猫と私の協奏曲

2.動き出す

「おい。起きんか」
 何かがペチペチと結華の頬を叩いてくる。
「う、う~ん」
 結華は目を覚ますと三十センチくらいの猫が目の前にいた。
「マルがしゃべってる……。まだ夢の中にいるんだ。私……」
 結華は夢だと思い込もうとした。
「夢ではない! 現実を見ろ現実を!」
 そう言ってマルは結華の頬を叩く。
「痛い。夢じゃないんだ……」
 結華は頬の痛みで現実だという事を悟った。
「そうだ。わしは実際に動いている。夢じゃないぞ」
「ああ~~。陶器の猫が動いてしゃべっているよ……。あり得ないよ~~」
「どうして動き出したのかわしにも分からん。だが、落ちると思った瞬間に意識が宿った気がする」
 マルはそう言って腕を組んだ。
「それよか、マル」
「なんだ?」
 マルが結華を見つめて来る。
「あんた、でかくなってない?」
 マルは陶器の猫だったときは手のひらサイズだったはずである。それが三十センチになり、今や普通の猫と同じ大きさになった。
「そう言えばそうだな……」
 マルは今気づいたようだった。
 恐る恐る結華はマルに触った。ふわふわとしていて温かい。前に友人の猫を触らせてもらった時と同じ感覚がする。
「陶器の猫が本物の猫になったってこと?」
 結華はそう呟いた。こんなことってあるのだろうか。
「たぶんそうだろう」
 マルは結華の手をペロリとなめる。本物の下のようにざらざらとしている。
「わしが陶器の猫から本物の猫にどうしてなったのか。そんなのはどうでもいい。それよか、結華。わしはお腹がすいたぞ。なんか食べ物をもってこんか」
「そう言えばおやつがあったんだ」
 結華はおやつを取りに行った。おやつはどら焼きである。
「うまそうだな」
 マルは顔を輝かせる。そうしている間にもマルはどんどん本物の猫になっていく。さっきまでは白と青と黄色の三毛猫だったのに白と茶色と黒の三毛猫になっていく。本物の猫の色になっていった。
「うん。美味い」
 マルはどら焼きを食べて満足そうだ。
「くいしんぼうなのね……。その身体をしているだけあって……」
 結華はぼそりと呟く。今のマルはどこからどう見てもデブ猫だった。
「おいしいものは好きだぞ~」
 そんなのマルはお構いなしだ。
「お父さん、お母さんの許可を取らなきゃ……」
 陶器ならまだしも今や本物の猫なのだ。両親の許可がない限り飼えない。幸い結華の家は二階建ての戸建てだから近所の事は考えなくてもいい。それに両親は結華を家に一人で残すことを憂いているようだから、案外と許可が下りるかもしれない。
「人間は色々と面倒だの~」
 マルがそんなことを言う。彼は猫だから人のことなど良くわからないのだろう。
「人は面倒なの。勉強するから邪魔しないでね」
 結華はカバンから宿題を取り出して机に向かう。
「結華はコーコーセーとやらなのだろう?」
 マルがその様子を眺めながら訊く。
「うん。高校二年生。よく知っているね?」
 結華は感心した。
「どうやらこの身体には陶器であった頃の記憶も持っているようなのだ」
「ふうん」
 結華はそういうしかなかった。
「これから課題をするから邪魔しないでね」
 そういうと結華は課題を始めた。その間、マルはじっと結華のことを見ていたり、ごろごろしたりしていた。
 やがて居間に飾ってある柱時計が鳴る音が結華の部屋まで聞こえた。
「こんな時間か……」
 帰って来てから二時間くらい経っている。お腹の音が鳴り始めた。
「結華、おなかがすいたぞ」
 マルが文句を言う。
「はいはい」
 結華は二階に上がると冷蔵庫の中を覗いた。最初に目についたのは挽肉、そしてトマト缶。電子レンジを置いてある台の下の引き出しを見るとパスタがあった。これで今夜の夕食は決まりだ。
 パスタをゆでつつ、別のプライパンにオリーブ油でニンニクを炒め香りがしたら玉ねぎ挽肉をじっくりと炒め、味付けのスパイスとトマト缶を加えてソースを作る。それからしばらくしてソースとパスタを合体させて出来たのが、結華の時短ミートソースのボロネーゼだ。普段なら作るのは一人分だが、今日は二人分。誰かの為に作るのはとても久しぶりの事だった。

「うん、うまい。流石、結華だな」
 パスタをちゅるちゅると吸い込みながらマルが言った。
「それは良かった」
 おいしいと言ってくれる人がいる。それはなんて幸せなことだろう。
「そういえばお前の両親は今日も遅いのか?」
 食べ終わった後、マルが訊いた。
「うん。お仕事だから仕方ないよ……」
 結華は俯きながら言った。両親は教師をしていて子供たちの為に遅くまで頑張っている。
「お前はそれで平気なのか?」
「平気だよ。一人は慣れているもの……」
 本当は慣れてなんかいない。一人は寂しい。だがそれを言って両親を困らせる訳にはいかないのだ。
「強情な奴め……」
「何か言った?」
 結華が食器を片付けながら振り向く。
「いや。何も」
 マルはすっとぼけた。
「そう……」
 結華はそう呟くと食器を洗い始めた。その音を聞きながらマルは結華がどうやったら本音で話してくれるのか考え始めた。
 そのためには知らなければいけないことが沢山あると思った。

          *              *

「ねえ、お父さん、お母さん。猫を飼ってもいい?」
 朝起きると結華は父と母にマルを飼ってもいいか訊いてみた。そばにはマルがいる。今の時刻は五時。早く出勤する両親に合わせた格好だった。
「あなたが世話できるならいいわよ」
「僕も同感だ。世話がちゃんとできるならいいよ」
 結華の狙い通り両親は世話ができるなら飼ってもいいと言ってくれた。
「ありがとう。きちんと世話をするから」
 結華の顔が輝く。
「それにしても……。なんというか、味のある猫だね……」
 父は言葉を濁した。結華はその様子に笑いそうになった。なぜならマルは丸い形をしていてどこからどう見てもデブ猫だったからだ。陶器としてはかわいいのだろうが、本物の猫としてはどうだろうかと言ったところだ。
「あなた、そんなこと言っちゃだめよ……」
 母がたしなめる。だがそんな彼女でも笑いそうになっているため、説得力はゼロだ。
(マルをダイエットさせよう……)
 そう結華は決意した。
「じゃあ行ってくるわね」
「行ってくるな」
 六時ごろになると両親が職場に行く。結華は七時になると家を出て一時間かけて学校に行く。結華の学校の制服はセーラー服だ。今は夏なので清楚な白に赤いリボンが目立つ。
「じゃあ行ってきます」
「行ってくるがよい」
 マルは偉そうに言った。
「うん。じゃあ」
 結華はにっこり笑って家を出て行った。彼女が出て行った後、マルは何か考え込んでいたが、しばらくするとにやりと笑った。
「それではわしも行くか」
 そう言って窓を開けて外へと出て行った。
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