、大量の光球を撃ち放つ《光の嵐》。そして、光壁で囲った対象を完全に消滅させる《光の門》などがある。

「……魔法の特徴としては、ありそうだな。そうなると犯人は、王立魔道研究所ですら把握してないカマエル神の魔法を知っているやつ、ってことか」
「そうね。かなり絞れそうだけど、一方でそもそも探すのが大変そうね……―――ん?」

 部屋の扉がノックされた。続けて「クローディア、いる?」と呼びかける声は、シルフィのものだ。
 クローディアはソファーを離れ、扉を開ける。

「シルフィ様、どうかされまし……た?」

 その返答は、どこか尻切れ蜻蛉になった。廊下に立っていたシルフィが、なぜか妙に嬉しそうだったからだ。まるでこどものように屈託のない笑顔を浮かべながら。

「いま時間あるかしら?」
「え? あ、ええ。少し後なら大丈夫ですけど」
「じゃあ、ちょっと後で研究所の中庭まで来てもらえる? 見せたいものがあるの」
「は、はい、わかりました」

 クローディアが答えると、シルフィは鼻歌交じりに帰っていった。

「なんか嬉しそうですね……」「いつも、あんな脳天気な感じじゃないか?」

 いつの間にかクローディアの横で、扉に隠れながらシルフィの背中を眺めるライザとアル。

(見せたいもの……なにかしら?)

 妙に思わせぶりなシルフィの言葉に首を傾げるクローディア。だが、考えても始まらない。
 なんにせよ行けばわかる。そう割り切ったクローディアはライザ、そしてアルと今後の調査方針を擦り合わせた後、執務室を出て研究所へ向かった。



 夕方。約束通り王立魔道研究所へやって来たクローディア。中庭に入ると、煉瓦の敷き詰められた小道沿いのベンチに、シルフィの姿があった。

「お。来たわね」
「お疲れさまです。それにしても、どうされたんですか、急に?」
「言ったでしょ、見せたいものがあるのよ」

 なにやら「ふふん」と得意気に鼻を鳴らして立ち上がるシルフィ。すると、彼女は懐から1枚の紙を取り出した。不思議な紋様の描かれた紙だ。

「それが見せたいものですか?」
「厳密には、これが引き起こす現象よ」
「現象?」
「まぁ、とりあえず見ててちょうだい」

 そう言うと、シルフィは紙を地面に置いた。そして、あらかじめ用意していたらしい羽ペンで、そこになにやら書きつけていく。

「いくわよ」

 彼女の言葉に、クローディアは意識を紙に集中。だが、いったいなにが起こ……

「…………、――――――ッ!?」

 次の瞬間、クローディアは目の前で起こった出来事に、ただただ目を見開いた。
 紙の上を、碧い燐光が舞い出したのだ。
 それは次第に光の奔流となり、ある形を取り始める。……彼女がよく知る形を。
 ―――《碧の剣》。
 クローディアが最も得意とする魔法だ。

「な、なん、で……ッ!?」

 クローディアの視線が驚愕に揺れる。
 だが、無理もないだろう。シルフィは今、詠唱せずに魔法を発現してみせたのだ。それは、クローディアが国を守るために、なによりも望んでいた力だった。

「うん。問題なく再現できそうね」
「い、いったいどうやったんですか?」
「前に言った設計図を作ったのよ」
「設計図?」

 シルフィは再び懐から紙を取り出した。こちらも不思議な紋様や文字が刻まれている。

「クローディア、《蟲》は覚えてるわね?」
「《蟲》……ライネル古砦跡の地下にいた石像ですよね?」
「そう。実は、あの《蟲》を調べていた時に、この紙に書かれているような紋様や文字が刻まれた図形を見つけたの。それがどうやら設計図だったのよ」
「それが、ですか? いったいどういう……」
「その話は少し長くなるから、とりあえず座りましょう」

 シルフィがベンチに席を降ろす。クローディアも彼女の隣に腰かけた。

「―――クローディア。あなた、グリークには行ったことある?」
「え? え、ええ……数えるほどですけど」

 意図の読めない問いにクローディアの視線が泳ぐ。
 グリークはイングリッドから見て南西にある国だ。国土は小さく目立った産業もないが、学術的に優れた成果を数多く挙げており、特に魔法研究では世界で最も進んでいるとされる。クローディアもその知見を得るため、何度か訪問したことがあった。

「じゃあ、グリークにピュロタゴラスっていう人物がいたのは知ってる?」
「数学者ですよね。勾股弦の定理を発見した」
「ええ。ただ、ここで大事なのは、ピュロタゴラスの魔法学における研究ね。彼は、世界は数学的な確からしさをもって構築されたと考えていたわ」
「数学的な確からしさ?」
「そう。たとえば、12という数字は1年の月数に一致する一方で、獣帯の正座の数とも一致する。ほかにも12個でひとまとまりを形成する要素は、世界に数多く見られる。だから、それらの間にはなんらかの関係性があるんじゃないかと彼は考えた。ちなみに、そうした背景から、彼は12という数字を世界の土台となる数字と考えて、かけ合わせると12になる3と4を、それぞれ男神と女神、ひいては男性と女性を象徴する数字と捉えるようになったの。つまり、世界を生み出した数字というわけね。ちなみに2と6じゃなかったのは、6が悪を意味する数字と考えていたからだそうよ」
「……つまり、世界は数学的な定理で表現できるということですか?」
「厳密には違うけど、大まかにはそんなイメージでいいわ。ちなみに彼が勾股弦の定理を発見できたのは、男性優位社会だった古代のグリークで三角形ばかりに注目していたから、なんて皮肉な話も残ってるわ。事実かどうかは、わからないけどね。―――それは置いといて、ここで重要なのが、彼は数字だけでなく、その考えを図形にも応用したという点なの」
「図形に応用?」
「そう。正確には応用というより発見ね。たとえば、さっきの3と4の話だと、彼は三角形の垂線と四角形の底辺が、それぞれ男性的創造性と女性的創造性を象徴すると考えていた。ちなみに直角三角形の三辺の比が垂線3、底辺4、斜辺5になるから、5が世界を象徴する数字と考える学者もいたそうよ。……ここまで聞けば、もうわかるんじゃないかしら?」

 シルフィが誘い水を向けてくる。
 クローディアはしばし考えた後、思った答えを口にした。

「……つまり、図形の正しい意味を読み取って、それを組み合わせれば、魔法を発現できる」

 前にシルフィが予想したとおりだったのだ。―――設計図。図形を組み合わせて設計図と成し、詠唱を付記することで神への祈りとする。
 類似は類似を生む。魔法の大原則。想像と図示、形を与えるという共通の性質を利用して魔法を具象化することで、無詠唱で魔法を発動できる。
 シルフィが微笑んだ。

「そういうこと。ピュロタゴラスは三角形に呪術的な意味を見て取って、雨乞いの儀式なんかに応用してたみたいだけどね。とにかく、あの《蟲》が操者なしでも動いたのは、この紋様、私は《魔法陣》って呼んでるんだけど、これが刻まれてたからなの。図形と詠唱が石に刻んであって、対価のマナは地下にあったディライト鉱石を取りこみ続けて補っていた。体の一部をすげ替えられるからこそできる芸当ね」

 シルフィの話にライネル古砦跡での一幕を思い出す。確かに地下通路の壁は、妙に損壊が激しかった。あれは《蟲》がディライト鉱石を補充していたのだろう。
 クローディアは改めて《魔法陣》を見る。

(……ん?)

 ―――妙な違和感、疑問を覚えたのは、そのときだった。
 途端、意識が内側を向く。頭の中が真っ白になり、浮かんだ疑問だけが高速で空回りする。
 その答えの輪郭が、朧げに去来する。だが、その明確な姿が掴めない。
 無意識に当てもなく思考を巡らせ、その出口を追い求めるクローディア。
 なんだろう。
 ……この《魔法陣》、どこかで見たような?

「クローディア、どうしたの?」

 シルフィの声に、はっと意識を取り戻すクローディア。反射的に「い、いえ、なんでもありません」と返す。シルフィも特に気にした風はなく、そのまま話を続けた。

「でも、自分で予想しておいてなんだけど、初めて魔法が発現したときは驚いたわ。ずっと止まらなくてね」
「止まらない? どういうことですか?」
「あれ」

 シルフィは答えるかわりに前を指差した。そこにあるのは先ほどの《碧の剣》だ。

「……と、言いますと?」
「《魔法陣》で生み出された魔法は消えないのよ。正確には常に発動し続けてしまう。インクに混ぜた私の血から供給されるマナがなくなるまでだけどね。だから《碧の剣》や《光の壁》のように、常に発動し続けても問題ない魔法はいいけど、《碧の棺》や《光の門》のような魔法にはまだ応用できない。危険すぎるからね」
「……なるほど。常に詠唱し続けているのと同じ状態だから、本来なら一過性的な魔法でも永続的に発動してしまうわけですね」
「ええ。この点を改良するまでは、実戦には使えないわ。その方法は、さすがにすぐには思いつかないわね」
「ですが、これだけでもかなりの進展です。少なくとも町の防衛が強化されることは間違いありません。早速、姫様にも伝えておきます」
「常時発動を避ける方法は引き続き調べるから、いまは《魔法陣》に置き換えられるところにだけ使ってもらう感じね。マナが切れたら魔法も消失するから、そこだけは気をつけて」
「はい、ありがとうございます。……ところでシルフィ様、一ついいですか?」
「なに?」
「あの《蟲》なのですが、ひとりでに動く理屈は分かったのですが、火を吐いたのはどういう原理なのでしょう?」
「あぁ、あれね。私も確信があるわけじゃないんだけど、たぶんゴーレムの類いだと思うわ」
「ゴーレム? セイファート神秘主義の『形成の書』で伝承されているゴーレムですか?」
「そう。『形成の書』だと、古語と神の御名を組み合わせて創造された人造人間がゴーレムとされているけど、これがおそらく《魔法陣》のことだったみたいね。《蟲》を作る石の一つに刻まれていたわ」
「なるほど……パペットや降霊術のようにあの石像を依り代としているわけではなく、あの石像自体が一つの完全な生命体として創造されているわけですね」
「そういうこと。私たちが骨や肉からできているように、あのゴーレムは石からできている、というだけ。分かってみれば単純な話ね。火を吐けたのは、そもそもそういう存在だから。詳しくはこれから調べてみてだけど……っと、もう7時ね」

 話の一段落したところで、王立魔道研究所の鐘が19時を告げた。

「今日はここまでにしましょう。新しく分かったことがあれば、すぐに伝えるわ」
「はい。ありがとうございます」

 その後、クローディアは《魔法陣》の注意点をいくつか聞いてから、シルフィと別れて帰路についた。
 一歩だが、確かな前進を手にした彼女の表情は、ほころんでいた。
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