蕾は、黒に包まれて目を覚ます
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その日、カルエゴとともに屋敷の外へと出た。
街路は石畳が陽に照らされてまばゆく、店先には色とりどりの商品が並び、通りすがる人々の声や笑いが絶え間なく響いていた。
人混みを避けるようにカルエゴの隣をぴたりと歩いていると、ふと、背後から誰かがぶつかりそうになった。
『――っ!』
ノアの体がとっさに構えかけた、その瞬間。
「下がれ」
カルエゴがすっと腕を伸ばし、ノアを自分の後ろに引き寄せた。ノアの前に静かに立つその背中が、どこまでも頼もしく見えた。
胸の奥が、きゅっと締まる。
(守られた……?)
それは、これまでの人生で味わったことのない感覚だった。誰かが自分のために立ちふさがり、庇ってくれる――その温かさに、ノアの心はふるえていた。
そして、ふと見上げたカルエゴの横顔。
凛とした目元、風に揺れる髪、そのすべてが一瞬、まぶしく映った。
(どうして……こんなに、胸が苦しいの?)
その夜。
ノアは一人で眠れず、部屋の外に出てリリィのいる厨房へと足を運んでいた。
リリィはすでに片付けを終えたところで、ノア ノアの姿を見ると優しく迎えてくれた。
「どうしたの、ノア? 眠れない?」
『……うん。ちょっと、考えごと。』
リリィは微笑んで、カップに温かいミルクを注いでくれる。その甘い香りに少しだけ落ち着いたノアは、ぽつりと打ち明けた。
『今日、カルエゴさんと街に行って……守ってもらって……それで、なんだか、胸が変なの。』
「変?」
『うまく言えないけど、苦しいのに……すごく、あたたかくて……嬉しくて……』
リリィは少し驚いたように目を丸くし、すぐにふわりと微笑んだ。
「それってね、ノア。たぶん、“恋”だよ」
『こい……?』
「うん。誰かを大切に思って、その人のために何かしたくなったり、一緒にいるだけで嬉しくなったり……心がふるえて、苦しくなるような気持ち。たぶん、それが恋」
ノアはしばらく黙ってミルクを見つめていたが、やがてゆっくりとうなずいた。
『……わたし、カルエゴさんのことが、好き……なのかな』
その言葉を口に出した瞬間、自分の頬がかっと熱くなるのを感じた。
リリィはそんなノアの様子にそっと手を重ね、優しく笑った。
「うん。きっと、それは素敵なことよ。大事にしてね、その気持ち」
ノアは胸に手を当てて、そっと目を閉じた。
――この想いが、ただの憧れではないことを、確かに感じていた
恋――。
それは、ノアにとって未知の感情だった。
甘くて、苦しくて、けれど確かに胸の奥で灯り続ける火のようなもの。
翌朝。
ノアはいつもより早く目を覚ました。まだ誰も起きていない薄明かりの中、静かに身支度を整える。
屋敷の廊下をそっと歩いて厨房に向かうと、そこにはやはり、もう準備を始めているリリィの姿があった。
「ノア? 早いのね」
『……紅茶の淹れ方、また教えて』
ノアの言葉にリリィは少し目を丸くし、すぐに優しく微笑んだ。
「ええ、もちろん。カルエゴ様の好みに合わせて、今日も一緒に練習しましょう」
紅茶の葉の量、お湯の温度、抽出時間――細かな手順を一つひとつ覚えていくノア。
その指先は不器用ながらも、どこか真剣で、愛おしささえにじんでいた。
カルエゴがまだ気づかぬところで、ノアは少しずつ“特別”になろうとしていた。
***
そして、ある日の朝。
ノアは自分の手で淹れた紅茶を、いつものようにカルエゴの席にそっと置いた。
湯気の立ちのぼるカップを見つめ、ほんの少し、期待を込める。
カルエゴはいつものように静かに手を伸ばし、紅茶を口にした。
「……悪くない」
その一言に、ノアの胸が小さく跳ねた。
思わず口元がほころびそうになるのを、ぐっとこらえる。
『(気づいてないかもしれないけど……それでも、嬉しい)』
***
日々の訓練の合間にも、少しずつ変化が生まれ始めていた。
目が合うとすこし照れて目をそらしてしまう自分。
ふいに褒められた時の、顔が熱くなる感覚。
(この気持ちは、もっと強くなるのかな……)
けれどそれと同時に、ノアは自分の中にひとつの恐れを抱えていた。
――伝えたら、嫌われるかもしれない。
カルエゴの隣にいることが、あたりまえになっていた今。
その居場所が崩れる未来は、想像しただけで息が詰まるほど怖かった。
だから、想いは胸にしまったまま。
紅茶を丁寧に淹れること。強くなろうと努力すること。
それだけを、そっと積み重ねていく日々。
それが、今の自分にできる、精一杯だった。
そしてノアは今日もまた、何も言わずに微笑まず、ただ静かに、彼の背を見つめていた。