シんだ友達とカラの箱
友達が殺された。
発見したのはわたしだった。
会社の同僚で、先輩で上司でもあった彼女は九十センチの水槽に頭から突っ込んだ状態で溺死していた。
傍らに置いてあったサイドテーブルの上には遺書が置かれていたという。そしてキッチンからは睡眠薬の空き瓶も見つかった。そのことから、異常に思われた彼女の死は、警察によって自殺と断定された。
ただ、それだけであるならば、異常とまでは言えなかったかもしれない。
彼女の死が常軌を逸していると言われるのは、彼女が飼っていたと思われた水槽の中身に関係している。
水槽の中には数十匹の熱帯魚が生息していた。
わたしが知る限り百匹には満たないはずだが、五十は有に超えていたはずの。
その全ての魚を、彼女は全て床に放り出し、水面に茂る水草の間に顔を押し込むようにして死んだのだ。
床に放り出された魚たちは、足下に丁寧に並べて。
死体の発見は早かったというが、当然魚たちは一匹残らず干涸らびていた。
彼女は水槽の魚たちと一緒に心中したのだ。
旦那に出て行かれて、一人暮らしとなった彼女が自らの人生に終止符を打った。
なぜ、わたしが彼女を発見するに至ったのかと言えば、その部屋の水槽で飼われていた生態の飼い主がわたしだったからに他ならない。
元はわたしが飼っていた魚たちだったが、あまりにも増えすぎてしまったのだ。
彼女にそのことを話したのは、休憩時間だっただろうか昼休みだっただろうか。
苦笑交じりにした相談――とは言えない。ただの雑談に過ぎなかった。
そして彼女は言った。家に所有し、持て余しているという水槽がある、と。
「あなたさえよければ」
と申し出てくれたのは、意外にも彼女の方からだった。
だから、自分の住むワンルームマンションにはとても置けそうにない大きさの水槽を、彼女の部屋の一角ごと間借りさせてもらっていたのだ。
その対価は、餌代と彼女との時間だった。
離婚する前から家を空けることが多かったという『旦那』という隙間を埋めるための。
「やっかいなことに巻き込まれたな、お前も」
彼女の死から少しの時が流れて、周囲が落ち着いた頃。
久しぶりに会った彼はそう言いながら、ホテルのベッドの上で煙草に火を点けた。煙をはいてみせる。これみよがしな、溜息のつもりだろうか。
「それにしても、お前がアイツとそんなに仲が良かったとはな」
「別に。仲良くはないわ。利害が一致しただけ。――でも」
言いかけた言葉を飲み込む。
彼の顔をじっと見つめる。変わってしまったな、などと思いながら。
そうさせたのは、仕事か家庭か、それとも別れだろうか。
皺が増え、険しくなった表情。代わりに、少し肉の付いた体。
訝しむような顔つきと懐疑的な眼差しから逃れるように彼に背を向ける。
窓としての役割を殆ど成さないガラスを、隠すように掛けられたブラインド。
そこから見える景色の八割が隣のビルの壁だった。初めて来た時は、随分とがっかりしたものだ。
思い浮かべる理想の、綺麗な景色とはほど遠い。
そびえ立つ壁の向こう。残りの二割で、夜景といえば聞こえはいい街明かりが輝いている。
「狭い世界だわ……」
聞こえないようにぽつりと零して、向き直る。
足早に彼の腰掛けるベッドに近付いて、彼に向かって傾れ込む。
「あなたが教えてくれたんじゃない」
家に、大きな水槽がある——って。
そう囁く。片腕で彼の素肌に指を滑らせ、もう片方で絡みつくように撓垂しなだれ掛かりながら。
せまく、くらい部屋のなか、食い荒らされるように奉仕するように、欲望を貪った。
いびきを立てて眠る彼の隣を抜け出すと、テーブルに万札を置く。
見下ろした彼の顔には、長い付き合いだったというのに何の感慨も湧かない。
白み始めた空を眺めながら二度と来ることもない見慣れたホテルを後にする。
タクシーを捕まえて、自宅のアパートへ戻った。
カーテンを閉めたままの薄暗い部屋の中、酸素が送られる水の音とLEDの青い明かりが淡く照らされている。
五十センチの水槽の中では、小さな熱帯魚が複数遊泳している。
底には、沈んだ一匹。
その動かず、体の傾いた一匹に数匹の魚が代わる代わるに群がって行く。
何度も啄まれ、その度に、小さな体がわずかに跳ね上がった。
「そう……あなたたちもお友達が死んで悲しいのね」
まるで、動かない友人を鼓舞するかのようにさえ見える。
何度も、何度も。何匹も。
繰り返し、繰り返し。
啄んで、持ち上げて、沈んで。
「また減っちゃったね。せっかく増やしたのに。これからもっと、増えるはずだったのにね。私のお友達も――彼女との時間も」
何のために、友達との時間を削ったのだろうと溜息が漏れた。
長い時間をかけて、邪魔者を追い出したのに。
まさか大切な友達が最愛の相手に殺されてしまうなんて、思わなかった。
「ずるいわ」
思わず口から漏れた感情は、どちらに対するものなのか。
わたし自身にもわからない。
「勝手だわ。せっかくわたしが、死ぬまで一緒にいるつもりだったのに。本当に死んじゃうなんてね」
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