真夜中のドライブ
今日もまた、彼は深夜に車を出す。
起きていた私に、「行くだろ?」と無言で愛車のキーを上げて見せた。
眠っていれば、彼は一人で行ったのだろうか。
そんなことを考えながら、窓を流れる夜の街の景色を眺める。
隣の彼は終始ご機嫌に見えた。
あてもなく街を彷徨うように車は走る。
住宅街を中心に走っているから、視界を照らすのは外灯と私達の乗った車の明かりだけ。
寝静まった家々の閉ざされた窓。
ガラスの奥は空洞のように真っ黒な静けさが広がっているように思える。
あるいは、ただのカーテンの布なのだろうか。
静かな住宅街を抜けたかと思うと、私たちの乗った車は路上脇に突如停車する。
急停車。という勢いではなかったので、目的があって止まったのかもしれない。
止めたのは当然、運転席に座る彼だ。
私は首を隣に向ける。
「どうかしたの?」
そう問いかけたが、彼は口の中で声を発するだけで、それは言葉として出てこない。
「ああ」とか「うん」とか、相槌には近いものだった。
ただどこかぼんやりしているのだけは、確かだ。
急に眠くなったのだろうか。
私は少しだけ、ラジオの音量を上げる。
しばらくして、彼は完全に黙りこくってしまう。
私は窓の外を少し見渡す。
彼が車を止めた道路の向こう側は、古びた大きな白い建物が暗闇の中鎮座している。
こんなところに止めなくても。と、そう思った。
眠りに誘いそうな静かな曲の終わりをラジオパーソナリティーの明るい声が告げようとした時、音にノイズが乗る。
徐々に大きく広がっていくノイズが、ラジオの声を完全に掻き消すより早く、私はカーステレオの電源を落とす。
そして、彼の肩を叩く。
窓の外から、嫌な気配のようなものを感じていた。
心臓が早鐘を打つのがわかる。
目を閉じて、半ば殴りつけるように、彼の膝を拳で叩きつけた。
「ってぇ! ……なんだよ、痛いな」
彼が驚いたようにそう言った時、私はホッと胸を撫でおろす。
「こんなところで寝ないで早く帰ろう」
素っ気なく言って、カーステレオの電源にもう一度手を伸ばす。
ノイズは乗らなかった。
私はもう一度嘆息を漏らす。車がゆっくりと旋回し、元来た道を戻っていくのを安堵しながら視線を窓の外へと向ける。
誰もいるはずのない白い建物。何年も前に廃業された病院。
——何故、私は見てしまったのだろう。
その複数の窓という窓全部に、くっきりと左右両方の白い手形が、まるでこちらを見下ろしていたかのように張りついているのを。