光に導かれ蕾は色を変える
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選択科目の用紙が配られた昼下がり、ノアは悩んでいた。
選ぶ授業は自由。戦闘系、知識系、芸術系……さまざまな科目が並ぶ中、ひときわ異彩を放つ一文が目に入る。
『誘惑術基礎 ~担当:サキュバス教師ライム~』
読んだ瞬間、隣から勢いよく身を乗り出したクララが、満面の笑みで声をかけてきた。
「ねぇノアち!これ、一緒に出ようよぉ!絶対楽しいって!誘惑の授業だよ!誘惑っ!」
「……誘惑……?」
言葉の意味は分かる。しかし、それを学ぶというのは――想像がつかなかった。ノアは少しだけ眉をひそめたが、クララの期待に満ちた瞳に押される形で、小さくうなずいた。
「……わかった。付き合う」
その一言で、クララは手を叩いて喜んだ。
***
授業当日。教室に入ると、薔薇の香りが漂っていた。
真紅のカーテンが下がり、妖しくも華やかな空間。中心に立つのは、サキュバス教師・ライム。
艶やかなピンクの髪に豊満なスタイル、どこかミステリアスな微笑みを浮かべる彼女が、しなやかに腰を揺らしながら教壇に立った。
「ようこそ。“エロス”の世界へ」
一同が凍りつく中、ライムは優雅に手を広げて続ける。
「エロスとは育てるもの。サキュバスは相手好みに姿を変える種族だけれど、本当に大切なのは――“技術”」
くるりと踊るように回りながら、彼女はピンク色のテキストを生徒たちへ配る前に
「あなたたちの魅力度、わたくし見抜きますからねぇ?」
ノアは息を飲んだ。
(魅力度……?)
ライムの視線が、生徒ひとりひとりを順に射抜く。
「エリザベッタさん、89%。素晴らしいわ!テキストAね!」
「クロケルさん、51%。うーん、低めねぇ……テキストB」
「ノアさん、70%。あら、思ったより高いのね!テキストAよ」
「……えっ」
一瞬、自分の耳を疑った。
70%。それは、思っていたより高い数値だった。周囲の視線が一瞬だけ集まり、そっと視線を逸らした。
そして最後にライムが向き合ったのは、クララだった。
「クララさん、あなたは……2%!?ベイビーちゃん!あなたには特別テキスト!」
ライムの手には、【初めての誘惑】と書かれたポップな絵本のような本があった。
クララは何が何だかわからない様子で、目をパチパチさせていた。
***
授業後。クララは意気込んでいた。
「私ね!誘惑ってやつで、入間ちをメロメロにしてみせるんだー!」
「……入間くんを……?」
「当然だよー!ノアちも応援して!」
ノアは頷きその後、クララは意気揚々と試行錯誤を繰り返す。
① ポージング作戦
「エロとは仕草で勝負!柳腰で足は開いて!でも手元は可愛く!」
……結果、ハートのポーズを頭の上で作って肩幅に足を広げるという謎の格好に。入間くんは「ダンス?」と戸惑う。
② タッチ作戦
「男子はね!女の子に触られて嫌な人いないって!」
と、背後から入間に抱きついて「せっせっせーの、よいよいよいっ♪」と遊び始めた。……遊びで終わった。
クララの努力はことごとく空振りに終わり、ついにはライムから「向いてないかもねぇ」と言われる始末。
***
授業後の夕暮れ時。校庭の片隅で、座り込むクララを見つけた。
肩を落とした彼女に、そっと近づく。
「……クララちゃん」
「……あ、ノアち……」
「大丈夫?」
「……うん、でも……やっぱり私、誘惑とか苦手だぁ」
ノアはそのままクララの隣に座り、静かに言った。
「無理…しないで。クララちゃんのままで……入間くんは、ちゃんと見てるよ」
その言葉に、クララは少しだけ目を潤ませた。
でも、ふいに立ち上がって「ありがとー!」と笑顔で走り出していった。
しばらくして、校門の方からクララと入間が仲良く帰っていく姿が見えた。
クララはいつもの元気を取り戻し、楽しそうに話しかけ、入間も笑って応えていた。
その光景を見つめながら、胸の中に残っていたもやが、少しだけ晴れていくのを感じた。
(……そっか。クララちゃんの“らしさ”は、ちゃんと届いてる)
目を細めるノアの頬には、気づかぬうちにほんの少しだけ、微笑が浮かんでいた。
***
―後日・職員室にて―
バビルス学園の一角、静かな職員室。規律と秩序の空気が張りつめるその空間に、重たい革のブーツが響いた。
「…… ノア。お前、少し来い」
いつものように淡々とした口調だったが、どこか言いづらそうな空気を含んでいた。
呼ばれたノアは、教室の片隅で本を読んでいた手を止め、カルエゴの方へ向かう。無言で隣に立つと、カルエゴはしばし言葉を探すように眉間に皺を寄せてから、ぽつりと切り出した。
「……お前、先日受けた選択授業。ライムの“誘惑授業”だったそうだな」
ノアの目が少しだけ見開かれる。
「……うん」
一拍の沈黙。
カルエゴは目元をピクリと動かしながら、低く唸った。
「なぜ、そんな授業を……よりによって、誘惑など?」
「クララちゃんに……誘われて」
「クララに……」
カルエゴの声がそこで途切れる。想像はついたらしい。納得したようなしていないような、複雑な顔をして溜息をひとつ。
「……内容は、理解したうえで受けたのか?」
「うん。テキスト、もらって。講義も、聞いた。……誘惑って、勉強になる」
「……」
カルエゴは眉間を押さえた。ノアの返答は実に真面目で、下心の欠片もない。だからこそ、逆に厄介だった。
「……誤解されやすい授業だぞ。特にお前は……何というか……」
「……なに?」
「……いや、いい。変な影響を受けていないなら、それでいい」
どこかほっとしたように肩を落とすカルエゴ。その姿を見て、ノアがほんの少しだけ声を落とす。
「カルエゴ…先生は……イヤ?」
「……そういう意味ではない。ただ……」
言い淀んだあと、カルエゴは ノアの方をまっすぐに見る。
「お前のことは、私が直接面倒を見ている。だから、気にして当然だ」
ノアは数秒沈黙し、それから目を伏せるようにして、少しだけ言葉を零す。
「……怒ってないなら、よかった」
「……怒ってなどいない。ただ……次は、もう少し考えてから選べ。わかったな?」
「……うん」
ノアの素直な返事に、カルエゴはようやく安心したように背を向けた。その歩みはどこか、呆れと安堵の混じった、教師らしいものだった。
ノアはその背中を見送りながら、静かに口元を緩めた。
(……心配してくれたんだ)
その日、ノアの胸の内にはほんの少しだけ、温かいものが灯っていた。