桜の季節


 河川敷に植えられた桜並木は、毎年人々の目を和ませる一種の娯楽名所となる。
 そのうちの樹の一本が倒れた、と寺に話が持ち込まれたのはつい先だってのこと。ちょうど、師走に入ったばかりのことだった。
 その桜というのが、少しばかり変わっているのだそうで、折れたからと処分するには惜しいのだという。
 ちょうど、鬱蒼としたまま手つかずだった裏の敷地を更地同然に整理したばかりだった。あるいはそれを見越しての話だったのかもしれない。
 あれよあれよという間に件の桜は寺にやってきた。

 持ち込んできた者が言うに、その樹は周りの木の根に押しやられていたそうだ。追いやられ、栄養が回らず根腐れを起こして倒れたのだという。周りに比べると全体的に小振りで、一回りほど幹も細かったのだそうだ。
 根腐れした部分は取り除いたというが、この場所でその木が根付くのかどうかまでは皆目検討もつかない。ものは試しというやつだった。

 一見、珍妙な箇所は見られない。ただの樹にしか見えぬが、十月に花をつけて散ったばかりだったという。
 秋の川辺りを唯一彩ったとあって、惜しむ声が多かったそうだ。
 その花をも失い、根をも枯らしたという姿は寒々しいようにも思われた。
 支柱を立てられ、かろうじて佇む桜の樹はどことなく不安げな気配を漂わせている。
 はてさて。と嘆息しつつ、なるようになると来たばかりの桜を見上げるばかり。
 だが、その夜半になって、声は聞こえて来た。
 初め、それは木の葉の擦れるただの音のように思われた。その音がすすり泣く声だと気付くには然程の時間を要せず、やれやれと布団から這い出す。
 勝手口を開けて、外に出るとさめざめと泣く声は、予想の通り裏から聞こえてくる。
 裏に回ろうと角を曲がった直後、激しい突風に見舞われて、腕で目元を庇う。その腕越しに開いた薄目に、薄紅の花弁がはらはらと舞うのが見えた。
 が、ほんの一瞬のことではたと我に返った時には花弁などどこにもなく、辺りには落ち葉一つ無い。
 しかし声は止まなかった。
「――そんなに、ここが不満かね」
 思わず嘆息とともに口をついて出た。
 樹は驚いたのか、一瞬声が止み、一拍置いて枝がさわさわと風もないのに震える。
「では何がそんなに哀しいのか」
 そう問いかけると、桜は語り始めた。

 桜曰く、
「自分はどうして、みんなと一緒に咲いて散らなくてはならないのが不思議だった。何故そう思うのかはわからないが、そう思った。年に一度しか人が観に来てくれないのも寂しかった。周りの樹には「そういうものよ」「そのうち慣れる」と嗜められたが満足いかなかった。だから少しばかり花の時期をずらせはしないものかと試行錯誤したのだ」

 と云うようなことをつらつらと、嗚咽混じりに語る。

 甲斐あってか、試してみたところそれは成せたのだと、桜は続けた。

「そうしているうちに他の樹たちの花が咲かない時にも花を咲かすことができるようになった。人が見に来てくれる回数が増えたのが嬉しかった。
 けれども、他の樹から「目立ちたがりだ」と非難じみた声が聞こえるようになり、周りの木々が結託したかのように根を伸ばし始め、私を押し上げたのだ」

 そう言い終えると、わぁっと泣き崩れた。
 呼応するように風もなく枝が上下にざわめく。
 内心、木々の世界にもそんなことがあるのだなと変に感心しながらも
「そうか、そうか」
 と声をかけてやる。
 軽く触れた幹はやんわりと温かく感じる。
「ここはほかの樹がなくて寂しいだろうか」
 と尋ねてみると、枝音がやんわりと静まった。
 わからない。と言っているようだった。
 さてどうしたものかと、腕を組んで見上げる。
 私は樹の種類や知識には疎い。さして興味も持ってこなかった。
 樹が樹の意思を以てして、時期をずらすだの複数回咲くことができるのかだとか疑問はあるが、マァそんなことはどうでもよかろう。
「不満はあるかもしれないが、今の俺にできるのはお前さんをここに置いておくことと、話を聴くぐらいだが、――お前さんはどうしたい?」
 さわ、とわずかに枝が揺れる。
 やはりわからない。と言っているようにも思えた。
「好きなようにすればいい。辺りはこの通りは殺風景だが、春に咲いてくれれば檀家さん方は喜ぶだろうし、この場所を花見に開放してもいい。お前さんがここに根を張る気があれば、だが」

 枝は動かない。語りかける言葉もなかった。

「春まではまだ長い」
 そう告げて、一つ身震いをして母屋に戻る。

 翌日には植木屋を訪ね、栄養促進剤などを求めたりもした。
 しかし、あれから一度たりとも、桜が語りかけて来ることはない。
 とはいえ生活はさして変わることもない。世話らしい世話をするでもなく、ただ日々傍に行き、暇を見つけては様子を見ていただけのことだった。
 彼の者からの返答はないまま、忙しい日々を過ごしつつ年末を迎える。
 年が明けると一気に冷え込んだ。新年は、やたらに雪がちらつくのを頻繁に目にする。積もることも例年に比べて多いように感じた。
 雪の中、佇む桜の姿は寒々しい。
 太くはない幹に添木をされているから、余計にそう思えてしまうのだろう。
 桜の樹に意思が宿るのか、あの夜のことが真実なのかは、体験した身であっても半信半疑だ。
 数日も経つと、寝ぼけて夢を見た可能性の方が高いように思えてきたからだ。
 ただ毎日裏に足を運び、幹に触れてはみるものの、何かを理解できた試しもない。
「今日は折れていない」
 そのことを事実として確認するに至る。其れのみだ。
 特に雪の多く積もった後や、風の強い日などは確認が多くなる。
 やきもきしながら過ごす冬は、これまでになくせわしない新年のようにも感じた。
 気が付くと二月もあっという間に超し、暦は弥生を刻む。
 日差しの暖かい日が見られたと思えば、雪のちらつく日が訪れる。そんなことを数日ごとに繰り返しながら、春を迎えた。
 その月も終わりに差し掛かる頃、近所の桜が開花し始めたという風の便りが舞い込んでくる。
 日課となった裏の敷地へと足を運んでいたが、一本だけのその樹の枝は冬の頃と変わりないように見え、嘆息する。
 ——やはりだめだったか。
 肩を落とすが、どこか納得もしていた。仕方のないことだと。
 不安があるとすれば倒木だが、今のところその様子は見て取れない。それだけが一安心できる要素だった。
 とはいえ備えてはおくべきだろう。心積もりだけでも。
 軽い気持ちで幹に手を添えてみる。
 よく陽が当たるからだろう、温かい感触が掌に伝わってきた。
 枝がかすか揺れて、肩先に触れる。
 その先にひとつ、小さいが微かに薄紅を覗かせる蕾が膨らみ始めていた。
 肩透かしを食わせたことを笑うように。
 あるいは、鈍感さの指摘を食らったかのようでもあった。
 よくよく目を凝らすと、小さな小さな蕾は枝の各所に確認できる。
 要るのは人を集める支度の方だったか。
「そうか。……そうか」
 ふたつ、頷いて木の側を離れた。
 
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