short story


 この夏、ぼくはお母さんのお祖母さんが住んでいた村に引っ越してきた。海があって、林があって、田んぼがあって。それから道の駅とか展望台のある海浜公園を初めとした娯楽施設もほどほどにあって。電車とかバスの本数は少ないけど、住み心地は良い…………はず。〝良い〟と言い切れないのは、この村には人間以外の〝もの〟がいるからだ。

 ◆ ◆ ◆

「河童が居るんだって」

「は?」

 給食の時間。給食係でご飯を担当していた坊主頭が、不意に口を開いた。隣で味噌汁を担当していたぼくは、気の抜けた声を出す。二学期の始業式に転入したぼくの、なんだかんだで、クラスの中で一番仲の良い男友達。彼が言うことは冗談も多いけれど、比較的真面目な男だ。そんな彼が、真顔で「河童が居る」などと言い出したら、聞き返したくもなる。
 僕の反応に、坊主頭は同じ言葉を繰り返した後、言葉を続けた。

「道の駅にさあ、居るんだって。今度の土曜日会いに行こうぜ!」

 坊主頭は瞳をキラキラとさせながら、ぼくを誘う。

「河童かあ……」

 引っ越してきてからの色々を思い出して、ぼくは頭を傾けた。古びた社の窓から見えた白い手。展望台から飛び降りる黒い影。不思議な事が起こる村だ。河童が居てもおかしくない。それに、坊主頭の言う河童が、どんな姿をしているのか興味がある。
 絵本でよく見る頭にお皿をのせた姿なのか。はたまた別のものか。
 まあ、道の駅に出るものだから、ゆるキャラなのだろう。確か、道の駅のゆるキャラがそんな感じのゆるキャラだったはずだ。可愛い趣味を持つ友人である。
 坊主頭の誘いに、ぼくは「行く」と返した。



 道の駅は、海寄りではなく内地寄りに建てられている。村の中心部から少し外れた場所にあるが、隣町に行く幹線道路と海から内地の方へ伸びる幹線道路が交差する場所だ。自宅から自転車を使えば、安易に着く距離。
 土曜日、ぼくと坊主頭は道の駅へと向かった。土曜日の道の駅は車の出入りが頻繁で、臨時駐車場も開放されているほど。平日は閑散としているフードコートも、休日は満席だ。
 目当ての河童が現れるまでまだ時間があるそうだ。「ソフトクリーム買ってくる」と言い出した坊主頭を見送り、戻るまでの間、ぶらぶらと道の駅を見て回ることにした。
 道の駅に来るのは二度目だ。一度目は引っ越してきた頃に母と来たのだが、少し見てから帰ったので詳しくはない。
 ラーメンとピザ屋さんが並ぶフードコートを眺め、坊主頭も並んでいる行列が出来るソフトクリーム屋さんの脇にある通路を抜け、外に出る。駅の裏には小さな公園とテラス席があり、南に面している為か、たっぷりと日差しが注がれている。
 テラスの奥には林があり、小川がちょろちょろと流れていた。流れて行く先は、村の中心部に流れている大きな川だ。川に向かって、引き寄せられるようにして小川に沿って歩く。
 ちゃぽんと水が動く音が聞こえた。
 水面に向けていた視線を上げると、緑色の甲羅ときらりと光る頭のお皿が目に入った。
 一度目を擦って、もう一度同じ場所を見る。
 緑色の甲羅と、きらりと光るお皿がある。なんなら、皮膚も緑色で鱗のようなものも確認できる。くたびれた様子が甲羅越しでもわかった。
 あの姿、見覚えがある。絵本で、漫画で、そして、道の駅のポスターで。

『道の駅にさあ、河童が居るんだって』

 目の前に居るのは、河童と呼ばれるものだ。
 坊主頭の言葉が脳裏を過ったけど、彼の目当てはコイツじゃない。彼が言っていた河童は、道の駅のポスターに描かれていた、ちょっと丸みがあるフォルムで、キュウリを持っていて。「愛嬌とキュウリが命!」みたいな河童だ。少なくとも、目前に居るちょっとくたびれたおじさんみたいな河童ではない。
 今まで、白い手や黒い影を見たことがある。あれは幽霊と呼ばれるものかもしれないし、誰かが落とした思いの欠片と呼ばれるものかもしれない。
 こんなにしっかりとした〝妖怪〟を見たのは初めてだ。
 ぼくが唖然としている間も、河童は「つれねえ」「大したもんじゃねえな」「ちくしょう。崩れた」等々と独り言を連ねていた。傍らにはバケツが置かれている。
 握っていたタモを放り投げ、とんとんと拳で腰を叩きながら、河童がぼくの方を振り向いた。
 ぎょろりと丸い河童の目と、ぼくの目がかちりと合う。
 間。

「みせもんじゃねえぞ」

 河童はじっとりと目を半眼にして、言い放った。
「坊っちゃんはあっち行ってろ」と、遠ざけるように手を振る河童に、ぼくは一歩また一歩と距離を詰める。

「何をしているの?」

 ぼくの問いに、河童は諦めた様子でため息を吐き、面倒くさそうに答えた。

「見りゃあわかんだろう? 釣りだよ」

「釣り?」

 答えを聞いてバケツを覗くも、魚の姿はない。その代わりに、ぼんやりふわふわとした灯りを放つ、お手玉に似た球体が水面に浮かんでいる。

「これは何?」

「魂の残骸だよ」

 河童はさらりと言う。
 ぼくは、思いもしなかった単語に驚いて、言葉を返すのを忘れてしまった。

「火の玉って知ってるか? 成仏し損ねるとな、こんな風になっちまうんだよ。何で成仏しなかったのか、自分は何者か、どんな姿をしていたか、何もかも忘れてな。仕舞いには浮かぶことも出来なくなって、地面に落ちて、見えねえ連中にコロコロ蹴られて、こうなるのさ」

「それを釣ってるんだよ」と、河童は続ける。
 当たり前の事だと。お前たちが知らないだけだと。

「坊っちゃんも、迎えが来たら素直に逝った方が良いぞ。あの世の連中も忙しいんだ。迎えなんて、何度も来れねえからな。救ってくれそうなら無視しちゃいけねえ」

 淡々と話す河童の話は、どこまでも他人事で、声音も乾いている。否、くたびれている。長い月日、どうしようもない事と向き合ってきた、もしくは見てきた者の口ぶりに、ぼくの胸は少しだけきゅうっと悲鳴を上げる。

「釣って……どうするの?」

 ようやく出てきた質問がこれだった。
 その問いに、河童は口の端をつり上げてから答える。

「食べるんだよ」
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