蕾に寄り添う大きな愛
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屋敷の午後は、まるで時間が止まったかのように静かだった。
ノアはリビングの隅、広すぎるソファの端に小さく座っていた。背筋はまっすぐで、両手を膝の上に添えたまま、ただ窓の外の景色を見つめている。
魔界の午後は、空気が冷たい。けれど、屋敷の中は穏やかに暖められていた。
それでも、ノアの体にはどこか、冷たい影がこびりついたままだった。
ピシ、と。誰にも聞こえないような音で、意識が張り詰めている。
まるで今にも、誰かに叱られるのを待っているような。そんな気配。
そして、その空気をそっと破ったのは、ふわりと漂う紅茶の香りだった。
「ノアちゃん……あたたかいの、淹れてみたの。ゆっくり、どうぞね」
優しくて、柔らかくて、どこまでも静かな声。
リリィが、銀のトレイを手に部屋へ入ってきた。小さな足音も、どこか床を撫でるようだった。
ノアはその声にぴくりと反応し、肩をわずかに強張らせた。
それでも振り返ることはなく、数秒後、ゆっくりと顔を上げた。
リリィと視線が合う。
敵意はない。けれど、心の奥に鍵をかけたような瞳。
ノアは何も言わず、差し出された紅茶をそっと両手で受け取った。
その所作は静かで丁寧。けれど、その手の動きには一瞬、わずかに震えがあった。
まるで――「受け取ってはいけないもの」に触れるように。
リリィはそんなノアを見つめ、変わらぬ微笑みで、そっと隣の椅子に腰を下ろした。
「無理に言葉はいらないのよ。ノアちゃんが、そうしてくれたことだけで、嬉しいわ」
その声は、本当に“怒らない”とわかる声だった。
ノアは少しだけ目を伏せ、黙ってカップに口をつけた。
あたたかい。
舌先に落ちた紅茶が、喉を通るたびに、すこしだけ身体の力が抜けていく。
ぽつりと――
「……なんで、そんなふうにするの」
声はかすれていた。
自分でも、口に出したことが不思議なような小さな問いだった。
リリィはその問いを遮らず、ただ微笑みながら答えた。
「ノアちゃんが、つらかったこと……わたしには全部はわからないけど……」
「でも、今ここにいるノアちゃんを、大事にしたいって、思ってるの」
ノアは手元のカップを見つめながら、ぽつりとこぼす。
「……わたし、まだ……」
「いいのよ。言葉は……ノアちゃんの心が追いついたときに、きっと出てくるわ」
リリィのその言葉は、押しつけがましさがまったくなかった。
ただ、そっと隣にいてくれるような、あたたかな言葉。
「……ここではね、がんばらなくていいの。ノアちゃんは、もう充分がんばってきたんだから」
ノアは目を伏せたまま、小さく息をついた。
けれど、その肩はさっきよりも少しだけ、柔らかくなっていた。
しばらく、二人の間に静かな時間が流れる。
何かを言う必要もなかった。紅茶の湯気が、二人の間をつないでいた。
やがて、ノアが、ほんの少しだけ横目でリリィを見た。
「……また、飲んでいい?」
それは、たった一言。でも、それは――
リリィにとっては、十分すぎる“はじまりの声”だった。
彼女は優しく頷き、笑顔で答えた。
「もちろん。次は、ノアちゃんの好きな味、探してみましょうね」
そしてノアは、また黙ってカップを口に運んだ。
でもその目元には、ごくわずかにだけ、光が宿っていた。
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