光に導かれ蕾は色を変える
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
文化祭本祭の朝。
バビルス学園は朝からにぎやかなざわめきに包まれていた。校舎中にちりばめられた装飾、甘い匂い、どこからか聞こえる演奏……すべてが、まるでおとぎ話の中のようだった。
魔具研究師団の出し物スペースにて、ノアは一足早く準備を終え、静かに衣装を整えていた。
胸元のリボンを指先でちょんと直しながら、小さく深呼吸。
(……今日は、ちゃんと笑えるかな)
そんな小さな不安を抱えていたところへ――
「ノアち!」
元気いっぱいの声が響く。振り返ると、クララが子どもそっくりな兄弟たちを引き連れて現れた。
「仲良し満タン!ウァラク一家見参~~~っ!!」
「うわ……わ、わあっ」
ノアの目が丸くなる。足元を走り回るちびっこクララたちに囲まれ、思わずきょとんとする
「……ちっちゃいクララちゃん…かわ、いい……」
ぽつりとこぼしたその一言に、ちびクララズが一斉に抱きついてくる。
「おねーちゃんかわいいー!」
「いっしょにまわるー!」
「わっ、あ、ちょっと……くすぐった……ふふっ!」
必死に逃げようとしながらも、口元には自然な笑みが浮かんでいた。目線を逸らしながら、肩を揺らしてくすぐったそうに笑う。
「ノアち、笑ってる~♡」とクララがはしゃぐと、ますます照れて、ちょこんとリボンをいじる仕草をした。
そのとき、後ろからリリィの声がする。
「ノアちゃん、お待たせ! 今日はたくさん遊びましょうね!」
その隣には――
「……カルエゴ……!」
少しラフな格好のカルエゴが、腕を組んで立っていた。
「今日は“保護者”として来た。……警備は他に任せてある」
その言葉に、ノアの瞳がふわりとゆるむ。
「うん……来てくれて、うれしい」
ぽそっと言って、指先をきゅっと結ぶ。恥ずかしさと嬉しさの間で揺れるその頬が、ほんのり赤く染まっていた。
――それからは、まさに“まほうの一日”だった。
目を輝かせて駆け寄ったのは、カラフルな飴細工のお店。
「すごい……これ、どうやって作ってるの……?」
小さな舌でそっと味見し、「……あまい……ふふっ」と笑う。
リリィが「お顔についてるよ」とハンカチを差し出せば、「えっ……どこ?」と焦ってぺたぺた頬を触る。リリィが拭いてあげると、「……ありがと」ともじもじと目を逸らした。
祭りの熱気が夕暮れに溶けてゆく頃。
バビルスの校庭に立ち並ぶ出店は、どこも行列と笑い声で賑わっていた。
ノアは少し人だかりを離れた、ひときわ静かな屋台の前に足を止めていた。
射的屋だ。
木の台にずらりと並べられた景品の中に、一つだけ――目を奪われるものがあった。
それは、小さな黒猫のぬいぐるみ。
赤いリボンがついた、毛並みのやわらかそうなぬいぐるみだった。
「……」
しばらく黙って、それを見つめていた。
じっと、まるで何かを確かめるように。
隣ではリリィが軽く微笑む。
「ノアちゃん、それ……気になるの?」
びくりと肩を揺らし、慌てて視線をそらした。
「……べつに……ただ、ちょっと、かわいいなって……それだけ、で……」
小さく呟く声。
手のひらはスカートの端をぎゅっと握っていた。
そのとき、背後から低く静かな声が落ちる。
「どれだ」
「……!」
驚いて振り向けば、そこにはカルエゴがいた。
いつものように腕を組み、鋭い目つきで台の景品を見つめている。
「お前が見ていたもの。どれだ?」
ノアは一瞬ためらったあと、指をそっと、黒猫のぬいぐるみに向けた。
「……あれ。でも、無理、だと思う。奥にあるし、わたし……やったこと、ないから」
俯きかけたノアの頭の上に、ぽすっと大きな手が置かれた。
「なら、俺がやる」
「えっ……?」
カルエゴは静かに前に出ると、無言で射的の台の前に立った。
屋台のスタッフが「あっ、先生、やりますか?」と笑いながら木の銃を差し出す。
「……一回分でいい」
その言葉に、思わず息をのんだ。
「い、一回って……そんな、当たるかわかんないのに……!」
「黙って見てろ」
銃を構えるカルエゴの横顔は、いつも通り冷静で、隙がなかった。
片目を軽く閉じ、的へと鋭い視線を送る。
ノアは知らぬ間に、手を胸元でぎゅっと重ねていた。
(……お願い)
乾いた木の音が響く。
弾が景品の下の台座を正確に撃ち――
黒猫のぬいぐるみが、ぽとりと落ちた。
「お見事〜! 先生、狙いバッチリですね!」
屋台のスタッフが笑いながら景品を手渡すと、カルエゴはそれを受け取って、そのままノアの前に差し出した。
「……欲しかったんだろ。取った」
ノアは言葉を失ったまま、目の前のぬいぐるみを見つめた。
「……!」
ぬいぐるみをそっと抱きしめると、頬にふわりと笑みが灯る。
「……すごい。すごい、ほんとに……!」
そして照れ隠しのように顔をうずめ、小さく呟いた。
「ありがと……カルエゴ…すごい、嬉しい」
「そうか」
そう言いながらも、カルエゴの声はどこかほんの少し、優しかった。
しばらく黙ったまま、ぬいぐるみを抱いたノアは、ふとカルエゴの袖をちょんと引いた。
「……つ、次…あれ、食べてみたい……かも」
「言い方が曖昧だな。欲しいのか?」
「……うん。たべたい、…」
照れ隠しのようにぬいぐるみに顔を隠すノアに、カルエゴは「仕方ないな」と言いつつも、迷わず代金を払い、差し出した。
「……ありがとう……」
その声は、いつもより少しだけ高く、弾んでいた。
そして夜が近づく。空に星が瞬き、後夜祭の灯がともる直前。
リリィがふと、そっと手をつないだ。
「ノアちゃん、今日、楽しかった?」
まるで弾けるように、はにかんだ笑みを浮かべた。
「……うんっ! すごく、たのしかった!」
声を上ずらせて、ぱたぱたと足を動かし、両手を広げるような仕草で喜びを示す。
その姿にリリィは思わず笑い、カルエゴは……いつもよりほんの少し、口角を上げていた。
そして別れ際、もじもじと手の中にぬいぐるみを抱きしめながら言った。
「……わたし、もっと……笑ってもいいのかな」
カルエゴはその問いに、迷わず答える。
「ああ。……お前の笑顔は、悪くない」
その一言に、ノアの頬が真っ赤に染まる。
「な……っ、そ……っ、それ、もう……!」
慌ててうつむき、でも……隠しきれないほどの、嬉しそうな笑顔。
――“家族”と過ごした初めての文化祭。
はしゃいで、笑って、甘えて、照れて。
そんな一日が、ノアの中にずっと残る、宝物になった。
射的の黒猫をぎゅっと抱きしめたまま、まだ余韻のなかにいた。
カルエゴとリリィと三人で巡った文化祭――
どの景色も、心の奥にあたたかく、ふんわりと残っている。
けれど、その時間も、そろそろ終わりが近づいていた。
「……カルエゴは、もう行くの?」
ぬいぐるみ越しに、そっと尋ねるノア。
カルエゴは短く頷き、時計のような懐中具をちらと確認した。
「教員の報告業務がある。後夜祭が始まる前に済ませてくる」
いつも通りの、淡々とした口調。
だけどノアには、その奥にほんの少しの名残惜しさを感じ取っていた。
「……うん。気をつけて」
「お前も、遅刻しないように」
「……うん」
それだけ言い残して、カルエゴは夜の闇に消えるように去っていった。
その背を見送る。
黒猫のぬいぐるみを抱きしめ直しながら、小さくため息をついた。
隣にいたリリィが、ふっと笑った。
「名残惜しそうですね、ノアちゃん」
「……ちょっとだけ。楽しかったから……すごく」
少しだけ頬を赤らめ、視線を逸らす。
でも、確かに――今のノアは、感情を隠すだけじゃなく、“伝える”ことを覚えてきていた。
リリィはそんなノアを優しく見つめながら、膝を軽く折り、目線を合わせる。
「さ、そろそろ講堂の方に向かいましょうか。後夜祭が始まっちゃいますよ」
「……うん」
黒猫のぬいぐるみを抱えたまま歩き出す。
けれど、数歩進んだところで――リリィが立ち止まり、少しだけ言いにくそうに言った。
「ごめんなさい、ノアちゃん。わたし、ここで一度戻りますね。先生の屋敷の準備、しておきたくて」
「……お家、に?」
「ええ。帰ってきたとき、あたたかく迎えてあげたくて」
その言葉に、胸の奥がじんとあたたかくなる。
“帰ってくる場所がある”という響きに、心が震えた。
「そっか……」
「ノアちゃんは、ちゃんと講堂に行って、楽しんできてね」
リリィはふんわりと微笑んで、ノアの頭をそっと撫でた。
こくんと頷いて、でも名残惜しさに少し口を噤む。
「……リリィ」
「はい?」
「……“先にお家で待ってるね”って、もう一回……言ってくれる?」
リリィは目を丸くして、すぐに優しい笑顔で言った。
「もちろん。
ノアちゃん、先にお家で待ってるね。
カルエゴ様と一緒に、ちゃんと帰ってくるの、待ってるから」
ノアの唇がふるふると震え、目元が少し赤くなった。
それでも、涙はこぼさない。
「……うん。行ってくる、ね」
小さな声に、リリィはうんうんと頷き、ノアの背を軽く押した。
そうしてぬいぐるみをぎゅっと胸に抱いたまま、講堂の灯りへと向かって歩き出した。
誰かが待ってくれる。
帰る場所がある。
そのたったひとつの確信が、ノアの背を、そっと支えていた。