本編

 クローディアはリズベットに応急処置をしてもらうと、彼女とともに地上へ戻った。
 道中で状況を尋ねると、アイルはシルフィの魔法で一命を取り留め、今は地上で臥床中。クローディアの魔法が発動したのを確認して、リズベットたち数名が救援のため先遣隊として様子を見に来たらしい。
 アイルたちは尖塔から少し離れた東側の一角に拠点を築き直していた。
 戻ったクローディアは、心配して駆け寄ってきた仲間たちとの対話もそこそこに次の指示を出す。地下二階層目の《蟲》の引き上げ、アイルが見つけたという謎の扉の探索、そして引き続き周囲の警戒だ。
 地下二階層に仲間を向かわせて大丈夫か気になったが、あれだけ《蟲》が暴れ回ったにもかかわらず乱入者がいなかったことを鑑みるに、あの層にいたのは《蟲》だけだろう。リズベットが来るまで自分が横になっていて無事だったことからも、おそらく問題はない。
 指示を出し終えると、クローディアは再び地下へ潜る前に拠点の奥―――床布と陣幕を準備しただけの簡易的な休憩場所に向かった。
 そこには、アイルが横になっていた。

「クローディア様! 無事だったんで……ぐ、ぅっ……ッ!」

 クローディアの姿を認めたアイルは、すぐに体を起こそうとした。だが、途中で苦痛に顔を歪め、咄嗟に左腕を押さえる。

「アイル、横になったままでいいわ。無理しないで」
「……も、申し訳ありません」

 クローディアは彼女の体を支え、そっと床に導く。

「でも、安心したわ。完治とまではいかないみたいだけど、もう大丈夫そうね」
「シルフィ様のおかげです。左腕が元通りになるにはしばらくかかるそうですが、他の傷はもう問題ありません。すぐにでも仕事に復帰できます」
「馬鹿なことを言わないで。貴方はただでさえ働き過ぎよ。……そうね、ちょうど良い機会だわ。王都に戻ったら約束通り少し休みなさい」
「そ、そんなわけにはいきません。それに、それを言ったらクローディア様は―――」

 先ほどと打って変わって、休みを取りたがらないアイル。

「これは上官命令よ。帰還後、貴方には暇を与えるわ。破ったら厳罰よ」

 言葉とは裏腹に、クローディアは労るようにアイルの頬に触れながら、やわらかい笑顔で語りかける。その優しさに観念したのか、アイルは頬を赤くしながら「……わ、わかりました」と素直に受け入れた。

「アイル。水、持ってきたわよ。―――あら。来てたのね、クローディア」

 ちょうど二人の会話が終わったところへ、カップを手にしたシルフィがやって来た。

「シルフィ様、アイルの治療、ありがとうございます」

 シルフィはクローディアの礼に「なに言ってるの。当然のことよ」と笑顔を向け、持ってきたグラスをアイルの傍らに置く。そしてクローディアのほうに歩み寄ると、

「ところで、あなたは大丈夫なの? 例の《蟲》と一人で戦ったんでしょ? 制服もボロボロじゃない」
「ところどころ少し痛みは残ってますが、大丈夫です。引き続き地下の調査―――」
「ちょっと診せなさい」
「え? え、あ、あのシルフィ様!?」

 話の途中でシルフィが突然、クローディアの制服を少し捲った。いきなり腹部を晒されたクローディアの顔が途端に赤く燃え上がる。
 一方、彼女の体になにかを認めたシルフィは、呆れたように溜め息を吐いた。

「……まったく、あなたの大丈夫ほど当てにならないものもないわね……これだけ体に痣があるのに、大丈夫なわけないじゃない」

 そう言うと、シルフィが痣の一つを軽く突いた。途端、クローディアは「う、っ!」と身を捩りながら苦悶の声を上げる。

「ほら見なさい。ほんと、注意してないと、いつだって無茶するんだから……。とりあえず上を脱いで、アイルの隣に横になりなさい。調査に行くのは、最低限の治療をしてからよ」
「は、はい……」

 親に叱られたこどものような表情で、言われるがまま制服のボタンを外すクローディア。上衣を腰から垂らすと、そのまま大人しくアイルの隣にうつ伏せになった。
 ふと横を見ると、アイルがなにやら楽しそうに笑っていた。「……なによ」と恨めしそうに尋ねると「い、いえ、べつに」と顔を逸らされた。とても面白くなかった。



 ―――シルフィの治療が終わると、クローディアは再び地下二階層へ戻った。
 先に潜ったリズベットたちが一定間隔で石壁に灯りを立ててくれたおかげで、道の把握がかなり楽になった。改めて周囲を見ると、ずいぶん古い遺跡のようだ。壁は黒と灰の斑模様で、壁のそこかしこに打突によるものと思しき跡がある。天井の石材も剥落が激しく、どうやらかなり脆くなっているようだ。

(あまり長居するのは危険そうね……)

 辺りの様子を慎重に観察しながら歩を進めるクローディア。
 地下二階層目へ降りて最初の道を真っ直ぐ行くと、薄暗い中でも映える琥珀色の長く美しい髪が目に入った。リズベットだ。

「クローディア様、もう大丈夫なんですか?」
「ええ、おかげでね。作業はどう?」
「アイルが見たという扉は、まだ見つかりません。上の層と比べてかなり広いみたいで、もう少し時間がかかりそうです。《蟲》のほうは、そちらに」

 リズベットは壁際を指差した。
 そこには、突貫で作った木製の台車に横たわる巨大な《蟲》がいた。念のためか、四人の騎士が四方を固めている。
 クローディアは、もう動かないと思われるそれに、慎重に近づく。
 全身は相変わらず黒布に包まれており、その素性は知れない。だが唯一、彼女が吹き飛ばした右半身の断面からは、それを構成するものが確かに見て取れた。

(これは……)

 その正体を認めたクローディアは、思わず顔を顰める。
《蟲》を形造っていたのは―――石だった。
 いくつもの黒い石……ディライト鉱石が束になり、その体はできていた。
 クローディアは黒剣を抜き《蟲》の衣を裂いた。
 案の定、その全身も頭部まで含めてディライト鉱石だ。形は綺麗な四角もあれば、原石のままと思われる未整形のものもあった。

(……どうりでなかなか剣が通らなかったわけね)

 これで一つの疑問は解消された。だが、むしろ《蟲》の正体の謎はより深まった。ただの石がいったいどうしてひとりでに動いていたのか。どうやって火を吐いていたのか……。

「こいつ、いったいなんなんでしょうね。石が勝手に動くなんて……」

 隣に立ったリズベットも、同じ疑問を口にした。

「そうね……シルフィ様はパペットを操る魔法なんかと同じ原理で動いているんじゃないかって話をしていたけど……」
「ですが、いつかはマナが切れますし、そもそも操り手がいない以上、魔法は発動できないから動くわけがありません」

 リズベットの言うとおりだ。魔法の使い手がいない以上、ただのディライト鉱石の塊に過ぎない《蟲》が動き出すはずがない。
 しかし、この《蟲》は現に動いていた。
 いったいどういうことなのか……。

「リ、リズベット……さんっ!」

 クローディアとリズベットが《蟲》を前にその正体を黙考していると、一人の騎士が駆け寄ってきた。妙に慌てており、息を酷く切らしている。

「どうしたの? なにかあったの?」
「ア、アイルさんが見たと思われる扉を見つけたんですが……そ、その……なか、に……」

 なにやら要領を得ない。それどころか、やけに怯えている風にも見える。
 顔を見合わせるクローディアとリズベット。行ってみるしかないと頷き合うと、二人は彼に案内してもらい、目的の場所へ向かう。
 そこは地下二階層の遥か北にあった。何度も右に左に行きつ戻りつし、5分以上も歩いて辿り着いた北の果て。
 待っていたのは、場違いなほど荘厳にして巨大な黒鉄の扉だ。まるでなにかを厳重に封印しているかのような、そんな重苦しい雰囲気をクローディアは感じた。
 クローディアが左の扉を、リズベットが右の扉を、それぞれ押し開ける。
 中は巨大な空洞のようだった。天井も壁もない。目の前に広がるのは、数メドル先の道行きさえ掴めない、ただただ黒々と広がる深遠なる闇だけ。二人の持つランタンの灯りさえ、放たれた途端に闇へ吸い込まれて意味をなさない……そう思えるほどに深い闇。

「……私が先に行きます。クローディア様は後から」

 それでもリズベットに臆する様子はない。闇へ向かって先陣を切り、慎重に、しかし確かな足取りで奥へと進んでいく。
 彼女に続いて歩きながら、周囲に目を凝らすクローディア。
 特に気配はない。どうやらあの《蟲》の類いはいないようだ。もう一戦するのはさすがに厳しかったので、クローディアの心は無意識に安堵した。



 ―――進む先に、総毛立つほどおぞましい光景が待ち受けているなどとは知らぬまま。



 その存在に先に気づいたのは、前を行くリズベットだった。
 彼女の足が、いきなり止まった。
 そして一歩、また一歩と、後ずさった。
 無言で。
 無音で。
 だから、周囲の薄暗さもあって、クローディアはリズベットの異変に気づくのが遅れた。周りを見ながら歩いていた彼女は、下がってきたリズベットの背中にぶつかってしまった。

「っと! ど、どうしたのリズベット?」

 反射的に尋ねるクローディア。
 だが、彼女の質問にリズベットは答えない。ただ前を見据えたまま、微動だにせず立ち尽くしている。
 いったいどうしたのか、その肩に手をかけようとクローディアは右腕を伸ばす。
 その時、だった。
 ……彼女も、気づいた。
 リズベットの、肩越しに。
 ……気づいて、しまった。



「――――――――――――――――――――――――ッッッッッ!?」



 咄嗟に叫ばなかったのは、騎士としての本能だろう。
 だが、それでも唇が勝手に震え出し、呼吸が奪われ、全身から汗が吹き出すほどの恐怖がその身を縛った。
 ……クローディアたちの目の前には、山のように巨大な水晶、あるいは氷山のようなものがあった。二人のランタンの灯りを反射し、神々しい威容が輝きを放ち闇を破る。
 だが―――問題は、その中に《いる》ものだった。



「ま……………………ま、っ…………魔、獣…………ッ!?」



 クローディアの声はひどく震えており、もはや別人のそれだった。
 ―――《魔獣》。
 そう。巨大水晶の中にいたのは《魔獣》と思しき謎の巨大な生物だった。もう死んでいるのか、あるいは封印されているだけなのかは定かでないが、その存在感は今なお眠り続けているだけのような生々しさを放っている。……すぐにでも動き出しそうなほどに。
 体高およそ10メドルには届こうかという、巨大な黒い馬を思わせる外見。その巨躯だけでも体が凍りつくほどの恐怖を覚えるが、8本もの足と頭部に生えている捩れた一角という異形が、そのおぞましさをより一層、際立たせている。
 報告に来た青年があそこまで怯えていたのも、今ならわかる。闇に包まれた通路を一人で探索中に《魔獣》めいた存在と遭遇したのだ。恐怖を覚えないわけがない。
 一度、大きく深呼吸して、恐怖を抑えるクローディア。そして、万事に備えて腰の黒剣に手をかけ、リズベットの横に立って彼女の様子を確かめた。
 リズベットは、恐怖に唇を震わせるばかりで声も出ない様子だ。危うく意識すら手放しそうなほど、その瞳は焦点が合っていない。

「リズベット! しっかりしなさい!」

 彼女の肩に手を置き、強く体を揺する。それでなんとか正気に戻ったのか、

「……え……あ…………え……ク、クローディア、さま……」
「大丈夫よ、動く様子はないわ。気をしっかり持ちなさい」
「あ……は、はい……」

 リズベットは弱々しくも、確かに頷く。

「……とりあえず、私たちだけでは、これをどうこうできないわ。シルフィ様に来てもらって判断を仰ぐわよ」

 いったん部屋を後にして地上へ戻った二人は、すぐにシルフィへ報告。そして彼女たち研究者一同と、万が一に備えて騎士団の大多数を伴い、再び《魔獣》のもとへ戻ってきた。
 今度は大量の灯りを持ちこんだため、空間内の様子もはっきり掴めた。
 中は半径50メドルほどの半球状の巨大な空洞で、その奥に例の《魔獣》が収まった巨大水晶が置かれていた。ほかにはなにもなく、まさに《魔獣》のために用意された部屋というところか。

「……話を聞いた時は耳を疑ったけど……まさかこんなことがあるなんてね……」

 研究者たちが水晶について調べている中、巨大水晶の前に立つクローディアの隣でシルフィが重々しく吐露した。その横顔は穏やかだが、どことなく険しくも見える。

「これは……やはり《魔獣》なんでしょうか?」
「さすがにわからないわ……でも、残念だけど、たぶんそうでしょうね」

 心の底から悔いるかのように、落胆の滲む声で答えるシルフィ。
 クローディアは、改めて《魔獣》を見上げる。
 驚くほどに黒一色の巨大な馬。そのおぞましい外見は、光の加護のもとでも、対峙する恐怖を完全には拭い去れない。

「あの《蟲》は、これを守るためにここを彷徨っていたのかしら……。でも、もしこれが死んでいるなら、なんとか王都まで運びたいわね……調べて《魔獣》の生態がわかれば、これからの防衛が楽になるかもしれない」
「確かに……ですが、大丈夫でしょうか? 万が一、これが生きていたら……」
「……甦りでもしたら、イングリッドが滅びかねないわね」
「……ええ」

 小さく頷くクローディア。

「とにかく、いったん姫様に報告しましょう。話はそれから。下手に刺激して眠りから覚めましたなんて、おとぎ話めいた展開も勘弁だし」
「わかりました。ここはどうしましょう?」
「念のため監視を立てたほうがいいわね。誰かが勝手に入ると冗談じゃ済まないし。とりあえず何人か残ってもらって、カデンツァの分団から増援を出してもらいましょう」

 シルフィの話を受けて、調査はそこそこで切り上げられた。
 その後、クローディアたちは遺跡に少数の監視役を残して撤退。帰路の途中で東の大都市カデンツァへ寄って、そこの分団に遺跡の監視を依頼し、王都へ戻った。
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