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哀哭


 甘い香り。
 その強烈な甘ったるい香りは部屋一帯に広がっていた。
「鶴丸……?」
 部屋に佇んでいた彼の顔を覗き込むと、涙が頬を伝ったであろう跡が見えた。
 そして足元には赤い水溜り。薄っすらと感じるこの匂いは血……? この血の匂いを消すためにお香を焚いたのだろうか。
「ははっ驚いたか? 少し焚きすぎてしまったようだ」
 いつものように笑って見せるけれど、どこかぎこちない。鶴丸に一体何があったんだろう。
「それよりこれ血だよね? 怪我してるなら早く処置しないと!」
「ああ、これか。止血してあるから大丈夫だ」
「大丈夫だって言われたって心配になるよ」
 見せられた腕には包帯が巻かれていて、赤く滲んでいる。よく見るとそばには血の付いた刀があった。本丸で誰かにやられるわけないし、出陣や遠征後でもない。もしかして自分で切ったの……?
「なんでって顔してるな」
「そりゃなるでしょ? 全然理解出来ないんだけど」
 何がなんだかわからない。
ただこの空間が異常であるということ以外。
「――命日、だから」
 命日? そう言えば前に大切な人を亡くしたことがあるとかなんとか言っていた。言いたくなさそうだったから詳しくは聞いていないのだけど、その人のことなんだろうか?
「だから、戒めに、こんなの大した痛みではないんだけど、痛みを感じていないといけない気がしてな」
 なんて声をかけていいのかわからないでいる私をよそに鶴丸は話を続けた。
「この手で壊したんだ、全てを。苦楽を共にした仲間も、
ずっとそばにいると誓った元主あのひとも、殺した」
 この話を聞くのは初めてだ。
「殺したって……」
「あの人が最初に己の本丸を壊し始めたんだ。泣きながら、傷付きながら。バカだよな、苦しいならそんなことしなきゃいいのに」
 とある本丸が崩壊したから立て直しのため新しく審神者になってほしい、そう命を受けてここへ来た。崩壊理由は聞かなかった、いや怖くて聞けなかった。けど聞かなくてよかったかもしれない、初就任でこれは耐えられた気がしない。
「殺るあの人を見てられなくて途中から俺が代わった。本当は止めるべきだったんだろうけど、後にはひけなかった。そして俺とあの人二人だけになった。『多分、鶴丸くんなら気付いてたと思うけどもう私長くない。自らの手で全てを壊して迎えを待とうと思ってたんだけどね、大好きな鶴丸くんのこと殺すなんて出来ない。だから私を殺してほしいの。どうせ死ぬんだから。これは主の命だから背くことは許さないよ』って言われて、主の望みならばと」
 鶴丸の瞳からボロボロと大粒の涙が溢れている。
「間違っていることはわかってた。でももうどうしようもなくて、これ以上苦しむあの人を見たくなくて、気付いたら殺ってた。そのあと追いかければまた一緒にいられるし、ついでに驚きをプレゼント出来るんじゃないかって思ったんだけど、怒らせたり悲しませたりしそうだったから辞めた」
 私もただただ泣いていてた。こんなの悲しすぎるよ。その決意も痛みも私には計り知れない。
「この香り、あの人が大好きだったんだよ。未練たらしい気もするけど、こうでもしないと今が幸せすぎてすべて忘れてしまいそうだから。もう二度と過ちを犯さないためにも必要だったんだ。ごめん」
 そっか、これ血の匂いを消すためじゃなかったんだ。想いと向き合うためにはこれくらい必要だったのかな。そういえば初めて会った日、この香りがした気がする。
「その人のことは覚えておいてあげてほしいけど、忘れちゃったら本当に死んじゃうから……でも、もうこんなことしなくて大丈夫! 私は鶴丸に苦しい思いはさせないから! 過ちなんて犯させないよ」
 そうだ、こんなことさせちゃいけない。私がしっかりしなきゃ。
「ありがとう。ずっと一人だったこの本丸に主が来てくれて、俺を救ってくれてありがとう。今が幸せなのは主のおかげだ」
「私も、鶴丸のおかげで幸せだよ。ありがとう、大好き」
 今はまだその審神者に敵わなくたって、鶴丸が幸せを感じてくれているならそれでいい。気持ちをすべてわかってあげられなくても、そばにいてあげることはできる。
「話してくれてありがとう、鶴丸」


(19/07/06)
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