本編

 夕方は、王都が最も賑わう時間帯だ。仕事を上がって酒場へ集まる職人、学校終わりに繁華街へ繰り出す若者、夕飯の買い出しに走る者など、大勢が町へ繰り出す。加えて、今はアリエル神を祀る《豊臨祭》を間近に控え、周辺都市から来た長期滞在者も多い。彼らへ向けて多くの商店が早くも祭事向けの特別な商品を売り出すなど商魂を逞しくもしており、町はひときわ盛り上がりを見せていた。
 少し前までは、例の事件の影響で王都の雰囲気は多少なり沈んでいたが、どうやらもうほとんど尾を引いてはいないようだ。

「あ、ちょっとちょっと!」

 そんな中、クローディアがいるのは王都の中心部、噴水広場を中心に広がる繁華街。その雑踏でごった返す大通りを、縫うように急いで進んでいた。
 追っているのは、もちろんハティだ。
 彼女は見るものすべてが珍しいのか、興味の向くままどんどん走っていってしまう。小柄な上、獣人特有の身軽さもあって、人混みをまるで苦にしていない。幸いすぐに何かが気になって足を止めてくれるので追いつけてはいるが、少しでも目を離したら、あっさり振り切られてしまうだろう。
 お菓子の屋台、旅芸人の見世物、卜占小屋、詩人の吟誦……行く先々でハティは瞳を輝かせた。特にお菓子が気になるのか、見つけるたびに「……これ」とクローディアにねだる。
 あまり甘やかし過ぎると、アルに怒られるだろうか―――最初こそ、そんな心配も脳裏を霞めたが、ハティに無垢な瞳でお願いされた途端にどうでもよくなり、言われるがまま買ってしまう。……どことなく、自分が駄目になっている気がしないでもなかった。
 西側の大通りをひと通り見ると、二人はたどり着いた噴水広場の長椅子に座り、しばし休憩を取る。道行きで買った氷菓子を舐めながら。―――グラス・シャンティ。撹拌した牛乳を凍らせて作る当地独特の甘味だ。
 ハティは、何をするにしても二人一緒を望んだ。お菓子は二人分。見世物も二人で観覧。おそらく一緒に楽しみたいのだろう。

(……し、しばらくは食事を節制しないと、まずいわね)

 今日だけで何日ぶんのお菓子を口にしたか、考えるのも怖い。クローディアは現実から目を背け、無心に氷菓子を舐め続ける。
 ちらりと横を見ると、ハティが地につかない足を揺らしながら、両手で大事そうに持った氷菓子を頑張って舐めていた。何をするにしても眠そうな表情は変わらず感情に乏しいが、尻尾を大きく左右に振ったり、耳を扇ぐように動かしたり、反応やふるまいから楽しんでいるのは分かった。

(………………か、かわいい)

 もはやハティを見るたび、その4文字しか頭に浮かばないクローディア。
 ふと、今ならその耳やしっぽに触れるかなと、邪念が脳裏を過ぎった。
 だが、すぐに頭を振って吹き飛ばす。自分はいつも同じようなことをライザにされて辟易しているではないかと。
 その様子を、氷菓子を食べ終わったハティが、じっと不思議そうに見上げていた。恥ずかしさに思わず顔が赤くなる。

「つ、次はどこに行きたい?」

 クローディアが話題を変えると、ハティはしばし首を傾げて考えた後、ぴょんと長椅子を降りた。そしてクローディアの手を握ると「……あっち」と東側の大通りを指差した。
 二人は手をつないで繁華街の東側へ向かった。
 西側に飲食店や宿屋が多い一方、東側は雑貨や仕事用品などの店が中心だ。そのため、こどもはあまり近寄らないが、例外があった。
 ハティは目当ての店を見つけると、クローディアの手を離し、てててと店頭に駆け寄る。そして硝子窓の向こうに並ぶ、さまざまな商品に目を輝かせた。
 服飾店だ。

「服が欲しいの?」

 クローディアの質問に頷くと、ハティはそのまま店の中に入っていってしまった。
 どうするか……お菓子や見世物程度の出費なら大した額ではないが、服はそうではない。これ以上の出費はさすがにアルも無駄遣いが過ぎると怒るのではないか……。ハティのかわいさに麻痺した理性が、なけなしの力でクローディアを悩ませる。
 考え込んでいると、ハティが店の入り口から、ぴょこんと顔を上半分だけ覗かせた。そして早く来てと招くように、愛らしい獣耳をぴょこぴょこ動かしている。

「いらっしゃいませー!」

 気がつけば、クローディアは店の中に入っていた。そして、

「これなんかどう?」
「スカートもいいんじゃない? ほらこれとか」
「上がそれなら、こっちの色のほうが似合うかしら」
「あ、それかわいいじゃない!」

 意気揚々と片っ端から服を選んでは、ハティに重ねて似合うか確かめていた。もはや理性など木っ端微塵に砕け散っていた。
 ハティも楽しいのか、嫌な顔ひとつせず、自分で服を選んだり、クローディアの持ってきた服を試してみたり、店内を所狭しと動き回っている。王都で暮らす獣人は、少ないとはいえ多少はいるため、獣人用の服もそれなりの数はある。
 ―――そうして、1時間後。

「ありがとうございましたー!」

 ぱんぱんに膨れた紙袋を両手で抱き締めるハティと、その後ろで同じ袋を両腕に提げながら頭を垂れるクローディアが、店から出てきた。

(……さ、さすがにまずいわ。まさかほぼ全財産、使い果たすなんて……)

 衝動の赴くまま次々買い込んだ結果、アルから預かった資金はほとんど溶け切っていた。店から出て冷静さを取り戻したクローディアは、ただただ己の暴挙を反省するばかりだ。

(……でも、使ってしまったものはしかたないわね。素直に謝って、後で返さないと……)

 溜め息を零しながら、ハティと並んで彼女とアルが泊まる宿に向かうクローディア。再び噴水広場へ戻り、まだ賑わいの衰えない繁華街を歩く。
 途中でハティが足を止めた。
 今度はなんだろうと視線の先を見てみると、流れの行商人風の男性が手品の類を披露しているようだ。多くの人でごった返しているためよく見えないが、どうやら壺の中にいくらでも物が入るという見世物らしい。

「気になるの?」

 クローディアが横のハティに尋ねる。だが、彼女はあっさり首を横に振った。

「……しってる」
「知ってる? あの手品のタネを?」

 今度は、こくんと縦に頷くハティ。

「……ツボのなかとつちのなかを、つなぐまほう」
「壺の中と土の中を?」
「……じめんにあなほって、フタしとく。ツボのなかとあなをまほうでつなぐ。ツボにいれたものがあなにおちる」
「ああ、なるほど。それでいくらでも入るように見えるというわけね」

 再びこくんと頷くハティ。
 説明して興味が完全になくなったのか、彼女は再び宿へ向かって歩き出した。クローディアも後に続く。
 宿は、噴水広場から南西へ伸びる通りをしばらく歩いたところにあった。金獅子をモチーフにした看板が目を引く《金獅子亭》だ。安いわりにもてなしが良く、旅行客から傭兵まで幅広く親しまれている。
 中に入って受付の女性にアルは帰っているか尋ねると、「アル……ああ、あの子ね。いま厨房で母さんを手伝ってるわよ」と意外な答えが返ってきた。

「厨房の手伝い、ですか?」
「そっ。いま《豊臨祭》の前でお客さんが多くて、手が回らなくてね。そうしたら、あの子が手伝ってくれるって言うから、宿代を少しおまけするかわりに厨房に入ってもらってるの。腕がいいから助かってるわ。あの子に用なら、とりあえず食堂で待ってなさいな」
「そうですか。ありがとうございます」

 言われた通り、クローディアはハティと一緒に食堂へ移動。すると、給仕の女性に「いらっしゃいませ、2名様ですね!」と席へ案内されてしまった。直後、ここの食堂は宿泊客以外も利用できるのを思い出し、咄嗟に断ろうとするも、ハティが近くの席にぴょこんと飛び乗ってしまい断るタイミングを失った。まんまと受付の女性に誘導されてしまった形だ。

(……お金、足りるかしら)

 今日は特に使う予定がなかったので、自分の手持ちは乏しい。宿泊客のハティは無料だから一人分で済むだろうが、安くはないだろう……。

「なんだ帰ってたのか」

 そんな不安に思い悩んでいると、アルが近づいてきた。袖を捲ったワイシャツに腰に巻いたエプロンと、その身形はまさに料理人だ。

「べつに夕飯まで付き合ってもらわなくても良かったんだが……ってか、ずいぶん大量に買い込んだな。なんだこりゃ?」

 アルがハティの足元に並ぶ3つの紙袋を覗き込む。

「あ、いえ……これは、その……」
「ん? どうした?」

 クローディアは恥ずかしさを押し殺すように、小声でこれまでの事情を説明した。

「はははは! なるほどな。まぁでも、リサさんに上手いこと騙されて食堂へ案内された客は多いからな、しかたないさ。それと、俺の金のことはなんの問題もない。もともと使ってもらうために渡したんだからな」
「で、でも、そういうわけには……」
「いいから、おとなしく好きなもん頼んで待ってろ。ここの会計も気にすんな。今日ハティに付き合ってくれた礼に俺が持つ」

 そう言うと、アルはそそくさと厨房へ戻ってしまった。
 これ以上ごねるのも失礼だろう。クローディアはいつか別の形で礼をすると決め、今日のところは彼の言葉に甘えることにした。
 夕飯は、アルが作ったという鹿肉のシチューにボウル山盛りのサラダ、そして自家製のパンだった。宿屋の女将から暇をもらったアルも一緒に、三人でテーブルを囲んだ。
 ハティは食器の使い方が身についていないのか、フォークの扱いに苦慮していた。柄を握ってトマトを刺そうとしては、つるりと躱されており、最終的に「……あー」と大口を開けてクローディアのほうを向き、食べさせてと懇願した。
 いつもは一人で食事をするクローディアにとって、久しぶりの団欒だった。思えば、こうして誰かと食卓を囲むのは、いつ以来だろうか。両親が亡くなってから久しく忘れていた賑やかな夕飯に、どことなく懐かしさがこみ上げる。

「しかしまぁ、ハティがそこまで懐くとはな。少し驚いた」

 夕飯が終わった後、お茶を飲みながら過ごす三人。ハティは余ったパンを齧りながらクローディアの膝の上に座っている。期せずしてしっぽに触れる機会を得たクローディアは、思わず声を上げそうになるほどうれしかった。

「そうなの?」
「長らく人里離れた森で暮らしてたから、人と交流した経験がなくてな。最初は町を歩くだけでも怯えたもんさ。最近ようやく慣れて、いろいろ興味を持つようになった」
「もう一緒に旅をして長いの?」
「俺が北にいた頃に出会ってからだから、3年くらいだな。ハティはケーニッヒの雪山にある名もない村で暮らしてたんだが、《魔獣》の出現で山を追われてな。そこを俺が拾った」
「そう……そんなことが……」

 ハティを見下ろすクローディア。
 彼女の表情が乏しいのは、あるいはそんな辛い過去ゆえだろうか。その細い腰に回した腕に思わず少し力がこもる。

「で。そのあと仕事をつなぎながら各地を転々としてたんだが、さすがにそれもどうかと思ってな。俺一人なら別にかまわないが、ハティはまだこどもだから、落ち着ける場所を探そうと思って王都に来たんだ。ちょうど傭兵試験があるのも知ってたからな」
「ずっとここで暮らす予定なの?」
「どうだろうな。まぁハティも気に入ったみたいだから、しばらく動くつもりはないかな」

 その後、他愛ない雑談を交わして時間を過ごすと、食堂の時計が夜9時の鐘を鳴らした。

「早いな。もう9時か」
「え、もう? ごめんなさい、かなり長居したわね。そろそろ失礼するわ」

 そう言うと、クローディアはハティを抱えて立ち上がり、椅子に座らせた。そして頭を撫でると「今日はありがとう。楽しかったわ」と笑顔でお礼を伝える。
 気持ち良さそうに目を細めるハティ。……と、

「……まってて」
「え? あ、ちょっと」

 クローディアが止めるのも聞かず、ハティは椅子を飛び降り、そのまま食堂を出てどこかへ駆けて行ってしまった。

「どこ行ったのかしら?」
「たぶん部屋だろ。なんでかは分からないが」

 すると、ハティはすぐに戻ってきた。そしてクローディアの前に来ると、

「……これ」

 すっと両手の上に置いたものを大事そうに差し出した。
 ネフライトと思しき美しい緑色の宝石がついた首飾りだ。質素だが品があり、宝石の奥に紋様や文字を思わせる不思議な彫刻が刻まれている。

「……くれるの?」

 頷くハティ。

「……おまもり」
「お守り?」

 再び頷くハティ。
 受け取っていいものか困ったクローディアは、反射的にアルを見た。ネフライトは決して安い宝石ではない。

「ハティなりの今日のお礼なんだろ。あんたが騎士だから安全祈願ってところか。せっかくだし、もらってやってくれ」
「で、でも……」
「安心しろ、べつに高いもんじゃない。そもそももらいもんだ」
「そう、なの? ……そ、それじゃあ」

 クローディアは首飾りを受け取ると、その場で身につけた。

「ありがとう。大事にするわ」
「……ん」

 その後、クローディアは二人と別れ、宿屋を後にした。
 外はまだ賑わっていた。西側区画の夜は、これからが盛り上がる時間だ。

(……そういえば、もともと早く帰って休めって言われていたのよね)

 それにもかかわらず、詰め所を出てからというもの、ずっとハティと遊んでばかり。疲れを抜くどころか溜める一方だ。
 だが、不思議と気分は晴れていた。疲れは確かにあるが、どことなく心地よい。
 思えば、こんなふうに気分転換をしたのは、いつ以来だろう。もはや記憶にもないほど、遠い過去であることだけは確かだ。

(……あの子に感謝ね)

 クローディアは自然と表情を綻ばせ、軽い足取りで家路についた。
 今夜は、よく眠れそうだった。
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