あおい鳥のゆくえ
その人はいつも路地裏で膝を抱えていた。
普段は夕方、いつもすぐ傍の大通りで賑やかに芸を披露している。そんな人。僕はそれを、いつもスクールの行きに少しだけ目にしては、時間に追い立てられ名残惜しく通り過ぎる。
手品やジャグリング、あるいはその両方で自在なパフォーマンスを披露していて。
繰り広げられた珍しい見世物に人はよく足を止めたが、活気を失ったように人の集まらない日もあった。殊に、彼が初めて町を訪れた日から朝と夜が繰り返すほど、その差は広がるように思える。
それでも、スクールの帰り道、僕がその人を路地裏で見ない日はない。
風の噂では、既婚者で子供がいるとか、借金があるとか、世捨て人だとか、家族に捨てられたホームレスだ、なんて話を所構わず耳にする。彼が街に来るようになってから、半月も経たない間に広がっていたものだ。
それから半月が経った今、彼の話をする者ももういない。
パフォーマンスをしていない彼を見かけたのは、初めて彼を目にした日の夜。彼が、昼間の彼だと気付いたのは数日経ってからだった。
昼間は被っていない帽子を深く被り、頭を抱えている。
人垣で見えなかった彼の姿が、日に日にはっきりと目に映るようになったある日のことだ。
家で飼っていた小型の鳥ロボットが突然、飛ぶのをやめたみたいに落ちてきた。
床に落ちた時に羽根が折れてしまい、うんともすんとも言わなくなった。
「捨ててしまいなさい」と母は言い、父が「また買ってあげるよ」と言ったので、廃棄施設のある路地裏にスクールの前に立ち寄る。
その路地裏は彼がいつもいる場所だった。
僕は恐る恐るそこに踏み込んだ。
廃棄施設は広い敷地を大きな塀で囲ってある。正面の入り口は見たことがない。僕が目的地に目指したのは、路地裏の廃棄処理場だ。そこに要らない物を放棄すれば、回収してくれる。
誰かが捨てて行った物で溢れ返ったその場所に、僕は鳥ロボットを置いた。
乱雑に捨て置かれた機械の残骸を前に、僕は早くこの場を立ち去りたい想いに駆られる。
場所の薄暗さも、その場の薄気味悪さを引き立てていたのだろう。
――早くスクールに行かなきゃ。
慌てて踵を返し、駆け出す。その直後、僕は盛大に何かにぶつかった。
どん、と顔から激突して、その衝撃で後ろに転がる。
地面に叩きつけられた衝撃で、お尻が痛い。
「すまない。大丈夫かい?」
声が降ってきて、僕は驚いた。
顔を上げてみると、声の主の姿は影になっていて良く見えない。
だけど、なんとなくこんなところで人にぶつかるというのが不気味に思えて、僕は差し出された手も無視して立ち上がる。
「平気!」
影の脇を逃げるようにすり抜けて、僕は走った。
さっきの痛みも忘れて走った。
スクールの入り口の明かりの真下まで勢いよく駆けた。
もしもタイムを計っていたら絶対に新記録だ。
入り口の前で息をぜいぜい吐いて、教室へと滑り込む。
揃って席に着いていたクラスのみんなからどっと笑われ、散々だった。
それから数日が経ったある日、いつもの大通りがやけに賑わっていた。
僕はスクールに遅れそうになりながら、その人だかりに少しだけ視線をやる。
僕の目線では、人垣の向こうで行われている「何か」を目にすることができない。だが、その人の頭上をひらひらと飛行する物が、僕の興味を誘ったのだ。
空を飛び、人々の視線を一身に集める物。
優雅とは言えない動きをするそれに、見覚えがあった。
煌びやかな紙吹雪を撒き散らすように飛び回るそれを、もっと近くで見たい。
足を止めそうになった僕と、人垣に弾かれ飛び出してきた観客の一人の尻がぶつかって、前方へと転びそうになる。
衝撃と共に、時間がないことを思い出して、僕は疑問を振り払うようにしてその場を去った。
授業を終えた僕は、いつもであれば誰もいなくなっている大通りへと足を急がせる。
そこには、まだわずかに人が残っていた。
が、演目がちょうど終わったのだろう。ひときわ大きく歓声が上がって、大きな拍手は一帯に広がる。
その拍手の音が徐々に散っていく。音と同じように人も一人、また一人とその場を離れていった。
しんと静まり返った開けた場所で、彼はこちらに背を向けてしゃがみこんでいた。
そっと近づいてみると、どうやら後片付けをしているようだった。
雑踏に紛れ、立ち尽くしながら、僕はその背中を見つめる。
「うわぁっ」
その瞬間、頭上から降って来た何かに視界を覆われて僕は声を上げた。
「ああ! ごめんね!!」
僕の声に振り返った彼は、慌てたように僕の頭上に向かって呼びかける。
落ちて来たのは大量の紙吹雪だった。
「コラ! もういいから!!」
その声に応えるように、それは音を立てて羽ばたきながら彼の伸ばした腕に止まる。
「ピィ……」
やはりあの日、僕が廃棄したはずの鳥ロボットだった。
「君はこのあいだの! じゃあこの子は君のだったんだね」
「壊れていたのにどうして……」
「職業柄、手先は器用なのさ」
そう言って、どこからともなく一輪の造花を手に出して見せてくれる。手品だ。
「君に返さないとね」
と、少し寂し気に彼は言って、鳥ロボットが止まった腕を僕の方へと差し出した。
僕は何故だか迷って、手を伸ばすことができない。
「返せてよかったよ。この町とは今日で最後だから」
さあ、と腕を差し出されて、僕は鳥ロボットに向かって手を伸ばした。
けれど、僕の指が鳥の足へと届く前に、ピィは大きく羽ばたいて僕の頭上を旋回する。
「ピィ!」
「それじゃあね」
そう言って、彼はトランクを抱えて手を振った。
そのお別れの言葉に振り返った時には、彼の姿は人混みに紛れて見えなくなっている。
頭上を旋回していた鳥を見上げると、しばらくそうして回っていたかと思うと突然方向を変え、みるみるうちに紺色の空へと飛んで行ってしまった。
彼を追って行ったのか、ただ機能が壊れただけなのか、僕にはわからない。
ただ彼もあの鳥ロボットも、そして僕も、きっともう会うことはないのだろう。
普段は夕方、いつもすぐ傍の大通りで賑やかに芸を披露している。そんな人。僕はそれを、いつもスクールの行きに少しだけ目にしては、時間に追い立てられ名残惜しく通り過ぎる。
手品やジャグリング、あるいはその両方で自在なパフォーマンスを披露していて。
繰り広げられた珍しい見世物に人はよく足を止めたが、活気を失ったように人の集まらない日もあった。殊に、彼が初めて町を訪れた日から朝と夜が繰り返すほど、その差は広がるように思える。
それでも、スクールの帰り道、僕がその人を路地裏で見ない日はない。
風の噂では、既婚者で子供がいるとか、借金があるとか、世捨て人だとか、家族に捨てられたホームレスだ、なんて話を所構わず耳にする。彼が街に来るようになってから、半月も経たない間に広がっていたものだ。
それから半月が経った今、彼の話をする者ももういない。
パフォーマンスをしていない彼を見かけたのは、初めて彼を目にした日の夜。彼が、昼間の彼だと気付いたのは数日経ってからだった。
昼間は被っていない帽子を深く被り、頭を抱えている。
人垣で見えなかった彼の姿が、日に日にはっきりと目に映るようになったある日のことだ。
家で飼っていた小型の鳥ロボットが突然、飛ぶのをやめたみたいに落ちてきた。
床に落ちた時に羽根が折れてしまい、うんともすんとも言わなくなった。
「捨ててしまいなさい」と母は言い、父が「また買ってあげるよ」と言ったので、廃棄施設のある路地裏にスクールの前に立ち寄る。
その路地裏は彼がいつもいる場所だった。
僕は恐る恐るそこに踏み込んだ。
廃棄施設は広い敷地を大きな塀で囲ってある。正面の入り口は見たことがない。僕が目的地に目指したのは、路地裏の廃棄処理場だ。そこに要らない物を放棄すれば、回収してくれる。
誰かが捨てて行った物で溢れ返ったその場所に、僕は鳥ロボットを置いた。
乱雑に捨て置かれた機械の残骸を前に、僕は早くこの場を立ち去りたい想いに駆られる。
場所の薄暗さも、その場の薄気味悪さを引き立てていたのだろう。
――早くスクールに行かなきゃ。
慌てて踵を返し、駆け出す。その直後、僕は盛大に何かにぶつかった。
どん、と顔から激突して、その衝撃で後ろに転がる。
地面に叩きつけられた衝撃で、お尻が痛い。
「すまない。大丈夫かい?」
声が降ってきて、僕は驚いた。
顔を上げてみると、声の主の姿は影になっていて良く見えない。
だけど、なんとなくこんなところで人にぶつかるというのが不気味に思えて、僕は差し出された手も無視して立ち上がる。
「平気!」
影の脇を逃げるようにすり抜けて、僕は走った。
さっきの痛みも忘れて走った。
スクールの入り口の明かりの真下まで勢いよく駆けた。
もしもタイムを計っていたら絶対に新記録だ。
入り口の前で息をぜいぜい吐いて、教室へと滑り込む。
揃って席に着いていたクラスのみんなからどっと笑われ、散々だった。
それから数日が経ったある日、いつもの大通りがやけに賑わっていた。
僕はスクールに遅れそうになりながら、その人だかりに少しだけ視線をやる。
僕の目線では、人垣の向こうで行われている「何か」を目にすることができない。だが、その人の頭上をひらひらと飛行する物が、僕の興味を誘ったのだ。
空を飛び、人々の視線を一身に集める物。
優雅とは言えない動きをするそれに、見覚えがあった。
煌びやかな紙吹雪を撒き散らすように飛び回るそれを、もっと近くで見たい。
足を止めそうになった僕と、人垣に弾かれ飛び出してきた観客の一人の尻がぶつかって、前方へと転びそうになる。
衝撃と共に、時間がないことを思い出して、僕は疑問を振り払うようにしてその場を去った。
授業を終えた僕は、いつもであれば誰もいなくなっている大通りへと足を急がせる。
そこには、まだわずかに人が残っていた。
が、演目がちょうど終わったのだろう。ひときわ大きく歓声が上がって、大きな拍手は一帯に広がる。
その拍手の音が徐々に散っていく。音と同じように人も一人、また一人とその場を離れていった。
しんと静まり返った開けた場所で、彼はこちらに背を向けてしゃがみこんでいた。
そっと近づいてみると、どうやら後片付けをしているようだった。
雑踏に紛れ、立ち尽くしながら、僕はその背中を見つめる。
「うわぁっ」
その瞬間、頭上から降って来た何かに視界を覆われて僕は声を上げた。
「ああ! ごめんね!!」
僕の声に振り返った彼は、慌てたように僕の頭上に向かって呼びかける。
落ちて来たのは大量の紙吹雪だった。
「コラ! もういいから!!」
その声に応えるように、それは音を立てて羽ばたきながら彼の伸ばした腕に止まる。
「ピィ……」
やはりあの日、僕が廃棄したはずの鳥ロボットだった。
「君はこのあいだの! じゃあこの子は君のだったんだね」
「壊れていたのにどうして……」
「職業柄、手先は器用なのさ」
そう言って、どこからともなく一輪の造花を手に出して見せてくれる。手品だ。
「君に返さないとね」
と、少し寂し気に彼は言って、鳥ロボットが止まった腕を僕の方へと差し出した。
僕は何故だか迷って、手を伸ばすことができない。
「返せてよかったよ。この町とは今日で最後だから」
さあ、と腕を差し出されて、僕は鳥ロボットに向かって手を伸ばした。
けれど、僕の指が鳥の足へと届く前に、ピィは大きく羽ばたいて僕の頭上を旋回する。
「ピィ!」
「それじゃあね」
そう言って、彼はトランクを抱えて手を振った。
そのお別れの言葉に振り返った時には、彼の姿は人混みに紛れて見えなくなっている。
頭上を旋回していた鳥を見上げると、しばらくそうして回っていたかと思うと突然方向を変え、みるみるうちに紺色の空へと飛んで行ってしまった。
彼を追って行ったのか、ただ機能が壊れただけなのか、僕にはわからない。
ただ彼もあの鳥ロボットも、そして僕も、きっともう会うことはないのだろう。
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