蕾は、黒に包まれて目を覚ます
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カルエゴに助けられ、屋敷で保護されるようになってから、ノアは少しずつ変わっていた。
読み書き、魔力の制御、飛行、そして魔術――。彼女の毎日は知らなかった世界に満ちていて、目まぐるしくも、どこか温かいものだった。
けれど最近、彼と話すたび、胸が少しざわつく。
厳しくも静かなあの瞳に見つめられると、心の奥が熱くなる。
それが何かはわからない。ただ、なにか――もっと認めてもらいたい、喜んでほしい。そんな思いが芽生えていた。
ある晩、廊下ですれ違ったリリィに、ふとその想いをこぼした。
「カルエゴ……喜ぶものって、あるの?」
リリィは目を丸くして、それからふわりと笑った。
「そうですね……。あの方、実は紅茶がお好きなんですよ。特に朝のダージリンは欠かしません」
ノアは小さく頷いた。「……教えて」
それが、秘密の小さな約束の始まりだった。
夜、使用人用の台所の隅で、二人は肩を並べた。
「今日はこの葉を使ってみましょう。香りが違うの、わかりますか?」
「……うん、ちょっと……甘い」
慣れない手つきで湯を注ぎ、三分、香りを閉じ込める。
最初は何度も失敗した。苦すぎたり、薄すぎたり。リリィに思わず「もういい」と言ってしまった日もあった。
けれど、彼女は決して怒らなかった。
「焦らなくていいんですよ。ノアちゃんのペースで。……それに、誰かを喜ばせたいって気持ち、とっても素敵です」
少しずつ、自分の手で丁寧に淹れた紅茶が、やさしい香りを放つようになった。
「これ……なら、飲んでもらえるかな」
リリィは一口含み、微笑んだ。
「きっと。とっても、やさしい味がしますよ」
台所の灯りの下、ノアは少しだけ唇を緩めた。
笑っていないけれど――ほんの少し、顔が和らいだ。
それは、誰かのために何かをしたいと願った、ノアの最初の「贈り物」だった。
***
【カルエゴ視点】
廊下の奥、使用人用の小さな台所の扉がわずかに開いていた。
この時間、誰も使うはずのない場所だ。
静かに足を止め、中を覗いたカルエゴは、そこで意外な光景を目にした。
――ノア。
見慣れた黒髪の少女が、小さなティーポットを両手で支え、蒸らし時間を計っていた。
その傍にはリリィ。優しい表情で何かを囁いている。
「……まだちょっと苦いな」
「でも、前よりずっとよくなってます。焦らないで」
カルエゴは無言でその様子を見つめていた。
ノアの表情は真剣だった。
紅茶の香りを確かめるように深く息を吸い、湯の温度を調整し、慎重に葉を揃える。
……魔術の訓練の時と、同じ顔をしていた。
だがその眼差しには、明確な“誰か”がいた。
――俺のため、か。
カルエゴはそっと背を向け、扉を閉じた。
足音を立てぬよう、静かにその場を離れる。
心の奥に、微かに灯った熱を、彼自身まだどう名付ければいいのか分からなかった。
***
【ノア視点】
翌朝。
ノアはひとりで早く起き、準備を整えた。
トレイの上には、昨夜リリィと最終確認した紅茶と、手製の小さな焼き菓子。
見よう見まねで作ったものだが、香ばしく焼き上がったそれを、リリィは「きっと伝わりますよ」と微笑んでくれた。
カルエゴが書斎にいるのを知っていた。
ノアは、トレイを手にそっと扉をノックする。
「……入れ」
いつもの冷静な声が返る。
扉を開けると、書棚に囲まれた空間に、カルエゴが背筋を伸ばして座っていた。
『……これ』
差し出すトレイを、カルエゴは静かに見下ろす。
紅茶の香りが、ほのかに部屋に広がった。
「……なんだ」
『……練習、した。……飲んで、ほしい』
一語一語、丁寧に選ぶようにノアは言った。
カルエゴはしばらく黙っていたが、やがて視線をそらし、ゆっくりとティーカップを持ち上げた。
口に含むと、わずかに目を細める。
香り高く、苦みと甘みがきちんと調和していた。
「……悪くない」
たったそれだけの言葉。
けれど、その言葉の端にあるわずかな緩みが、ノアの胸を優しく打った。顔を上げた瞬間、頬が熱くなる。
――嬉しい。
こんなにも嬉しいと思ったことは、今までになかった。
『……ふふ』
それは、あまりにも自然な、初めての笑顔だった。
カルエゴが少しだけ目を細めたように見えたが、何も言わなかった。ただ、その視線がノアの頬に触れたとき、ノアの胸が静かに跳ねた。
(この人に、もっと喜んでもらいたい)
ノアは、まだ知らない感情に、静かに足を踏み入れていた。