はたらくハロウィン

09 君のためにはたらく日

「ぎぃやぁぁぁあーっ!」

台車を押して走る走る、とにかく走る。腕に提げたバスケットがぐらんぐらん揺れるけれど今は構っていられない。幸い中身は皆に配り終わった後でだいぶ少ないから、今のところ落としてはいないはず。闇雲に走ったせいで肺へ向かうルートはもう分からないけれど、それでも私は走って逃げる。

「待てコラァーッ!」
「いやあぁぁぁああぁぁあっ!」

後ろから細菌のダミ声が追いかけてくる。いや、声だけでなく実際に追いかけてきている。走っても走っても細菌との距離は離れないどころか、むしろじわじわと縮まっている気さえする。
逃げながら叫ぶのはもはや私の癖だった。それを聞いた赤血球の仲間たちが振り向いて…私とその後ろの細菌を見て一目散に逃げていく。

「ていうか何で私ばっかりなんですかーっ!?」

私が台車に乗せているのは二酸化炭素だ。ぶつかった恨みや憂さ晴らし、もしくは単に私がアホで狙いやすいとか、狙われる心当たりはいっぱいあるものの、どうしてここまで執拗に追いかけてくるのか。酸素が欲しいなら途中で他の赤血球に目標を変更することもできるよね!?だからといって突然他の誰かに襲いかかられても、それはそれで細菌を連れてきてしまった私の罪悪感がすごいんだけど!
細菌は私の悲鳴にくつくつと笑い、そして勝利宣言のように告げる。

「俺はどちらかというと嫌気性の細菌なのさぁ!酸素なんて興味ない。でも…」

刃物のような爪が顔の横ギリギリをかすめて、血管内皮細胞の壁に突き刺さった。後ろから飛んできたそれにぞっとして振り向けば、細菌はすぐ近くまで来ている。

「俺の溶血性はものすごーく高い。なぁに、心配しなくても皆殺すさ。たまたまいちばん最初に、テメーが目を付けられただけだ」
「ひえ…っ」
「しかしテメーに目をつけたのはラッキーだったなぁ。おかげで他の赤血球たちの居場所が分かったぜ」

首元に当てられた冷たい爪の感触に、ぞくりとする。
嫌だ、死にたくない。何か方法は…!
そう思った時、左腕のバスケットが手まで下がって太ももに触れた。ハッと気付いて右手を添え、そして。

「ひっ…いぎゃあぁぁぁっ!」
「ぶっ!?」

言葉にならないかけ声と一緒に、バスケットの中身を細菌の顔めがけて勢いよくぶちまける。いろんな細胞さんに配った後で補充もしていないから、量としては少ない方だけど…そのぶん個包装の一つ一つに勢いがついたらしく、細菌は驚いて動きを止めた。
とはいえ私も無我夢中だ、そのまま押して無理やり細菌の顔にバスケットをめる。最後まできっちりめたら後は全力でダッシュ!今のうちに少しでも細菌から離れないと!

「テメー…何しやがるーっ!」

細菌はバスケットをかぶったままドタドタと追いかけてくる。前が見えないせいで壁にぶつかったり曲がり角に気付くのが遅れたり、追いかけてくる速さはさっきよりも落ちている。
だけど、これが一時しのぎにしかならないことは薄々分かっていた。頭の中では警報が鳴り続けている。おまけにずっと走りっぱなしで足の感覚が無くなってきた。甘い香りと楽しいイベントで今日はずっと気力が充実していたけれど、香りだけじゃ本当のエネルギーにはならない。今更気付いても遅いのに。

「はぁ、はぁ、はぁ…うぎゃっ!?」

足がもつれる。まずい、荷物を巻き込むわけにはいかない。咄嗟に台車のハンドルを離す。勢いよく下がる視界の中、二酸化炭素を乗せた台車が慣性に従って少し進むのが見えた。ほっとした直後、盛大にすっ転ぶ。
痛みを堪えながら起き上がって、周りを見回す。誰もいない。だけどそれが良いか悪いか判断する前に、後ろから恐ろしい爪の音が響いてくる。
さっきの細菌。バスケットは無い。嫌だ。怖い。溶血したくない。あの時私は何を躊躇ったんだろう。こんなことになるなら、思ったことは素直に伝えておくべきだった。後悔と大切な人の顔が思い浮かぶ。
細菌が勝ち誇ったように告げた。

「ふん、手間かけさせやがって…死ねーっ!」

爪が光る。走り出す。飛びかかってくる、殺される!
嫌ぁぁぁあああっ!!

死を覚悟した、その時。
ガコン!という音と共に、白い影が私と細菌の間に立ち塞がった。

「抗原発見!」
「何ぃっ!?」

ピンポーン♪…と、この場には不釣り合いなほど陽気な音が鳴り響く。だけどそれは、今の私にとって何よりも安心する音だった。そしてすぐ近くに、さっき外した遊走路の鉄格子が落ちる。
ダガーナイフで細菌の鋭い爪を食い止め、弾き返したその人は。

「白血球、さん…!」

私の口から零れた言葉に、白血球さんは振り向かなかった。細菌から目を離さず、一瞬で間合いを詰める。そしてすかさずナイフを振るった。

「死ね!雑菌がーッ!」
「ぐっはぁあああっ!」

細菌から血しぶきが噴出して、白血球さんの右側を赤く染める。
助かった。そう思ったのに、体に力が入らない。恐怖から一気に解放されて安心したんだ。ゆっくりと息を吐く。白血球さんがこちらへ歩いてくるのも、今はなぜかぼうっと見つめてしまう。

「無事か?赤血球」

…会えた。ずっと会いたいと思っていた人に。
今日は一度会ったのだから、もう会えないと思っていた。そもそも37兆2000億もいる細胞の中で再会できること自体がすごいことなんだけど、今日のうちにまた会えた。

「白血球さん…」
「すまん、遅くなって…立てるか?」

白血球さんが、真っ白な左手を差し出してくる。
それだけで…あぁ、なんて嬉しいんだろう。生きている実感が急に湧き上がって、嬉しくて、私はまた彼を呼ぶ。

「白血球さん…!」
「赤血球?どうした?まさか、どこか怪我して…!?」

焦って膝をつき、肩を揺さぶろうとした白血球さんに手を伸ばして。そのまま、背中へと回した。
正面からぴったりと寄り添って、白血球さんの白い肩に頭を預ける。白血球さんの驚いたような声がすぐ近くで聞こえた。

「赤血球…!?何を…」
「白血球さん…ありがとうございました。助けていただいて…!」

怖い細菌と戦う姿がかっこいいとか、いろんなことを知っていてすごいとか、細胞さんたちが楽しむのを邪魔したくないと言っていたのが優しいと思ったとか、伝えたいことはたくさんあったけれど。全部の思いを一言に込めて、私は今の気持ちを述べる。
ふいに、白血球さんが緊張を解いたのが伝わってきた。

「…いや。こちらこそ、怖い思いをさせて…すまなかった」

そんなことない。静かに首を横に振る。
だって、白血球さんが来てくれたから、安心できた。

「良かったです、またお会いできて…!」
「…あぁ」

とても優しい声音で、返事が囁かれる。
それにすっかり安心して、生きて白血球さんと会えたんだと実感できて…私はもう一度呼ぶ。

「白血球さ、」

…だけど、「ん」までは言えなかった。
少しだけ動いた時、左腕に伝わるベトッとした感触…これは、まさか。
途端に冷静になっていく頭は、一拍遅れて今の状況をも理解してしまって。

「…っ、ぎゃあぁぁあああっ!?」

思わず飛び退けて離れる。驚いた時に叫んでしまうのは、悲しいことに私の癖だった。決して白血球さんに驚いたわけじゃなくて、この体勢にビックリしてしまって…だってこれ普通は恋人たちがするようなことだよね!?それかものすごく仲の良い女の子、それこそ抱き締めたくなるような可愛さの血小板ちゃんとか!それを安心したあまりとはいえ白血球さんにするなんて、あぁあ私はなんてことをしているんだ!?
ずざざざっと血管の壁まで離れた私に、白血球さんは目を白黒させていた。だけどご丁寧にさっきの体勢のままで、それがまたさっきまでのことを思い出させてきて、あぁあ恥ずかしい、どうしよう!?

「赤血球!?」
「すっ、すみませんすみません!私ってば白血球さんになんてことを!すみません、本っ当に申し訳ありません!」

うまく回らない頭と口で必死に謝る。いつもならそんな私を白血球さんは優しく宥めてくれるのに、今回は白血球さんも私の恥ずかしさが感染したみたいにわたわた謝り出してしまって。

「いっいや、俺の方こそすまん!返り血も洗わず近付いてしまって…!」
「えっ!?あっ!」

言われて初めて気付いた。戦ってくれた白血球さんほどではないけれど、さっきぴったりとくっついてしまったせいで左腕やジャケットの左側に返り血がべったり移っている。
けれど白血球さんは制服を今更確認する私を見て、普段の落ち着きを取り戻したようだ。道案内の時のように優しく提案してくれる。

「あー…それじゃあ、洗い場まで一緒に行くか?」
「そっそうですね!」
「…立てるか?」
「だ、大丈夫です!ほら、この通り!」

自分でもさっきはどうして立てなかったんだろうと思うくらい、私はぱっと立ち上がった。白血球さんのセリフがさっきと同じだったことには気付かないふりをする。
そのまま元気をアピールするように軽く走って、私は一度手放した台車まで向かう。…よし。荷物の方も大丈夫、破損はなさそうだ。点検していると白血球さんも来て隣に並ぶ。

「…ところで赤血球、ハロウィンの籠は?」
「あぁ…逃げる途中で細菌にかぶせて、それっきり…」
「そうか。どこかに落ちてるといいが…」
「あっ、でも小腸に行けばまた支給してもらえるので大丈夫ですよ!気にしないでください!」

今日限定の仕事なのにバスケットまで支給されるのか本当は分からないけれど、中身のお菓子が小腸で支給されるのだから多分バスケットも予備くらいあるだろう。楽観的に結論づけて、私はいつものように白血球さんと歩き出す。
…でも。いつもの調子に戻って、ふと思い出したことがあった。ずっと心のどこかで気になっていたこと。

「…あの、白血球さん」
「ん?」
「私に『トリック・オア・トリート』って言ってください」
「は!?…いや待て赤血球早まるな、俺はいたずらするつもりはないぞ!?」
「言ってもらわないと私の気が済まないんです!」
「あ、はい…」

白血球さんは一瞬ぎょっとして拒んだけれど、すぐに折れてくれた。歩みを止めて向き合う。
こうして見上げる白血球さんの表情は、私の大好きな優しいもので。

「トリック・オア・トリート」
「…あの、ですね。配る用のお菓子はないんですけど、もらったお菓子で白血球さんと一緒に食べたいものがありまして…あった、これです!」

少しだけ見とれてから、ごそごそと鞄の中を探って目的のものを出す。今日もらった『秘密のお菓子』だ。

「おぉ、結構大きいな…?」
「マクロファージさんからもらったんですよー。幸せな魔法がかけられてて、願いが叶ったら食べるんです!」
「魔法?いや、まぁ、それはいいか…。それで、願いは叶ったのか?」
「はい!白血球さんにまた会えました!」
「そうか…」

言ったらまた嬉しさがこみ上げてきて、私はにっこりと笑う。白血球さんは帽子のつばを下げて黙ってしまったけれど、そんなところも白血球さんらしいなぁと思った。続いて頭の中を占めるのは、これがどんなお菓子なのかということ。

「ふふっ、楽しみだなぁー!…あの、やっぱりちょっとだけ見てもいいですか?」
「あぁ」
「えへへ、どんなお菓子なんだろう…!」

わくわくしながら『それ』を袋から出し、箱を開ける。
…けれどそこにあったのは、細くてゴツゴツしていて、先端に黒くて鋭いもののある、今は最も見たくないもの――細菌の、腕。

「ぎゃあぁぁああっ!?」
「うわっ、と!?」

思わず箱ごと投げ出してしまって、でもすぐに白血球さんがキャッチしてくれた。喜んでいいのかどうなのか…微妙な気持ちでお礼を述べる。

「あっ、ありがとうございます白血球さん!」
「…ん?」

白血球さんは箱の中を覗いて、それから私の方を見て言った。

「赤血球、これは細菌じゃないぞ」
「え…?」
「甘い匂いがする。…細菌の腕を模したお菓子じゃないか?」
「あ、そうなんですか…」

甘い匂いの、お菓子。
トリックでもありトリートでもあるサプライズに、私は今までの疲れがどっと溢れる心地がした。





…それから少しして、洗い場近くのベンチで仲良く『細菌の腕』を食べる赤血球と好中球の姿が目撃されたんだとか。



fin.

(後半一気に更新するなどバタバタしましたが無事完結しました「はたらくハロウィン」。ここまで読んでいただきありがとうございました!ハロウィンでも細胞たちの仕事は変わらないだろうとは思いましたが、それでもハロウィン話を書きたくて、ハロウィンを目一杯楽しむ人の体内のイメージで書きました。色々補足すると、血小板ちゃんたちが大勢いたのは傷を修復した直後だったから。その傷から入っていた細菌が赤血球を襲った…という流れです。赤血球視点ということもあって細菌の名称は特に決めていませんが、イメージは化膿レンサ球菌です。)

2018/11/01 公開
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