蕾は黒に見守られ花開く
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
バビルスの夜は、あまりにも静かだった。
風もない、星もない、ただ黒一色の空が、校舎の屋根を覆っている。
人通りのない保管室の奥深く、鍵のかかった扉が音もなく開いた。
影のように差し込んだ一人の少女。
ノアは感情を捨てたような顔で、ただ歩く。
一つ一つの動作は正確で無駄がなく、それでいて、どこか空虚だった。
目指すは、封印された魔書《黒燐の書》
禍々しい魔力を放つ禁書。触れるだけで正気を失うとされるそれを、
ノアはまるで日常の一部のように手に取った。
(……軽い)
かつて刃を握り、人の命を摘んできた手にとって、
一冊の本を盗むことなど造作もなかった。
そのまま背を向けようとした、まさにそのとき
「……誰だ?」
扉の向こうから、警備の悪魔の声。
ノアの思考は電光石火で処理を下した。
(気絶させる。五秒以内)
音もなく近づき、的確に首の一点を叩き、静かに倒れるよう支える。
その動作には何の躊躇もなかった。感情もなかった。
けれど。
「……ノア」
聞き慣れた声が、廊下の奥から響いた。
空気が変わった。胸が音を立てて跳ねた。
振り返ると、そこにいたのは
カルエゴ。
黒いローブが静かに揺れている。
彼の鋭い瞳が、ノアをまっすぐに捉えていた。
その視線は、怒りでも困惑でもなくただ、悲しみを湛えていた。
「……それを盗むのか」
カルエゴの声が低く響く。
その声だけで、心が揺らぎそうになる。
けれど、顔を伏せて、感情を隠す。
(聞かれてる……監視されてる……)
何も言えない。言ってしまえば、リリィが消される。
それでも、カルエゴは数歩、彼女に近づいた。
かつて夜に、彼女がうなされたときのように、ただ手を差し伸べようとするように。
「ノア。…戻ってこい。今なら、まだ」
「戻れません」
言葉が口を突いて出た。
表情はなかった。けれど声だけが、微かに震えていた。
カルエゴの目が痛むように揺れた。
彼女の中の葛藤を、すべて見透かしているかのようだった。
「どうしてそんな目をするんだ……お前は本当は……」
言いかけた彼の声を、ノアが遮った。
「私は、変わったんです」
そのまま、彼に背を向ける。
足音が静かな廊下に響く。
走り去る影は、振り返らなかった。
カルエゴは、ただその場に立ち尽くしていた。
あと数歩で届く距離だったのに──
それでも、伸ばした手は空を切る。
「……っ、ノア……!」
その声が、彼女の背に届いたかどうか。
それは、誰にもわからなかった。
やがてノアの姿は夜に溶け、
残されたのは、微かに揺れる空気だけだった