蕾は少しずつ言葉を知る
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バビルス学園の朝はいつもどこか騒がしくて、少しだけ落ち着かない。
けれどノアにとって、それは少しずつ「慣れてきた」と感じられる日々でもあった。
玄関先でリリィが身だしなみを整えながら微笑む。
「生徒会での研修、お疲れ様でした。今日からは、また日常ですね」
一瞬言葉に詰まりながらも、小さくうなずいた。
「…うん。いってきます」
それだけで、リリィは目を細めて見送ってくれる。
その背に、小さく手を振りながら歩き出した。
教室に入ると、すぐに違和感を覚える。
入間の様子が――おかしい。
「アリス〜、お茶くれ〜」
間延びした声でアスモデウスに甘える入間。
アスモデウスは困ったように微笑むが、黙って紅茶を差し出す。
「クララ、寒い。ひざ」
「えぇ!? ひざ!? わ、わかった〜!」
勢いのまま、クララの膝にちょこんと座る入間。
クララは顔を真っ赤にして、硬直したまま身動きひとつ取れない。
そして――入間は当然のように、ノアにも声をかけた。
「ノアもこっち来て。反対のひざ」
「……え?」
動きが一瞬止まった。視線を泳がせ、顔を赤らめながら、恐る恐るもう片方の膝に腰を下ろす。
(あったかい……でも、なにこれ……)
心臓が跳ねるのを感じながら、じっと俯く
その光景を見たクラスメイトたちがざわざわと騒ぎ始める。
「なにあれ……」「どういう状況?」「もしかして新手のプレイ?」
入間がちらりと教室を見回し、不満げに言った。
「見せもんじゃねーぞ」
「どう見ても見せもんだろ」と、ジャズが即座に突っ込んだ。
入間はむっとした表情を浮かべ、鼻をすすった。
「なんか寒いし……それに臭くないか?」
その一言で、クラスメイトたちの顔が引きつる。
アブノーマルクラスの向かいにあるゴミ捨て場――皆が面倒くさがって捨てに行かず、教室前にどんどん積まれているのだ。
壁には落書き、床には紙くず。環境は、最悪だった。
そんな中、入間がふいに立ち上がり、魔術を発動する。
「ラファイア!」
瞬間、ゴミの山が燃え上がる。すべて灰となり、風に流された。
「……気に入らねぇな」
入間は低くつぶやいた。
「このクラスには高位階悪魔も多いのに、この扱い……根本的になめられてる」
その目に静かな炎が宿る。
「決めた。この納屋から、城に移るぞ」
バビルス学園、職員室。
いつもは静寂に包まれる場所に、ドカドカと音を立ててアブノーマルクラスがなだれ込む。
入間が先頭に立ち、堂々とソファに腰を下ろすと、ノアの手を取って隣に引き寄せた。
「ノア、こっち。寒いから隣に」
戸惑いながらも、素直に従い、入間の隣にちょこんと座る。
その肩に、入間の腕が無造作にまわされる。
「……っ」
頬がじわじわと赤く染まり、視線を落とす。だが、逃げようとはしない。
カルエゴのこめかみがピクリと跳ねた。
「貴様…その手をどけろ、鈴木入間」
「ノア、嫌がってないよな?」
「…わ、わかんない」
消え入りそうな声で呟くと、入間はにやっと笑って、ノアの耳元に口を寄せる。
「先生、怒ってるねぇ。俺がノアちゃん取っちゃうかも?」
その瞬間、カルエゴの背後に重い殺気が立ちのぼる。
「……挑発と受け取っていいな?」
「まさか〜、俺そんなことしませんよ。ただ……言いたいことがあって来ただけですから」
入間は腰に手をまわしたまま、堂々と切り出した。
「アブノーマルクラスの教室移動を、正式に要求します」
「……は?」
カルエゴの眉が跳ね上がる。
「ゴミ捨て場の隣、寒い、臭い、壁は落書き。登校も授業の移動も不便すぎる。
この学園には高位階悪魔も多く在籍してるのに、あんな場所に押し込められてるのは納得いかない」
「ならば文句を言わず成績で示せ。それがこの学園の――」
「……だから、成績以外でも証明してみせます」
入間の瞳がまっすぐにカルエゴを射抜く。
「俺たち、王の教室に移りたい」
室内の空気が一瞬で凍りついた。
“王の教室”――かつて魔王が使っていたとされる、バビルス最高格式の教室。
その名を口にした瞬間、ケルベロスが唸り声を上げた。
カルエゴが前へ出て睨みつける。
「あそこは我が校が誇る名誉教室。貴様らごときが使用するなど、身の程を弁えろ」
「なら、証明します。俺たちがそれにふさわしいクラスだって」
「バビルス教員の過半数から、教室移動の許可を取ってきます。期限は――」
「……教職員全員の許可を。3日以内だ」
カルエゴが低く言い放つ。
「加えて――」
カルエゴはノアの腕を軽く引き、自分の隣に座らせる。距離を詰めるその行動は命令ではなく、自然な誘いのようだった。
「ノアの手を借りないこと。これは絶対の条件だ」
入間は即座に声をあげた。
「それは酷い条件だ。ノアはみんなの力になるはずだ!」
しかしカルエゴは厳しい目で入間を見据え、言葉を遮った。
「甘えるな。ノアはお前たちの道具ではない。頼ることは許さない」
入間は一瞬黙り込み、視線を落とす。
その間、じっとカルエゴの隣に座ったまま、少し迷ったように周囲を見渡す。
カルエゴの瞳は穏やかにノアを見つめていたが、どこか決意を秘めているようだった。
しばらく沈黙が流れたあと、カルエゴは淡々と言った。
「これで話は終わりだ」
入間たちはゆっくりと背を向け、去り際にちらりとノアを見た。
ノアは動かず、カルエゴの隣にいることで、少しだけ心が落ち着くのを感じていた。
窓の外はすでに茜色。魔界の空にも、柔らかな色が差す時間。
カルエゴは机に向かって書類をまとめながら、時折ちらりとノアを見る。
部屋の隅のソファに静かに座っていた。制服の袖を少し引っ張る仕草が、少しだけ落ち着かなさを滲ませている。
カルエゴが手を止め、低く言う。
「……なぜ、黙っていた」
ノアは目を瞬かせ、顔を上げる。
「…え?」
「あの馬鹿が“寒いから隣に”などと抜かしたとき、拒まなかった理由だ」
口をつぐんで、ほんの少しうつむいた。
「イヤじゃなかった。……あったかかったから」
しばらく沈黙が落ちる。カルエゴは何も言わない。けれどノアは、静かに言葉を続けた。
「……でも、先生の隣のほうが、もっと……安心する」
視線は合わせられず、膝の上で手をぎゅっと握る。
カルエゴは溜息をひとつつき、椅子から立ち上がる。ノアの前に歩み寄ると、しゃがみ込むようにして目線を合わせた。
「……寒いときは、私に言え」
ノアの瞳が、大きく揺れる。
「……え」
「理由がそれだけなら、他の者の隣にいる必要はない」
ノアの唇がかすかに開いて、また閉じる。そして――不器用に、けれど確かに笑った。
「……はい」
カルエゴは立ち上がり、くるりと背を向けて執務机に戻る。その背中に、ノアはぽつりと呟いた。
「……さっき、怒ってた?」
「当然だ」
即答だった。くすっと小さく笑いかける。
「……でも、ちょっとだけ嬉しかった」
ペンを走らせる手が、わずかに止まる。だが、カルエゴは振り返らずに答える。
「……何が嬉しいんだ、まったく」
「…カルエゴが、私のこと……ちゃんと見ててくれたから」
それ以上、2人は何も言わなかった。けれどその沈黙には、確かなぬくもりがあった。
カルエゴの背中もまた、ほんの少しだけ――柔らかく見えた。