狐神と、
最近、仕事の調子があがらない。
罰を受ける亡者に拷問を与えねばならぬのが自分の仕事なのだが、それがどうも上手くいかない。いかないというか、自分には……僕にはその資格がないのではと思う。
だって、僕は家族が大変な時に我が儘を言ってばかりだった。大変な時と言っても、僕の妹が生まれただけなんだけど、妹が生まれるまで末っ子だった僕は、両親からも年の離れた兄からもそれはそれは甘やかされて育ったので、家族の意識が妹に向けられている事に怒って、我が儘ばかり言った。
罰を受けるべきは、拷問を受けるべきは僕の方だ。
あれから数百年経っている。そんな大昔のことでと笑われてしまうかもしれないけど、僕にとっては昨日のような出来事で、心の片隅にずっと巣食っている後悔だ。
いよいよ身体に不調が出てきて、少しの間休みたいと連絡を入れてからずっと部屋に居た。きっとそのうち、誰かが様子を見に来る。兄妹は数えきれないほど多いし、父も母も心配性だから、必ず誰か派遣するはずだ。
一人暮らしの小さくて、静かな部屋。外から聞こえるのは、路面電車が走るがたごとからんからんとした音と、同じ集合住宅に住まう者が階段を上り下りする足音と生活音。
うるさいなと耳をぎゅっと押さえるように毛布を被って布団に寝転ぶ。
誰が来たって絶対戸なんて開けてやらない。職場復帰の説得なんていらない。
「本当は誰かに来てほしい癖に」と、寂しがりな僕がどこかで嗤う。
「そんな事ない」と、むうっと意地を張ってサナギみたいになっていると、戸が叩かれる音がする。布団の中から気配を探る間に、訪ねて来た者が声を発する。
「あまね────居ませんか?」
「兄上⁉」
訪ねて来たのは、年の離れた兄だった。
布団から飛び起きて、でも引きこもっている情けない姿を見せたくなくて、毛布を被ったままそろそろと戸を開ける。
戸の隙間から見えたのは、美しい母に似た美しい顔立ちと姿を持った大好きな兄の姿だ。
兄の顔にある目が僅かに開かれ、次いで呆れた表情をみせる。
「なんですか? そのてるてる坊主みたいな姿は
」
「ご、ごめん、なさい。寝起きで……」
毛布の中で笑って誤魔化す。
兄はしばらく僕を観察してから「まあいいでしょう」と言って、部屋に上がった。部屋に上がってした事は、僕のお仕事のお話だった。兄と僕は現場は違うけど職業は一緒だ。他の兄妹たちもだ。僕だけが、上手くいっていない。
しょんぼりと項垂れていると、兄の柔らかい手のひらが僕の頭に乗せられる。
「冥府は広いし、獄卒は万年人手不足です。あなたに合った部署は必ずあります。私の方で探しておくから、もう少しの間、辛抱してください」
「それまで、休職という形にしておきます」と、久しぶりに会った兄は昔と変わらず優しくて、僕に甘い。
心に巣食っている後悔はまだあるけれど、なんなら今も我が儘を言ってしまった気がするけれど、先程よりは息がしやすい。
地獄に太陽は昇らないけど、もしも夜明けというものを見ることがあるなら、今みたいに期待に満ちた気持ちを抱くのだろうなと思った。