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外伝

________ 花開いて風雨多し。

そんな諺が造られた様に、人の世は思い通りに事は進まない。
蕾を開いた花に容赦無く吹き付ける風雨の様に。物事が暗礁に乗り上げるかの様に。

巧妙に珍妙に創られたこの世界は、まるで密封された箱庭のようだった。
少年は浅く息を吐き、今日も五感から逃れようと自分自身をシャットアウトする。



「大河、おまえインソムニアってやつか」
「……無理にカタカナ用語使わなくても良いと思うけど」

振り返る事なく、平板に味気なく言い放つ。声主は振り返るまでもなく明瞭だった。
視界の端に鼠色の長髪が映り込む。布の繊維が触れ合う音が静寂を微かに揺らした。

「で、おまえは不眠症なのかよ」
「ノーコメント」

ゆらゆらと水面が2人の影を伸ばす。
気まずくはないけれど、しかし本来ならば生まれない空気感。玉響、世界から音が消えた。
足元の下草がサワサワと凪ぐ。

「……俺の事知ってもなんのメリット、ないのに。あんたらってつくづく莫迦だよね」

生温い琥珀色のその瞳が静かに湖畔を映す。“莫迦”呼びされた彼は眉を上げはしたものの。
慣れてしまったのか怒筋を浮かべる事なく、ただ静かに向こう岸を見詰めていた。

「仲間だからこそ、知っておきてー事だってあるだろ。……他のやつにも訊ねられたんだろ」
「……口が滑っただけだから」

“あんたら”

自分がうっかり招いてしまった失態に大河は思わず溜息を溢す。
其れが何よりの肯定だと判っていた灰崎は薄い笑みを浮かべた。
初めて大河から一本取ったのだ、と考えるとどうしても表情筋が揺らいでしまう。

「インソム……不眠症って断定した訳じゃ無いけど。神経が割と衰弱してる時はやっぱ、ね。ここんところは週2ぐらいで此処湖畔に来てるかも」
「……自然と神経張り詰めてるってわけか」
「さぁ。あんたらと過ごす事は疲れるけど苦痛じゃない。これでも最近は慣れてきた方。……そう思ってる事自体が間違いなのかもしんないけど」

普段の彼とは想像つかないほど滑舌良く喋んな、と灰崎は横目で彼を見詰める。
彼の双眸からは滲み溢れる日々への疲憊、彼が長身短躯だからこそなお感じる、身のか細さ。
打ち明けてくれている筈なのに彼がますます手の届かぬ者のように感じてしまい、灰崎は軽く遺失してしまった。

「……大河、お前、身を委ねられる様な奴、周りにいねぇのか」
「悪魔、それ思い切り愚問だから」

ははっと明らかに捻り出したのであろう乾き笑い。そのあからさまな態度が胸を突いた。
人間不信、とはまた違うのであろう。彼は周囲の人間を信じていないわけじゃない。
“水月大河”という人間を受け入れられる人がいないと断定しきってしまっているのか。
それとも、誰かに総てを委ねる事を放棄してしまっているのか。
誰か心置き無く愚痴から惚気話まで吐ける奴すらいないのか。

「……なんでも1人で抱えすぎなんだよ、ずりーよてめぇ……」

廃人化してしまった頃の幼馴染の輪郭と大河がぼやけて被る。あの時もこんな気持ちだった。
幼馴染は、茜は、自意識を喪失していた。けれど大河は自我を持ってこれなのだ。
自分の事では無いのに異様に其れが悔しくて湖畔の一点を食い入るように見つめる事しか出来ない。

「……ごめん」
「なんの、ごめんだよ。胸糞悪い話してごめん?それとも無駄に同情させてごめん?」
「灰崎、……」

双方とも当たりだったのだろう。
大河は弁解しようとしたのか口を開いたものの、言葉を発する事なくそれは閉じられた。
八つ当たりの様な形になってしまい、灰崎は髪を強く掻き毟る。

……彼にとっては一時のチームメイトでも。
これから先、続くまだ長い人生のほんの一瞬運命を交差させた者、だとしても。

水月大河にとって大きな存在でありたいという想いは烏滸がましいのか。
皆、何処か距離を置くお前に頼られたい、遠慮無しに接し合いたいと思っていることに気づかないのか。

空気は嫌に読めるのに。変な事まで察しやがるのに。
なんで自分事になった瞬間、鈍りやがる。

「いい加減目を覚ませ、てめぇの目は何の為にありやがる。
いいか、ニートでもアパシーでもチートでも、てめぇは俺達のチームメイトである事に変わりはねぇんだ。そうなった以上は独りよがりに零落させるなんて事は一切させねぇからな!!」

彼が中途で口を挟まぬ様にミサイルを連発するかの如く、灰崎は咆哮した。
ぐわし、と彼のジャージを力任せに引っ張り上げ揺さぶる。
不意打ちに論破を食らった大河は微動だにせず口を半開きのまま、灰崎を見詰めるばかり。

「…………」
「おい、返事は!!」
「…………」
「おい」

よっぽど驚愕したのか数回の瞬きと、息継ぎの最中。彼は一度たりとも喋らない。
それから、_________ふにゃりと目尻を和らげた。

「あんたらはもう充分に大きな存在だよ。……鬱陶しいぐらいに」
「……お前喧嘩売ってんのか」
「まさか」

ふふ、と何が面白いのか終いには笑い出した大河に、灰崎は当然眉を吊り上げて抗議する。

「……なんか勘違いしてるようだから明言しとくけど。言ったよな、俺別にあんたらと居ても苦じゃないって」
「は」
「俺としてはとっくに打ち解けた気でいたんだけど」
「は……?」

灰崎の目が点になる。勢い余って空回り……をした事に気づくまで数十秒時を要した。

「は、じゃ、じゃあ……」
「まぁ愚痴や惚気話を出来る程人情豊かな性じゃねぇけどな。“愚問”、の解釈間違えたでしょ」
「愚問って……いねぇよって意味じゃ」
「くだらねぇって意味だよ」

「……はぁっ!?」

憤慨のあまり思わず身から湯気が出始めた灰崎。
そんな彼を置いてきぼりに、宿舎へと身を翻した大河はいつもの意地の悪い笑みを浮かべた。

「じゃ、おやすみ。精々良い夢見ろよ」

勿論寝れる筈など無い。結局、灰崎は柄でも無い力説を吐いた挙句、完徹を果たす羽目になるのだった。



密封された箱庭の中では忙しくなく人と人の巡り合いが起きていて。
止め処ない人の連鎖は誰にも止められない。

けれどもどんなに風雨が邪魔しようが花は咲く。
どんなに本能から逃げようとしても結局は明日へと身を投じる他ない。

「いつか、全部……過去を語れる日があれば。………なんてね」

少年は浅く微笑んで瞼を閉じる。一頻りの風が少年の想いを乗せて大空に舞い上がっていった。
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