狐神と、



 ──尾が二本に分かれる、その時まで。


『あなたに向いてる仕事が見つかりましたよ』

 休職してからしばらく経った頃。
 一番上の兄にそう言われて、兄と共に天国にある狐庭園を訪ねていた。
 天国の気候は春と夏を掛け合わせたような穏やかな場所。天気が荒れることはそうそう無いらしく、青い空がきらきらと広がり、花が絶えず咲き誇っている。
 神様が集い宴を催す宮殿を抜けて、裏庭に広がる芝生を越えた先に狐庭園は設けられていた。
 狐庭園は、狐神と狐神の子が住まう場所だ。生まれた子どもは、ある程度大きくなってから、多くは古都にある伏見稲荷で暮らしつつ働くそうだが、地方の神社にも小さなうちから派遣されるそうだ。
 生まれたばかりの子狐は一人では暮らせないので、子どもが大きく立派に神職を果たせるようになるまで、お世話係が必要になる。今回、新しく狐が産まれた為、お世話係が必要になったそうだ。

「よくぞ来てくださいました」

 出迎えてくれたのは、狐庭園を管理する保食神(うけもちのかみ)だ。金色の髪は肩先で揃えるように切られ、切れ長の目には赤いアイラインが引かれている。同じ色の紅も唇にたっぷりと塗られており、白い小袖と緋袴というシンプルな出で立ちながら、神様の威厳がびしびしと彼女の空気を張り詰めさせている。

「先日話に出た、お世話係の候補です。本日はよろしくお願いします」

「弥(あまね)です。よろしくお願いします」

 兄に倣って挨拶を交わし、庭園の中に通される。
 庭園は、木造作りの平屋が三棟ほどコの字型に建てられ、渡り廊下でそれぞれの棟を行き交いできるようになっていた。
 庭には芝生が敷き詰められて小さな身体の狐が駆け回っている。室内からもあちこちから狐の気配が伝わって、賑やかな様子だ。
「なんだか、狐専門の保育園みたいだな」と思っている間に、産屋へと着いた。
 廊下に面した窓越しから、中の様子を窺う。
 真っ白な部屋は、柵を使って部屋が仕切られていた。仕切られた部屋には、一つ一つにケージが置かれ、毛布たタオルが敷かれている。最近お産があった狐神は三柱居るらしく、与えられた場所で子どもと過ごす姿が見えた。

「あまね殿にお願いしたい子は、あちらで休んでいる狐神の子です」

 保食神が指で示す場所に、白い狐神と四匹の子狐が身を休めている。
 四匹のうち三匹は母の側で寝ているのに、一匹だけ離れた場所で、タオルにくるまれた状態で寂しく寝ていた。タオルに包まれているので全体像は見えないが、布からはみ出た毛は雪みたいに真っ白。耳はまだ完全に立ち上がっておらず、ぺたりと折れている。ぐっすりと眠っているのか、腹を上下させてぴいぴいと寝息を立てていた。

「かわいい……」

 思わず、言葉が漏れる。
 視線が自然とその子へ向かい、なかなか離すことが出来ない。

「この狐神はとても利口かつ聡明で、子どもにもその気質が見られます。初めてお世話係をする方にも育てやすいかと」

「あの子はどうしたんです?」

 兄が、タオルにくるまれた子について問う。
 保食神は少々困ったように眉尻を下げて、口を開いた。

「あの子は、一番最初に生まれた子なのですが、気まぐれで甘えっ子かつ我が儘な子でして」

 みんなと遊ぶよりも一人遊びが好き。それなのに、他の兄弟が母親から乳を貰っていたり、遊んでいたりすると、途端に攻撃的になって兄弟たちに意地悪するのだとか。
 兄弟と一緒にいると意地悪なことをするから、寝る時はああしてタオルにくるんで大人しくさせているらしい。
 窓越しの狐を前にして、覚えのある話だと顔を俯かせる。
 俺も、昔は──。

「そんな子なので、この先、稲荷に行かせるかどうか判断を迷っているところなのです。なので、お世話をする子狐のリストからは外してあります。悪い子ではないと、信じたいのですが」

「そうですか。…………だそうですよ、あまね」

 まるで、昔のあなたのようですね。
 不意に会話を振られて、心臓が跳ねる。
 俯かせた顔を上げて、自分の目よりも高い位置にある兄の目をそろそろと見上げる。
 兄上の綺麗な赤紫色が。優しさが灯る瞳が、視界に入った。 
 一人寂しく寝る子狐の境遇を聞いて、昔の自分を思い出したのは確かだ。
 俺も昔は、甘えっ子で我が儘な子で、兄上や父母を困らせた。それでも、家族は俺を見捨てることなく、兄上に至っては現在もこうして気にかけてくれている。
 きっと、俺がどうしたいかも見抜いている。
 一度深呼吸をしてから、保食神と向き合った。

「あの…………俺にあの子の、お世話をさせてください……!」

 あのタオルにくるまれている子を、俺は育てたい。
 保食神は僅かに目を見張った後で、首を傾ける。

「あの子で良いのですか? 育てにくい子かもしれませんよ」

「あの子がいいんです!」

 視線を外さず、真っ直ぐな気持ちを声音に乗せて、再度お願いする。
 神様の視線が俺ではなく、兄の方へ向けられる。
 元々、お世話係の話を持ってきたのは兄の方だ。どういう経緯でこの話を貰ってきたのか詳しくは知らされていないが、兄は獄卒課の課長でもあるし、閻魔大王と対になるお地蔵様とも仲が良いから、顔が広いのだろう。
 兄と神様のやり取りを、落ち着かない様子で見守るしかできない。
 保食神は兄上とやり取りをした後で「わかりました」と頷いた。

「では、あの子はあなたにお任せします。尾が二本に分かれる、その時まで」

 尾が二本に分かれたら、伏見へ返す。
 子狐を預かる全てのお世話係が、伏見の神様と交わす契約(やくそく)だ。 
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