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外伝

「さて、大河君」

何かのミステリー小説で得た知識だったか。
探偵が口火を切る時のお決まり台詞は『__ さて』なのだと。
別に其れにケチをつける訳ではないけれども。其れは紛れもなく何かの前兆には変わりない。
反応すら億劫で木偶の坊の様に無反応でいたら、声主はズイと視界に割り込んできた。
すいかジュースだなんてどこかレトロちっくな物を引っ提げて野坂が愉快犯の笑みを浮かべている。

「……用件だけ伝えてさっさと行ってくんない?」
「つれないなぁ、はい僕の奢り」

嫌味はなんなく躱されて手渡されたのは___ いちごジュース。
いちごのどでかいイラストに平仮名で『いちご』。しかも字体が勇ましいゴシック。
つい受け取ろうとしていた手は即座に引っ込んだ。

「俺、いちご苦手ナンダ」
「大根役者だなぁ」

こんな差し入れまで持ってきてどれだけ長居する気なんだと辟易する。
一度何かを思い立った野坂がストップを掛けても止まらない事は、嫌というほど一緒に生活していれば思い知らされる。言っちゃなんだが慣れた。

「大河君はさ、トロッコ問題ってわかるよね?そういう系好きでしょ?」
「……そういう系とは」
「心理テスト的な」
「まぁ、……否定はしないけどさぁ……」

トロッコ問題とは。
線路を走行していたトロッコが突如制御不能になった。
このままでは、進行方向にいる作業員5人を轢き殺してしまう事に。
そんな状況下、たまたま貴方は線路の分岐点にいた。レバーさえ引けば5人は確実に助かる。
しかし、その別路線にも作業員1人が作業中。5人を轢き殺してしまうか。1人を轢き殺すか。

「ちなみに皇帝は?皇帝だったらどうするわけ」
「僕は功利主義だからね、1人を犠牲にしてでも5人を助けるかな」
「そうだと思った」

あっけらかんと言い放つ野坂にこれまたあっさり頷く水月。

「まぁ僕が身を挺して止めるって選択肢があるならそれもいいかもね。5人助けて1人殺してしまうよりは、僕が死んで6人を助ける方が利益は大きいよね」
「さらっと自己犠牲発言すんなよ……やりかねないなぁ……」

ぶっ飛んだ事を言う。
時折危うい発言をするこの皇帝に気を揉んでしまう水月は、思わず嘆息。
野坂はそんな彼を面白がるかの様に覗き込んだ。

「それで、大河君は?君の事だし『その場に俺はいねぇ』とか『そんな危険な所で働かないね』?」
「声音似せようとしてんのやめてくんない??」

途中から頭痛がするかの様に頭を抱え出した水月は渋々といった感じで持説を挙げた。

「……助けられなかったことを悔やみ続ける」
「…………」

つまり、アクションを起こさない。事故が起こると分かっていながら動かない、何もしない。
野坂は唖然としながらも揺るがない淡黄色の瞳を視詰める。そこには微動だにしない静かな双眸があった。

「……一応この問題、最適解があるんだよね。『何もしないでその場から立ち去る』」
「義務論的に言えばまぁ、そうなんだろうね……」

そこで言葉を切った水月は睫毛を緩やかに伏せる。次に紡ぐ言葉を悩む様に。

「誰からも非難されない。トロッコ問題そもそもと無関係な人間でいられる。
レバーを動かした/動かさなかった責任を持たなくていいし、それが一番丸く収まる様に見える」

俺の意見は一見無神経だとか無責任だとか助けられただろう、とか言われるだろうけど。

「助けられなかった贖いにはなる。2度と同じ誤ちを繰り返す事のない様に」

其れは他でもない自分を戒める様な。其れは時々目的を見失ってしまう自分に気づかせる様に。

どちらともこの沈黙を破りたくなかった。破ってはいけないと思った。
静謐が肌を撫でる。机に置かれていた缶ジュースは少しぬるくなっていた。

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