short story


 此方(こち)は、猫又である。名を丹桂(たんけい)と申す。なき声は「にゃあ」である。日の本の中心で大きな戦があった頃に生を受け、母猫(かか)は流行り病で亡くなり、四ついた姉弟は黒き鳥によって散らされた。商人の家々を巡るうちに猫又となり、銀杏が並び立つ場所に建立されたどこかの神の祠を根城にして、だらんだらんと過ごしていた所、とても美しい顔立ちをした獄卒に拾われた。昨年の秋にこの地獄へ引っ越し、獄卒と右腕として日夜亡者と地獄を監視する偉大な猫又である。
 最近、地獄では「明けましておめでとう」という言葉が流行っていたが、七日も経たないうちにすっかり消え失せてしまった。地獄の者たちも流行に敏感な現世の人々のように、流行り廃りの期間が短いのかもしれない。
 此方も獄卒(しゅじん)に倣って屋敷に顔を出した者に「にゃあ(明けましておめでとう)」と挨拶をしたぞ。一人だけ違うことをしては悪目立ちしてしまうからな。偉いであろう。もふもふはさせぬぞ。
 でも、獄卒(しゅじん)に付きまとう地蔵菩薩には尻尾を振ってやったわ。あの御仁は、何度獄卒(しゅじん)に顔を出せば気が済むのだ?
 ふむ。思い出したら、なんだか腹が立ってきた。
 いかん、いかんぞ丹桂。此方は日の本の中心で大きな戦があった頃に生まれし者。如何様な事にも乱れてはならぬ、おおらかな心を持つべし。
 このままでは獄卒(しゅじん)とゆっくり寝に入れない。
 頭を冷ます為に少し地獄を見て来よう。
 獄卒の右腕としての勤めをきっちりと果たそうではないか。


「あ! 課長の猫又くんだ! おーーーーい! 猫又くーーーーーーん!」

 現世とあの世の境目から離れれば離れるほど、冥府の灯りは太陽の神から地獄の底で踊る業火の物へと変わる。
 夜に似た闇を、夕焼けよりも濃い橙色の炎が照らす中、岩場を歩いていた丹桂は、甲高い声に名を呼ばれて足を止めた。
 この声は、不喜処で働く白くてまるい姿の鳥のものだ。種類はなんだったか。確か、シマエナガといったか。あの鳥も、獄卒(しゅじん)によく話しかける者の一人である。
 その鳥の側に、黒い四本足の獣がいる。名前は忘れたが、名の知れた国の神だそうだ。地獄(ここ)へは、出向というやつで来ていると獄卒(しゅじん)から聞いた。
 神も働くご時世なのだなと思ったが、この国の神は丹桂が生まれるよりも前から働いていたなと思い直す。
 獄卒(しゅじん)も生まれたのは平安中期頃だと言っていた。長い間ご苦労なことだ。あとでもふもふさせてやろう。地蔵菩薩(じじい)は知らん。
 丹桂はふんと鼻を鳴らしてから、ばたばたと忙しなく羽ばたいて寄ってくる白い鳥と四本足の黒き獣に視線を向けた。

「年始から仕事とは、ご苦労な事だ。此方が褒めてやろう」

「猫又くんは相変わらず上から目線だね。あ、『明けましておめでとう』言ったっけ?」

 首を傾げる白き鳥に、丹桂は息を吐いてから「屋敷でしたであろう」と言葉を続けた。

「あ、そうだったね!」

「鳥頭か?」

「? 鳥だけど?」

 本気でとぼける鳥に、今度は黒き獣が呆れて「エナガさん、そういう事ではないと思いますよ」と続けた。

「そうなの?」

「こやつ……こんなんでよく獄卒やれてるな」

「天職だからね! 先輩たちも優しいし! ご飯は食べ放題だし!」

 えっへんと胸を張る白い鳥に、黒き獣が冷めた視線を送る。
 その視線から、普段振り回されているのが見てとれた。
 異国の神なのに、なんと不憫な。だが、もふもふはさせぬ。
 もふもふは獄卒(しゅじん)の特権なのだ。そろそろ屋敷に戻って、獄卒が戻ってくるのを待つとしよう。

「此方の獄卒(しゅじん)に迷惑をかけなければなんでもよい。これからも職務に励むことだ」

「此方はもう帰る」と尻尾を返すと、白き鳥が「もう帰っちゃうのー⁉」と、ばたばたと騒がしく羽根を動かした。

「これから新しい亡者が来るんだよー! せっかく来たんだし、歓迎会見てってよー!」

「歓迎会?」と、丹桂が言葉を返すと、白き鳥は大きくうなずいた。

「超楽しいよ!」


 ぱちぱちと焚かれた地獄の業火の上に、鉄で出来た網が乗せられる。
 その網を囲む形で、不喜処で働くもふもふとした動物たちが集まり、縄でぐるぐる巻きにされた亡者が十人、地面に転がされていた。
 亡者の目には涙が浮かんでいる。
 対する獣獄卒たちの目は生き生きとしており、らんらんと輝いている。
 獣の顔触れは犬が多い。いかにも地獄で生まれましたという厳つい顔の犬もいれば、生前は大切に育てられましたというお上品な姿の犬もいる。他には、おとぎ話で有名な雉たちや猿、動物園でも見かける獅子たちや大人の人間と同じ大きさの白き鳥がうごうごと身を寄せ合っていた。皆の邪魔にならない場所には、鼻が長くて耳が大きな獣と首の長い獣も複数控えている。確か、象やキリンと呼ばれる獣だ。
 獣大集合な現場を前にして、丹桂は隣に腰を落ち着けた黒き獣と、彼の頭で羽根を休めることにした小さき白き鳥に口を開いた。

「これはなんの集会だ?」

「だから言ったじゃーん。新入り亡者の歓迎会だよー」

 白き鳥が発する間に、「どいてどいて」と獣の間をえっちらおっちらと黒き姿が進み出る。
 真っ黒な羽毛に、楕円型の丸い姿。目の周囲には白い縁があり、お尻には可愛らしい尾羽がある。
「あれは誰だ?」と問う矢先に、白き鳥が「管理人(アデリーペンギン)さんだ!」と口を開いた。

「あの人、ボクたちのシフト表を作ってくれたり、備品を発注したり、年末調整の書類作ってくれるの!」

「ほう」

「おっほん、おっほん」とアデリーが咳払いをし、新入り亡者の罪状を述べていく。
 クチバシからつらつらと流れ出る罪状は、まさに歩く犯罪百貨店である。
 最初はきりりとした表情で聞いていた丹桂も、罪状の多さに顔をしかめた。
 不喜処地獄へは、主に動物への虐待等で落とされて来るのだが、この亡者は人間に対しても罪を犯している。この地獄だけでなく、他の地獄でも良いような罪だ。
 獣獄卒たちは、亡者を威圧する足が踏み鳴らし、ぐるぐると喉を鳴らす。
 今にもその血肉を骨から剥ぎ取って、骨の髄までしゃぶってやろうという気合いに満ちていた。
 いや、実際にそうなるのだろう。獣たちにとって、あの鉄の網は焼き肉の鉄板だ。これからあの亡者をじゅうじゅうと焼いて、いい感じになったところでしゃぶりつく姿が、丹桂の瞼の裏に浮かんだ。

「これが歓迎会……?」

「そうだよ! これから新人さんたちには地獄がどういうところなのか知ってもらう為に、一通りの拷問を体験してもらうんだー! 焼かれたり、踏み潰されたり、肉を剥ぎ取られたり、爪を剥がされたり、目玉くりぬいたり、ナマケモノとにらめっこしたり!」

「前半は分かるが、一番最後だけ何か違わないか?」

 丹桂がじっとりとした視線を向けると、白き鳥は「そんなことないよ!」と憤慨した。

「あの虚無な目をしたナマケモノさんと三日間休まずにらめっこして、一度でも目を逸らしたら指を一本ずつ折られていくんだよ! 超辛い拷問だよ! 亡者たちは痛覚が残っているから超痛いよ!」

「因みにこれ考えたの課長ね!」と白き鳥が続ける。
 白き鳥が言う課長は、丹桂の獄卒(しゅじん)の事だ。
「さすが此方の主人である」と、丹桂は頷く。

「なら良し」

「良しなのだろうか」と黒き獣が言いたそうにしていたが、諦めたのか息を一つ吐くだけに終わった。
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