ゆくさきもしらず

 目が覚めて気が付くと、僕は操縦士だった。
 箱のようなものに乗せられ、ひとりぼっちで押し込むように乗せられ、ハンドルを握るように促される。
 後にも先にも、右にも左にも。ずらりと僕のように箱の中に押し込まれたものたちが並んでいる。
 足下には正面に真っ直ぐ、見えないところまでずっと敷かれたレール。右や左の箱の前にも同じように。
 なにかを思ったり考えたりする間もなく、大きな合図の音が鳴って、足元から僕を乗せた箱がガタンと大きく揺れる。
 それが前に向かって動いているのだと気付いたのは、隣の箱が少し前にズレていたからだ。
 はたと周りを見渡すと、綺麗に揃った横並びだったはずの箱が、バラバラになりながら、それぞれのレールを走っていく。
 僕の道は凹凸しているのか、時々嫌な音を立てては、大きく揺れる。
 倒れ込まないようにしっかりハンドルを握って、レールを見つめるが、何が原因なのかは見当もつかない。対処方法も勿論わからない。
 不安定なまま途方もない距離と、時間。レールの上をただひた走る。
 気が付くと周りには、あったはずの箱は全て見えなくなり、僕だけがただ左右と前後敷かれているレールを眺め、チラチラと動く線を確認して「進んでいるのだ」と理解する。
 やがて、景色や状態は緩やかに移り変わっていく。
 とはいっても、劇的な変化が訪れるわけではない。
 左右の線路が見えるようになったことによって、自分のところのレールの微細な色や形の違いに気付くようになったのだ。
 けれど、ただ気付いただけだった。
 レールの上に転がる大きな石を見かけたら少しばかり操縦が慎重になるというだけ。
 スピードは、出し過ぎても遅すぎてもいけない。その操作性を少し覚えるだけ。

 そうして進み続けていると、どこかに辿り着いた。
 心ばかりのねぎらいと言わんばかりに、下ろされた背を叩かれ、別の箱に押し込まれる。
 そこには複数の僕のようなものがいて、しばらく一緒に過ごすことになった。
 人数が増えたり減ったり、入れ替わったりしながら、色んなものたちと僕は過ごす。
 色んな思考を持つ者がいて、いろいろなことを知っていく。
 やがて、少しずつ今までとは違う形で人が減っていくことに気付いた。
 どうやら、二人組を作ったものからここを『卒業』していっているらしいのだ。
 僕が気付いた時にはもう、そこに見知った者たちはいなくなっていた。
 最後に手を振ってくれた「彼ら」が、そのことを教えてくれたからだ。
 場所には僕のようなもの達がまた残され、でもその誰もが僕を選ばず、僕もまた誰も選ばなかった。
 僕は、「彼ら」とは別の場所に連れ出され、またひとり箱に乗せられた。
 遠くの方では色とりどりに飾られた立派な籠に乗せられ、鐘の音と共に去って行くものたち。「彼ら」もきっとあれに乗ったのだろう。
 そんなことを思いながら、ハンドルを握る。レールの凸凹は大きくなり、左右への移動が可能になった。レールの軌道が増え、何もわからないまま僕は岐路の度に迷った。
 時々、別のレールから来る箱や籠にぶつかられそうになりながら、僕は慎重になる。
 ある時、すごい音を立てた勢いの籠が隣のレーンの僕の後方から走って来た。岐路が見えていたので、僕は少し慎重にハンドルを握り、スピードを落とす。
 籠はすごい勢いのまま僕の箱の横を通り過ぎた。その勢いで、僕の箱は大きくがたついて傾きそうになる。
 そして岐路のところで、籠は勢いのままレールからはじき出されてしまった。
 レールから放り出されて、転がる籠。
 時々、こういう風に横倒しになった籠や箱を目にすることはあった。こんなに間近で、飛び出すように倒れる様を見るのは初めてのことだったので、驚く。
 あんな風に飛び出した籠や箱が転がった後のレールは凸凹が酷く、運転が困難なことが多い。
 僕は道を変更するためにハンドルを切ることにした。
「たすけて」
 その後ろから微かに声が聞こえた気がして振り返るが、転がる籠しか見えない。
 僕は前だけを見て、また運転を再開することにした。
 道を進むにつれ、倒れた籠は増えていく。箱はすっかり見なくなった。
 ある時、目の前で倒れた籠から箱に人が乗り込んでいく姿を目にしたり、逆に籠から降りていくものを見ることがあった。
 その時になってようやく、箱から降りることができるのだということを知る。
 だが、降りてみようとは思わなかった。
 しかし、あの「誰か」と過ごした日々が恋しくなることが増えた。
 恋しくなると、なぜだか籠が転がった時に聞いた声が何度も頭の中で繰り返される。
 ある時、隣のレールに追いついてくる箱があった。
 抜いていくのだろうと思ったその箱は、案の定僕の箱を追い抜いた。が、そこでゆっくりと停止する。
 つられるように僕も箱を停める。
「こんにちは」
 停まった箱から声がした。
「こ、こん……にちは」
 僕も挨拶を返す。
「ねえ、どこに向かってるの? ここがどこかわかる?」
 今まで出会ったものたちよりも、その箱の持ち主ははきはきと物を言う。 
「何も」
 と、僕は首を振る。
「そっかぁ。箱を久しぶりに見つけたから、声をかけちゃった。君の箱、丈夫そうだね」
「……そう、かな?」
「うん。私のはもうすっかりボロボロ。見て。穴が空いてるの」
 たしかに、その箱の後ろには大きな穴が空いている。
「ほんとうだね」
「知ってる? 誰かの箱に乗せてもらうと、次の『駅』に停まれるの。そうすると、籠に乗り換えれるんだって」
 穴の空いた箱のものが言った時、隣のレーンの後ろの方から音が聞こえてくる。
「ああ、いけない! それじゃあね。停まってくれてありがとう!」
 僕の返事も待たず、慌てた様子で箱は出発して行く。急いでいたのか、箱はスピードを上げて見えなくなってしまった。
 見えなくなった頃、ゆっくりと走り出した僕の隣を綺麗な籠が走って行った。
 急いで行った箱は、どこまで行っただろう。焦りすぎて、倒れたりしていないといいな。
 穴の空いた箱があった右側ばかりを見ながら、僕も少し速度を上げて走り続けた。
 けれど、穴の空いた箱に再び出会うことは無かった。
 一人で走り続ける僕の箱は、いくつもの籠に出会い、箱にも出会った。
 そのどれものほとんどは倒れたものだったけれど、もう声が聞こえることも無かった。


 穴の空いた箱との出会いから、ずいぶんと経っても僕は走り続けていた。
 箱はひびが入り、ハンドルはぐらぐらとして今にも外れるのではないかと思う。
 幾度か、また、壊れかけた籠や倒れた籠と出会っては、別れを繰り返した。
 出会った籠のものたちの中には、ふたり以上が乗れるものがあったり、実際に乗っているのも見た。
 ただ中には、二人組の一人が欠けてしまって、籠を持て余しているというものもいた。
 そういうものに、一度か二度、一緒に乗らないかと誘われたけれど、僕は快諾できなかった。
 快諾するということは、自分の箱を棄てることのように思えたからだった。
 色んなものを見た。
 特別変わったことのないレールと箱ばかりの中、時々綺麗なものが落ちているのを見た。
 花が咲いていることを教えてもらってからは、時々慰めに咲いている花に癒やしを求めることもあった。
 けれどそれは、そこにあるだけだ。
 倒れて崩れた箱や籠を見続けて、僕はなんのためにまだ走っているのだろう。と考える。
 握ったハンドルが今にも取れて制御ができなくなるのではないかと怯えながら、進む。
 後ろから猛スピードで走ってくる籠にはじき飛ばされてしまうのではないかと思ったことは数え切れない。
 それもいいとさえ思うときもあった。
 けれど、そう思えるときには突っ込んでくるものはなく、たいてい平坦に過ぎていく。
 なぜだか、忘れた時にばかり起こるのだ。

 いつからかすっかり後ろからやってくる箱も籠もいなくなった。
 倒れているのですら、ずいぶんと見なくなったように感じる。
 僕はどこまで行くのだろう。どこまで行って、どうするのだろう。
 そんなことを考えた時、どこかに辿り着いた。
 辿り着いたと思えたのは、かつて僕以外のものたちと集った時のについた場所に似ていたからだと思う。
 なんだか懐かしさを覚えて、停車する。
 だが、僕を下ろすものはいなかった。代わりに、低い石に腰掛けていたものが、ぼんやりと頭を起こした。
「おや……こんなところまで、そんな箱で。これはこれは、ずいぶんとめずらしい」
「ここは……?」
「さてなぁ。わしも偶然辿り着いたんじゃ。ずいぶんと前にな」
「そうですか……」
「おまえさんは、ずっとこれに乗ってきたのか?」
 大儀そうに僕の箱を仰ぎ見て、言う。僕はただ頷いた。
「そうかそうか……。途中で乗り換えるもののほうが多いというのに、大事にここまで来たんじゃな」
 感心したように何度も頷く。
 僕は俯いた。
「だけど、もうハンドルがダメになりました。これ以上は進めないでしょう」
 そう告げると、目の前のものは驚いたように瞬く。
「待っていなさい」
 とだけ言うと、重そうな体を持ち上げてゆっくりと歩いて行ってしまった。
 ついて行こうかとも考えたが、言われたとおりにする。
 ずいぶんと待って、ようやく戻ってくる姿が見えた。
 思わず走り寄ってしまったのは、急いでいたからではない。
 こちらに向かってくる姿が、先ほどよりも低く小さく見えたからだ。
 曲がった体が、ほとんど這いつくばるみたいにしてゆっくりゆっくり向かってきていた。
「どうしたのですか?」
「そんなことはいい。これを…持っていきなさい」
 そう言って渡されたのは、何かの部品のようだった。
「ハンドルの根元に取り付けなさい。それでどこまでいけるかは、わからんがの」
「これを……?」
「わしの乗ってきたものについてたものじゃ。あれはもう乗れんが、ハンドルだけなら、おまえさんのはまだ動くだろう」
 ふう、と重い息をついて、その場に膝をつく。
「僕と、……一緒に、行きますか?」
 僕は初めて、誰かにそう聞いた。
 彼はゆるりと力なく、首をたしかに横に振る。
「もう、行きなさい」
「……はい」
 僕は部品を受け取って、彼をその場に置いたまま、箱に戻る。
 箱はさっき降りた時よりもずっとボロボロに見えた。
 言われた通りに部品を取り付け、ハンドルを握る。
 嫌な音を立てて、大きくがたがたと揺れながら、ゆっくりと僕の箱はまた走り出す。
 スピードは、さっき僕が自分の足で走った時よりも遅いかもしれない。
 ゆっくりと「彼」のいた場所は遠ざかっていくのがわかる。
 どこまで行けるのかはわからない。
 何があるのかも、そういえば聞けなかった。
 なんのために行くのだろう。
 そう思って、思わず後ろを振り返る。もう彼のいた場所の形すら、見えなくなっている。
 けれども行かなければならないのだ、とは思った。
 彼が僕を促したから。 
 だから、ただ虚しいだけのハンドルを握り、走り続ける。どこに続くのかもしれないレールを。
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