本編

◯神暦3917年 木龍月1日 魔道王国イングリッド 王都マルドゥーク

 その後、クローディアは、ベルヴェリオに託された事件の調査と訓練校の講義が中心の生活を送った。
 もっとも、事件の調査は捗っていなかった。アルカディア・キャラバンの調査後、もう一人の被害者であるノエル・カーソンが発見された王立図書館にも調査に向かったが、収穫はほとんどなし。わかったのは、彼もまた逃走経路のない密室で殺害されていた事実くらいだ。
 いったいどこの誰が犯人なのか、その正体はいまだ尻尾すら掴めない。
 シルフィの助言を受けた研究も進めたかったが、あまり時間は取れていない。ライザに頼んで参考になりそうな本を片っ端から借りてもらったが、読めるのは仕事が終わった後の深夜だけ。遅々として進まない研究に悶々とする日々だったが、こればかりはどうにもできない。
 そんな中で迎えた、木龍月1日。
 クローディアはベルヴェリオの執務室にいた。

「……以上です。今はシルヴァラントから派遣された応援部隊が、アジトの場所を捜索しています。見つけ次第、殲滅する手筈になっています」

 彼女は5日前、王都の北にあるトールス村を襲撃した野盗の討伐応援に向かった。実際は同地を守護する分団とシルヴァラントからの応援部隊だけで対応できる相手だったが、万が一を考えてクローディアを含む少数の精鋭も王都から支援に入った。

「そうか。では、とりあえずその報告待ちだな。……ところでクローディア」
「はい」

 クローディアが応えると、ベルヴェリオは書き物をしていた手を止めた。

「今日はもう帰れ」
「…………え?」

 続けて唐突に向けられた予期せぬ指示に、クローディアは思わず目を見開き、素っ頓狂な返事を口にする。
「そなた、自分では気づいていないようだが、相当に顔色が悪いぞ。さながら青野菜のようにな。このままでは遠からず倒れてもおかしくない。……まぁ、無理をさせているこちらのせいなわけだが、だから、今日はもう帰って休め」

「い、いえ、大丈夫です。それに休んでいる暇はありません」

 クローディアの答えに、ベルヴェリオは溜め息を零す。
 だが、これは彼女の本心だった。このあいだシルフィにも同様のことをいわれたが、実際そこまで疲れを感じてはいない。
 するとベルヴェリオは、クローディアの肩越しに何か見つけたのか、部屋の外の廊下に向けて声を張った。

「おい、アル・レイナード! こちらへ来い!」

 クローディアも後ろを振り返る。
 ベルヴェリオの呼びかけに応じ、アルが部屋に入ってきた。彼には出立前、一時的に王都の防衛を預かる分団長の指揮下に入るよう命じていた。

「なんだ?」
「そなた、今日の残りの仕事は?」
「昨日の任務の報告書を出しに行くのと、第三分団の装備品の修理手配くらいだが」

 手にした書類を振りながら答えるアル。

「そうか。なら、それは私が預かる。報告書と手配書は、そこのテーブルに置いていけ。そうしたら、こやつを連れて帰れ。それが今日の最後の仕事だ」
「「え?」」

 クローディアとアルが、同時に困ったような声を上げる。
 しばし茫然と互いを見つめたまま立ち尽くす二人。すると堪りかねたベルヴェリオが「早く行け。仕事の邪魔だ」と突き放す。
 二人は仕方なく執務室を後にした。

「……なんかあったのか?」
「た、たいしたことじゃないわ」
「そうか? ならいいが……」

 アルの質問を適当に躱すクローディア。
 先日もシルフィに疲れた顔をしていると言われたばかりだが、彼女にはまるで自覚がなかった。しかし周りから見ると、どうやら疲労の色が露骨に濃いらしい。
 とりあえず今日のところは言われたとおりにしようと、クローディアは諦める。
 北棟から中庭へ出る二人。
 すると、なにやら女性騎士たちが柱廊の陰に集まっているのが見えた。まるでなにか噂を聞きつけて、一目見ようと集まった野次馬のようだ。

「貴方たち、何をしているの?」

 声をかけると、振り返った一人が「しー!」と静かにするようクローディアを制し、そして眺めていた何かを指差した。
 いったいなんなのか。促されるまま、示された先を見ると―――、

「……あ」

 思わぬものを目にして、反射的に声が漏れ出てしまった。
 視線の先、中庭に置かれた小さな花壇の前に、一人の少女が両足を開いてぺたりと座っていた。小さな獣耳と大きなしっぽ、そして二房の細いしっぽのような長い髪が愛らしい、獣人の女の子だ。後ろ姿のため、何をしているのかは分からないが……どうやら花壇の上を舞っている蝶を、じっと眺めているようだ。同僚たちはその愛らしさに惹かれ、陰からこそこそ様子を窺っていたのだろう。

「……あいつ、勝手に入ったのか」

 その姿を認めたアルが、呆れたように呟いた。
 そう。少女はアルがおんぶをしていた、あの獣人の女の子だった。

「連れてきたんじゃないの?」
「いや。ただ、宿で中庭のことを話した時、妙に興味津々だったからな。たぶん気になって忍び込んだんだろう……」

 アルが少女に近づいていく。クローディアも後をついていった。

「ハティ! 駄目だろ勝手に入ったら」

 アルの呼びかけに、少女は耳をぴくりと震わせ、座ったまま後ろを振り向いた。銀色の綺麗な髪に白い肌、その中でひときわ輝く大きくてつぶらな赤い瞳が印象的だ。眠いのだろうか、その瞳も口もぽかんと半開き。一見すると、だらしがないようにも見える。……が、

(………………か、かわいい)

 クローディアの目には、もはや愛らしさの塊でしかなかった。大きめの布を被ったような服装は、北のアーリィに伝わる民族衣装だろうか。袖が余っており、やや遊ばれているのも、また惹かれるものがある。

「……」

 ハティは、アルとクローディアを交互に見上げる。

「ったく。入り口に門衛もいただろうに、どうやって入れたんだか……」
「……たのんだ」

 少女が答えた。抑揚のない、寝言のようにのんびりしたかわいい声だ。

「頼んだ?」
「……アルにようじっていったらいれてくれた」
「……ここの警備、大丈夫なのか?」
「……た、たぶん」

 答えつつも、近いうち何かしら対策しなければと心に決めるクローディア。もっとも、自分自身この少女にそう言われたら、あっさり通してしまいそうではある……。
 すると、先ほどまで柱廊に隠れていた女性騎士たちもやって来た。「この子、アル君の知り合いなの?」「かわいすぎ! ねえねえお名前は?」「すごい! 耳ふさふさ!」「しっぽかわいいー!」と大盛り上がりだ。
 当のハティは薄ぼんやりとみんなを眺めるだけで、嫌そうな顔ひとつしない。

「ちょ、ちょっと、みんな。そんなにもみくちゃにしたら、かわいそうよ」

 同僚をたしなめるクローディア。だが正直、心の中では少し羨ましくもあった。
 そのとき16時を告げる鐘が鳴った。各所の警備交代の合図だ。

「あ。時間」「えーもうなの? 残念」「ほら行くわよ」「またねー!」

 集まっていた同僚たちは、それまでの熱狂ぶりが嘘のように、あっさり仕事へ向かっていった。彼女たちも歴戦の騎士である以上、このあたりは弁えている。
 一転して、静まり返る中庭。

「……やれやれ。とりあえず、ハティ。ここに遊びに来るのは、もう少し我慢しろ。寮に入ってない以上、一応まだ部外者だからな」
「……わかった」

 素直に応じるハティ。だが、表情こそ変わらないが、その声色は少し寂しそうでもあった。
 アルもそれを敏感に察したのか、

「―――クローディア。あんたこの後、用事は?」
「え? 特にないけど……」
「……なら、もし嫌じゃなければでいいんだが、ハティに町を案内してやってくれないか?」
「え?」

 意外な申し出に少し驚くクローディア。

「実は今日、仕事終わりに宿屋の人から買い出しを頼まれててな。けっこう時間がかかりそうだから、その間だけ預かってもらえるとありがたいんだ」
「私が、この子を?」

 地面に座っているハティを見下ろすクローディア。
 対するハティも、丸々とした愛らしい瞳でクローディアをじっと見上げている。

(うっ……)

 瞬間、答えは決まった。もはや断るという選択肢に罪悪感しか覚えない。

「わ、わかったわ。終わったら、宿に行けばいいのよね?」
「ああ。18時ごろには、俺も宿屋に戻ってると思う。あと、何か欲しがったら、これを使ってくれ」

 アルは胸ポケットから金貨1枚を取り出し、クローディアに弾いて寄越した。今の相場でおよそ5万クラン。幼子が町を2時間めぐるには、多すぎる大金だ。そのため断ろうとも思ったが、こんなにいらないと自分が言うのも妙な話なので、とりあえず受け取っておく。

「じゃあ、すまないが頼む。―――ハティ、迷惑かけるなよ」

 アルはハティの頭を撫でると、そのまま先に中庭を後にした。
 彼の背中を見送り、残されたクローディアは、ちらりと横を見る。

「……」

 ハティが、じっと自分を見上げていた。その無垢な表情に思わず心が締めつけられる。

「……じゃ、じゃあ……行きましょうか?」

 ハティがこくんと頷いた。
 二人は中庭から東棟を抜け、そのまま詰め所を後にした。
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