星の召使さま
気づいた時には、父も母も家を離れていた。
二人とも、仕事の関係で海外で暮らし始めたのだ。
大きな家に、娘を一人置いて。
『一桁から二桁の歳になるから、一人でもなんとかやっていけるでしょう。お手伝いさんも、週に三回は来てくれるように手配したし。おじいちゃんとおばあちゃんも、たまに様子を見に来るって言ってたから』
最後に聞いた母の言葉が、そんな感じだった気がする。
その時のわたしは、なんとなくこんな日が来るのだろうと薄々悟っていて。その場にいるのに、どこか違う遠くの場所で母の声を聞いているような感覚に襲われていた。
両親が、生活に必要な知識をノートにまとめて残し、海外へと旅立って行くのに、時間はかからなかった。
四年生の始業式を迎えたときには、二人とももういなかった。
元々広かった家が、さらに広くなったように見える。
はじめの頃は頻繁にかかっていた電話も、送られていた手紙も、その年の夏を迎える頃には殆ど来なくなっていた。
空っぽの郵便受けを前にして、大きなため息を吐く。
手紙なんて来てないだろうなとは思っていたけど、実際に目の当たりにすると、大きな重りが心に落ちてきた。
「誕生日、なのに……」
来てないと思ってはいたけど、少しだけ期待もしていたのだ。
引き結んでいた唇が震える。
震えないようにと噛み絞めると、今度は目の奥が火傷をした時みたいに痛くなった。
痛みを和らげようと、手の甲で目を擦る。
冷たい雫が、肌を濡らした。
共に暮らしていた大人が急にいなくなり、寂しいと思わない訳がない。
クラスメートから、家族のあれこれを聞かされる度に、羨ましいと思わない訳がない。
胸に重りを入れたまま、自分の部屋へと戻る。
開けたままの窓から風が吹き込み、机の上に置いたままのプリントが舞い上がった。
床に散らばったそれを見て、大きく息を吐き出す。
拾うのも億劫なほど、体が重かった。
床に膝をついて、ナマケモノも驚くくらいのゆっくりとした動作でプリントを集めていると、再び窓から風が飛び込んだ。
腰まで伸ばしていた薄い水色の髪が、風に誘われるようにして流される。
煽られた髪を押さえて、目を閉じて風が抜けるのを待っていると、手の甲に一枚の紙が触れて、床に落ちる。
ゆるゆると目を開けてそれを見ると、小学校で貰った七夕の短冊だった。
赤い色の折り紙で出来た短冊。
空にいるお星さまからでも見えるようにと、赤い色を選んだ。
裏側に願い事を書いて、小学校の笹に括りつけようとしたのだが、クラスメートたちが将来の夢や希望を書く中、自分だけ「家族に会いたい」という甘えん坊な願いで気恥ずかしくなって、直前で変えたのだ。
小学校の笹には「成績がよくなりますように」と書いて、飾って置いた。
笹飾りを作っている時に聞こえた、家族と過ごす夏休みの話。通知表を見せるのが憂鬱だと笑うみんなの声。
家族と離れて暮らす自分は。寂しいのを我慢している自分は。ただ、明るく作り笑って、会話の輪に入っていた。
羨ましいという思いを隠して、笑ったのだ。
思い出したら、心臓を強く握られたような、きゅっと締め付けられる痛みが胸を襲う。
片手で服の上から胸を押さえつつ、空いた手で短冊を手に取る。
「お星さま……」
願えなかった願いを、今願う。
「お星さま、わたし………………家族がほしいよ……」
いつも側に居てくれる。
話しかければ、いつも言葉を返してくれる。
泣いた時に涙を拭ってくれる。
「そんな家族が欲しい」
溢れた願いが雫に変わって、短冊に滴り落ちた。
刹那。
鈴の音に似た音が、耳に届く。
耳のそばで鳴っている。
でも、部屋全体に響いている気がする。
何の音だろうと首を巡らせていると、視界の隅を赤い粒が横切った。
ハッとして、手元にある短冊に視線を戻す。
光るはずのない短冊が赤く発光し、蛍の光に似た輝きが一つ二つ三つと飛び出す。
螺旋を描くようにして、淡い薄紅色の蛍火が踊る。
年若い大人の女性が現れたのは、踊り始めてから直ぐであった。
驚いて見開いたままだった目を、さらに開いた。
蛍の光に包まれて現れたから、染まってしまったのだろうか。薄紅色の蛍火と同じ色の髪色をしている。肩まで伸びたそれはくねくねと癖が入り、耳の前にある髪を一房ずつまとめて毛先の近くで結っていた。
身に付けている物は袴だ。薄い紫色の着物に、濃い紫色に染めた袴を着けている。
呆然としながらその女性を見ていると、下ろされていた瞼が開かれて、翡翠色の瞳がわたしを目に入れた。
「……あなたの願いが、幾光年も先にある星に届きました」
清らかな声音が、耳の鼓膜を震わせる。
先ほど響いていた鈴の音のような、どこまでも高く響き渡る優しい音だ。
女性は柔らかな笑みを顔に浮かべると、小首を傾げるような仕草をして、言葉を続けた。
「雫(ねがい)に導かれて、馳せ参じました。……お嬢さま!」
1/2ページ