はたらくハロウィン
08 恐怖と動揺まみれの日
左腕にハロウィンのバスケットを提げ、酸素の箱を抱えて、細胞さんの家のインターホンを押す。細胞さんは細菌やウイルスの仮装をしているかもしれないけれど、今度こそ驚かないぞ…!
しかし部屋の中から出てきたのは、普段と同じ格好をした一般細胞さんだった。
「あっ、こんにちは!本日分の酸素をお持ちしました、こちらにハンコかサインをお願いします!」
「あぁ、ありがとう」
細胞さんはすぐにハンコを押してくれる。仮装どころか驚かせてくる気配もない。身構えていただけになんだか拍子抜けしてしまう。ただの仮装で驚いてしまう私にとっては、いつも通りの格好をしてくれる方がほっとするけれど…もしかしてこの細胞さんはハロウィンに参加しない細胞さんなのかな?先輩の話ではイベント事に乗り気でない細胞さんもいるって言ってたし…。
よし、二酸化炭素を受け取ったら今回は『トリック・オア・トリート』は無しでいこう。そう判断して、いつも通りの言葉を述べる。
「ありがとうございました、またご利用ください!」
…けれど。
「あの…」
「はい?」
細胞さんは私を呼び止めると、申し訳なさそうにおずおずと言った。
「仮装はしてないんだけど、言ってもいいかな…?えーと…『トリック・オア・トリート』」
「はっ、はい!ハッピーハロウィンです!」
咄嗟に声だけで答えてから、ハッと気付いて二酸化炭素の箱を下ろす。そのまま慌ててバスケットの中のお菓子を一つ差し出すと、細胞さんはぱぁっと表情を明るくした。
「ありがとう!」
「いえ、こちらこそ慌ててしまってすみません…!」
「あはは、僕も仮装してなかったからね。仕方ないよ」
眉を下げながら困ったように笑う細胞さん。ハロウィンの合言葉も仮装のことも知っているような口ぶりに、私は思わず首を傾げる。
「あの…どうして仮装しないんですか?私たちはともかく、他の一般細胞さんは結構いろんな仮装してますよね…?」
「あぁ…一応用意はしてあったんだ、仮装もお菓子も。ちょっと待っててね、お礼のお菓子を持ってくるよ」
細胞さんはそう言って部屋の中に戻っていく。
そして…数分後。
『目標・赤血球・確認。お菓子・渡します』
片言 のセリフを区切りながら現れた、無機質な筒状の白い胴体、赤いライトがぴかぴか光る頭。それが仮装だと分かっていても、本物に出会った時の思い出が強すぎて嫌な緊張が走る。
『渡します』
「うひぃっ!?」
「排除」と言われたわけじゃないのに、恐怖のあまり変な声が出た。これは仮装、これは仮装…!心の中で呪文のように何度も唱えながら、震える手を伸ばしてお菓子を受け取る。それがクッキーかチョコレートかなんて確認する余裕も無かった。どうしよう、身がすくんで動けない。
そう思った、瞬間。
「…ね?気合い入ってるだろう?」
細胞さんが無機質な着ぐるみの頭を外して、困ったように笑った。
「ステロイドの仮装なんだけど、皆怖がって誰も近寄ってくれなくてさ…」
「あぁ…」
確かにこれは怖い。よく見ると肘や膝は何も覆っていないし手もただの白い軍手だけど、それでも十分怖かった。…いや、仮装が怖いというより本物が怖すぎるのか?でも、そうだとしても本当に怖かった。
「もう日の目を見ることはないと思ってたけど、最後まで逃げずに見てくれたのは君が初めてだよ。ありがとう」
「あ…はは、仕事ですから…。それでは、失礼しまーす…」
そう、これも仕事だ。『ハッピーハロウィン』を実現するための仕事。どんな仮装よりも驚いたし怖かったけれど、あの細胞さんが力作を私に見せたことで幸せになれたのならよかった…。うん、よかったんだと思う…。
二酸化炭素の箱をもう一度抱えて、ふらふらと大通りの方へ出る。次の仕事はこれを肺に届けること…だけど、少し休憩しようか…?なんだかどっと疲れた気がする…。えーっと、じゃあまずは休憩用のベンチを探さないと…。
ふらふらふらふら、おぼつかない足元のまま進む。しばらく誰にもぶつからずに歩けたのは、他の赤血球の仲間や細胞さんたちが避けてくれたからだったのだろう。だけどその時の私はそんなことすら考えられなくて…あまり人通りのない道まで来た時には、とうとう誰かにぶつかってしまった。
「痛っ!?」
「あっ、すみませ…」
「ん」までは、言えなかった。
きらりと光る鋭い爪と頭の後ろから伸びる太い触角、その濃い赤紫色が視界に入る。
「ほーう、この俺にぶつかるとは良い度胸だなぁ」
背筋が凍る。嫌な予感が私の中を駆け巡る。
口から何とか絞り出した言葉は、赤芽球の頃を連想するような、ひどく間抜けな質問で。
「さ、細菌の…仮装、ですよね…?」
「仮装ぉ?そうだったらどんなに良かっただろうなぁ」
細菌の口が不気味な弧を描いた。
2018/10/31 公開
左腕にハロウィンのバスケットを提げ、酸素の箱を抱えて、細胞さんの家のインターホンを押す。細胞さんは細菌やウイルスの仮装をしているかもしれないけれど、今度こそ驚かないぞ…!
しかし部屋の中から出てきたのは、普段と同じ格好をした一般細胞さんだった。
「あっ、こんにちは!本日分の酸素をお持ちしました、こちらにハンコかサインをお願いします!」
「あぁ、ありがとう」
細胞さんはすぐにハンコを押してくれる。仮装どころか驚かせてくる気配もない。身構えていただけになんだか拍子抜けしてしまう。ただの仮装で驚いてしまう私にとっては、いつも通りの格好をしてくれる方がほっとするけれど…もしかしてこの細胞さんはハロウィンに参加しない細胞さんなのかな?先輩の話ではイベント事に乗り気でない細胞さんもいるって言ってたし…。
よし、二酸化炭素を受け取ったら今回は『トリック・オア・トリート』は無しでいこう。そう判断して、いつも通りの言葉を述べる。
「ありがとうございました、またご利用ください!」
…けれど。
「あの…」
「はい?」
細胞さんは私を呼び止めると、申し訳なさそうにおずおずと言った。
「仮装はしてないんだけど、言ってもいいかな…?えーと…『トリック・オア・トリート』」
「はっ、はい!ハッピーハロウィンです!」
咄嗟に声だけで答えてから、ハッと気付いて二酸化炭素の箱を下ろす。そのまま慌ててバスケットの中のお菓子を一つ差し出すと、細胞さんはぱぁっと表情を明るくした。
「ありがとう!」
「いえ、こちらこそ慌ててしまってすみません…!」
「あはは、僕も仮装してなかったからね。仕方ないよ」
眉を下げながら困ったように笑う細胞さん。ハロウィンの合言葉も仮装のことも知っているような口ぶりに、私は思わず首を傾げる。
「あの…どうして仮装しないんですか?私たちはともかく、他の一般細胞さんは結構いろんな仮装してますよね…?」
「あぁ…一応用意はしてあったんだ、仮装もお菓子も。ちょっと待っててね、お礼のお菓子を持ってくるよ」
細胞さんはそう言って部屋の中に戻っていく。
そして…数分後。
『目標・赤血球・確認。お菓子・渡します』
『渡します』
「うひぃっ!?」
「排除」と言われたわけじゃないのに、恐怖のあまり変な声が出た。これは仮装、これは仮装…!心の中で呪文のように何度も唱えながら、震える手を伸ばしてお菓子を受け取る。それがクッキーかチョコレートかなんて確認する余裕も無かった。どうしよう、身がすくんで動けない。
そう思った、瞬間。
「…ね?気合い入ってるだろう?」
細胞さんが無機質な着ぐるみの頭を外して、困ったように笑った。
「ステロイドの仮装なんだけど、皆怖がって誰も近寄ってくれなくてさ…」
「あぁ…」
確かにこれは怖い。よく見ると肘や膝は何も覆っていないし手もただの白い軍手だけど、それでも十分怖かった。…いや、仮装が怖いというより本物が怖すぎるのか?でも、そうだとしても本当に怖かった。
「もう日の目を見ることはないと思ってたけど、最後まで逃げずに見てくれたのは君が初めてだよ。ありがとう」
「あ…はは、仕事ですから…。それでは、失礼しまーす…」
そう、これも仕事だ。『ハッピーハロウィン』を実現するための仕事。どんな仮装よりも驚いたし怖かったけれど、あの細胞さんが力作を私に見せたことで幸せになれたのならよかった…。うん、よかったんだと思う…。
二酸化炭素の箱をもう一度抱えて、ふらふらと大通りの方へ出る。次の仕事はこれを肺に届けること…だけど、少し休憩しようか…?なんだかどっと疲れた気がする…。えーっと、じゃあまずは休憩用のベンチを探さないと…。
ふらふらふらふら、おぼつかない足元のまま進む。しばらく誰にもぶつからずに歩けたのは、他の赤血球の仲間や細胞さんたちが避けてくれたからだったのだろう。だけどその時の私はそんなことすら考えられなくて…あまり人通りのない道まで来た時には、とうとう誰かにぶつかってしまった。
「痛っ!?」
「あっ、すみませ…」
「ん」までは、言えなかった。
きらりと光る鋭い爪と頭の後ろから伸びる太い触角、その濃い赤紫色が視界に入る。
「ほーう、この俺にぶつかるとは良い度胸だなぁ」
背筋が凍る。嫌な予感が私の中を駆け巡る。
口から何とか絞り出した言葉は、赤芽球の頃を連想するような、ひどく間抜けな質問で。
「さ、細菌の…仮装、ですよね…?」
「仮装ぉ?そうだったらどんなに良かっただろうなぁ」
細菌の口が不気味な弧を描いた。
2018/10/31 公開