本編

 その後、試験は滞りなく進み、予定通り16時に終了した。
 クローディアが立会人に伝えた合格者は、最終的に6人。ほかの4人が選出した者と併せて合計は38人と、いつもより少ない結果に終わった。
 だが、数字以上の収穫もあった。

「あの人、推薦したの?」

 彼女の報告が終わるのを待っていたアヴリルと並んで、闘技場内を歩くクローディア。
 あの人。言わずもがな《魔獣殺し》の青年のことだ。推薦とは、正規の団員に推したのかということだろう。

「ええ。これまでずっと流れの傭兵だったから、受けてくれるか分からないけど」
「いつ話すの?」
「明日」
「ありゃ、また急だね」
「早いほど、こちらが本気だということも伝わるわ」
「まーねー。こっちも小粒ばっかりだったから、あの人には来て欲しいなぁ」

 今回アヴリルが合格としたのは、8人。クローディア同様、100人を超える志願者のほとんどが30秒と保たなかった。

「そういえばさ。あの人の魔法、ちょっとクロちゃんのと似てたよね?」
「……その呼び方やめてって、何回も言ったわよね?」

 アヴリルは、訓練校時代からクローディアのことを「クロちゃん」と呼ぶ。曰く「友達は愛称で呼ぶもの」らしいのだが、どうにも慣れないクローディアは何度も断ってきた。もっとも聞く耳を持ってくれたことは一度もないため、今はもう半ば諦めている。
 だが、思えばこうして親しく接してくれる友人と呼べる存在は、彼女くらいかもしれないとクローディアは思う。彼女を見る周囲の視線は大抵、好意的だが距離のあるものか、憎悪や嫉妬に歪んだものしかなかった。
 訓練校時代は学生寮の同室で、座学に弱いアヴリルの面倒を見たり、朝が弱い彼女を起こしたり、いろいろ手を焼いた。一方で、剣闘会では毎年ともに決勝を戦い、彼女は敗北を糧に翌年、必ず強くなって帰ってくる良き好敵手でもあった。一度でもクローディアと対峙した同級生のほとんどが諦めて再戦を避けるか、腐って嫉妬を拗らせるなか、アヴリルだけは今に至るまで彼女と共に走る良き友としてある。
 そんな存在が一人でもいることは、きっと幸せなことなのだろうと、クローディアは思う。

「ん? どしたのクロちゃん?」
「……いえ、なんでもないわ。でも、たしかに似てはいたわね。私は知らないけど、アリエル神の司る魔法かしら」
「アリエルさまは、どこの国でもなじみがある神様だから、いろんな伝承とか各地に残ってるだろうしねー。まだまだ知らない魔法いっぱいありそう」

 天空の神アリエルは、天候の神とも考えられており、多くの国で農業や漁業をはじめ、さまざまな面で重要な神とされる。そのため、まつわる神話や伝承が各地に点在しており、その数は到底知れない。

「あ、ねえねえ。このあと時間ある? 久しぶりにノルじいのパン屋、行かない?」

 闘技場を出たところで、アヴリルが昔のように誘ってきた。訓練校時代、よく二人でこっそり講義を抜け出し、絶品の焼きたてパンを買いに走った王都の有名店だ。

「悪いけど、このあと急ぎの仕事があるの。姫様から事件の調査を頼まれて」
「えーそんなぁー。せっかく久しぶりなのにー」
「しかたないでしょ。仕事なんだから」

 こうして事あるごとに拗ねるアヴリルをあやすのも、今も昔も変わらない。

「むー。今度、姫様に抗議してやる……」
「私に飛び火するから止めて……。というか、みんなしばらく王都にいるんでしょ? それなら別の日でいいじゃない」
「あ、そっか」
「……そっか、じゃないわよ」

 その後、クローディアはアヴリルと別れ、ライザから聞いた現場に向かった。王都中央の噴水広場から東へ伸びる大通り、その少し先にあるキャラバンの拠点が集まる一角だ。

「あ、先輩。お疲れさまです」

 先に来ていたライザが敬礼する。

「お疲れさま。……本当に綺麗ね。多少は損壊があるかと思ってたんだけど」

 目の前の建物を眺めながら、クローディアは不思議そうな表情を浮かべる。
 アルカディア・キャラバンの拠点は、4階建ての煉瓦建築だった。今は殺人事件の現場ということもあり、聖痕騎士団が常に入り口の脇を固めて、何人も立ち入りを禁じている。
 その建物の状態は、いたって普通だった。損壊した箇所は一つも見当たらない。ライザから事前に聞いていたとはいえ、その異様は不可解極まりなかった。

「事件前後で傷一つ増えてないそうです。いったいどんな魔法なんでしょうね……」
「事件現場は1階の裏路地に面した一室よね?」
「はい。こっちです」

 ライザの案内で建物へ入るクローディア。
 中では、多くの騎士団員が調査にあたっていた。彼らの敬礼に応えながら、クローディアは入り口から右へ伸びる木板の廊下を進み、右手に現れた最奥の扉を開けて中へ入る。

「ここが団長室です。中の状況は、事件があった時のままです」

 クローディアは室内を見回す。
 床には鮮血の跡が克明に残っており、惨劇の無残さを物語っていた。だが、それ以外は建物と同様に綺麗で、とても殺人があった現場とは思えない。

「事件の時、大通りの人手は?」
「深夜でもそこそこあったそうです」

 ライザの答えで窓から逃げた線は消えた。もうすぐ《豊臨祭》のため、この時期は一日を通して町の賑わいが絶えることはない。
 となれば、唯一の逃走経路は、入り口の正面にある裏路地へ面した窓だけだ。確かに深夜の裏路地なら、建物の影のおかげで見つかりにくいが……。

「ちなみに裏路地に面した窓は、事件のとき閉まってました。団員の皆さんが嘘をついていなければ、ですけど」

 当然、その可能性をライザが見落とすことはない。

「偽証の線は?」
「うーん……個人的にはないと思います。勘みたいなものですけど」
「例の傭兵試験参加者の調査はどう?」
「事件があったと思われる時間帯は、ほとんど寝てたか、酒場で騒いでたかです。前者の真偽を確認するのは難しいですけど、試験結果と合わせると犯人はいない可能性が高いかなと」
「なぜ?」
「ほぼ全員30秒もちませんでした」
「……なるほどね。あのレイチェル・ドーンに気取られず殺害する実力はない、と」
「試験で手を抜いてなければですけど、もしそうなら先輩たちがわかるはずですし、わざわざ試験を受ける理由もわかりません」
「たしかに、殺害したらすぐに町を出てしまえばいい。……団員の人たちは今どこに?」
「騎士団の旧学生寮で生活してもらってます。容疑者がいないとも限らないので、監視の意味もこめて。話、聞きますか?」
「いえ、いいわ。いったん犯人の目撃証言を集めるのに集中して」
「わかりました」

 敬礼したライザが、騎士団員たちに指示を出すために部屋を後にした。
 一人、団長室に残ったクローディアは、今一度、室内を見回し、小さく溜め息を吐いた。
 どうやら、かなり厄介な仕事になりそうだ、と……。
8/27ページ
スキ