猫と私の協奏曲

1.マル

「ただいま~」
 誰もいない家に七宮ななみや 結華ゆいかは家に帰ると一階の東側の自分の部屋へと向かった。彼女の部屋は畳に換算すると八畳程のフローリングの角部屋で北側に机と本棚が、南側にはベッドとクローゼットがある。
「ただいま。マル」
 部屋の東側におかれていると白いチェスト。その上に鎮座している陶器の猫に結華は声をかけた。この陶器の猫は丸い円を描いた身体を持つ、三毛猫だ。丸い体を持つからマルと名付けた。彼女はえらく気に入っており、教師をしている両親がいない家に帰ったときもこのマルに声をかけるくらいだ。
「かわいいわね~~」結華はご機嫌に呟く。風船のような丸い体を手のひらに乗せて両手で抱きしめる。猫好きの友人が褒めちぎるほどこの猫はかわいらしい。
 この陶器の猫との出会いは一年ほど前にさかのぼる。久しぶりに両親の仕事の都合がつき、高校の合格祝いだと春休みに佐賀へと旅行に行った。母の希望で有田焼を見に行き、何軒も有田焼を扱う店を回った。
『こんにちは~』
 母と共にある店を訪ねて有田焼の陶器を見ていた。
『あれ?』
 結華はあるものに目を止めた。たくさんの丸々とした陶器の猫達。その中に白地に耳と体に青と黄色の丸模様がある三毛猫がいた。それがマルだった。
『かわいい~』
 気に入ってなでたりした。何故かこの陶器の猫に心惹かれたのだ。
『気に入ったのかい?』
 店主のおばあさんが訊いた。
『はい、可愛いです』
 そういうとおばあさんはうれしそうな顔をした。また来ますと言って一度はこの店を出て行き、別の店も回った。その後、もう一度この店に立ち寄った。
『結華。これはどう?』
 母はそう言って桜の模様が描かれた湯飲みを差し出した。薄い桜色をベースに濃いピンクで描かれた桜がとても美しい。
『うん。これにする』
 結華は一も二もなく頷いた。彼女は暖かくなってきた春の日に青い空から舞い散る桜が大好きなのだ。
『これを下さい』
 おばあさんにその湯飲みを渡す。
『あいよ。おまけにこの陶器の猫を入れとくね』
『いいんですか?』
 結華は驚いた。この陶器の猫だって売り物である。それをただで貰うとなると申し訳ない気がして。
 しかしおばあさんはにこにこしながらこう言った。
『気に入ったんだろう? 何回もその猫触っていたみたいだし……。それに桜の湯飲みを買ってくれたお礼』
 おばあさんの言葉にほっこりとし、とてもいい買い物をしたと思った。
『ありがとうございます』
 母と共に何遍もお礼を言った。
 こうしてこの陶器の猫は結華の家へと買われていった。マル、と名付けたのはそのすぐ後だった。丸々とした姿から連想してつけた。
 そんなことを思い出してマルを触っていると手を滑らせてしまった。
「あ……!」
 マルが床に向かって落ちる。このままだと粉々に砕けてしまう。
 しかし、粉々に砕けはしなかった。マルはくるりと一回転して地面に着地した。本物の猫のように。
「やれやれ。不注意な奴め。危うく粉々になるところだった」
 そんな声がした。
「え?」
 結華はどこからその声が聞こえたのかと不思議に思ってあたりをきょろきょろと見渡した。
「ここだ。わしはここにいるぞ」
 結華が下を見るとマルがぴょこぴょこと身体を動かしていた。
 その瞬間、結華の思考は停止した。普通に考えて陶器の猫が動くなどありえない。
 自分は幻覚を見ているのだ。そう思った結華はそのまま気を失ってしまった。
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