キャッチボール


 ボールは飛び交う。
 たいていはわたしの頭の上を大きく飛び越して。
 わたしの頭上を大きく飛んでいったボールは、見上げて目で追う間もなく通り過ぎていく。

 私はキャッチボールが苦手だ。
 手元に飛んできても、受け止めきれずにバウンドし、地に落ち、転々と転がることもある。
 わたしはそれをしぶしぶ拾いあげ、なるべく優しく、相手の懐に向かって投げ返す。
 うまくできることも、時にはある。
 けれど残念ながら、殆どの場合において私には不得手なことだった。
 ボールは大きかったり、小さいときもある。
 相手によっては、小さく重たいボールをまるでただ、わたしにぶつけるためだけに投げているように思えることさえあった。
 そういう時は大抵、小さいボールがいくつも、いくつもいくつも飛んでくる。ぶつけられる。
 重たいボールの中には軽いものもあったのかもしれないけれど、ぶつけられた重たいボールの痛みしか思い出せない。
 受け止めるのをやめても、蹲っても、頭を抱えても、それは絶え間なく、容赦なく。
 相手の気が済むまで。わたしはそれに耐え続ける。耐え続ければ、いつかは止む。それがひと時であっても。
「うまくかわさないからだよ」
 と、誰かは言う。
「もう少しうまく返せない?」
「こうすればいいんだよ」
 誰かも言う。
 そんな好意的なボールでさえ、わたしは受け止められない。
 どこか遠くに飛んでいく。
 わたしを通り越して、通り抜けるように。いないもののように。
 へたくそだから悪いのだと。
 けれども、そう受け止めてしまうことが悪いのだと。
 
 それでも、わたしはキャッチボールが嫌いになれない。
 独りで壁に打つことも好きだ。
 誰にも文句を言われない。言われないようにこっそりと、見つからないように遊ぶのが好きだ。
 誰かと誰かのボールを眺めているのも、時には好きだ。
 白いボールが、大きな放物線を描きながら、青い空の下、わたしの上を、あるいは目の前を通り過ぎていく。
 わたしには届かない。わたしには受け止められない。
 けれど、私を挟んだ誰かと誰かはとても上手に、きちんとしたキャッチボールを繰り返す。テニスで言うならラリーのように。
 それを、今日も遠く眺めながら、わたしは壁に向かってボールを投げる。
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