From the cradle to the grave

 ひんやりとした空気を肌に感じた気がして、クオーレは服の前をかき抱くように合わせようとした。
 そうして、自分が薄布一枚しか身に纏っていないのだということに気が付く。
 部屋に――というよりは住居内に、一つしかない窓。くもりガラスのような板が嵌められたそれは隙間なくぴったりと閉まっている。
 空間の温度の管理は一定で、暑いも寒いもない。
 半袖の薄いワンピース一枚で、十分に過ごせるのだ。
 だからそれが気のせいなのだと知っている。にも拘わらず、クオーレはその窓に近づき、両手であるはずのない隙間を探してみる。
 叩いても鈍い音をたてるだけの冷たくもない窓。どこからも冷気は感じられなかった。
 試しに耳を当ててみるが、何も聞こえてはこない。
「イカガナサイマシタカ オ嬢様」
 ため息をつき、壁に頭を当てて項垂れているところに声を掛けられて、驚く。
 音もなく背後に立つそれに向かって視線を向け、名前を呼んだ。
「マインド」
 それが、クオーレの唯一の家族だった。
 彼とも彼女ともつかない。クオーレとは姿も形も違う。
「少し、寒い気がしたの」
「サムイ?」
 そう言って、クルリと首のような部分が回転する。
 マインドはロボットだった。厳密にいえば、ロボットというものなのかはわからない。
 ただクオーレには記憶があった。この箱の中のような世界以外の。『クオーレ』という名と今の自分ではない誰かの。
 やけに鮮明で、詳細なその記憶はだが、夢なのかもしれない。確かめる術はない。
 前世というものなのかもしれないと思えるのは、唯一外と繋がりのあるという二つの液晶が存在していて、そこから流れてくるものが夢の中の自分と馴染みがあったからだ。その言葉でいうのなら、それは『テレビ』と『タブレット』に近い。
 テレビからはアニメが流れ、タブレットの中では誰とも知らない人の言葉が流れてくる。
 身の回りの世話はマインドがすべてしてくれる。
 生まれてから、この先きっとクオーレが死ぬまで、誰とも会うことなく過ごすことができるのだろう。
 夢の世界の『私』は人と関わるのが嫌いで怠惰だった。
 誰とも関わりたくない。誰からも干渉されたくなかった。
 死ぬまで一人きりで、誰にも知られずに消えたかった。
 だから『クオーレ』は『私』が望んでいた生活そのもの。


 夢の出来事を思い出す以前のことが、クオーレにははっきりと思い出すことができない。
 それでも、覚えていることは確かに有った。
 常にマインドが傍らにいたこと。
 言葉も何もかもを、マインドとテレビから学んだ。
 テレビの中では見知らぬ非日常が流れていて、その情報から生まれた疑問にはマインドが答えてくれた。

 マインドは言う。

「ココデハ人間ヒトリニツキ、マインド一体ガ人ノ一生総テオ世話ヲ致シマス。ドウゾ自由ニオ過ゴシクダサイ」


 テレビの中に広がる光景はかつてのクオーレには憧れそのもので、「『自由』なんてない」なんて思ったりもした気がする。
 友達が欲しかった。マインド以外の話相手が欲しかった。
 ちょうど、テレビの中の子供たちと同じように。
 そして思っていたはずだ。
 ――どうして私はここにいるの? いなくちゃならないの?
 そんな疑問を沸かせて、『外』や『他人』への関心が強かったように思う。
 だけど思い出してしまった。『私』を。
 生温かく見えるだけの薄ら寒い世界。


「オ嬢様ハ外ニ出タイノデスカ?」
 マインドから唐突に尋ねられて、クオーレは内心で飛び上がる。
 テレビから流れてくるフィクションは幸福だ。不幸なものがあっても。それがフィクションである限り。
 だが、『自分』の身に迫るものは仮想ではない。
 今この空間とマインドしかいない世界が自分だけの現実であるように。
「興味はあるわ」
 どんな人間がいて、どんな風に日々を過ごして、どんな会話ができるのか。
 あの夢とは違う自分が、人の中でならどんな生活を送れるのか。
 考える余地もないよりはいいのかもしれない。なんて。
 けれど、それは妄想だけでも事足りるのではないだろうかとも考える。
 幸せな妄想の中でなら、対人に怯えることも、嫌われることも、見放されることも、恐ろしくはない。
 かつての現実だった夢を思い出して、ゾッとする。そして、決して、人となど関わりたくないと考え直す。
「ねえ、マインド」
「ナンデショウカ」
「この映像は誰が作っているの?」
「ワカリマセン」
「ずっとわからないの?」
「ソレモ ワカリマセン」 
 そう。とクオーレは息を吐く。
 こんなやりとりは今までにも何度もしてきた。
「マインドは何のために居るの?」
 と尋ねれば、
「オ嬢様ノ オ世話ヲスルタメデス」
 と帰ってくる。
 マインドから得られるこの空間以外の出来事などありはしない。
 かつての私は、死を迎えることは終わりだと思っていた。
 今は、『クオーレ』の終わりの先には何があるのだろうと思う。
 クオーレはまた、両腕をかき抱く。
 聞こえもしない窓の外の向こうから、何かの声が聞こえた気がした。
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