short story
ただ褒めに来ただけ
此方(こち)は、猫又である。名前は丹桂(たんけい)。日の本の中心で、短時間で終わった大きな戦があった頃に生を受け、あれよそれよという間に一本あった尾は二本になり、だるんだるんと名の知れぬ神の小さな祠で過ごしていたところ、美しい顔立ちの獄卒に拾われ、地獄に越してきた。【丹桂】という名前は、この美しき獄卒から頂いた誇り高き物である。不用意に他人に名を教えてはならぬのだが、今回は特別に名乗ってやったぞ。
さて、先日(不本意ながらも)小さき白き鳥(シマエナガ)から、不喜処地獄を案内してもらった。生前、獣においたな事をした亡者が落ちる地獄である。
その不喜処には、不喜処で働くけもの獄卒を管理する管理人(アデリーペンギン)がいるそうだ。この地獄で働く獄卒は鬼もいるが、殆どは書類など触った事もない、日がな一日日を浴びて過ごし、時に散歩に勤しみ、二度の食事と一度のおやつを生き甲斐としてきた者たちである。
そんな彼らの為に、仕事や賃金に関わる書類を製作し、獄卒全体の管理者へ渡す役目を担っているのが管理人の仕事なのだそうだ。
管理人がおらねば、不喜処地獄は仕事が滞る。仕事が滞るということは、獄卒のまとめ役でもある此方の主人にも影響が出る。
ふむ。先日は遠くから見るだけであったが、挨拶がてら主人の支えになっていることを褒めてやってもよいな。もふもふはさせぬが。
◆ ◆ ◆
「というわけで来たぞ」
もふんと、キジ柄の毛並みを持った見かけない獣が執務机を占拠する。
態度がでかいその生き物は尾が二本あるお猫様であった。
猫又と呼ばれる、この国の妖怪だ。
お昼休憩を終えて部屋に戻ってきた管理人(アデリーペンギン)さんは、白い羽毛で縁取られた目を瞬かせた。
「えーっと、どちら様で?」
「此方(こち)は丹桂(たんけい)である」
「いえ、そうではなく……」
「弱ったな。これは、話が通じない奴だぞ」と、フリッパーで後頭部を掻く管理人さんである。
どうしたものかと視線をさまよわせていると、「お邪魔しまーす!」という元気な声が執務室に響いた。
この前向きさに満ちた声は、シマエナガのものだ。シマエナガが来たということは、外国から出向しているあのジャッカルもきっと一緒だ。シマエナガだけでは不安だが、常識人(神?)のジャッカルが一緒なら大丈夫だ。
管理人さんが「いらっしゃい」と返事をしながら振り返ると、部屋の扉から黒いジャッカルとその頭に乗る白い小鳥が入ってきた所であった。
「拷問道具の発注お願いしますって、先輩たちに頼まれて来ました! あと、鳥用のご飯とチーターさんたちが使う藁(わら)と爪研ぎ!」
「はいはい、どうもありがとう。こちらで清書して、直(あたい)様にお渡ししますね」
管理人さんが下書きの発注書を受け取っている間に、シマエナガが丹桂の存在に気づいて「あ!」と声を上げた。
「たんたん、なんでいるの⁉」
「【たんたん】ではない! 【たんけい】である!」
「何度言えばわかるのだ⁉」と、キジ柄の猫又がフシャーと牙を見せた。
きゃんきゃんと言い合う二匹の間にいる管理人さんは、あわあわとしながら交互に猫と小鳥に視線を移し、最終的にジャッカルへ助けを求める。
この場の常識人枠は、大きく息を吐いてから「直様が現世で拾われた、猫又の丹桂殿です」と紹介した。
「ああ、直様の」
上司の直が猫又を拾ったという噂は、管理人さんの耳にも届いている。
上から目線で態度がでかい性格というのは今日初めて知ったが、毛並みを見るに可愛がられているのは確かなようだ。
お猫様の正体がわかったなら、管理人さんのやるべき事は一つだけだ。
椅子によじ登って執務机に置かれている黒電話にフリッパーを伸ばし、受話器を片手にダイヤルを回す。
管理人さんの顔をしげしげと覗き込みながら、お猫様が口を開いた。
「なにをしておる」
「何って、お迎えを呼ぶんですよ。──ああ、もしもし。直様? お宅のお猫様が迷子になったらしく、私の執務室に……」
「おい貴様! 此方は迷子ではにゃぁあーぞっ! 至急訂正するヨロシ!」
「お迎えに? はい、はい、お待ちしております」
「にゃああああああああ⁉ 主人違うぞ! 此方(こち)は迷子になどなっておらんぞ! 主人よおおおおおおおお!」
にゃあにゃあとやかましい雄叫びを上げて、お猫様は受話器に向かって言うが、管理人さんはチンと楽しげな音を鳴らして受話器を置く。
慈悲というものは感じられず、一切の迷いもなく、受話器を置いた管理人さんに、白い小鳥が「ひゅうひゅう!」と口笛を鳴らすふりをする。
「管理人さんも、なかなかの鬼だよね!」
「これでも、獄卒の端くれですから」
黒い羽毛で覆われた自分の楕円形フォルムを見下ろしつつ、言葉を紡ぐ。
見た目は愛らしい姿だが、中身はちゃんと獄卒らしい性格であると自負している。
でないと、この地獄ではやっていけない。
「直様のお猫様。ご主人様は直ぐお迎えに来るそうです。しばらく、そこのソファーでお待ちください」
「うんにゃああ…………」
お猫様は「この仕打ちは忘れぬ」と言わんばかりに尻尾をぴしりと振り、部屋の中心に置かれたソファーの背もたれへと飛び移った。
「うちの猫又が大変お騒がせしました」
美しい顔立ちの獄卒が、キジ柄のお猫様を抱えて頭を下げる。
迎えに来たのは、五道転輪王の嫡子であり、獄卒課の課長兼五道転輪王つきの書記官、直(あたい)だ。季節にあわせて仕立てた着物を着こなし、凛とした佇まいで裁判を静かに見守る獄卒であるが、亡者相手には容赦無い事で有名だ。
五道転輪王の裁判所は冥府に十ヶ所用意された裁判所の中で一番最奥、最後の裁判所である。文字通り最後の裁判、結審の場だ。地獄行きから逃れたい亡者の中には、死に物狂いで抵抗する者もいる。
裁判所から逃げ出そうものなら、結審を待たずに直の太刀で首を一閃され、首と胴体が別れた状態で地獄に送られるだろう。
そんな直が、猫又の前では優しい顔を見せていた。
お猫様はまだぷんすかと怒っていたが、大人しく抱かれている。きっと、このご主人様の事が気に入って気に入って仕方ないのであろう。
部屋の主である管理人さんは、「いえいえ」と朗らかに笑ってフリッパーを振った。
「飼い主様が直ぐに見つかってよかったです」
「だから、此方は迷子ではなかろうというに!」
「はいはい。わかってますよ」と美しい顔立ちの獄卒が、キジ柄のお猫様の背中をぽふぽふと叩く。
亡者に凍てついた視線を向ける赤紫色の瞳は、今は柔らかく細められてお猫様の顔を見下ろしている。引き結ぶ事が多い口許もゆるゆるだ。
「ああ、大事になされているのだなあ」と、管理人さんが微笑ましく見守ってると直の視線が向けられる。
どきりと、管理人さんは身を固くした。
微笑ましく思っていたのが悟られて、気を悪くされただろうか。
なかなか見ない姿が物珍しく、ついつい長くお顔を見すぎていたかもしれない。
お叱りが来たらどうしようかとあわあわとしていると、課長が口を開いた。
「お騒がせしたお詫びとして、一緒にご飯でもどうです? もうすぐお昼でしょう」
「おお?」
言われて時計を見れば、二本の針が頂点で重なろうとしている。
「おや、もうこんな時間」
お腹も丁度良く空いてきた頃合いだ。
管理人さんは「うん」と一つ頷いてから、「直様がよければ」と答えた。
「私の方から誘っているのですから良いのですよ。それに……菩薩(じじい)除けにもなりますからね」
「エナガさんたちもいかがですか?」と、直が机の書類を眺めている小鳥とジャッカルに誘いを投げた。
「ご飯ー⁉ ボクもいくー!」
「お邪魔でなければご一緒したく思います」
「ボクあれ食べたいなあ。脂があるやつ!」
「エナガさん、さっき亡者の骨をしゃぶってませんでしたか?」
「食堂のご飯と亡者の血肉は別腹なの!」
「行こう、行こう!」と、エナガが先導する形で部屋を出て、ジャッカルがその後に続く。
その後ろを管理人さんがおっちらおっちらと歩き、殿の直が扉を閉めた。
◆ ◆ ◆
丹桂は直の腕の中で、むむうと眉間にしわを寄せる。
ただこの管理人を褒めに来ただけだというのに、此方が人騒がせな事を招いたみたいになっているのではないか。
納得がいかぬと丹桂はそっぽを向いたが、耳だけはしっかりと主人と管理人の会話を拾っていた。
「直様とゆっくりお食事するの久しぶりな気がします」
「そうですね。また、鯨に乗った話を聞かせてください」
「くじら?」と、先を歩いていたけものと同時に首を傾げる。
管理人さんは「遠い昔の出来事ですよ」とゆるゆると微笑んだ。
「私にも、やんちゃな時代があったのです」
この楕円形むちむちボディの可愛らしい鳥から「やんちゃ」という単語が出てくるとは意外である。
どのような真似をしたのかは知らないが、きっとろくでもない事なのだろう嘲笑おうとしたところで、続けて発せられた言葉が丹桂の動きを止めた。
「それはそうと、私はお猫様のお話を聞いてみたいです。尾が二本あるという事は、とても長い時間を生きて来られたのでしょう?」
管理人さんは、ぱたぱたと楽しそうにフリッパーを振って言葉を放つ。
丹桂は、胸の内側がむずむずと痒くなる気配を感じたかと思えば、じわじわとあたたかいものが染み渡っていく気配も感じとる。
なんだろうか。この気配は。
むずむずとしたものも抱えながら、丹桂はゆっくり慎重に口を開いた。
「此方は、関ヶ原で戦があった頃より生きている」
「おお! それはまた長生きな!」
またしても、むずむずとしたものが胸の内側を撫でていった。
先程から、何かが広がっては染み込んでいく。
得たいの知れないものではあるが、悪い気はしない。
ぴょこんと跳ねて驚くペンギンを、丹桂は主人の腕からやや身を乗り出して見下ろした。
「そちは……長くないのか?」
「そうですねえ……私は生を受けてから六十年くらいです」
「長いのか短いのか、よくわからん数字だな」
「とっても短いですよ」
丹桂はふんと鼻を鳴らした後で、身体を元の位置に戻して、主人の腕の中で丸くなる。
管理人さんの方は隣を歩くジャッカルとジャッカルの頭に乗る白き鳥との会話に移ったようだ。
「お二人はいつ頃お生まれに?」と問う声が、丹桂の耳にしっかりと届く。
鼻先はぴったりと主人の着物にくっつけていたが、耳だけは外に向けていた。
ただ褒めるためだけに足を運んだが、話を聞いていて少し気分が変わった。
一撫で分、もふらせてやってもよいかと。
此方(こち)は、猫又である。名前は丹桂(たんけい)。日の本の中心で、短時間で終わった大きな戦があった頃に生を受け、あれよそれよという間に一本あった尾は二本になり、だるんだるんと名の知れぬ神の小さな祠で過ごしていたところ、美しい顔立ちの獄卒に拾われ、地獄に越してきた。【丹桂】という名前は、この美しき獄卒から頂いた誇り高き物である。不用意に他人に名を教えてはならぬのだが、今回は特別に名乗ってやったぞ。
さて、先日(不本意ながらも)小さき白き鳥(シマエナガ)から、不喜処地獄を案内してもらった。生前、獣においたな事をした亡者が落ちる地獄である。
その不喜処には、不喜処で働くけもの獄卒を管理する管理人(アデリーペンギン)がいるそうだ。この地獄で働く獄卒は鬼もいるが、殆どは書類など触った事もない、日がな一日日を浴びて過ごし、時に散歩に勤しみ、二度の食事と一度のおやつを生き甲斐としてきた者たちである。
そんな彼らの為に、仕事や賃金に関わる書類を製作し、獄卒全体の管理者へ渡す役目を担っているのが管理人の仕事なのだそうだ。
管理人がおらねば、不喜処地獄は仕事が滞る。仕事が滞るということは、獄卒のまとめ役でもある此方の主人にも影響が出る。
ふむ。先日は遠くから見るだけであったが、挨拶がてら主人の支えになっていることを褒めてやってもよいな。もふもふはさせぬが。
◆ ◆ ◆
「というわけで来たぞ」
もふんと、キジ柄の毛並みを持った見かけない獣が執務机を占拠する。
態度がでかいその生き物は尾が二本あるお猫様であった。
猫又と呼ばれる、この国の妖怪だ。
お昼休憩を終えて部屋に戻ってきた管理人(アデリーペンギン)さんは、白い羽毛で縁取られた目を瞬かせた。
「えーっと、どちら様で?」
「此方(こち)は丹桂(たんけい)である」
「いえ、そうではなく……」
「弱ったな。これは、話が通じない奴だぞ」と、フリッパーで後頭部を掻く管理人さんである。
どうしたものかと視線をさまよわせていると、「お邪魔しまーす!」という元気な声が執務室に響いた。
この前向きさに満ちた声は、シマエナガのものだ。シマエナガが来たということは、外国から出向しているあのジャッカルもきっと一緒だ。シマエナガだけでは不安だが、常識人(神?)のジャッカルが一緒なら大丈夫だ。
管理人さんが「いらっしゃい」と返事をしながら振り返ると、部屋の扉から黒いジャッカルとその頭に乗る白い小鳥が入ってきた所であった。
「拷問道具の発注お願いしますって、先輩たちに頼まれて来ました! あと、鳥用のご飯とチーターさんたちが使う藁(わら)と爪研ぎ!」
「はいはい、どうもありがとう。こちらで清書して、直(あたい)様にお渡ししますね」
管理人さんが下書きの発注書を受け取っている間に、シマエナガが丹桂の存在に気づいて「あ!」と声を上げた。
「たんたん、なんでいるの⁉」
「【たんたん】ではない! 【たんけい】である!」
「何度言えばわかるのだ⁉」と、キジ柄の猫又がフシャーと牙を見せた。
きゃんきゃんと言い合う二匹の間にいる管理人さんは、あわあわとしながら交互に猫と小鳥に視線を移し、最終的にジャッカルへ助けを求める。
この場の常識人枠は、大きく息を吐いてから「直様が現世で拾われた、猫又の丹桂殿です」と紹介した。
「ああ、直様の」
上司の直が猫又を拾ったという噂は、管理人さんの耳にも届いている。
上から目線で態度がでかい性格というのは今日初めて知ったが、毛並みを見るに可愛がられているのは確かなようだ。
お猫様の正体がわかったなら、管理人さんのやるべき事は一つだけだ。
椅子によじ登って執務机に置かれている黒電話にフリッパーを伸ばし、受話器を片手にダイヤルを回す。
管理人さんの顔をしげしげと覗き込みながら、お猫様が口を開いた。
「なにをしておる」
「何って、お迎えを呼ぶんですよ。──ああ、もしもし。直様? お宅のお猫様が迷子になったらしく、私の執務室に……」
「おい貴様! 此方は迷子ではにゃぁあーぞっ! 至急訂正するヨロシ!」
「お迎えに? はい、はい、お待ちしております」
「にゃああああああああ⁉ 主人違うぞ! 此方(こち)は迷子になどなっておらんぞ! 主人よおおおおおおおお!」
にゃあにゃあとやかましい雄叫びを上げて、お猫様は受話器に向かって言うが、管理人さんはチンと楽しげな音を鳴らして受話器を置く。
慈悲というものは感じられず、一切の迷いもなく、受話器を置いた管理人さんに、白い小鳥が「ひゅうひゅう!」と口笛を鳴らすふりをする。
「管理人さんも、なかなかの鬼だよね!」
「これでも、獄卒の端くれですから」
黒い羽毛で覆われた自分の楕円形フォルムを見下ろしつつ、言葉を紡ぐ。
見た目は愛らしい姿だが、中身はちゃんと獄卒らしい性格であると自負している。
でないと、この地獄ではやっていけない。
「直様のお猫様。ご主人様は直ぐお迎えに来るそうです。しばらく、そこのソファーでお待ちください」
「うんにゃああ…………」
お猫様は「この仕打ちは忘れぬ」と言わんばかりに尻尾をぴしりと振り、部屋の中心に置かれたソファーの背もたれへと飛び移った。
「うちの猫又が大変お騒がせしました」
美しい顔立ちの獄卒が、キジ柄のお猫様を抱えて頭を下げる。
迎えに来たのは、五道転輪王の嫡子であり、獄卒課の課長兼五道転輪王つきの書記官、直(あたい)だ。季節にあわせて仕立てた着物を着こなし、凛とした佇まいで裁判を静かに見守る獄卒であるが、亡者相手には容赦無い事で有名だ。
五道転輪王の裁判所は冥府に十ヶ所用意された裁判所の中で一番最奥、最後の裁判所である。文字通り最後の裁判、結審の場だ。地獄行きから逃れたい亡者の中には、死に物狂いで抵抗する者もいる。
裁判所から逃げ出そうものなら、結審を待たずに直の太刀で首を一閃され、首と胴体が別れた状態で地獄に送られるだろう。
そんな直が、猫又の前では優しい顔を見せていた。
お猫様はまだぷんすかと怒っていたが、大人しく抱かれている。きっと、このご主人様の事が気に入って気に入って仕方ないのであろう。
部屋の主である管理人さんは、「いえいえ」と朗らかに笑ってフリッパーを振った。
「飼い主様が直ぐに見つかってよかったです」
「だから、此方は迷子ではなかろうというに!」
「はいはい。わかってますよ」と美しい顔立ちの獄卒が、キジ柄のお猫様の背中をぽふぽふと叩く。
亡者に凍てついた視線を向ける赤紫色の瞳は、今は柔らかく細められてお猫様の顔を見下ろしている。引き結ぶ事が多い口許もゆるゆるだ。
「ああ、大事になされているのだなあ」と、管理人さんが微笑ましく見守ってると直の視線が向けられる。
どきりと、管理人さんは身を固くした。
微笑ましく思っていたのが悟られて、気を悪くされただろうか。
なかなか見ない姿が物珍しく、ついつい長くお顔を見すぎていたかもしれない。
お叱りが来たらどうしようかとあわあわとしていると、課長が口を開いた。
「お騒がせしたお詫びとして、一緒にご飯でもどうです? もうすぐお昼でしょう」
「おお?」
言われて時計を見れば、二本の針が頂点で重なろうとしている。
「おや、もうこんな時間」
お腹も丁度良く空いてきた頃合いだ。
管理人さんは「うん」と一つ頷いてから、「直様がよければ」と答えた。
「私の方から誘っているのですから良いのですよ。それに……菩薩(じじい)除けにもなりますからね」
「エナガさんたちもいかがですか?」と、直が机の書類を眺めている小鳥とジャッカルに誘いを投げた。
「ご飯ー⁉ ボクもいくー!」
「お邪魔でなければご一緒したく思います」
「ボクあれ食べたいなあ。脂があるやつ!」
「エナガさん、さっき亡者の骨をしゃぶってませんでしたか?」
「食堂のご飯と亡者の血肉は別腹なの!」
「行こう、行こう!」と、エナガが先導する形で部屋を出て、ジャッカルがその後に続く。
その後ろを管理人さんがおっちらおっちらと歩き、殿の直が扉を閉めた。
◆ ◆ ◆
丹桂は直の腕の中で、むむうと眉間にしわを寄せる。
ただこの管理人を褒めに来ただけだというのに、此方が人騒がせな事を招いたみたいになっているのではないか。
納得がいかぬと丹桂はそっぽを向いたが、耳だけはしっかりと主人と管理人の会話を拾っていた。
「直様とゆっくりお食事するの久しぶりな気がします」
「そうですね。また、鯨に乗った話を聞かせてください」
「くじら?」と、先を歩いていたけものと同時に首を傾げる。
管理人さんは「遠い昔の出来事ですよ」とゆるゆると微笑んだ。
「私にも、やんちゃな時代があったのです」
この楕円形むちむちボディの可愛らしい鳥から「やんちゃ」という単語が出てくるとは意外である。
どのような真似をしたのかは知らないが、きっとろくでもない事なのだろう嘲笑おうとしたところで、続けて発せられた言葉が丹桂の動きを止めた。
「それはそうと、私はお猫様のお話を聞いてみたいです。尾が二本あるという事は、とても長い時間を生きて来られたのでしょう?」
管理人さんは、ぱたぱたと楽しそうにフリッパーを振って言葉を放つ。
丹桂は、胸の内側がむずむずと痒くなる気配を感じたかと思えば、じわじわとあたたかいものが染み渡っていく気配も感じとる。
なんだろうか。この気配は。
むずむずとしたものも抱えながら、丹桂はゆっくり慎重に口を開いた。
「此方は、関ヶ原で戦があった頃より生きている」
「おお! それはまた長生きな!」
またしても、むずむずとしたものが胸の内側を撫でていった。
先程から、何かが広がっては染み込んでいく。
得たいの知れないものではあるが、悪い気はしない。
ぴょこんと跳ねて驚くペンギンを、丹桂は主人の腕からやや身を乗り出して見下ろした。
「そちは……長くないのか?」
「そうですねえ……私は生を受けてから六十年くらいです」
「長いのか短いのか、よくわからん数字だな」
「とっても短いですよ」
丹桂はふんと鼻を鳴らした後で、身体を元の位置に戻して、主人の腕の中で丸くなる。
管理人さんの方は隣を歩くジャッカルとジャッカルの頭に乗る白き鳥との会話に移ったようだ。
「お二人はいつ頃お生まれに?」と問う声が、丹桂の耳にしっかりと届く。
鼻先はぴったりと主人の着物にくっつけていたが、耳だけは外に向けていた。
ただ褒めるためだけに足を運んだが、話を聞いていて少し気分が変わった。
一撫で分、もふらせてやってもよいかと。