ブラックアウト


 ペンギンのドキュメンタリーを見た。
 見始めたのに、特別な理由なんてものは、ない。
 僕はペンギンになりたかった。
 あこがれていた。
 とはいえ、野生のペンギンになりたいわけじゃない。
 動物園や水族館のーー水族館の方がいいかな。なんとなく室内のイメージが強いから。動物園は外って感じがする。それも一概には言えないだろうけど。
 話を戻そう。
 ドキュメンタリー映像を見た。
 その映像、いや風景を僕は覚えていた。
 違う、忘れていたのだ。
 忘れていたのに、思い出した。
 思い出して、気がついた。
 あの岩を飛ぶ感覚も、群れについて行くのも。たまに足を踏み外した者にぶつかられたり、そのせいで転んだり、ドミノ倒しになったりしたことも。あの道も、この森も、覚えている。
 時々、空を飛ぶ鳥を見上げては、それをうらやましく思った。
 そして、……そして――
 ああそうだ。
 僕はけっこう、それなりに楽しく暮らしていたのだ。
 なのに、突然ぼくらの前に現れた大きな生き物に袋に詰められて……。
「あの時、僕は今の僕と反対のことを思ったんだった」
 連れて行かれたのは、ガラスケースの中。
 向こうに、群がる大きな生き物。
 その時、僕はあれに、あの大きな生き物になるんだ。と思ったのだ。

「そうか。叶っていたのか」
 知らずに願っていた夢が、いつのまにか叶っていた。
 なのに、この虚脱感はなんだろう。
 かけらも、なんの喜びもない。ただむなしく、悲しくなるほどに。
 せめて、思い出さなければよかったのに。
 こんな時に、こんな瞬間に。
 僕は古い家の天井の梁から垂らしたそれを呆然と眺める。
 さいごに好きなものを、なりたいものをよく知りたい。そう思っただけだったのに。
 ああもう、こんなことならさっさと済ませておけばよかった。

 そうだな。それなら今度は、今度こそ、飛べる生き物がいいな。

 脚立を登りながら、そっと願った。


 初めてみたものは、なんだっただろう。
 揺れる緑、褐色の細い枝。ばさばさという、羽音。
 真っ黒な、翼に真っ黒な羽毛、真っ黒な、目。
 大きいカラスだった。
 カラスだと、わかって、思い出す。僕は僕と、ペンギンだった僕を。ぜんぶ、覚えていることも、また、叶ったことも。
 神様はいるのかもしれない。そんなことを思いながら、僕はカラスとして生き始めた。
 人としての知識があったから、僕はこの体で生きていくことに難儀しない。
 そう、タカをくくっていた。
 現に、田んぼや畑のカラスよけなんてものともしなかった。
 餌を求めはしたけど、そんなに人から嫌われるような行動はしなかったと思う。
 最低限にして、威嚇もしないし、なるべく近付かないようにした。
 道路に遊びに出たり、人をからかう仲間もいたけど、僕は見ているだけに留める。
 鳥同士のケンカにもあまり積極的にはならなかった。
 そんな僕を、仲間たちは臆病者と揶揄する。
 やがて仲間たちは、そんな僕を疎ましげに扱うようになっていった。
 そうしてぼくは、一人になった。
 どこかで鳴き声を聞きながら、好き勝手に過ごすのも悪くはない。
 餌さえ見つけられれば、どこでだって生きていける。
 この翼と、知識さえあれば、何も困らなかった。
 その日も僕は一人で狩りをして、餌を取っていた。
 他の鳥とえさ場がかぶっていたことになんて気づきもせずに。
 運悪く、近くに巣があったのだ。
 気性を荒くした敵は、僕に容赦なく襲いかかった。
 その時になって、ようやく気付いた。仲間たちが、どうして群れるのか。ケンカをするのか。
「また、こんな時になって思い出した」
 小さく鳴く。
 知っていたはずのことを。
 ペンギンの頃には充分理解していたはずだった、群れの大切さ。生き方。
 人間の時に絶望して諦めて、忘れてしまっていた。
 だけど、あの時にも必要だったこと。
 ――結局。
 愚か者は何になっても、愚か者にしかなれないのだ。
 今度はもう、何も願わない。
 目を閉じるという意識もなく、僕の視界は、世界は、黒く終わりを告げた。
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