蕾に寄り添う大きな愛
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
その日は、朝から魔術の制御練習が続いていた。
指の関節がこわばり、掌にかすかな痛みが残っている。けれどノアは、無言のまま静かに屋敷の扉を開けた。
ふわり――
あたたかな紅茶の香りが鼻先をくすぐる。
シナモンと花の匂いが混じった、やわらかく甘い香り。
ノアの足が、ほんの少しだけ止まる。
「あら、ノアちゃん。おかえりなさい」
奥からリリィが現れた。エプロンをつけ、手には二つのティーカップ。
目が合った瞬間、リリィは優しく微笑みながら一歩近づく。
ノアは、言葉を返さない。ただ、そっと――差し出されたカップを黙って両手で受け取る。
リリィは気にする素振りも見せず、くすっと笑った。
「寒くなってきたから、あったかいのがいいと思って。少しだけ、シナモン入れてあるの」
ノアは小さく頷いて、テーブルの椅子に腰かける。
口には出さないが、落ち着いたように呼吸が深くなる。
「……今日、少し手が……うまくいかなかった。練習、してた」
「そう。ちゃんと、あなたなりに向き合ってるのね」
リリィも隣に腰を下ろす。カップを持ち、優しく香りを吸い込んだあと――
そっと、ノアの手元を見つめた。
「……あまり無理はしないでね。がんばりすぎると、壊れちゃうのはあなた自身なんだから」
ノアは、一瞬だけ肩を揺らす。
それは“怒られた”と感じた瞬間の反応だった。
けれど、リリィの声は変わらずやわらかい。
そのまま、何も強制することなく、静かに隣にいてくれた。
沈黙の中、ノアはカップの紅茶をひと口すする。
あたたかさが喉を通り抜け、胸の奥を満たしていく。
「……この匂い、すき。……リリィがいると、いっつもこういう匂い、する」
その言葉はぽつりと、零れるように。
リリィの微笑みが、やさしく深まった。
「ふふ、それはうれしいわ。ノアちゃん。……そういう時にね、“ありがとう”って言葉を使うの」
ノアは、ぱちりと目を瞬かせる。
手の中のカップを見つめながら、首を傾けた。
「……“ありがとう”?」
「うん。『うれしい』とか、『助かった』とか、そういう気持ちを誰かに伝えたい時にね。小さくても、ぽそっとでも大丈夫」
リリィの声は、まるでひなたの中にいるみたいに、やわらかく温かい。
ノアは唇を小さく動かしかけて――でも、言葉にはできなくて。
そのまま、ほんの少しだけ、うつむいて笑った。
「……むずかしい、ね」
「ゆっくりでいいの。言葉にできなくても、ちゃんと伝わってるから」
ノアは、小さく頷く。
「……うん」
あの日以来、紅茶の香りは、ノアにとって“帰ってきた匂い”になった。