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Die Neue These版ファーレンハイト相手

ホーエンツォレルン家の領地・ウィンボドナに一時帰省していたエリザベートは、帰省中にたくさんの土産品を買い込んだ。
ウィンボドナは地球時代から宇宙時代へ移行する時、自らの国の民だけでなく他の国の民も拒むことなく受け入れた「寛大なる惑星」であった。
初代皇帝ルドルフは「貴族の酔狂」と、辺境な土地ということもありホーエンツォレルン家のその行動を気にもしていなかったらしい。
それもあり、ウィンボドナはオーディンにはないような衣食住あらゆる文化が残っていた星だった。
そのため半ば学術半ば観光リゾート産業で成り立っている星であり、帝国基準においての食料自給率自体は低く、割と輸入に頼っている節がある。
……という説明はさておき。
「やっぱりウィンボドナに行ったなら、ジャレビは買わないとね〜」
今回はプライベートの帰省だったのでヴァナディースではなく、ホーエンツォレルン家の艦で往復していた。
ウィンボドナの衣食や美術館の図録は、基本的に「お土産」という位置付けなので表立って帝国内に流通することはなかった。
実際エリザベートからしても、流通する必要はないと思うが……。
「管制塔に出てくるのは、あんまりよくないよなぁ」
職業病ともいえるこの習性に、エリザベートはため息をついた。
「構いませんよ、エリザベート様。むしろ、いてくださった方が安心感があります」
乗務員たちは、ホーエンツォレルン家の執事・ティルピッツの言葉に頷く。
「そう……なら、ここにいることにする」
エリザベートは、そうしてオーディンに向けての航路を確実に進んでいくのを見届けたのだった……。

――クラブ・ゼーアドラー。
「……で、ホーエンツォレルン中将とはうまく行っているのか?」
ロイエンタールからビリヤードの勝負をしないかと誘われたファーレンハイトは、特に断る理由もなかったのでその勝負に乗った。
ブレイクショットはロイエンタールが取り、そのまま二球はロイエンタールが入れた。
「……うまく、とは?」
「そのままの意味だ、帰省中だと閣下からお聞きしたが」
次の球が入らなかったので、ロイエンタールはファーレンハイトにプレーを譲る。
「うまく、か……卿のうまく、とはいかなる定義かは判断しかねるが……是と答えよう」
ファーレンハイトは、一球入れてから次のショットでロイエンタールを妨害する策に出る。
「やるな、ファーレンハイト。誰に教わった?」
「さて……な」
プロ級に上手かったメルカッツ提督と、その彼から手解きを受けたエリザベートからだと素直に答えると話がややこしくなりそうだから辞めた。
「ところで、ハロウィンという風習を知っているか?」
話しながらもロイエンタールは狙いを付けて打つが、ファーレンハイトの妨害によって一回では入らず交代する。
「聞いたことはあるが……そもそも、俺達にはあまり関係のない話だろう」
「ところが今年のハロウィンはそうも行かないらしい。我が元帥府にはエリザベート・フォン・ホーエンツォレルン伯爵令嬢がおられる……どういうことか、分かるな?」
「分かりかねる、教示いただけないか」
ファーレンハイトは、一球入れてからロイエンタールに教えを乞う。
「オーディンにおけるホーエンツォレルン家の生計は?」
「何って……製菓業だが」
そこまで言って、ファーレンハイトはハッとする。
「お菓子か、いたずらか……自分の商品がよく売れそうな時期に、宣伝しない手はないだろう?」
「なるほど、今回の帰省はそれもありそうだな……」
朝起きたら空のベッドの上に「ちょっとウィンボドナに戻ります」と置き手紙を残していったエリザベートの顔を思い出して、ファーレンハイトは真顔になる。
ロイエンタールはキューを何方向かから手玉に当てて、適切な位置を考えている。
――相手の打球の癖を見抜くと、戦術は立てやすい。
……と、メルカッツ提督は言っていたが、まだファーレンハイトはそこまでの域には行かなかった。
「なので、あらかじめ閣下とホーエンツォレルン中将との間では菓子配りの話は付いている。イタズラはなし……という方向でな。だが、さすがに恋人同士ではその道理は通じぬだろうと……忠告したまで」
確実に球を入れたロイエンタールは、続いてまた一つ、また一つと入れていく。
しかし最後の九番の球は狙いにくい位置にあり、手玉を空回りさせてしまった。
「そうか……忠告痛み入る」
その後、ファーレンハイトは一度手玉を正統な前傾姿勢で狙いを付けた。
――だがこれでは逆に相手に有利か。
そこで、ファーレンハイトは戦術を変える。
メルカッツ提督が得意としていた打ち方……ジャンプショット。
ファーレンハイトがキューを短いジャンプショット用の物に持ち替えたことで、場内はざわめく。
「一体どうするつもりだ……?」
二人の試合を観戦していたミッターマイヤーは、固唾をのんで見守る。
――ここだ!
ファーレンハイトが打った手玉は、跳ね上がった後九番の球に当たってそのままポケットに入る。
勝負が決した瞬間、場は拍手に包まれた。
「参った!まだまだ巧い奴がいるとはな」
「閣下も腕の立つ方であり、こちらも苦しまされました」
「卿の師匠は相当やり手のようだ。大方メルカッツ提督やホーエンツォレルン中将だとお見受けするが」
「……ご存知でしたか」
「『勝ったら結婚してくれ』を何度も退けていたのを、ここや各所で見たからな。なぁ、ミッターマイヤー」
「ホーエンツォレルン中将には、できないことはないのではないのか……と言われていたしな」
ここで彼女は料理がサッパリだというのを言うのは申し訳ないと思った故、ファーレンハイトは口を閉ざした。
「さーて、酔いが冷めたな……飲み直そう、今度はホーエンツォレルン中将とお手合わせ願いたいものだ」
ロイエンタールは、ビリヤード台から離れて階段を上がっていった。
「ロイエンタールをビリヤードで負かしたのは、卿が久しぶりだ」
俺やビッテンフェルトも教えてもらったが、勝負できるまでにはならなくてな……と言ってから、ロイエンタールの後を追う。
――久しぶり、なのか。
自分は今までメルカッツ提督やエリザベートのレベルが当たり前だと思っていたが、違うのかどうなのかが分からなくなってしまった。
それは、エリザベートとロイエンタールが対戦したら答えがわかるのかもしれないと結論を辿り着かせて、ファーレンハイトは酒の世界へと足を踏み入れた……。

******

――かくして十月三十日。
ハロウィンの日のローエングラム元帥府は、ホーエンツォレルン家の会社製のお菓子で溢れかえった。
それでも余ったお菓子は、広場にて子どもを対象に遠慮なく配られた。
子ども達は大喜びし、「ホーエンツォレルンのお家はすごい」と口々に言った。
その点で、ホーエンツォレルン家の宣伝戦略は十分に成功したといえよう。
「俺には、バームクーヘンか」
エリザベートは、ラインハルトに直接お菓子を献上しにいった。
「アンネローゼ様には及びませんが、職人達が一生懸命作ったものです」
「いいや、姉上もこのように大規模な機械を使う菓子は作れまい。礼を言おう、ホーエンツォレルン中将。ところで……ファーレンハイトに、もう菓子はやったのか?」
ラインハルトは、微笑ましい様子でエリザベートに話しかける。
「いいえ。ですが元々は閣下と私のお話で成ったこのハロウィンのプレゼント……閣下のお許しなくば、こうはなりませんでした。ですので、私から一番最初にお渡しするのはラインハルト元帥閣下です」
単純かつ明快にエリザベートが答えたので、ラインハルトは逆にファーレンハイトに憐れみさえ覚えた。
自分は恋愛というものがよく分からないが、男というものは女の一番最初を欲しがるような生き物ではなかったか……。
エリザベートによって破滅に導かれた男は、片手の指では足りないという噂だ。
……だがそれは、彼女の手によるものではないのではないか?
ラインハルトは無垢な瞳を向けるエリザベートに束の間、姉の面影を感じる。
だが、エリザベートの美しさはどちらかというとアンネローゼのような百合の如き美しさではなく、ロイエンタールのような破滅的な美と同じようなもの……とラインハルトは思う。
なのでファーレンハイトも破滅へと至りはしないかという危惧も、あるかと言われたらある。
しかし……
――ファーレンハイトは破滅すら「本懐だ」と言える男であろうし、まさに彼こそがエリザベートを愛するにふさわしい男なのだろう。
と、彼らの信頼関係を見てラインハルトは考える。
故にラインハルトはエリザベートの部隊をファーレンハイトの直属にした。
彼らの信頼関係の果てにあったのが、恋人という関係だっただけのこと。
ファーレンハイトとエリザベートは、二人でいるからこそ真の力を発揮しよう。
それに、彼らは公私をしっかり分けているため風紀は乱されない。
また、旧体制とは違うということをエリザベートによってアピールするという狙いもなくはない……。
数々の打算はあるが、とにかくラインハルトはエリザベートを自陣営に置いておくことには益があると判断をしている。
ホーエンツォレルン家という家柄は貴族としても申し分なく、その彼女がラインハルトにお仕えしているというだけでも貴族たちは自身に対して畏怖を深めるもの。
「……ふふ、卿はやはり変わっているな」
数々の思考を僅かその一言でエリザベートに渡したラインハルトは、エリザベートに対してお菓子の代わりに用意させておいた紅茶のセットを渡した。
「閣下、私はこのようなもの…………!」
「気にするな、“Trick or Treat“とかつては言っていたのだろう?悪戯をされるつもりはないのでな、これを持って早く戻るといい。他の上級大将たちには、まだなのだろう?」
「そういえば、私ロイエンタール上級大将とミッターマイヤー上級大将から招待状をもらっていたのでした。古式に則って……らしく、仮装パーティーの」
そういえばそんなこと、言っていたなとラインハルトは心の隅にあった記憶を思い出す。
そして大方、ドレス姿のエリザベートを見たいのだろうが……と簡単に邪推できてしまう自分もなんだか嫌だった。
「そうか、卿は何の格好で行かれるのか?」
「今のところバンシーで行く予定です」
バンシー……死を叫び声で予言する、女妖精。
緑色の服に赤いマント、そしてこれから死ぬ者のために泣くが故燃えるような赤い瞳を持つバンシーの仮装をするエリザベートは、それはそれで魅力的かもしれないが……。
ラインハルトは、そこまで考えて「一肌脱ぐか」とポツリと口にした。
「閣下?」
「ホーエンツォレルン中将、パーティーに行く前にここに来るように」
「え……?あ、は、はい……」
「なぁに、少しウィンボドナの話を聞きたいだけだ。怖がる必要はない」
「御意……では、失礼いたします閣下」
エリザベートは、ラインハルトに一礼して退出する。
もちろん、その際のラインハルトの含み笑いは見えていないのだった……。

ラインハルトの命通りに勤務の時間が終わって部屋に伺うと、ラインハルトはそのままエリザベートと帰らないかと言って自らの車に乗せる。
「ですが閣下、このようなこと……」
「気にするな。ロイエンタールやミッターマイヤー、ファーレンハイトには話をつけてある。少し私の相談に付き合ってもらう、とな」
「相談……私に、閣下の望む答えが捧げられましょうか」
「ああ、ここで素直にしていればな」
車が止まったのは、貴族令嬢たちにも人気のエステ兼ブティックのようなところだった。
店の外装を見た瞬間、ギョッとエリザベートは身構える。
何をされるか、本能的に察したのだ。
だが、ラインハルトの美しい顔で
「もっと美しくなっておいで、エリザベート」
と言われてしまうと覚悟を決めるしかなかった……。
店員総出でエリザベートとラインハルトを迎えた後、エリザベートは瞬く間に店の奥に導かれる。
そうして丁寧に軍服や全てを脱がされた後、髪や体、爪といったありとあらゆる場所を手入れされる。
その後は、令嬢たちに流行りのロココ・リバイバル調のドレスの着付けをされる。
最後に唇に紅を入れると、鏡の前にはありとあらゆるものを魅了する貴族令嬢が立っていた。
「フロイライン・ホーエンツォレルン」
「閣下」
ラインハルトの呼びかけに、エリザベートは恐る恐る振り返る。
――想像以上だな、やはりこの美は男を狂わせていく……。
自らの前に立つエリザベートの手を取って、手の甲にキスをした。
その美はエリザベート自らが勝ち取ったものではないが、与え給うた神を讃じることは許されよう。
「そのような……お辞めください」
エリザベートは恥ずかしがって頬を薔薇色に染める。
「あなたはこの上なく美しくて悩ましい……ファーレンハイトは果報者だな」
ファーレンハイトの名前を出されて、エリザベートはいよいよその顔を悩ましげにする。
「閣下……」
ラインハルトも、自分がかつて皇帝の寵姫へとの命があったことを知らぬはずはないだろう。
自分が断ったがために、もしかしたら姉のアンネローゼが……と、彼は何度も考えたに違いない。
エリザベートも、数え切れないほど考えた。
そして、それはアスターテの折にラインハルトとキルヒアイスに対面した時に確信へと至った。
それ故、エリザベートはメルカッツ提督の下にあってリップシュタット戦役を戦うことになってもラインハルトとキルヒアイスのことは気にかけていた。
それが、まさかあの様な終わりを迎えることになるとは……思いもしなかったが。
だが今でもラインハルトという美しい死の天使に、自分は常に心臓を握られている……その心臓には、既に大きな二本の楔を打ち込まれて。
――この罪を、私や閣下は赦し合うことができるのだろうか。
できたとしても、ラインハルトに仕えることを辞めるなどとは考えもないが……。
いっそ冷たく切り捨ててくれたら……と、ラインハルトにエスコートをされながら思う。
「お前のせいで俺の人生は狂ったんだ」と、否定されたらいいのに。
そうしたら、きっと……………………。
きっと…………………………。
「フロイライン・ホーエンツォレルン?」
気付いたら、車は既に招待されたロイエンタールの家に着いていた。
そして、吸血鬼の格好をしたロイエンタールに迎えられた。
「では、私はこれで失礼する」
「……閣下は、参加されないのですか?」
「私がいると、無礼講ではなくなるだろう。何……フロイライン・ホーエンツォレルンを一番最初に目に出来たということで、俺の特権は満たされた」
ラインハルトは、優しい微笑みを見せてから去っていった。
「そんなに、特権がるものでしょうか……」
「あなたのその美には、ありとあらゆる男が跪くでしょう」
戸惑うエリザベートに更に追い打ちをかけるように、ロイエンタールはエリザベートの手の甲に唇を落とす。
「閣下は、吸血鬼なのですね」
動揺を隠すように、エリザベートはロイエンタールの仮装について言及する。
「ええ……あなたの血を求める吸血鬼ですよ」
「まぁ、ご冗談を」
軽やかな笑い声を上げて、ロイエンタールの言葉に返事をする。
そうこうしている内に、パーティーの行われている部屋に辿り着いた。
「ホーエンツォレルン中……フロイライン・ホーエンツォレルン……」
狼男の格好をしたミッターマイヤーが、エリザベートをなんと呼ぶか迷っているようだった。
「お好きにお呼びください、閣下」
「そ、そうか……では、今宵はフロイライン・ホーエンツォレルンと」
「ええ、構いません」
エリザベートは、ミッターマイヤーに優しく微笑みかける。
「ところで、そちらのペストマスクのお医者様はどなた?」
ペストマスクをした背の高い男の前に立って、なんとなく目算を付ける。
「……ビッテンフェルト……閣下?」
「暑い……だがホーエンツォレルン中将、よくわかったな」
ビッテンフェルトは、耐えきれずペストマスクを脱いだ。
「消去法ですわ、閣下。ここにいるのは、他に神父のメックリンガー大将と魔術師のファーレンハイト大将、フランケンシュタインのオーベルシュタイン上級大将……あと、背格好です」
「これはこれは、フロイライン・ホーエンツォレルンには簡単な問題でしたね」
「…………」
「あなたも相当酔狂な格好をなさっていると思うが?ホーエンツォレルン中将」
メックリンガーはワインを飲みながら、エリザベートを褒める。
ファーレンハイトは、なんとなくまだ自分の仮装が身に馴染んでいないようだった。
オーベルシュタインはいつもの如く氷のような視線を自分に向けこそすれ、一番本格的な仮装をしているのでまるで威力がない。
「あのう……閣下、は、フランケンシュタイン……ですのね……」
「それが何か?」
「どう言ったら、閣下はお喜びになられますか……?その、えっと……お似合いです……ね」
「お世辞は要りませんが?」
「お世辞だなんて!私も、本来はバンシーの仮装で来る予定でしたのよ!」
「バンシーとは、また」
エリザベートとオーベルシュタインは、いつもと変わらぬ言い合いを始めてしまう。
だが、片や正真正銘の貴族令嬢、片やフランケンシュタインでコメディでも見ているようだった。
「しかし、ローエングラム侯もなかなかなことをなさいますな。口を閉ざしていれば、貴族令嬢に見えるでしょうに」
「今更そのような貴族令嬢に、私なろうとは思っていません!」
エリザベートとオーベルシュタインの口論を見ていると、エリザベートが皇帝の寵姫への命令を断れた理由もなんとなく察した。
――軽やかな声で紡がれる言葉は理路整然として聞いていて心地よく、説得力がある。
……故に、聞いてやらねばならぬという気分になる。
……の、だろうとコメディを観劇しながら他の者たちは考える。
ファーレンハイトは、はぁ……とため息をついた。
そうして、
「そこまでにしないか、シシィ」
ファーレンハイトは、二人に向けて言葉をかける。
その瞬間、ピタッと二人は口論を辞める。
「閣下……今、なんと……」
エリザベートは、たちまち顔を真っ赤にした。
「貴族の令嬢が、そのように殿方と争うものではないぞ」
「え、ええ……申し訳ありません……。確かに、今日はせっかくのハロウィンパーティー……私が場を乱してはいけません、よね」
ファーレンハイトに窘められて、一気にしおらしくなったエリザベートは悲しそうな顔をする。
「分かればよろしい」
コクン、とファーレンハイトに向けて首を縦に振ったエリザベートは、幼子のようにも思える。
それを見て、他の者たちはエリザベートは一瞬一瞬変化する表情が魅力的なのだとも感じた。
今は亡きエリザベートの父親・ホーエンツォレルン伯爵にして上級大将は、その美しい顔によって兵たちに死を惜しまれて下手に命を捧げられるのをよしとせず、軍務の時は常に仮面をつけていたという。
エリザベートが生まれてから――つまり晩年でもあるのだが――は外していたらしいが、エリザベートの顔はその父親譲りだという。
つまり、彼女にもその「捧げられる」素質はあるのだ。
ヴァナディースに率いられる部隊の男たちは、皆そうなのだ……。
そして彼……ファーレンハイトも。
「そういえば、私閣下たちにお菓子を用意したんです……!どうか受け取ってください」
気を取り直したエリザベートは、ウィンボドナから持ってきたお土産を各々に渡していく。
「ミッターマイヤー上級大将にはマドレーヌ、ロイエンタール上級大将にはポルポローネ、オーベルシュタイン上級大将には甘いものは苦手とお聞きしましたのでこちらのコーヒーセットを……。ビッテンフェルト大将には、こちら!ロクムのコンプリートセットです!メックリンガー大将には、お菓子よりも本のが嬉しいのかなぁって思ったので……ウィンボドナの国立美術館の図録セットです。数日後には、多分お家に到着しますかと」
そうして、メックリンガーに引換券を渡す。
それと同時に、最後に残ったファーレンハイトへと一斉に視線が向く。
「な、なんだ……」
「いや、フロイライン・ホーエンツォレルンはお前に何を贈るのかってな」
ビッテンフェルトが、たじろいだファーレンハイトに言う。
「まぁ……皆様、私が閣下に何かお贈りすると思ってるんですのね……。ですが、残念ながら何もありませんの……何をお渡しすれば閣下は喜ばれるか、分からなくて」
「え」
珍しく、ファーレンハイトが間抜けな声を発した。
「だって閣下、閣下は私の下手な料理でも何でもお食べになりますし、私のぐちゃぐちゃな刺繍も『それでよし』と仰せになられますもの。私、閣下は色々無理をしていてフォローのためにそう言ってくださるのだと……そう思うと、真に閣下がお喜びになるものなんて、私なんにも……」
――いや、お前ベタ惚れやないかい。
と、エリザベートの口から出たファーレンハイトの行動を聞いた者たちは、思わず古のツッコミとやらを心の中でした。
もしかしたら、エリザベートが来なかったらファーレンハイトはそもそも仮装すらしなかったのでは……と、その魔術師の仮装を見ながら思う。
エリザベートのバンシーと、ファーレンハイトの魔術師が並んだら、まさに死をもたらす美しき魔の世界の者たちだっただろう。
今の貴婦人と魔術師の並びは、さながら恋の魔法をかけようとした魔術師が、誤ってその術を自分にかけてしまったような様相になっている。
「分かった……よく分かったから、ホーエンツォレルン中将」
ファーレンハイトは、エリザベートの肩を持った。
「閣下…………」
真摯な瞳で見つめてくるエリザベートと見つめ合うと、背格好の都合でファーレンハイトはどうしても軍服姿では見えることのない彼女のデコルテを凝視してしまう。
――閣下も、お人が悪い。
強制されない限り女性の格好をしないエリザベートを、ハロウィンという名目でさせてしまった。
ロココ・リバイバル調のドレスが、女性にしては長身――ミッターマイヤーと同じくらい――の彼女によく似合っている。
いや、おそらく自分の目は彼女が何を着ても「似合っている」と思う作りをしている……。
そう、例え自分のワイシャツを軽く身に引っ掛けたような姿でも……。
ファーレンハイトは、無意識に彼女を抱き締めた。
「何も言わず出て行かれると、俺はもう飽きられたのかと思うぞ」
「だって、ティルピッツが『早朝に出ねば、間に合いませぬ』って言ったんです」
「起こしてくれたらよかったのに」
「え、お前たち一緒に寝てるのか?」
ビッテンフェルトが言葉を発した瞬間、二人の世界に入ったのを察して別の話題を始めていたロイエンタールとミッターマイヤーとメックリンガーが盛大に飲んでいたワインを吹き出した。
それを聞いていたオーベルシュタインは、スン……といつもの真顔を更に真顔にしている。
「閣下…………!」
パッとファーレンハイトから離れたエリザベートは、ワインを吹き出したメンバーに駆け寄る。
「お前…………………………………馬鹿か?」
ファーレンハイトは、ビッテンフェルトに冷たく言い放つ。
「なっ、馬鹿とはなんだ馬鹿とは!俺はまだお前とフロイライン・ホーエンツォレルンは手をつなぐくらいしかしてないと思って……!」
「そんな幼年学校レベルの関係で終わってると思ってたのか?」
「じゃあどのレベルまで進んでいるというのだ」
「それはだな……」
ファーレンハイトがいいかけたところにワインボトルが飛んできて、ファーレンハイトは寸でのところで掴む。
「閣下……お辞めあれ……!」
エリザベートは、貴族令嬢にふさわしくない行動をしたと気付いてハッと我に返る。
「もう……ひどい…………!」
ソファに沈み込んだエリザベートの腰を、ロイエンタールは抱える。
「ファーレンハイトはああいう男ですよ、フロイライン・ホーエンツォレルン。どうです、今からでも……」
キスができるまであと数センチという距離までロイエンタールに迫られたエリザベートは、狩人に追い詰められた牝鹿の最後の抵抗のように弱々しくロイエンタールを押し返す。
「閣下、どうかお辞めになって……」
「お、おいロイエンタール……!」
ミッターマイヤーはロイエンタールを止める。
すると、するりとロイエンタールはエリザベートを開放した。
「さすがに人の女に手を出す程の冒険心はないさ。おお怖い」
ロイエンタールはファーレンハイトを見やる。
かくいうファーレンハイトは、それはもう不動明王のような形相でロイエンタールを睨んでいた。
「フロイライン・ホーエンツォレルンが怖がっていますよ、ファーレンハイト」
メックリンガーがファーレンハイトを窘める。
「閣下、私は構いません。ファーレンハイト大将は、いつも私に言ってますもの……『お前はいつも無防備すぎる』って……ね……。でも、私にはファーレンハイト大将しか……もう見えていないのに」
エリザベートのその言葉を聞いた瞬間、ファーレンハイトとビッテンフェルトは一斉に口元を押さえてエリザベートから視線を反らす。
ビッテンフェルトに至っては、「砂糖を吐きそうだ……」とブツブツ言っている。
「なるほど、古のメディアの『砂糖を吐く』という表現が分かりますな」
オーベルシュタインの表情は、最早完全に死んでいる。
メックリンガーは「お熱いことで……」と苦笑し、ミッターマイヤーは赤面している。
「やれやれ……あなたには適いませんね、フロイライン・ホーエンツォレルン」
「閣下も、分かっていらっしゃるのでしょう?」
ロイエンタールは、流れるような仕草でエリザベートの指先にキスをした。
「――ええ。あなたのような方には、ファーレンハイトしかいないでしょう。あなたに狂っても良しとする、廉直で一途な男が」
「そんな、私『ファム・ファタル』ではありませんよ」
「皇帝の寵姫候補だったあなたに、それを言う資格はありますまい」
オーベルシュタインにグッサリと心に刺さる一言を言われて、少し落ち込む。
「やはり、それは一生私に付き纏う経歴ですのね……」
「それが嫌ならば、それを跳ね除ける武功をお上げになればよろしい。……失礼、そろそろ夜遅くなるので私は失礼する」
オーベルシュタインは、エリザベートの手を取って爪先に唇を近付けた。
まさかオーベルシュタインが、と皆がびっくりして目を瞬いている内に、当の本人は風のように去っていってしまった。
「それを跳ね除ける武功……ですか……。反乱軍の艦隊を一個全滅させるとか?」
その華やかなドレスに似合わない物騒な言葉に対し、
「オーベルシュタインは、おそらくあなたにこれからも励むようにと彼なりに励ましたのですよ」
と、メックリンガーは優しく語りかける。
「そうなのでしょうか……?」
「フロイライン・ホーエンツォレルンは、ローエングラム侯の元帥府での活躍はまだまだこれからだろ。すぐに俺達に追いつくさ」
ビッテンフェルトは、オーベルシュタインがいなくなるとようやく落ち着いたのか話の輪に入ってきた。
ファーレンハイトも、さらりと場に入って空のグラスにワインを注いでいる。
「私が上級大将……?そんな、まだまだですわ……。父のマクシミリアンやメルカッツ提督は、ずっと大将でしたのよ」
「あれは……あなたも分かっておられるだろうが、軍の上層部に嫌われていたのだ」
ミッターマイヤーが、戸惑うエリザベートに言葉を補う。
「ええ……分かっております……父上は……」
そしてグッと唇を噛み締めたエリザベートは、
「だからこそ、私、軍人になると皇帝陛下にもメルカッツ提督にも申し上げたんです」
と、自分に言い聞かせるようにも言った。
負けた味方を逃がすために共に戦場にいたエリザベートをメルカッツ提督に預け、旗艦のバルドルにあって、たった一部隊で反乱軍に対峙した父。
最後に見た父は、表情を隠すように仮面を付けていた。
いつか、自分にもその時の父の気持ちが分かるだろうかと思って駆け抜けてきた。
そして、人の心には「大切な人に生きていて欲しい」と思う気持ちがあるのだと知った。
だからこそ、シュナイダーにメルカッツ提督を託した。
例え、敵と味方になろうとも、生きていてくれれば……。
「そして初めて私のこの決意を打ち明けた人物は、士官学校の先輩に当たるファーレンハイト大将でした。閣下は私の決意を『小娘の戯言』とは言いませんでした。寵姫の命が下った時に『生きたいように生きろ』と教えてくださったのも閣下です。閣下なくして、今の私はありませんでした」
惚気ではなく、本当にファーレンハイトがエリザベートの人生において大きな役目を果たして、エリザベートがどれだけファーレンハイトを尊敬しているかがわかる言葉を聞いて、他の上級大将たちは「この二人の関係は、神聖不可侵のものなのだ」と痛感する。
――もし、エリザベートが死んだらファーレンハイトは?ファーレンハイトが死んだら、エリザベートは?
ミッターマイヤーは、同時にその事を考えてしまった。
……どちらかが残るという未来が、微塵も想像できないというところまで。
「そうか……やっぱり二人は、お似合いなんだろうな。やっとかわいい後輩と同じ部隊で戦えるんだ、よかったなファーレンハイト」
ビッテンフェルトは、ファーレンハイトの肩を思い切り叩く。
「ああ……そうだな。元帥閣下には、感謝しきれないな……」
ファーレンハイトは、嬉しそうな様子でその言葉を受け取っていたのだった……。
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