蕾に寄り添う大きな愛
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夜風にさらされる裏庭の訓練場。
月は高く、静寂に包まれていた。
その静けさを切り裂くように、魔術の放たれる音が響いた。
火花のように、鋭い矢が闇を裂いて飛ぶ。
「……っ……!」
的に命中したかどうかも確認せず、ノアは次の術式を組む。
額に汗。荒い呼吸。
腕は震え、指先は赤く腫れていた。
それでも、彼女は止めようとしなかった。
そこへ――
「ノアちゃん!」
リリィの声が風を切った。
ノアはびくりと身体を強張らせた。
「ど、どうしたの……リリィ……?」
声はかすれて、呼吸が不安定。
魔力の消耗は限界に近い。それでも、まだ次の魔術を放とうとしていた。
「ノアちゃん、やめて!」
近寄ってきたリリィが、ノアの腕を強く引いた。
その瞬間、ノアの手の動きが止まる
「っ……なに、する……」
「これ以上はダメ!」
リリィはその手を掴み、ぐっと目を見開いた。
「見て、この手……!」
腫れて、裂けた皮膚の隙間から血がにじむ。
か細い指先に、魔術の痕が深く刻まれていた。
「こんなになるまで……魔術を使って……っ」
「……ご、ごめんなさい……!」
反射のように、ノアは頭を下げる。
「ごめんなさい、ごめんなさい…でも……っ、でも……怒らないで……捨てないで……!」
リリィの表情が一瞬だけ痛ましげに揺れた。
ノアは必死に言葉を紡ぐ。
「置いてかれたくなくて……役に立ちたくて……怒られるの、いやで……でも、できないままじゃ、もっと……見捨てられる……!」
その目は潤んでいた。
涙をこらえるように、歯を噛みしめている。
「ノアちゃん……」
リリィの声が、夜の空気に溶けるほどやさしく、しかしはっきりと響いた。
「怒ってるのはね、そんな傷を、自分に平気でつけるあなたに――よ。
こんなふうに自分を傷つけることを、“努力”なんて呼ばせない」
ノアははっとして、リリィを見上げた。
「捨てたりなんて、しないわよ。
あなたが泣いても、怒っても、黙り込んでも――私達は、ここにいる。
だからもう、自分を壊すような真似はやめて。お願い」
リリィはノアの傷だらけの手を、そっと包んだ。
ノアは言葉を失い、目を伏せたまま、ぎゅっと唇を噛む。
「……ごめんなさい……」と、か細くつぶやいたあと、もう何も言わなかった。
ただ、差し出された手を拒まず、黙って受け入れた。
それだけが、ノアにできる精一杯だった。
リリィに手を引かれ、ノアは屋敷の中へ戻ってきた。
訓練でかいた汗と、魔力を使い果たした疲労が体に重くのしかかる。
けれど、それ以上に心を覆うものがあった。
“怒られたのに、置いていかれなかった”
それが、今も胸の中で震えていた。
暖炉の前の椅子に座らされ、リリィは手早く包帯や薬を用意する。
ノアはそれを、何も言わずに見つめていた。
やがてリリィが戻り、ノアの手をそっと取る。
傷口を消毒しながら、柔らかな声で言った。
「しみるわよ。我慢できる?」
ノアは、小さくうなずいた。
声は出さなかった。
ピリ、と薬が染みる。
ノアの指が少し震えたが、それ以上何も言わない。
リリィは、そんな彼女の手を包み込むように包帯を巻きながら、ぽつりと話す。
「ノアちゃん、ちゃんと“怖い”って思えるのね。えらいわ」
ノアは、その言葉の意味がわからず、思わず顔を上げた。
「……こわい、って?」
「そう。置いていかれるのが怖くて、自分を傷つけてもがんばっちゃう。
それってね、強さじゃなくて……ずっと、ひとりで戦ってきた証よ」
リリィの手はあたたかかった。
それは、ノアが知るどんな「手」とも違っていた。
「でもね。もう、ひとりじゃないのよ。
カルエゴ様も、わたしも。
あなたがつらいとき、そっと隣にいられる人間になりたいの。
それだけは、信じてほしいわ」
ノアはまた、目を伏せた。
その目は伏せられているのに、揺れていた。
「……でも、わたし……うまく……できない」
言葉は途切れ途切れ。
唇が、恐る恐る音をつくる。
「やさしくされるの、慣れてなくて。どうしたら……」
「慣れなくていいの。今すぐ変わらなくてもいいのよ」
リリィは、手を止めてにこりと微笑んだ。
「あなたが困ったとき、“わたしがいる”って覚えてくれたら、それでいいの」
ノアはしばらく沈黙した。
何かを言いかけて、やめて、また沈黙して――
そして、ようやく。
「……リリィ」
名前を呼んだ。小さな、でもはっきりとした声で。
それだけで、リリィは満足そうに微笑んだ。
包帯を巻き終えた手を、そっと膝の上に戻すと、ノアはそのまま目を閉じた。
少しだけ、顔がやわらいでいた。
ほんの少しずつ。
それでも確かに、彼女の心はほどけはじめていた。