世界観説明

◎世界観説明4 「神」と「人外」の違い

1 「神」と「人外」の違い
「神」と「人外」と呼ばれるものの間は、国や地域、文化圏宗教圏にもよりますが、区別があやふやである場合も少なくありません。
 それというのも、「神」と「人外」は、地球や、場合によっては宇宙などの、巨大な霊魂より直接生み出された、霊的な生き物であるという共通点があるからです。

 しかし、「神」と「人外」には、明確な「役割」としての違いがあります。
 それが「司るものがあるかどうかの違い」です。

「神」には、それぞれに司るものが存在します。
 それは雷や海といった自然であったり、正義や美といった抽象概念だったり、特定の技術や物品であったりするのです。

 一度「神」と認定され、多くの人間が彼なり彼女なりに祈りを捧げるようになると、その「霊的存在」には「司るものを信仰や持っている力の規模に合わせて自在に操る力」と「その司る物事に対する責任」とが生じます。
 もし「富の神」だったなら、「特定の誰か、場合によっては国家一つくらいを富ませることができ、またその結果生じたことに対する責任」が発生します。
 もし、途中でその人間なり国家なりが富むに値しないとその「神」が判断したら、富を取り上げることも可能です。

 同様に雷神だったら「雷を自在に操る力」と「雷が落ちた場合に生じた結果に対する責任」が生じます。
 神話にある「神罰としての落雷」を行う場合もあるのです。
 更には、雷を生み出す「雷雲」の巨大なエネルギーをも我が物にできるということも示しています。

 これらの場合「責任」というのは、必ずしも「人間や社会に対する責任」であるとは限らない場合もあります。
 もっと大きなもの、世界的な命運の流れに対する責任である場合も多々あるのです。
 その場合、短期的には「神は不公正だ」と並みの人間には思われる行いをする場合もあり得ます。

 こうした要因から、「神」と呼ばれる存在は、普通の「人外」と違って、人間に対して距離を置き、超然とした性格である場合が多いのです。
 自分に関係のないことには関わらないし、情に流されて力を振るうことも稀にしかありません。

 自然現象を「門」として生まれてきた存在なら、特に誰に促されるでもなくこうした「神」としての性質を持ち、「神」の役割をこなしている者も多く存在します。

 反して「人外」は、「特定の性質」を帯びてはいても、「その物事を司っている訳ではない」という違いがあります。

 例え何者かを有利にできる力があったとしても、その力をいかに振るうかは、完全にその「人外」個人の自由であって、彼もしくは彼女に責任がある訳ではありません。
 倫理的な責任を感じることはありうるでしょうが、世界の運命そのものにまで干渉するといった意味での「責任」はないし、取りようがありません。
 無論、個人的に特定の対象に責任を感じるかは自由ですが、それは何か大きなものを支えるためにやっている訳ではなく、あくまで個人の内的価値観の問題であるのです。

 端的に言って「人外」は自由ですが、その反面不利な点もあります。

「神」と違って特定の事物を自らと完全に重ねている訳ではないからか、使える力の総量は多くの場合「神」に比べて格段に劣ります。

「富」の例を見れば「特定の気に入った家を富ませる」のが関の山だし、それで周囲に生じた影響まで管理できる訳ではないし、気が向かなくなったという理由で富ませるのを止めることもできるわけです。

「雷」の例を見れば、雷を操る直接攻撃妖術を使えても、「雷雲そのもののパワー」まで我が物にできるわけではないし、「神罰」として雷を落とす訳でもありません。
 無論、自主的に「神罰」と信じて自らの操る雷で悪党を撃つことはあり得るでしょうが、本人に「神」の資格はないので、本当の意味での「神罰」という訳では決してないのです。
 本人がそう信じ、周囲もそう思い込む可能性はあります。
 が、その場合「神」へ上る道を示されるか、本物の「雷の神」にお仕置きされる覚悟がいるでしょう。
 そのこと自体では、あくまで「個人的に気にくわない相手を攻撃した」に過ぎないのです。

「人外」の中にも「神」に匹敵する力を持つ者もいます。
 しかし、「特定の物事を司り、それに責任を持つ」という性質が付随しない以上は、どんなに強力でも彼または彼女は「人外」であって「神」ではないのです。

「人外」から「神」に昇るもの、逆に「神」の座を降りて「人外」になった者なども存在するので、この辺りの区別は付けづらい場合も多いのです。


2 扱う範囲

 このゲームで扱う範囲は、あくまで「人外」に限定しています。
 今後追加ルールで「神」を扱う可能性もありますが、現時点ではあくまで「人外草紙TRPG」は「人外」を遊ぶTRPGです。
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